田舎者 ティグラ・フェダーテ 1

 ウッド騎士道学院の門前に立っているティグラ。

 そのうしろから、ライルが近づき……肩を並べ……そのまま脇を通り過ぎていく。


 その瞬間、ティグラの目はライルの横顔を捉えていた。

 ライルは一切ティグラを見ず、前を向いて歩いていった。


 ティグラは転生者のことを聞いたことがなく、それが今となりを通った彼だともわからない。ライルも当然、無名の田舎者ティグラのことを認識していない。


 二人の交錯は一瞬のことで、誰にもなんの予感も感じさせなかった。


 ティグラ・フェダーテ。

 ライル・ウォーカー。


 二人はまだ、おたがいのことを知らない。


   ◇◇◇


 ティグラはウッド王国の辺境に生まれた。

 ライル・ウォーカーが育ったのは他の国との境近くという意味での辺境だったが、ティグラの出身は他国と接していない、無人の野に面した、ウッド王国のみならず帝国そのものの周縁部であった。


 トレンズ山脈を前方に望む広い山林に、いくつかの小さな開拓村が点在するだけの、まだ人が入ってさほど年月のたっていない土地である。普段は物々交換が行なわれていて、現金を使うのは行商人がやってきたときや都市に出たときくらい、というような辺鄙なところだ。


 森を切り開き、開墾して畑を広げ、作物を細々と植える。森から木を切り出し、柵を作って家畜を飼う。文化は薄く富もないが未来への活気だけはあった。

 一つの村は多くて百人という規模であり、人手はいつもどこでも不足していた。


 ティグラは貧しい開拓農家の息子として生まれた。


 母は彼が幼い頃に世を去った。病であった。ティグラは母の顔を憶えていない。


 幼いころの彼は、負けず嫌いなところはあるが、ごく平凡な子供だった。ライルとは違って、頭の良さ、力の強さ、手先の器用さ、どれをとっても目立つところはない。剣を持ったこともなく、自分に魔力があることも知らなかった。


 村では村長一族が権力をにぎっていた。それは彼らが精力的に働いて森を開拓していたからで、村を支えていたのは確かなのだが、それをいいことに、他の家に対し高圧的に出ることも多かった。


 ある日父は酒に酔って、ティグラの前で村長に対する不満をこぼした。


「オリオんとこの鶏を村長の犬が食い殺して謝りもしねえってよ。弁償もなし。ひどくねえか。まったく、村長だなんだっていばりやがって! とんでもねえ野郎どもだ。オリオもかわいそうに」


 当時、ティグラは八歳くらいだったと思う。確かにひどいと思ったので、父の言葉に深くうなずいた。


 次の日、父とティグラがいるところに、ちょうど犬を連れた村長が通りがかった。父が村長へ近づいていったので、鶏の件を抗議するのだろうとティグラは思った。


「村長! どうも、へへ。ご機嫌よろしゅう。この犬も立派になりましたなぁ。毛並みもいい。それじゃあ、ええ、はい。言ってくれればいつでも力になりますんで、へえ」


 村長が行ってしまうまで、父は何度も頭を下げ続けていた。

 ティグラが見たのは、権力におもねる父の姿であった。


 彼は八歳にして、父が正義の士ではなくただの不平屋で、おべっか使いであることを知ったのだった。


 その反動であろうか、ティグラはたまにやってくる芝居に夢中になった。旅芝居が来たときは絶対に見逃さなかった。


 特に護国騎士の物語が好きだった。

 芝居の中の護国騎士は、気高く、正義を貫き、決して悪に屈しないのだ。モンスターを倒し、姫を救い、何者にも負けはしないのだ。それが護国騎士だ。


 普段のティグラは一人で遊ぶことが多かった。子供たちのリーダー、いわゆるガキ大将が苦手だったからだが、それ以上に周囲の空気が嫌いだった。ガキ大将は村長の子で、まわりの子はそいつにへつらっていた。

 それが嫌でティグラは一人森に行ったりしていたのだ。


 さらに、父が隣村から後妻を取った。

 後妻には女児が一人あったから、ティグラにとっては継母と妹ができたことになる。


 継母ははっきりとティグラを嫌っていた。手を上げたり食事を与えなかったりという、肉体的な虐待はなかったが、言葉による叱責は日常だったし、常に妹のほうを上に置いていた。彼女の目は、いつもティグラを邪魔者だと明確に語っていた。


 例えば菓子が一つあるとする。いつでもそれは妹の物になる。母が二人の子を呼ぶとする。いつでも妹の名が先である。


 妹も母を真似たのか、ティグラを兄扱いすることも、なつくこともなかった。ティグラが下男であるかのように尊大に振る舞った。


 父は家族のあいだに流れる雰囲気をわかっているのかいないのか、家庭内のことに関して何も言ったことがない。


 それもあり、ますますティグラは一人でいることが多くなったのだ。




 このころティグラが起こした小事件がある。それについて語ろう。


 大人に言いつけられて、男児たちが村の外れの薪小屋に集まっていた。冬を越すだけの薪を割る仕事である。ティグラもその中にいた。


 ガキ大将のライソの思いつきで、単にみんなで薪割りするだけではなく、その量を競うことになった。大人に頼まれた手伝いを、遊びにしようというわけである。


 参加するのは七人。ティグラも斧を持たされた。


 合図とともに皆が薪割りをはじめた。

 ライソのペースが一番早い。この中では最年長で、体格もいいのだ。


 だが、ティグラは知っている。この中で一番薪割りがうまいのは、オリオの子トルドだ。トルドはライソの一年下だが頭一つ分大きいし、日常的に薪割りをしているため無駄な力を使わないやり方を心得ている。


 だから普通にやればトルドが一位、ライソが二位になるに決まっているのだ。


 ほかの子らは早々にバテてしまい、打っては休み、休んでは打つというありさまだった。あきらめてリタイアし、観戦にまわる者もいる。


 ティグラもなんとか割り続けるものの、年齢も体力も上のライソらには及ぶべくもなかった。


 そのうち日が傾き、夕飯を呼ぶ声がした。ライソはそこでついに斧を下ろし、さすがに疲れ果てた息を吐いた。汗を拭い、誇らしげに胸を張る。


「どうだ、おれの勝ちだ!」


 確かにライソの前に積まれた薪が一番多かった。二番目は僅差でトルド。


 ……だからティグラは他の子供とつるむのが嫌なのだ。


 トルドがライソに勝たないようにわざとペースを落としていたことをティグラは知っていた。ティグラだけではない、他の皆も知っていたはずだ。でも誰も指摘しない。

 ライソの機嫌を損ねないように。


 ティグラは皆を睨みつけていた。


「なんだ? 負けたのがそんなに悔しいか?」


 ライソはティグラをからかい、子供たちを引き連れて家へ帰っていった。


 翌朝、ライソが目を覚ますと、なんだか騒然としていた。


 昨日の晩から、ティグラが家に戻っていないのだという。門前に出てみると、ティグラの母親がいた。


 心配しているというより、面倒事が起きて苛立っているようだった。仲が悪いのだろうか? とライソは思った。ティグラの家庭環境など彼は知る気もなかった。


「まったく、どこへ行ったのか……。坊ちゃん、一緒に遊んでいたんでしょう? 何か知らない?」


 そんなこと知るわけがない、と言おうとして、ライソははっとした。薪割り競争が解散したあと、ティグラが家に帰る姿を見ていない、ということを思い出したのだ。


「まさか」


 しかし、もう一晩も経っている。

 だが、まさか、である。


 ライソはそのまま家を離れた。秋空の高い朝であった。

 途中から歩くペースが速くなり、しまいには小走りになって、ライソは行く。


 村はずれの薪小屋へ向かって。


 やがて小屋に近づいたところで、薪を割る音が聞こえた。ライソは自分の推測が当たっていることを予感して戦慄した。


 ティグラはそこにいた。斧を持って、薪を割っていた。ライソの姿を認めて、そこでようやく手を休めた。


 立っているだけでふらつくほどティグラは疲労していた。秋の早朝なのにもかかわらず、その衣服は汗でぐっしょり濡れている。息はかすれて、ほら穴を抜ける風のようであった。


 そして、彼の前にある薪の山は、昨日ライソとトルド二人が割ったのを足した量を越えて、ティグラの身長より高く積み上がっていた。


 ライソの額に、ティグラと違う種類の汗がにじむ。信じられない、という表情で、


「まさか、おまえ、一晩中……?」

「おれの勝ちだ」


 そうだろう? というように、ティグラの瞳が陽光を反射して輝いた。叛骨の光であった。いつも目立たないはずだった年下の子供が、急に別の何物かに化けたようにライソには思えた。


 ティグラは一度座ったらもう動けなくなったみたいだった。それでもライソに鋭い目を向ける。


「おれの勝ちだ」

「こいつ……!」


 ティグラは座ってすらいられなくなり、その場にずるずると横になった。


 そして、背に冷たい汗を感じているライソの耳に、ティグラの寝息が聞こえてきた……。


   ◇◇◇


 場面は現在へ、ウッド騎士道学院の校門前でライルの背を見送っているティグラへと戻る。


 前をゆくライルは注目の的だ。彼が通ったあとを、他の生徒たち……ほとんどが先輩だ……が塊になって追う。


「彼が噂の?」「すごーい!」「けっこう可愛くない?」

 などと口々に言い交わしながら。


(あいつ、有名人なのか?)


 ティグラが不審げにライルを見送っていると、さらに後ろからライルを追ってきた生徒らに突きとばされた。


「ぐえっ」


 ティグラはのけぞって転んだが、当の生徒たちは気づきもせずライルを追いかけて行ってしまった。


(人が多いとこうなるのか……)


 都会は恐ろしいところだ。学校だけど。

 ティグラは立ち上がった。服についた土埃を払うまでもない。すでに旅塵で汚れている。


 すると目の前に、一人の女子が座っているのに気づいた。

 どうやら彼女も塊に追突された被害者のようだった。


「大丈夫か?」


 へたり込んでいる女子生徒にティグラは手を差し伸べた。


 女子はその手を見て、そこから顔を上げていき、ティグラの顔に視線を到達させた。

 二人の目が合った。


 ……合った、と思う。万全の自信はない。


 女子の前髪が長く、目を隠すほどだったので、視線のありかがティグラにははっきりとはわからなかったのだ。


 前髪女子はティグラの手を取らず、慌てて立ち上がると、人形みたいにぎこちなく小さく早いお辞儀をした。緊張しているみたいだった。


 それから女子は、逃げようとするみたいに、くるっときびすを返した。


「ちょっと待った」


 ティグラが呼び止めると、まるで怒られたみたいにびくりとして動きを止める。穏やかな声で話しかけたつもりだったが。


 何を言われるのかと待っている彼女の手を、ティグラは指さした。


「手のひら。血が出てる」


 転んだときに地面で擦ったのだろう。彼女は気づいていなかったようで、血がつかないようにぱっと自分の体から手を放した。


 彼女はどうしたらいいのかわからないようすでキョロキョロしている。

 ティグラは背負った袋を下ろして、ごそごそと中を探る。


「えーと、どこだったかな……」


 ようやく探り当てて、二枚貝を取り出した。


「傷薬。よく効く」


 貝殻を容器にして、中に軟膏が入っているのだ。先生が餞別にくれたものだ。

 薬はあと二〇個くらいあるから、一つあげても問題ない。


 女子は思わず受け取った貝殻を見て、ティグラを見て、視線を落ち着かなげに移動させながら、何か言いたげに口を開いたり閉じたりした。


 でも、少し待っても彼女の口からは何も言葉が出てこなかった。

 女子は何度も頭を下げて、恐縮しながら去っていった。


 なんとなしにそちらを向いたまま立っていると、


「騎士道精神だな、少年。新入生かな?」


 声をかけられた。

 見れば、赤みがかった金髪をストレートに流した、長身の女子生徒だった。堂々たる態度で、余裕の感じられる笑みを浮かべている。


 先輩だろうか。


「少年、君はどのコースだ?」

「護国騎士……ですけど」

「ほう、わたしもだよ。今後会うこともあるだろう。精進したまえ」


 激励するようにティグラの肩を軽く叩き、彼女は颯爽と歩いていった。

 歩き去る姿を見て、姿勢がいいから彼女はより背が高く見えるのだということがわかった。


(いろんなやつがいるな)


   ◇◇◇


 ウッド騎士道学院は護国騎士だけではなく正騎士、学者、魔法使いなどのコースも存在する。それぞれのコースは学年別に初年度クラス、二年度クラス、三年度クラス、オーバークラスと四つに分かれている。


 護国騎士志望コースだけは、メインの建物ではなく、奥まったところに建つ小さめの棟に教室がある。


 敷地内にある寮へ行って、自室に荷物を置いてきたティグラは、初年度クラスの教室に入った。


 教室の中には、すでに生徒たちがけっこういて、初対面同士の固い雰囲気が伝わってくる。距離感を推し量るような挨拶をしている者、話題を探りながらおしゃべりをしている者。誰とも話さず座っている者もいる。


 ティグラは入ってすぐそばの、最後列、一番右の席が空いていたのでそこに座った。


 座ってから気づいたが、すぐ前の席に座っているのはどうやら、さっき倒れ込んだ前髪の女子のようだ。先に教室へ来ていたらしい。


 ことさらに無視するのも変だし、挨拶でもしようか、と思ったとき、


「よう、どう思うよ、このクラス?」


 隣の席の男子生徒が話しかけてきた。片頬に笑みを刻んだ、軽薄そうな金髪が頬杖をついている。


「入ってきたばかりで、どうとも」


 急に話しかけられて面食らったが、なんとか返答する。


「女子が思ったより多いだろ? それだけでおれは満足だね。野郎ばっかでむさくるしくなるんじゃねえかと思ってたんだよ。女子。女。良し!」


 何がいいのかよくわからないが、今のところ教室内には男子が十三人、女子が九人いる。女子が多いのかどうか、あまり世間を知らないティグラには判断がつかなかった。


「おれはサザンバロウのルイトンってんだけど。アンタはどこから?」


 サザンバロウは都市の名だろうが、ティグラはそれがどこだかよく知らない。


「トレンズ山麓から。名前はティグラ」

「トレンズったら、たしか開拓地だよな」


 口調はフレンドリーながら、まるで値踏みするような視線をルイトンは向けてくる。いや、ような、ではなく実際にティグラを値踏みしているのだろう。


「ま、仲良くやろうや」


 にっこりと笑う。彼の中でティグラはどれほどの値段となったのだろうか。


「仲良くなんて甘いと、ぼくは思うよ」


 ルイトンの前の席のやつが振り返って会話に入ってきた。小柄でこざっぱりとした見た目だ。生意気そうに眉を跳ね上げる。


「毎年ウッド騎士道学院の護国騎士志望コースに入ってくる生徒は二〇人から三〇人。そのうち中央の大学院へ行けるのは、どのくらいか知っているかい? ぼくが調べたところによれば、多くて五人ってところさ。護国騎士になれるのが、じゃないよ。大学院へ行けるのが、だよ。これがどういう意味かわかるだろう? きみ」


 と、ティグラを指す。

 ティグラが答えるより早く、その生徒は自ら話を続ける。


「競い合いってことだよ。仲良くなんて言ってると、足をすくわれかねない。ぼくはそんなに甘くない。ここは友人を作りに来るところではないんだからね」

「そうかい、んでも名前くらいは名乗ったらどうよ」


 あしらうように指摘するルイトンに、彼は一瞬言葉を詰まらせ、咳払いでごまかすと、


「ぼくは、あのナドガー商会のロブ・ナドガーだよ。知っているだろう? ナドガー商会の名前くらいは。ここ首都スリーツリーズの宝石商といえばナドガー商会だからね」


 ルイトンはあっさり首を振った。


「あいにく、田舎者なんでな」

「おれも田舎だから」


 ティグラももちろん知らなかった。そもそも宝石に縁がない。


「それなら仕方ない。ま、国じゅうから生徒が集まるんだからね。知らない人もいるさ。外出するときは街を案内してあげるよ。スリーツリーズはぼくの庭だからね」


 案外邪気のない顔で、ロブは二人に笑いかけた。さっきの、競い合いという言葉は意識してそう考えているのであって、素のところは意外と気のいいやつなのかも知れなかった。


「多くて五人ってことは、残り四人ってことか」


 ルイトンの言葉の意味がわからず、ティグラは首をかしげた。

 

「ほれ、一人いるだろ。ほぼ確実に上に行けるやつがさ。そいつを除いたらあとは四人って計算だ」


「同じ年に転生者がいるっていうのは、ぼくらは幸運なのか不運なのか迷うね」

「転生者?」


 なんだそれは、とティグラは怪訝な顔になった。


 教室の扉が開いて、また一人新入生徒が入ってきた。

 ライルだった。


「へえ、日本の教室に似てるな」


 教室を見渡してよくわからないことを言う。


 彼のことを知らないティグラは、さっき見たやつだな、と思うだけだった。

 が、彼の顔を知るクラスメイトから、さざなみのようにざわめきが広まっていく。


「ライル・ウォーカーだ」「あれが……」


 今まで話していたルイトンやロブも彼のほうに視線を向けっぱなしだ。ライルは注目の的になるのには慣れているのか、微苦笑しただけだ。


(そういえば校門のところでも人を引き連れてたな)


 ティグラはまだよくわかっていなかった。ルイトンに聞いてみた。


「あいつって有名人なのか?」


「おいおい、知らないのか? さすがに田舎者のおれでも知ってるぜ。ライル・ウォーカーっていやあ、ぶっちぎりのトップ合格だった。あいつがさっき言った、確実な一人ってやつだぜ」

「それも今年だけじゃなくて、学院の歴史上でね。神に愛された、異世界からの転生者らしいよ。ホントかどうか、ぼくは知らないけど」


 ロブが付け加えた。


「ふうん、転生者……」


 ティグラははじめて聞いた。

 まだ教室はざわついている。


(いくらなんでもそんなに騒がなくてもいいんじゃないか?)


 さっきのロブの言葉を借りれば競い合いのはず。あいつがどんだけ天才でも、平伏して道を空ける必要なんかないはずだ。ティグラはなんとなしに面白くなかった。


 それでもティグラは黙って座っていたが、ざわめきは収まる気配がない。


 ライルがその場からなかなか動かないのは席を探しているからだろう。それはいい。だが周囲のやつらはなんだ。


 生徒たちはライルを、同じ生徒というよりも仰ぎ見る対象としての視線で見ている。本人に話しかける者がなかなか出ないのもそのせいだ。


 ついにティグラは、椅子の音高く立ち上がる。ルイトンらが見上げる中、歩いていき、ライルの前に立った。


 二人の視線がはじめて交わった。


「つまり、あんたがこの中で一番ってことなのか?」


 あまりにも直接的な言葉であった。

 教室がひときわ緊張感に包まれた。


「おい、アンタ……」


 ルイトンが自分の席から、気後れしたように制止するが、ティグラは意に介せず、まっすぐライルを見ている。


 ライルは動じなかった。ティグラを見、回りを見、少し考えて、微笑んだ。


「入学試験の成績でいえば、そうだね」

「試験で一番なら、一番じゃないのか?」

「学院に入ったら、試験ではやらない重要な課目があるからね」

「それは?」


 ティグラはよく知らない。


「アストラルアクション……」


 誰かが呟いた。それに反応してライルはうなずいた。

 

「そう、アストラルアクションだ」


 護国騎士になるにはアストラルアクションの実力が不可欠であり、むしろそれこそが最重視されるといっても過言ではなかった。年始の催しでは、他の騎士団が儀礼的な馬上試合を行なうのに対し、護国騎士団だけはアストラルアクションでの、ガッチガチの真剣勝負を行なう。


「ぼくはアストラルアクションというものを体験したことがないんだ」


 それはここにいる全員が同じであった。学院や護国騎士団の外でアストラルアクションをやっているのは各都市にある闘技場だが、そこでやっているアストラルアクションには厳密なプロ制度があって、資格を持っていないと試合ができない。


 ごく一部の大金持ちは自分の家に私的なアストラルアクションの施設があるとかないとかいう噂だが、そんな富豪の子弟はここにはいなかった。

 だからアストラルアクションに関しては全員が未体験なのだ。


 とはいえ、魔法の才能が図抜けていて、剣技も幼い頃から母に習っているライルが、アストラルアクションでもトップであろうことは、試さなくてもほとんど確定していると皆が思っていた。


 ティグラ以外は。


「つまり、そのアストラルアクションで一番強いやつが、一番ってことでいいのか?」

「護国騎士を目指すという点では、そうだろうね」


 ライルの目を覗き込むようにして、一段低い声で問う。


「――たとえば、あんたが?」

「それは実際やってみないことには」


 ライルはていよく質問をかわしていく。


 ティグラとライルの真っ向からの対峙、というには、一方の熱意が欠けている。ティグラは質問の機を失って立ち尽くした。


「いいかな?」


 ライルが前に進みたいという意思表示をした。ティグラがいくら力を入れて見据えても、まるで乗ってこない。

 ティグラはやむなく、無言で脇に退いた。


「ありがとう」


 ライルは空席を探すように視線を走らせた。だいたいの席はもう埋まっている。


 唯一空いた席である、左側最前列の席にライルは向かった。彼の隣になった女子が、まるで王族が来たみたいに緊張していた。


 ティグラとライルの席は、教室の隅と隅の対角線上に離れたことになる。


「おいおい、喧嘩でもふっかけんのかと思ったぜ。冷や冷やさせんなって」


 ルイトンが、席に戻ったティグラに、なぜか人目をはばかるようにして話しかけてきた。


「相手はあの転生者だぜ。無茶すんなよ」


 ティグラも声を潜めて、


「……で、アストラルアクションってなんだ?」

「知らないのかよ!」

「いやあ。田舎だから」


「護国騎士志望なのにアストラルアクション知らないなんて、ぼくは信じられないね」


 ロブも呆れ蔑むような声を出した。

 でも概要を教えてくれた。二人とも人がいい。ティグラはアストラルアクションがどういうものかようやく知った。


「なるほど、先生がとにかく護国騎士は実戦の強さだって言ってたけど、そのアストラルアクションで実戦の強さを鍛えるわけか」


(さすがに学校の中で本当に戦うわけにもいかないしな)


 とティグラは納得した。が、


「いや、実戦とかどこでやるんだよ」

「え? だって」


「帝国は平和じゃないか。護国騎士が実際に戦ったニュースとか聞いたことない。首都スリーツリーズの商人の家に育ったこのぼくでさえだよ」

「護国騎士はアストラルアクションが実戦だろ」


 ルイトンがいうには、護国騎士団は団の中でアストラルアクションの試合が常に行なわれていて、それで序列などが決まるらしい。そしてその中の精鋭たちが雄姿を見せるのが年始の大会なのだ。


 だがティグラは承服しなかった。


(おれは見たことあるぞ。護国騎士の実戦を)


 口に出しては言わなかったが。


 とにかく、アストラルアクションが強いというのが護国騎士への道であるということはわかった。ティグラは隣の女子と談笑しているライルの後ろ姿をもう一度見据えた。


 そのとき、教室の扉が開いた。

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