異世界転生野郎への挑戦状

@jikkinrou

転生者 ライル・ウォーカー

 まずは異世界転生から話をはじめよう。




 新藤海斗は目を開けた。

 彼がいたのはなんとも奇妙な空間だ。明るくもなければ暗くもない。広くも狭くも中ぐらいでもない。自分が立っているのか浮いているのかもわかりはしなかった。


 自分の手を見ると、まるで薄墨で描いたように輪郭がはっきりしない。


(なんだここは?)


 とそこへ急に、輪郭のくっきりした存在が浮かび上がった。

 ひとりの女であった。すべてが曖昧な空間の中で、彼女だけが明瞭な存在感を放っている。あきらかに異質な存在であった。


 大きい。海斗は彼女を見上げなければならなかった。といっても、海斗は自身が今どのくらいのサイズなのかもわからない状態なのだが。


 女の顔立ちはくっきりとしているが、年のほどはわからない。少女にも大人にも見える。髪は長く、黒く、曖昧な空間から彼女の存在を浮かび上がらせている。


「わたしは神だ!」


 と偉そうに女は言い、反応を待たずに拍手をはじめた。


「おめでとう、新藤海斗」


 ここへ来てようやく海斗の脳や感情が動き始めた。驚き、困惑。

 海斗は神だという女にたずねる。


「おれは……死んだのか?」

「飲み込みが早いな」


 手を止めて女神はうなずく。


「交通事故だ。即死だった」


 彼女の言行には言い知れぬ説得力があった。無条件で信じるしかない、といった存在感だ。これが神のオーラというものであろうか。


 その証拠に、さしたる抵抗もなく海斗は自分が死んだという事実を受け入れはじめていた。


(何もない人生だった)


 海斗はがっかりしていた。まだ二五年、これからいつかいいことがあるに違いないと思っていたのに、急におしまいになってしまうとは、なんということだろう。


 なんとつまらない一生だったことか。


 この空間では呼吸をしているのかどうかも判然としないが、ため息らしきものを海斗は大きく吐いた。

 女神はふふん、とせせら笑った。


「たしかにおまえの人生はつまらなかったようだな。伝記なら二ページだ。だがわたしはおめでとうと言ったぞ」

「何かあるのか?」


「運がいい。おまえは、わたしがこの世界を担当してからちょうど一〇億人目の死者だ。よって記念に、わたしが今担当している世界のうちから、転生先の希望を受けつけてやろう」


「そんな、遊園地の来園者みたいな……」

「うるさい、神が人の催しをパクったみたいに言うな。さあ、どんな世界に生まれ変わりたい?」


「て、転生……?」

「そうだ。むろん元の世界でもかまわんが、どうせならもっと楽しいほうがよかろう。ロボに乗りたいか? 魔法を使いたいか?」


 海斗の趣味はゲーム、それもファンタジー世界を舞台にしたやつが大の好みだ。


「魔法……それはいいな」


 まだ現実味は薄いながらも、海斗はぽろっとそうこぼした。女神は心得顔で指を鳴らした。


「よし決まりだ。しかも喜ぶがいい、ただの転生ではない。特典つきだぞ。おまえに、その世界のどんな魔法使いにも勝る魔法の才能をやろう」


「おお……それはすごい」

「次は二ページで終わらないようにするのだな。では転生せよ、新藤海斗!」


 女神は海斗に向けて指を突きつけた。すると目の前がゆがみだす。女神の姿ももはや定かではない。空間そのものがさらに曖昧になって、空無に帰していく。


 海斗は暖かい眠り、あるいは明るい目覚めを迎える……。


   ◇◇◇


 魔法学者"田舎博士"フェデル・ウォーカーと剣士"辺境の天才"ルナミアのあいだに生まれた男児は、両親の家系にない黒髪の子であった。彼はライルと名づけられてすくすくと育った。


 この男児、ライル・ウォーカーこそ海斗が転生した存在である。


 前世の記憶は六歳の時に目覚めた。


 前世の記憶が戻ったといってもライルとしての記憶が消えたわけではなかった。前世と一体になったのだ。過去世で会社勤めをしていた自分も、この世界で両親に親愛の情を抱く子供としての自分も、両方が同じ自分なのだ。


 急に大人びた息子に両親は戸惑ったが、さいわいこの世界には異世界からの転生者が以前にも存在したため、ライルは転生者として、そしてウォーカー夫妻の実の息子として受け入れられた。


 ライルは本を読みはじめた。この世界を知るためだ。


 しかしそれは彼をがっかりさせる結果となった。この世界には、たしかにあの女神が言ったように魔法はある。だが魔王もいないし、モンスターもいないのだ。過去にはモンスターがいたらしいがほとんど絶滅していて、最後の竜が討伐されたのが八〇年前だという。


 人間同士の戦もない。戦争が終わり一六ヶ国連合帝国ができあがったのが一五〇年前だ。それ以来帝国の広大な勢力圏内でも、対外的にもほとんど戦らしい戦は起こっていない。


 平和な世であった。


 ということで、ひそかにライルが思い描いていた、冒険者、ダンジョン、お宝、派手な魔法をぶっぱなす、というようなことは期待できないことがわかった。


(あの神、もうちょっといい感じの世界に生まれ変わらせてくれよ……)


 父にしても、魔法学者とはいえ、怪我や病気の治療とか、文字を教えるとか地味なことをして生活費を得ている。

 派手な魔法が使われるのはアストラルアクションくらいのようだった。


 アストラルアクションとは何か?


 ひとくちでいえば「幽体離脱しての模擬戦」である。現実と同じように、武器も魔法も使った激しい闘いができるが、幽体なので実際の肉体は傷つかない。


 前世でいうところのスポーツや格闘技のように、大きな町には常設の闘技場があって、観戦も賭けもできるらしい。


 ただしウォーカー家があるような田舎には闘技場はなく、ライルはそのときはまだアストラルアクションを見たことがなかった。


 ともかく、ライルは様々な知識をたくわえ、同時に、父から魔法を、母から剣技を学んだ。


 魔法に関しては転生時の特典がある。誰もが不世出の天才と彼を讃えた。父が瞠目し絶句するほどの才能である。通常ならろうそく程度の灯りとなる〈光源〉の魔法に、膨大な魔力を注ぎ込むと、あまりの明るさに、星が落ちてきたと勘違いした周辺の住民が集まったほどであった。


 剣技にしても、ライルの体は頑健で敏捷であり、まだ子供だというのに、母の教え子の青年たちとも渡り合うだけの力があった。天才と言われる剣士である母ルナミアの教え子といえば、この地方では有数の剣客といえる。それと互角の試合をする子供。こちらも天賦の才を持つといってよかった。


 知識、魔法、剣技、いずれもライルは年齢にそぐわないほどの進歩を遂げていった。


   ◇◇◇


 ここで一つのエピソードを語らねばなるまい。ときにライル十二歳。


 しのつく雨の降る、夜のことだった。前世では徹夜が当たり前だったが、今のライルはまだ子供だ。夜が更ける前に眠気が襲った。母からももう寝なさいと言われ、寝台へ上がろうとしたまさにそのときであった。


 電光走り、雷鳴が轟くなか、家の扉を叩く音がした。


 見知らぬ来客は名乗るより前にライルの父にすがり、娘の治癒をしてくれるよう懇願した。まだ幼いその娘を、男は背負ってきたのだった。男の前髪から滴るしずくが床に落ちて模様を作る。


 娘は難しい熱病にかかっていたものの、父フェデルであれば治すことは可能である。問題は別のところにあった。


 ライルは男が何を言っているのかわからなかったのだ。男は西ウッド語ではなく、フォユー語を話していた。それは、男が国境を越えて隣国からやってきたことを意味する。ライルの家はウッド王国の端、フォユー王国との国境に手が届くほどの辺境に建っているのだ。


 その何が問題なのか。


 一六ヶ国連合帝国は対外的には一つの国とはいえ、実質はその名の通り一六の国が集まって出来ている。国境を通る際には通過税か通行手形が必要であり、無断での国境破りは罪となる。


 来客の男はその禁忌を犯し、癒やし手として評判のあるフェデルの噂を知って、おそらくは山を越えてやってきた。娘を助けるために必死だったのだろうが、明確に法に触れる行為である。


 違法者に力を貸していいものか、父の顔にためらいが浮かぶのをライルは見た。だがそれも一瞬のことだった。フェデルは男に、何事かをフォユー語で指示した。男は安堵と感謝を顔いっぱいに湛え、娘をそっと机の上に寝かせた。


 ……そうして、夜明けまで治療は続いた。父母のようすからも、簡単な治療でないことは察せられた。


 ライルはその頃にはすでに父を超えるほどの回復魔法を使うことができたが、父はそれを使わせなかった。


「最後の手段としてとっておきなさい」


 だからライルは、幼い女の子の髪を撫でたり、指を握らせたりして、少しでも楽になるようがんばった。転生してはじめての徹夜はきつかったが、女の子の小ささと頼りなさがライルを奮い立たせた。


「大丈夫、父さんがきっときみを治してくれるよ」


 言葉は通じないけれど、ライルの励ましに女の子はかすかに頬笑んだ。


 女の子は命を取り留めた。男は娘を抱き、泣きながら何度も礼を言って去っていった、という。ライル自身は父が治療をしている途中で眠ってしまったので、起きた後に母から聞いた。


 ここまでならまずめでたしと言っていいだろう。だが話はまだ終わらない。


 しばらく後のことだ。その日、ウォーカー家に訪問者があった。三人の男で、いずれも役人の身分を示すいかめしい徽章をつけた帽子を被っている。


「治癒師フェデル・ウォーカーだな?」


 父はまるで予期していたかのように、読みかけの本を閉じると、ライルに言った。


「奥へ行っていなさい」


 父と男たちはしばらく話していたが、やがて帰っていった。


 ライルが奥から顔を出すと、いつもは柔和な父がいつになく厳しい顔をしていた。どうしたのかと思ったが直接は聞けず、ライルは次の日、母に尋ねた。母は悲しそうな顔をして教えてくれた。


 あの夜やってきた親子がつかまって罰をうけたというのだ。


 それで、彼らを治療した父にも詮議の手が届いたのだ。父は、親子が一切言葉を発さなかったので、異国の人とは知らずに治療した、と主張したという。役人がそれを信じたかは怪しいが、人望ある治癒師なので不問にすることにしたらしい。ただし、今後は同じようなことをしないように釘を刺していった。


「でも、どうして?」

「フォユーはとくに密出入国に厳しい国だからね」


 母は明言しなかったが、死刑になったのだろうと、雰囲気でライルは察した。


(死んだ? あの子が?)


 ライルは、まだ人差し指を握り返してきた小さな手の感触を憶えている。消え入るような淡い笑顔を憶えている。


(あんな小さい子まで?)


 わずか一晩会っただけで、名前も知らず、言葉も通じなかったのであるが、小さな子供が死んだ、死刑になったという情報は、ライルの心に強烈な衝撃を与えるのに十分であった。


   ◇◇◇


 ライルは泣いたわけではない、怒ったわけでもない、しかしこの衝撃はずっと後を引くものとなった。


 父がライルに回復魔法を使わせなかった理由も推測できた。通常の治療よりはるかに効果的な魔法が使える者がいる、とフォユーのほうで噂にでもなろうものなら、危険を冒して密出国してくる者が増えてしまうかもしれない。そうすれば処刑される人も増えてしまう。比較的寛容なウッド王国でも、国境トラブルが増えればウォーカー家に対して何らかの処断を下す可能性だってある。それを慮ったのではないか。


 父の深慮ではあるが、そもそもそんなことを考えなければならないのも、やはり国境があるからなのだ。


 都会でもないこの家で調べられるだけのことを調べた結果、国境越えに寛容というウッド王国ですら、何人もの人が国境破りで死罪になっていることがわかった。盗賊などのおたずね者の数を勘定に入れなくてもだ。


 何日も考えた、なぜこんなことが起こったのかと。理由は明白なようにライルには思われた。国境があるからだ。帝国という一つの国であるにもかかわらず一六ヶ国連合という一六の国でもあるという矛盾がこのような悲劇をもたらしたのだ。


「父さん、国境をなくすにはどうしたらいい?」


 父フェデルは唐突な息子の質問に驚いたようすだったが、じっとライルを見て、やがて思慮深げに口を開いた。


「それは、偉くなって金剛会議に出席できるくらいにならないとな」


 金剛会議とは、皇帝の御前で行なわれる、帝国の最高意思決定機関である。しかしそこに出席できるのは一六ヶ国の王族か貴族でなければならないと父は説明した。


「それじゃあ無理じゃないか」

「護国騎士になれば可能性はあるぞ」


 帝国の騎士団は、どれも貴族で構成されているが、唯一の例外が護国騎士団だ。他の騎士団と違って護国騎士は出自に関わらず選抜される。そして護国騎士になると、貴族の地位が与えられるのだ。


 それは名誉貴族、あるいは一代貴族と呼ばれる地位で、相続はできず本人だけが貴族扱いになるものである。


「そのルートを通って金剛会議に出た者は歴史上に二人いるからな。可能性はゼロではないということだ」


 父の口調は複雑なものだった。おそらくライルがなぜこんな質問をしてきたのか、全部わかっているのだろう。父としては息子に治癒師の後を継がせたかったに違いない。だが、それでも彼は息子に情報を隠蔽することをしなかった。ライルの意思を尊重したのだ。


 護国騎士になるには大変な倍率を突破せねばならない。

 が、そこは神童ライル・ウォーカーである。


(ぼくなら、きっとできる)


 転生前は冴えなかったけれど、こうして力をもらったのだから、何か大きいことがしたい。冒険や魔物退治でなくとも、国を変えるというのは十分とりくむに値する仕事のはずだ。そして、自分ならそれができるはずだ。そう思った。


 こうして、彼の当面の目標は護国騎士に決まった。


 そして、貴族の地位を手に入れたあとは、なんとかして宮廷に地位を得て、金剛会議までたどり着く。最悪自分が出席できないとしても、出席者の誰かに接触できるところまでいけば、自分の案を売り込むこともできるだろう。


 そうして、帝国内の国境を風通しのいいものにする。できれば国境のみならず、困っている人がよりよい生活ができるような風を送り込みたい。


 国を変える。

 なにもできずに終わった前世を思えば、今生を賭けるにあたいする大事業じゃないか?


 護国騎士を志望する若者を育てる学院が各国にある。そこに入るところからはじめよう。各国の学院で優秀と認められれば帝国中央の大学院へ進める。さらに大学院の中の優秀者が護国騎士になるための試験を受けられる、という道のりなのだ。


 まずはこの国の学院、ウッド騎士道学院への入学を!

 それを目標に、ライルはより一層、魔法や剣技の修練に励むようになった。


   ◇◇◇


 ――そして、ライルは十五歳となっていた。


 ウッド騎士道学院の入学試験に参加したライルは、魔力容量計測、剣技、座学、いずれも過去に例のない圧倒的な成績で突破した。


 今日は、いよいよ入学の日だ。


 ライルは両親から離れ、ここウッド王国の首都スリーツリーズまでやってきた。都市郊外の、ウッド騎士道学院へ向かう道に、今ライルは立っている。


 周囲の生徒たちがライルを遠巻きに取り巻くようにしている。あれが天才だと、異世界からの転生者だと、噂している。みんなが彼に注目しているのだ。


 だがライルの目に映るのは、ウッド騎士道学院の正門へ続く大階段、そしてその先だけだ。


 階段を、ライルは一段一段踏みしめ上っていく。


(この一歩が、帝国を変える一歩なんだ)


   ◇◇◇


 だが、しかし!

 

 ここで明記しておかねばなるまい。

 この物語の主人公は、彼ではない!


 注目すべきは、ライルを取り巻いている生徒たちの輪の外。

 彼らの斜め前を、だれにも注目されずひとり歩いている少年である。


 ひっそりと大階段を上っていく。薄汚れた鄙びた服装で、大きな袋を背負い、この場にいる中でもっともみすぼらしい風体であるといってよかった。


 うつむいているのは、背負った袋が重いからではない。自分が本当に騎士道学院の大階段を上っていることを噛みしめるためだ。


(おれは合格したぞ……先生、そしてトールヴァ)


 ライルとはちがう。彼は試験に四苦八苦して、なんとかギリギリで合格にすべりこんだのである。


 階段を上りきって、立ち止まる。

 彼の前に学院の正門が大きく開かれている。歓迎のために両腕を広げるように。


 興奮で彼の頬が紅潮する。


 護国騎士。それは彼にとって憧れの存在だ。強く、正しく、優しく、悪を許さない。


(護国騎士になる。絶対に)


 周囲の生徒たちが素通りしていく中、彼は一人、万感を込めて拳を握りしめた。


 名はティグラ。ティグラ・フェダーテ。




 これは、彼、ティグラ・フェダーテが主人公の物語である!

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