田舎者 ティグラ・フェダーテ 2
入ってきたのは、年齢は三〇前くらいだろうか、背が高いが猫背の女だ。半眼の下に大きく隈ができている。彼女はダラダラした態度で入ってきたかと思うと、そのまま教壇に立った。
「あー……なんだっけ……。ああ、自己紹介……魔法教官のミジィだ」
教官がやってきたということは、護国騎士を目指すための授業が、いよいよはじまるのだ。
「そんで……あー」
ボサボサの頭を掻いた。
「そう、魔力検診だ。それをやる。適当に一人ずつ出てこい」
「魔力検診って?」
ティグラがこっそりとルイトンに聞いた。
「魔力容量と煉化速度、属性なんかを調べるんだろ?」
「容量調べるのは試験の時にやったはずだけど」
「は? あんなもん、大雑把なレベルしかわからない、合格ラインに到達してるかどうかってだけを見るやつじゃねえか。つうか、試験前に魔法屋で調べたろ?」
「ちなみに、ぼくは一流の300オーバーだったよ」
ロブが自慢げに口を挟んできた。
「魔法屋?」
首を傾げるティグラに、ルイトンとロブはあきれたような顔をした。
「嘘だろ、じゃあどうやって容量調べたんだよ」
「だから今調べるんじゃないのか?」
「自分の容量知らずに試験受けて、足りなかったらどうすんだ。費用の無駄だろ」
ティグラはようやくふたりの言っていることがわかった。
「試験受ける前に自分の容量を調べて知ってたってことか? みんな?」
「当たり前じゃないか。きみ、周りに受験のセオリーを教えてくれる人がいなかったんだね。ぼくのような都会生まれと違って」
話していたら教官に見つかった。
「おいそこ、私語は……あー、まあいいか。邪魔しない程度に話してろ」
ここで、この世界の魔法について少し解説しなければなるまい。
魔法使いは体内に魔力を蓄える。蓄えられる魔力の総量を表すのが魔力容量である。最大MPの値といってもいいであろう。
これは先天的なもので、生涯変動しない。容量が少ない者にとっては、自分の魔力を全部使ったところで発動できない魔法もあるということだ。
だが魔力はそのままでは魔法にならない。魔力を煉化してはじめて魔法が使えるようになる。
魔法使用者は体内に魔法式といわれる、回路のようなものをイメージする。そして回路が過不足なく繋がるように魔力を注ぎ込んでいく。その過程を「魔力を煉化する」という。大量の魔力を必要とする強力な魔法は、それだけ魔法式が複雑であり、煉化に時間がかかる。
要するに煉化速度とは魔法を発動するまでの速さということだ。
煉化の速度は鍛えれば速くすることが可能だ。時間に余裕のない、例えば戦闘時などにおいては煉化速度は重要なファクターとなる。
たとえていえば、食材を入れる倉庫の大きさが魔力容量。素材を加工して料理を作るはやさが煉化速度だ。
魔力容量と煉化速度。この二つは数値化が可能であり、その数値を調べる魔法も存在する。
今これから、教官のミジィがそれを使って、生徒の実力を把握するのだ。
教官が生徒の額の辺りに手をかざすと、手と額の中間に魔法円が浮かび上がり、そこに生徒の魔力データが数値となってあらわれる。
「ノンノ・ノナ。魔力容量823、煉化速度2」
生徒たちの間から軽いどよめきが起こった。
少し距離を置いたところにいたティグラは、どの生徒なのか顔を見ようと覗き込む。
騎士志望とは思えないような、柔和な顔立ちをした少女で、みんなの注目を浴びて居心地悪そうにもじもじしている。
「かわいい……」
半ば放心したような顔で、ロブが彼女の姿を見つめている。一目見て虜になったらしい。ルイトンが同類を見つけたような顔で、深く頷きながら彼の肩に手を置いた。
「今のはすごいのか?」
ティグラは、数値の目安も知らなかった。
「すげえよ。入試だと合格ラインが100程度」
「300で一流の魔法使いになれるって言われてるね。ぼくは300越えだけど」
「アンタさっきから自分のアピールすげえな。500は何年かに一度ってレベルだし、800ってのはほとんど聞いたことねえな。何十年に一人とかかもよ」
「そんなにすごいのか」
「すごいのはすごいさ。普通の年なら大騒ぎだったろうよ」
「だね。今年は彼がいるからね」
ライル・ウォーカーの数値が発表されると、生徒たちは先ほどより何倍も大きくどよめいた。
「やっぱすげえええ!」「転生者とんでもないな……!」「こんなん見たことないんよ」
魔力容量9999。煉化速度8。
一〇段階評価の煉化速度8も学生離れしているが、やはり圧倒的な魔力容量だ。衝撃的な、もはや冗談のような数値であった。何せ入学試験の時も、測定ミスかと思われて何度か検査をやり直すことになったくらいだ。
「聞いてはいたが、……すごいな」
眠そうだったミジィの目も見開かれている。天才という言葉を超えて、神か怪物かといった存在に対しているようだ。
今までの記録上、最大の魔力容量を持っていた人物は、生涯で一六体のドラゴンを単独討伐し"竜の悪夢(ドラゴンズ・メア)"と呼ばれた大魔法使いグリー・ナイトである。彼の数値は980。つまりライルは、過去最高の魔法使いの一〇倍以上の魔力容量を持つということだ。
想像以上の数値に、ティグラの口が開いたままになっている。
「……は?」
いくら天才といっても程がある。こんな、世界の枠を外れたような数値が出るなんて、あっていいのか。まるで戦おうとしていた相手が急に雲を突く巨人になったかのような感覚であった。
「ほらな」
と、ルイトンが諭すように首を振った。
「別格だろ?」
と。
「……いや。いや、まだだ」
ティグラは自分を鼓舞するように強くかぶりを振り、強いて気を取り直す。
「実戦だと、魔力をたくさん使うような大魔法はなかなか撃てない。時間が作りづらいからだ。先生がそう言ってた」
「まあ、そりゃそうだが」
「別に大魔法じゃなくても、ぼくらが一〇回使える魔法を、彼は一〇〇回とか二〇〇回とか使えるわけだし、やっぱりレベルが違うんじゃないかな」
「……実戦では剣もあるから、そう魔法ばっかり連発はできないだろう。魔法は使えばいいってもんでもないし、使い方のほうが大事」
使い方によっては、魔力容量が少ない方が多い者を打ち倒すことも不可能ではない。むろん多いほうがいいに決まっている、というそもそもの前提には目をつむって、ティグラは明るい方面だけ考えようとしている。
周囲の反応をよそに、ライル本人は微笑を含んで悠然とした表情だ。
測定は進んでいく。
ルイトン・コットは容量217、速度3。ロブ・ナドガーは容量313、速度5だ。
「カノレー・リヴァーロ。容量380、速度6」
これはティグラの前の席の女子。校門前で転んだ、前髪の長い彼女だ。
最後にようやくティグラの順番が来た。
さっきライルを挑発していたくらいだし彼も実力者なのではないか、とクラス中が注目している。
ティグラ自身にとっても、今後を占う重要な第一歩だ。自分がどれほどの容量を持つのか、まだ知らないからだ。
田舎の開拓村では、魔力はどれくらいあるか調べようとすれば、魔力の全てを注ぎ込んだ魔法の威力を見てだいたいのところを推測する、といった大雑把なやりかたしかなかった。それも、先生の経験と勘くらいしか目安がなかったので、入試に合格するかどうかも確信がなかったくらいだった。
さすがにライルに迫るような数値は無理だろう、とティグラも覚悟はしている。それは期待するだけ無駄というものだ。
だが、なるべく高い数値が出てくれれば――
「魔力容量102」
「…………えっ?」
「煉化速度2」
周囲の生徒から上がったのは、どよめきではなく拍子抜けしたような吐息であった。
「一人脱落かなぁ」「ちょっと期待して損したわ」「あんなんで転生者と張り合ってた?」
言葉の主はわからないが、ぼそぼそと聞こえてくる。ティグラはそっちを見ることもしなかったし、表情も努めて変えなかったが、誰にも見えないところで強く拳を握りしめている。
◇◇◇
次に魔法の属性と傾向を調べる。
魔法を使う者には属性と傾向というものが存在する。
属性傾向については、魔力容量よりも簡単な魔法で調べられるし、それ以前に魔法を練習すれば自ずとわかるため、入学前の時点で、ほぼ全員が自分のそれを知っている。
まず、属性のほうから説明しよう。
光、熱、理知、時間などを司る〈上天〉。
風、音、直感、速度などを司る〈虚空〉。
土、色、生命、感情などを司る〈大地〉。
水、闇、虚無、冷気などを司る〈滄海〉。
この四つの属性が存在する。
どの属性の魔法が使えるのかは生まれたときに決まっていて、変更は利かない。一人は必ず一つの属性の魔法しか使えないようになっている。
……転生者ライル・ウォーカーを除いては。
「属性は全部、傾向は陰陽」
すでに知れていたことだが、改めて聞くとやはり常軌を逸している。歴史上でも前例のない複数属性の持ち主だ。
「マジでバケモノだな……」「転生者だから」「もう護国騎士決定じゃないの?」
あがった生徒たちの声はもはやどよめきというより悲鳴に近い。
次に傾向の説明をしよう。
傾向とは、それぞれの属性の中での魔法の種類である。陰と陽があり、陰は凝集、固定、あるいは自分への集中。陽は発散、流動、あるいは他者への干渉を象徴している。自己強化の魔法は陰系であり、派手な攻撃魔法などは陽系となる。
魔法を使う者はどちらかの傾向に偏って得意としているのが普通だが、それを区分して、陰系の魔法しか使えない者は「純陰」、陰系が得意だが陽系の魔法もある程度使える者は「流陰」とする。逆に「純陽」と「流陽」がある。
得意な傾向の魔法を使うときは消費魔力が少なく、煉化速度も速くなるのだ。
〈上天〉の流陰、〈滄海〉の純陽、のように、属性と傾向の組み合わせでどんな魔法が得意なのかがわかるようになっている。
そして、陰陽まんべんなく使える者は「陰陽」となる。今のライルのように。
つまりライルは四属性二傾向の魔法全てを使える素質を持っているということなのである。空前の魔力量、ありえない魔法適性。実技すらない最初の検査だけで、すでにライルが特別な存在である、ということは誰にとっても明らかになったといえよう。
ルイトンは〈滄海〉の流陰、ロブは〈虚空〉の流陽。
ティグラは――
「〈大地〉純陰」
それを聞いてロブがあーあ、と同情したような吐息を漏らした。
ルイトンが黙って見ている。その顔にも憐憫がちらりと見えた。魔力容量だけではなく属性まで不遇とは、というような視線だ。
本来、属性傾向に優劣はないとされているが、こと戦闘においては〈大地〉純陰はもっともハズレとされる組み合わせだ。〈大地〉の目玉といえばやはり回復魔法で、仲間を回復するヒーラーとして人気である。ただしそれは陽の回復魔法に限る。純陰となると自分しか回復できない。
他にも地味な魔法が多く、戦闘には不向きとされているのだ。
しかし、これに関してはティグラに不満はなかった。
陰か陽かはどうでもいい。〈大地〉こそティグラが憧れた属性なのだ。それは、トールヴァが〈大地〉の魔法を使っていたからだった。
トールヴァとは誰か? それについてはあとで述べよう。
◇◇◇
測定が終わると、ミジィ教官は背を丸めて帰っていった。
「次……練武場」
教室を出るときに、それだけ言い残して。
指示に従って練武場へやってきた生徒たちを待っていたのは、剣技の教官であった。
「はじめまして、みんな。僕が剣技教官のキャニンベルですっ。これから授業、力を合わせて頑張っていこうね!」
キャニンベルは妙に爽やかな青年であった。いちいち仕草が芝居がかっている。
「それじゃあみんな、今の実力を知るために、一人ずつ僕と試合をしてもらうよ。これが今日の授業です。さあて、それじゃあ……最初に僕と戦ってくれる子は誰かな?」
にっこり笑顔で生徒を見回す。
生徒たちは、気後れするのか、真っ先に実力をさらけ出すのが嫌なのか、お互いの間に視線を走らせて、機をうかがっている。こんなとき最初に手を挙げるのは、自信がある者か、何も考えないやつかどっちかだ。
「はい」
と、手が挙がった。
二人同時に。
まっすぐ右腕を頭上に伸ばしたティグラは、もう一人の挙手者であるライルと目が合った。
(負けるか)
無言で視線に力を込めると、ライルはふっと笑って手を下ろした。
「どうぞ」
ティグラは立ち上がる。注がれる周囲の視線。
魔力では最下位だったが、剣技のほうはどうだろうか。値踏みする視線が集まる。魔法を補助的にしか使わない、剣技に磨きをかけた護国騎士というのも実在する。
「きみは? お名前は何かな?」
「ティグラ・フェダーテ」
「武器は?」
カリキュラムは剣技と名がついているが、実際のところ護国騎士が使う武器は剣に限らない。槍、斧、棒、なんでもいいのだ。練武場の倉庫には、稽古用の武器が三〇種類以上そろっている。
ティグラは教官の持っている武器を指さした。木製の、鍔のない片手剣だ。
「じゃあ、それで」
「うん、片手剣だね」
倉庫から片手剣を出してきた。ティグラはそれを何度か握って感触を確かめる。
生徒たちは二人の戦うスペースを中心に、ぐるり取り囲むように座った。
「じゃあはじめよう!」
ついに開始だ。
ティグラの実力もそうだが、これから教わることになる教官の力も知りたいと生徒たちは目をこらす。
「おりゃああああああ!」
ティグラは全速で教官へ駆け寄り、思い切りジャンプして体を反らした。そのまま勢いをつけて剣を振り下ろす。片手剣なのにも関わらず、ティグラは武器を両手で持っていた。
全力を込めた一撃、当たれば強力には違いない。しかし、こんな動作の大きい攻撃を誰が食らうのだろうか。教官は、剣で受けると見せておいて、ひょいとかわした。
ティグラはバランスを失って着地に失敗、そのままの勢いで地面を転がった。まるで滑稽劇のような動きに、生徒たちから忍び笑いが漏れる。
何回も転がって、ティグラは座って観戦している生徒の目の前まで来て止まった。すでに顔中土埃まみれだ。
起き上がったティグラは、自分が武器を取り落としてしまったことに気づいた。
「剣っ……」
慌てて回りを見る。
目の前の女子が、拾った剣を差し出してきた。
前の席の子だった。門のところでは彼女が転んだが、今回はティグラのほうだ。
名前は……、カノレーと言っただろうか。
「ありがとう」
ティグラが礼を言って剣をつかみ取ると、カノレーは口を開いて、でも結局何も言わなかった。目が隠れるほど長い前髪のせいで、表情は読めない。
ティグラは元気よく立ち上がった。
教官は、今の間に打ち込もうと思えばいくらでもできたが、それでは実力を測る意味がない。立ち上がり再び向かってくるのを待った。
「まだまだァ!」
もう一度、ティグラは同じように跳び込み、同じように避けられた。今度は反対側へ転がっていく。
「それでは当たらないよ、ティグラ君」
起き上がったティグラは、今度はジャンプせずに走り込んで振りかぶり、打つ。教官は今度は剣で受けた。
「うおおおおお!」
ティグラの連打だ。止まらない。連続攻撃だ。教官は全て受け続ける。
しかし、誰の目にも明らかであった。剣の持ち方、振り方、ティグラがまるで素人であることが。剣を使っているのではない。ただ木の棒を力任せに振り下ろしているだけだ。
木剣の持ち方も、なんと切っ先のほうを両手で持って柄のほうで叩いているではないか。それに気づいた生徒はもはや声を忍ばせることなく笑っている。
ティグラは力の続く限り打ち続けた。ひたすら打ち続けた。
ついに息が続かなくなり、空気を吸うために一瞬の間があいた。教官はその一瞬にティグラの手首を打ち、次いで木剣に一撃を加えた。ティグラの手から剣が飛んだ。
すかさず落ちた剣を拾いに走るティグラを、教官は制止した。
「それまで」
息を切らして、痛む手首を押さえ、ティグラはその場に棒立ちになった。教官がティグラの剣を拾って近寄る。
「ティグラ君、君は剣技の師匠に何を教わったんだい?」
「剣技の師匠? そんなのいません」
「そりゃそうだ、あんなんじゃな」と、さっき笑いが起こった辺りから声がした。
「先生に言われました。技は学院で教われ。今は力をつけろって」
教官はじっとティグラを見て、やがて、再び満面の笑みを浮かべた。
「なるほどね。たしかに体力はありそうだ。だが、その先生という人は……、いや」
教官がティグラの先生について言いかけたのには理由がある。たしかに騎士道学院では、入学試験の際には現在の技術より基礎体力のほうを重視する。それはまさにティグラが言ったように、技術は学院で教えることができるからだ。でなければティグラは真っ先に落とされていたであろう。
逆に彼の体力はかなりの水準にあるようだった。生徒たちは笑っていたが、力任せとはいえ連続した攻撃をあそこまで続けられる体力というのは、尋常ではない。
果たして先生という人物はそれを知っていたのだろうか。それとも単に剣技を教えることができなかっただけか。仮に知っていたのならば、騎士道学院の内情にかなり詳しい人物であると推測できる。剣技試験の合格基準は受験生には公表されていないからだ。
だがどうであれ、それを追及したところで仕方がない、と教官は質問することをやめたのだった。
「じゃあ、戻って。さあ、次はライル君だね」
◇◇◇
ライルの試合ぶりは、ティグラと対照的に洗練の極みであった。同じ片手剣を使い、反応を超える速度、多彩な角度、足捌きや受け流しも美しい。周囲から何度も感嘆の声が漏れる。キャニンベル教官のほうが必死になっているようにさえ見えた。
ティグラも、彼の技量が優れていることは認めざるをえない。技術で教官と互角以上に渡り合うのだ。自分との力量差は歴然としている。
「ぐぬぬ……」
他の連中が素直に賞賛しているのも納得いかない。競い合いはどこへ行ったのか。
やがて彼の試合が終わった。ふう、と息を吐くライル。同時に教官も大きく息をした。
「いや、危なかった。さすがだね!」
「いえ、ありがとうございます」
他の生徒も続々と教官に挑んでいった。全員が終わったところで、教官は一人で拍手した。
「みんな、やってみてどうだったかな? 明日からが本番だから、今晩はちゃんと体を休めるんだよ。入寮初日だからってはしゃがないこと」
教室へ戻る生徒たちの列から離れて、ティグラは水道に向かった。水道は学院内にいくつも設置されている。
屋外に、胸くらいの高さの石柱が建っている。柱の上のほうに獣の顔がついていて、その口から水が流れ続けている。人工的に作られた小さな泉といったところだ。これが水道だ。
柱の顔がなんの動物かは、ティグラは知らない。トレンズ山麓の地方にはいない獣なのだろう。
髪の間にも砂粒が入り込んでしまっている。ティグラは頭から水をかぶって、埃を落とす。顔を下に向けて頭部に水を浴びながら、ティグラはぎりりと歯噛みした。
どんなに運動が苦手そうな者でも、ティグラほど素人丸出しのやつはいなかった。みんな、ちゃんと剣技の道場などへ通って基礎を学んできているのだろう。
少なくとも、転んで土まみれになったのはティグラだけであった。
魔力容量でも最下位。剣技の技量でも最下位からのスタートだ。
(くそっ)
他の生徒はもう教室へ戻ってしまい、ティグラは一人残って汚れを落としている。
「大丈夫かい?」
背後から声をかけられて振り向く。立っていたのはライルであった。
(戻ったんじゃないのか)
と怪訝そうなティグラの表情を読んだらしく、ライルはさっきまでいた練武場をちらっと見た。
「キャニンベル教官に呼び止められてね」
「大丈夫って何がだ?」
「念入りに洗ってるから擦り傷でもできたのかと思って」
「汚れただけだ」
ティグラのぶっきらぼうな応対にもライルはにこやかにしている。
「なら、よかった。じゃあ教室に行こうか」
ライルはティグラを促して元の棟へ向かおうとした。
「今は負けてる」
と、ティグラは噛みしめるように言った。火を蔵した口調であった。振り返ったライルに向けて続ける。
「いつまでも負けてると思うなよ」
言われたほうは目をぱちくりさせ、
「楽しみにしてるよ」
如才なく言って、それ以上ティグラを待たず先に行った。
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