引っ込み思案 カノレー・リヴァーロ 1
カノレー・リヴァーロは友達がほしいのだ!
カノの家は、甲冑剣術という武術の道場だ。甲冑剣術というのは、名の通り鎧を身につけて、武器で戦ったり組み討ちしたりする武術である。実戦性が売りであったが、この国が戦から遠ざかって久しい。今どき鎧を着て向かう場所などどこにもなかった。当然、道場は繁盛せず、細々と経営している。
カノは幼少のころから道場の大人に囲まれて育った。
あるとき、確かカノが七、八歳の時分だったが、珍しいことに、カノと同年代の子供が道場に入門してきた。同性で、しかも二人だ。名前も覚えている。ノアとミサだった。
二人がどういう理由で道場へ来たのかはわからないが、いずれ双方の親にでも言われたのだろう、二人は甲冑剣術には特に興味がないようだった。
カノは張り切った。ノアたちが乗り気になるように色々教えた。着替える場所、井戸の場所から、練習用甲冑の着方、武器の持ち方、練習の仕方までつきっきりだ。
最初はすねている様子だったノアたちも、だんだん笑顔を見せるようになっていった。ノアたちが楽しんでくれるとカノもうれしい。
そうして、その日の稽古は和やかに終了した。
着替えるノアたちと別れ、カノは母親に呼ばれて、母屋の勝手口のほうに行った。
「あの子たち、お腹すいてるでしょう。これ、持っていってあげなさい」
と手渡されたのはバスケットだ。中に入っているのは、母親得意の、蜂蜜たっぷり揚げドーナツ。カノもたまにしか食べられない大好物だ。
カノはバスケットを持って更衣室へ駆けた。
部屋の前まで来た。カノはもう笑顔になっている。
中からノアとミサの声が聞こえてくる。笑い声だ。楽しそうだ、とカノは扉を開けようとした。
「……でもあの子、やたらにはりきってたよね」
自分のことだと察したカノの、扉に伸ばした手が動きを止めた。
「なれなれしくしてくるしさ」
「もう友達になったつもりででもいるんじゃない?」
軽く笑いを含んだ口調で彼女らは話している。
それを聞いているカノの顔からは笑みが消えていた。上気していた頬の血の気が引いて、伸ばしたままの手の先が冷える。
そんな風に言われるほどなれなれしかっただろうか? 甲冑剣術の練習は楽しそうなように見えたが本当は嫌だったのだろうか?
部屋の扉が開いて、ノアとミサが出てきた。二人はカノの姿を認めて、屈託なく、さっきまでと同じような笑顔を見せた。
「あら、カノ。どうしたの?」
「あ、え、ええと、これ、お母さんが」
「わあ、ドーナツ! ありがとう」
「いいの?」
「う、うん」
(あれ……?)
不思議だった。
さっきまであんなによく回っていた舌が、不自然にこわばってしまう。さっきまで元気に笑っていた顔は、もろい石膏作りみたいにひび割れそうな笑顔しか作れなくなっていた。
(……あれー……?)
なんでだろう。
結局その後、ノアとミサは数回来ただけで道場を辞めてしまった。
だから、この話はこれでおしまい――、となればよかったのだが。
それ以来カノは、同年代の子が道場に来ても、自分から話しかけられなくなってしまった。
向こうから来てもうまく返事ができない。
その傾向は年を経るごとに強くなっていった。
きっかけはほんの些細な一言であったが、まるで後から効く毒のようにそれからのカノを縛るものとなった。
考えてみれば、ノアとミサは、さして深刻な悪意をもってあんなことを言ったのではないだろう。軽い雑談程度であり、気にせずに接していれば、そのうち本当に友達になれたかもしれなかった。
だが、カノはそこで一歩引いてしまった。踏み出すのをやめてしまったのだ。
だから友達ができなかった。
いっぽう、カノは文武に秀で、父に習った甲冑剣術もかなりの腕前に成長していた。
さらに魔法の才能まであることがわかり、これならば護国騎士になれるかもしれない、と家族は喜んだ。もしカノが護国騎士になるか、そこまでいかなくてもいいところまで進級できたら、道場の宣伝になる。
カノは護国騎士に明確な憧れがあるわけではなかったが、いいかげん自分を変えたいと思っていたタイミングであった。
騎士道学院……学校なら、同世代の男女が集まる。
友達を作れるかもしれない。
怖いけど、うまくできるかわからないけど、今のままはもう嫌なのだ。だから、学校へ行きたい!
彼女が入学した経緯はそのようなものであった。
◇◇◇
カノも、入学して間もないころは、クラスに溶け込もうと努力した。
他の女子がおしゃべりしているところに入っていこうとしたのだ。じっとクラスの様子をうかがって……、観察する。たぶん都会出身者が集まったらしき派手な身なりの、賑やかなグループとは話が合わなそうだと思った。ライルのところのリー・リーやシーラ・チールドはおっかなそうだと思った。
優しそうなノンノに狙いを定めた。
席を立って彼女のほうへ一歩、二歩。
そこで足が止まる。
(でも、なんて話しかければいいんだろう)
(怪訝に思われないかな)
(もっといいタイミングを待ったほうが……)
迷い、逡巡、躊躇、ためらい、いろいろなことが頭の中をぐるぐる回る。そしてカノは、そっと自分の席に戻っていった。
寮でも、他のクラスの子におしゃべりに誘われたことがあった。しかしそこでもうまくしゃべることができなかった。話を振られても、どう答えたらいいか考えた結果言葉に詰まり、ようやく無難な答えらしき言葉を思いついたときには三つくらい話題が先に進んでしまっていた。結果、みんなカノをスルーして話し続け、カノはほとんどテーブルの天板を見たままで過ごした。去り際にまたねとは言ってもらったが、その子たちから誘われることは二度となかった。
そんなことを繰り返しているうちに日が経っていき、余計に話しかけづらくなってしまった。その結果が、いつも一人で目立たないというポジションの完成である。
こんなはずじゃなかった。
けっきょく、入学前と何も変わっていない。自らの身を顧みて、いつもため息をつくカノであった。
彼女には、気になるクラスメイトがいる。
入学の日、不安ばかりを抱えたままカノは校門をくぐった。そこでケチのつきはじめというべきか、生徒の波に打たれて転んでしまった。
そのときに声をかけてくれた人。
無愛想そうな印象とは違って傷薬までくれた。
勇気を出してちゃんとお礼が言えていたら、もしかしたら学生生活にもっと積極的になれていたかもしれない。
それはともかく、この時点ではしかし、カノにとって彼は、親切な人、くらいの認識にすぎなかった。
だが教室に入ってすぐ、競争心もあらわにあの転生者ライル・ウォーカーに話しかけているのを見て、自分にはない心の強さを見た。
それでも、ティグラがライルに匹敵するような才能の持ち主なら、カノにとってこれほど気になる存在にはならなかったかもしれない。単に天才同士の張り合いだからだ。ところがティグラの才能は平凡、少なくとも騎士道学院に入学してくる生徒の中では相当下のほうであった。
それなのに、他のクラスメイトがみんな、カノも含めて、ライルが一番だと認めてしまう中、ティグラだけがその流れに逆らって一人立っている。
カノは、初日の剣技の授業が終わったあとのことを鮮明に覚えている。いったん教室へ戻りかけたカノが、ティグラの姿がないのに気付いて戻ってみると、水道のところでティグラとライルが話をしていた。
ティグラが言った。
「今は負けてる。いつまででも負けてると思うなよ」
それを聞いてカノは身がしびれるような思いだった。
あんな、みんなに笑われたあとで、異世界からの転生者、神の加護を受けた天才に対してその言葉が言えるという強さに感動したのだ。
それが強がりでもなんでもよかった。
(わたしとは全然違う)
人に話しかけるにも二の足を踏むカノには、とうてい真似できる気がしない。
憧れに近い感情を抱いたのだった。
それに、彼はただの身の程知らずではない。ライルに近づくために、毎夜一人で寮を抜け出して練習している。カノは、ある夜寮を出ていくティグラを見つけて、どこへ行くのかとなんとなくついていった結果、そのことを知ったのだ。彼は一日たりともそれを欠かすことはなかった。
彼女の鞄の中には、貝殻が入っている。
入学初日にティグラにもらった傷薬だ。実際に使うことはなかったが、お守りみたいな感覚で持ち歩いている。誰にも知られないように。
だが、日が経つにつれ、ティグラの顔から余裕が失われていった。最初は体調でも崩したのかと思ったが、そうではないことがわかった。精神的なものだ。
ライルとの実力の差が、徐々に身に染みてきたのだ。
対抗する姿勢は続けているものの、いかにも苦しそうであった。
カノは、端から彼のようすを見ながら気を揉んでいた。
元気づけようにも、話したこともない女子が急に頑張れと言っても気持ち悪いだけだろうし、そんな勇気もない。
(大丈夫かな……)
そして、入学から一ヶ月となる、前夜。夕食を一人で取っていたカノは、ライルがティグラに話しかけているのを目ざとく見て取った。後で話がある、というようなことをライルが言っているようだった。
意外な組み合わせだ。何を話すのだろう。どきどきして、気になったカノは、後をつけるようにして、二人が話している場所に近い曲がり角に身を潜めた。
盗み聞きしてしまったのだ。
正論で殴りつけるようなライルの言葉に、ティグラの心情を想像できて、他人事ながら物陰でぎゅっと目をつむるカノ。
やがて交渉は決裂して、ティグラは逃げるようにその場を離れた。
なんとかしなきゃ、とカノは思った。このままじゃ明日ティグラが退学してしまうかもしれない。
(それに、ライル……さんの言い方もひどいよ)
ティグラの力になってあげたい。何か出来ることがあれば。何か。
物陰で右往左往するカノ。ライルに気づかれないようにティグラを追うと、彼は上級生のミリュエール先輩と何か言葉を交わして、そのまま寮を出ていった。
それを見届けたカノは、自室に戻った。
誰も招き入れたことのない自分の部屋はいつも静かだ。机上に目をやる。初日にティグラにもらった、傷薬の貝殻。
その奥に飾ってあるのは、実家から持ってきた物だ。カノは、それを脇に抱えて部屋を出た。ティグラを追う。
カノは幼少から兄らとともに甲冑剣術を習い、相応の腕前を持っていた。目立たない彼女だが、実のところ、クラス内での成績は学問剣技魔法全て上位に位置している。注目されないのは異常に目立つやつが他にいるからだ。
引っ込み思案なカノだが、甲冑剣術の稽古の最中は大きな声も出せたし、会話もできた。その理由が、彼女の机の上に飾ってある物、今カノが持っている物であった。
カブトだ。
カブトをかぶっている間は、守られている安心感であるとか、視線を直接受けないとか、顔が隠せるといった理由により、普通に話すことができるのだ。実は前髪を伸ばしているのも同じ理由なのだが、髪の毛だけではあまり効果はなかった。
ティグラが夜に森へ行ったことは見当がついていた。
月の隠れた暗夜は怖いけど、びくびくしながらたどっていくと、案の定ティグラがいた。トレーニングをしているようだったが、心ここにあらずといったようすだった。
出るタイミングをうかがって、カノは木陰で見守っていた。
まだ、自分などが何か言って彼の助けになるのかどうか、自信がなかった。出ていっても拒絶されるのではないか、彼は本当に助けなど必要としているのだろうか。今までみたいに自分で立ち上がるのではないか。だとしたらカノの行動はただのおせっかいではないか……。木陰から一歩を踏み出さない理由がいくつも頭の中に浮かぶ。
そのとき夜雲の陰から月が現れ、ほの白い光を地上に注いだ。
カノはティグラの目の端に光るものを見た。
息を呑んだ。
そしてカノは意を決してカブトをかぶった……。
◇◇◇
カノの計画では、ガーゾを倒したティグラがカブト女のことを信用する→実はカブト女の正体がカノであることを明かす→コーチ兼友達になれる!
と考えていたのだが……。
「ミリュエール先輩……ですよね?」
(えっ!?)
予想していなかったことをティグラが言ってきたので、驚いた表情のまま固まってしまった。カブトをかぶっていなければさぞ滑稽だったろう。
(ご、誤解されてる……!)
たしかに、しゃべりかたはミリュエール先輩を参考にしたところはあった。「○○したまえ」とか。先輩の自信ある振る舞いを真似して、コーチ感を出そうというつもりだった。顔を隠して誰かの真似をしているときは、素でいるより言葉がすらすら出てくる気がした。でも、本人に間違われるほど似せたつもりはなかった。
声質だってそんなに似ているとは思えない……。カブトで声がくぐもるせいで、声質とかよくわからなくなっているのだろうか?
「おれのためにわざわざありがとうございます」
ティグラはもはや完全に、ミリュエール先輩だという前提で話している。真摯な瞳がカノには眩しい。
「あ……えっと……」
どうしよう。どうすべきか。迷った結果、
「ここでは先輩ではなくコーチと呼びたまえ!」
と、偉そうに腕を組んだ。
(い、言ってしまったぁぁ……!)
カブトの中で冷や汗だくだくのカノ。
「わかりました、コーチ」
うなずくティグラ。
(よ、よかったのかな、こんなこと言っちゃって……)
カブトをかぶったままだと汗が拭けない。
(で、でも、わたしのことをミリュエール先輩だと思い込んでるし、その間違いを指摘して恥ずかしい思いをさせるのも悪いし……)
心の中で言い訳している。
(嘘は言ってないし。先輩とは呼ぶなって言っただけだから。嘘つきじゃない。セーフ……セーフでしょ?)
「あっ、それと、ここでの練習は秘密だから、別のところで会っても何もなかったみたいにしよう、したまえ。よそではコーチとか呼ばないように」
ボロが出ないように付け加えた。
「なるほど、わかりました」
ティグラは素直だ。もっと意地っ張りな印象だったが、信用した相手には違うのかもしれない。
……もっとも、彼が信用したのはカノレー・リヴァーロではなくミリュエール先輩なのだろうが。
一抹のうそ寒さはあるが、もう言ってしまったんだから今さらカノでしたと名乗り出るわけにもいかない。このままコーチの道を進んで行くしかないのだ。
カノはカブトを両手で支えて、中で小さくぶるぶると首を振った。
(うう……大丈夫かなぁ)
なんとか気を取り直して、
「では……今日のことだが、やってみれば簡単だったろう。なんであの程度のことができなかったのか。そう思わなかったか」
さっそく説教をはじめた。
「それは要するに、ガーゾ・センダーを相手として見ておらず、ライル・ウォーカーへの途中としか見ていなかったということだよ」
「……」
「自分と相手、正確な状況の把握。それが第一だ。それから具体的な目標を設定、目標実現のための思考……」
カノは舌鋒をまだおさめない。ティグラに足りていないところはたくさんある。
「ようするに君はもっと頭を使うべきだ。考えずに勝てるほどの力があるのならともかく、そうでない者は等しく」
これは甲冑剣術の師範である父がいつも言っていることだ。頭を使う者が勝つ。
黙ってしまったティグラに、今更ながらカノは慌てた。今言ったのは、これまで彼を見ていて思っていたことであり、間違っているとは思わないが、ここぞとばかりに言い過ぎてしまっただろうか。
「だから、あの、頭を使って戦おうね、っていうことで……悪口じゃないよ」
「わかってます。コーチは正しい」
「そ、そう」
カノはほっとした。外から顔は全然見えないのに、動きで感情がわかりやすい。ティグラがちらっと興味深そうな目をした。
カノは気を取り直して……表情を取り繕う必要がないのが幸いだ……続ける。
「騎士団が移動するには目的地が必要だ。目的地がわからなければ通るべき道もわからないし、必要な装備もわからない。学院のカリキュラムも同じ、到達するための目標が必要だ。そこへ向けて頭と体をフルに活用するのだ。君はどんな目標を立てる?」
「ライル・ウォーカーに勝つ」
「勝つとは、具体的には?」
護国騎士になるために重要で、なおかつ実現不可能ではなく、さらに具体的な目標。
ティグラはそれを声にした。
「アストラルアクションで」
カノは深くうなずいた。
「状況が複雑になるほど単純な才能よりも戦略戦術……頭を使うことが重要になるし、紛れも多くなる。魔力比べなら絶対に勝てないが、アストラルアクションならゼロではない。よろしい、君はこれから、『アストラルアクションでライル・ウォーカーに勝利する』を目標とする!」
しかし、護国騎士になるために最重視されると言われながら、入学からまだ一度もアストラルアクションの授業は行なわれていない。
それが不審だとティグラは言う。
「それなら、ちょうど明日から始まるらしいよ」
「タイミングいいですね」
「わたしが思うに、一ヶ月間は、学校をやめる人が出るかもしれないから本格的なことはやらなかったんだと思う」
剣技の授業で、素人のティグラに一ヶ月間もろくな指導がされなかった理由もそれだろう。
「これからが本番ってわけか」
面白い、と、ティグラは不敵な顔となる。
「まあ、それでも目標の実現までは年単位で見る必要がありそうだが……」
最短で大学院に行けるのは三年生になって半年のときにある前期試験だ。このままならライルは間違いなくそのときに大学院へ上がるだろう。だから狙いはそこだ。およそあと二年と五ヶ月。それだけの時間をフルに使って、目先の結果を求めず、地道に実力を鍛え上げていく。それが最善の方策だ。
「かまわない」
とティグラは即答した。
さすがに、一ヶ月の間ライルの実力を目の当たりにしていれば、甘い考えは持っていられないらしい。
「最終的に勝てればいい」
その決意を聞いて、カノは大きくうなずく。
「勝負は再来年だ。今はまず、剣技の基礎からだ。ガーゾを一回倒したくらいで喜んでもらっては困る」
「よし、来い」
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