嵐の予感 2
「なんだその、特別選抜試験っていうのは」
「なんでも、その試験に合格した生徒は無条件で中央大学院に入学っていう話なんよ」
ぞわりとティグラの背に戦慄が走った。
「初年生でも?」
「無条件っていうし、きっとね」
焦りとも怒りともつかない、火種のようなものがティグラの胸中でくすぶり出している。
ゆっくり一言ずつ確認するような口調で質問する。
「過去にもそんな試験はあったのか?」
「あちし、記録員じゃないからそんなん答えられんよ。ただ、記憶の中には見当たらん。もし大学院早く入れたらそのぶん魔法の研究できるんだろうな。いいなあ……」
ニャンコはそんな空想をしてうっとりしているみたいだ。
「その特別選抜試験っていうのは、帝国の全学院で行なわれるのか?」
「うにゃ、教官たちの話しぶり聞く限りここだけみたい」
(なるほど、わかった)
ティグラは図書館の天井を見上げて息を吐いた。
「……お、ティグラフェダーテ君も気づいたか? このニュースがどんな意味あるのか」
「ああ」
ティグラは結論を噛みしめるように口にした。
「こいつは、みんなにチャンスを与えるってことじゃない。天才のための舞台を作りに来るんだ」
「天才だか転生だかのためのね。どっちでも一緒だけど。ウヒッ、ティグラフェダーテ君、学問できんわりには頭の巡りは悪くないじゃん」
異世界からの転生者、隔絶した才能の持ち主がいるという噂が帝都まで伝わったということだ。
噂が本当なら、すぐにでも大学院にほしい。だがそれを大っぴらに言うにははばかりがある。噂が嘘である可能性も考える必要がある。結果、特別選抜試験というかたちで確かめにきた。
そういうことだろう。
「いつだ?」
「試験? 来月とかそんなこと言っとった気がする」
一ヶ月……あとたったそれだけで、ライルがこの学院からいなくなってしまう可能性が高い。その予想に、ティグラはひどく動揺した。
二年、あと二年かけて自分を高める心づもりでいたというのに、わずか一月?
「そいじゃあちし、噂をばらまいてくるかんね」
しびれたように動かないティグラを残して、ニャンコは笑いながら去った。
◇◇◇
翌日の最初の授業は学問だった。小柄な老人、シラマ・ツーブリッジ教官が入ってきて、いつものように壇上から生徒をぐるりと睨み渡す。
「今日の授業は文学だ。が、その前に一つだけ」
いったん言葉を切って、
「まだ正式に発表されてないわりにとっくに広まっているが、今度護国騎士がうちの学院にご来臨あそばす」
教官の視線は、噂を広めた元凶であるニャンコを鋭く捉えているが、当の彼女はどこ吹く風でニヤニヤしている。
「それに伴い、護国騎士志望コースの初年生、二年生を対象に特別選抜試験を行なう。……ざわつくな、黙って聞け。あー、そうだ、おまえらが聞いたとおりだ。試験に合格すればそのまま帝都の大学院行きとなる」
今度は、教官の視線がライルへと移る。
「試験の内容は、アストラルアクションだ。日時は……八月一日」
具体的な日が明らかにされ、教室内のテンションが一段上がった。今からちょうど一ヶ月後である。
ライルは誰にも見えないところで拳を握った。
(これはチャンスだぞ)
目標までの最短距離だ。決まりとはいえ、二年半この騎士道学院にいるというのは停滞しているような気がしていたのだ。むろん学生生活は楽しいし、学ぶこともある。それでも、疾走すべき馬が厩舎に繋がれているようなものであった。
それが今回の試験で、目の前が一気に開けた。
血流が早まる。高揚感。ライルは口を押さえた。笑みが漏れるのをとどめるためだ。
「出たいやつは教官に言え。ただし、本気で勝つ気もないやつは邪魔だから出るな。試験のアストラルアクションは、痛覚をカットしない」
クラスがざわつく。痛覚ノーカットということで、最初に見せられた先輩同士の泥仕合を思い出した者も多いだろう。
「痛えぞ。覚悟して参加するかどうか考えろ」
ライルにとっては、痛覚がどうというのは関係なかった。出ないという選択肢は存在しない。未来へ向かって進むためなのだ。
八月一日。あと一ヶ月。
興奮収まらぬままのライルの目に、隣席のノンノが入った。彼女もライルを見ていた。その視線は複雑なものだった。悲しげに見えた。
そうだ。試験に合格したとして、大学院へ行くということは、彼女らと別れるということなのだ。それはライルにとってもつらいことだ。
(……ノンノとちゃんと話さなくちゃ)
◇◇◇
放課後、ようやく色あせ始めた太陽が、窓から斜めに教室へと光を落とす。
他の人はいない。ここにいるのは――ライル。窓際に立って、外の空から教室の中へ視線を戻した。
それともう一人。ノンノ・ノナが彼の正面に立っている。顔をうつむきがちにして、落ち着かない心を表すように合わせた両手を動かしている。
ライルは彼女に呼び出されたのだ。放課後、教室に残ってほしいと。
ノンノは、何か言いたそうで、でも言いにくそうにしている。彼女はいつも遠慮がちだ。でも引っ込み思案というわけではない。自然に周囲に気を遣うことができる彼女のことを、ライルは好ましく思っていた。
「最近ようやく〈快眠〉が素早く発動できるようになったよ」
適当な話題で沈黙を破る。
「それと、きみが好きだっていう詩集、読んでみた……まだ途中までだけど」
「ニャンコちゃんが広めた話」
ノンノがライルを見た。抑えてはいるものの抑えきれない傷心の色が彼女の瞳にはあった。
ライルはうなずいた。このタイミングでノンノが話したいというのなら、話題はもちろんそのことについてであろう。
「あと一ヶ月したら、護国騎士が来て、特別試験があって……」
「そういう話だね」
「……そうしたら、あなたはアイセルドーンへ行っちゃうんだね」
「ノンノ……」
「あっ、違うの、もちろんあなたにとってはいい話だし、わたしだって大学院に行きたいって思ってるから、また会えるかもだし」
慌てたように両手のひらを振るノンノ。それから照れたように笑った。
「でも、ちょっとさびしいかな、なんて……えへへ」
哀情を隠した照れ笑いであった。
こういうときなんというべきか、転生を経験したライルでも、その方面の経験値は十分ではなかった。
前世で、特定の女性といい雰囲気になったことはある。……いや、あれはあるといえるのか……。
大学で同じ英語のクラスだった高梨という女性が、道端で泣いているところに出くわしたのが、そのきっかけだった。彼女に引きずられるように一緒に居酒屋に行き、話を聞くと、彼氏と大げんかして別れたのだという。
胃に酒を入れ続けながら、顔も名前も知らない彼氏とやらに対する果てしのない悪口を聞いているうちに、いつのまにか一緒に遊びに行く約束をしていた。高梨のほうから誘ってきたのだ。
ライル……当時の名でいえば海斗は、傷心を慰める気晴らしに付き合う程度の認識だった。だが待ち合わせ場所に来た彼女は明るく、もはや彼氏のことなど忘れたみたいに海斗とのデートを楽しんだ。
その後も彼女に誘われるまま、二人で何回か一緒に遊んだ。今度は自分から誘おうと海斗は考え、なし崩し的になっている関係をきちんとさせるために告白しようと決心した。
だがその決心を持って大学へ行った日、高梨のほうが海斗を見つけて声をかけてきた。
彼氏とよりを戻したのだという。
「いろいろ付き合ってくれてありがとね」
それだけだった。
確認するまでもないが、どうやら冷たい彼氏への当てつけとして海斗が使われた、ということであった。
ストリートビューで素敵なデートプランとか、ロマンチックな告白ポイントとかをじっくり検討していたときのことを思い出して暴れ出しそうになる夜があった。転生してからは忘れていたが……。
つまり海斗=ライルの女性経験なんてそんなもんなのだ。
それでも、今目の前にいるノンノが高梨と違うことはわかる。
彼女と親密になったきっかけは、一部で噂されているような、上級生に言い寄られていたノンノを助けた、というようなものではなかった。むしろ逆というか、上級生がライルと話そうと駆け寄ってきたときに、そばにいたノンノを押しのけたので、上級生はおいといて、ライルはノンノに声をかけた。
そんな些細なことから始まり、一緒に食事をするようになって、会話したり一緒に過ごす中で、お互いの性格や人間性を知るようになっていった。
だがいつまでも一緒にはいられないということだ。ライルはノンノの、ブルーオパールの瞳をまっすぐに見つめ返した。
彼女には、自分の本当のところを知っておいてほしい。そうすることで自分の心を彼女と分かち合えるのではないだろうか。
「ノンノ。実は、おれは護国騎士になりたいわけじゃないんだ」
「え……?」
「おれは、国を変えたい」
そしてライルはゆっくりと語った。自分の過去を。雷雨の夜の親子を。連合帝国間の国境があまりにも人々を隔てていることに対する憤り。ほんの少し風通しのいい国々にしたいという思い。
金剛会議への参加資格、貴族の称号が必要なこと。
全部。
ノンノは口を挟まず、熱心に聞いてくれた。
もしかすると愛想を尽かされるかもしれないという思いはあった。護国騎士に憧れた者たちからすれば、不純きわまる動機だからだ。
それでもライルは、ノンノに嘘をつく気はなかった。
いつしか窓の外は夕景に変わっていた。額に汗をにじませ、ライルは話し終えた。
「ライル君……」
ノンノの声音はどっちともつかない。
彼女は、一歩近づいてライルの手を取った。
「それなら、早く護国騎士にならないとだね」
笑顔さえ浮かべてくれた。
ライルは半ば衝動的に彼女を抱きしめた。
「ラッ……ライル君……」
驚いた様子だったが、ノンノは抵抗しなかった。
今こそ口にすべき時であるとライルは思った。高梨の時とは違う。これは勘違いではない。
ライルは彼女の耳に口を寄せ、教室内の机や椅子に聞かれることをはばかるような囁き声で言った。
「好きだ」
ノンノのすくんだような体から徐々に力が抜け、彼女もライルの体に腕を回した。二人は抱き合っていた。
やがて自然と離れると、ノンノは一歩下がって元の位置に戻った。
「二年待ってて」
と言った。彼女の目の端に涙があったとしても、それはもう拭い去られて、今はどこにもなかった。
「すぐに追いかけていくから」
「太陽の都で待ってるよ」
それは、帝都アイセルドーンの輝ける異名であった。
◇◇◇
(……聞いてしまった……!)
教室の外側、扉のところに張りつくような恰好で、ティグラは気まずい汗を流している。
(聞く気はなかった)
というのがティグラの言い分だったが、すぐにその場を離れることもできたのに、しばらくの間、二人の会話を聞いてしまったことに弁解の余地はない。
ライルがノンノに囁いた決定的な一言はティグラには聞こえなかったし、中を覗いていなかったので抱き合ったところも見てはいなかったが、彼と彼女が相当親密であること(あるいはこの場で親密になったこと)は、耳からだけの情報でもよくわかった。
(ロブには残念なお知らせだな)
とちらりと思ったものの、もちろんティグラにはロブにこの件を話すつもりはなかった。誰に対してもなかった。
ティグラにとって重要なのは色恋沙汰よりも、ライルが語った動機のほうだ。なんでも余裕をもってこなしているところばかりを見ていたが、彼の動機というものをはじめて知った。あのような遠大な考えを持っていたとは知らなかった。いや、国を動かすというスケールは、むしろ異世界からの転生者には似合っている。
それにライルの熱意は本物だ。何年も前から、国をよくするために考えてこの学院に入学してきたのだ。そのことがよくわかった。
(あいつにも護国騎士になる理由があるんだ)
考えてみれば当然のことだが、まるで今思い至ったみたいな感覚だった。
いっぽう翻ってみれば、自分は単にトールヴァに憧れただけでここまできた。護国騎士になって国を護るといっても、具体的なビジョンは何もない。人に語れるような立派な動機というものは、ないといっていい。
「…………」
ティグラは難しい顔で考え込んでいたが、教室の中の二人に気づかれる前にその場を離れた。歩み去っていくときも、彼の顔は晴れなかった。
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