15. 正体

『さて、この娘はどうしてくれようか』

「ひいぃぃっ」


 頭を下げたまま、ラミアが悲鳴のような声を漏らした。

 目の前でアマクニさんとヤクモがそれぞれ壁と床にめりこまされたんだから、怯える気持ちもわかる。


 チラリと二つの穴の様子をうかがってみても、いまだに彼らが出てくる気配はない。


「パン様。ラミアはすでにあたしがやっつけて懲らしめてあります」

『そうだったな。新たな罰は不要か』


 これでラミアに貸し一つ。

 素直にマホちゃんのことを教えてくれるでしょ。


「は……、は……っ、ハルピュイアから美容に良い温泉があると聞きつけてやってきたものの、長らく湯に浸かっても火傷痕が良くなることはなく、治癒など諦めておりました。しかし、あなた様は綺麗さっぱり顔の火傷痕を消し去るという、紛うことなき奇跡をわらわにもたらしてくださいました! 感謝に尽きません‼」

「いやぁ、それほどでも――」

「お前じゃないわ、小娘! お前の頭の上におわすお方のことよ‼」

「ですよね……」


 ラミアの傷を治したのはパン様の成せる業。

 でも、あたしが無理やり彼を千切って食べさせてあげたからこそだってのは忘れないでほしいね。


『ラミアよ、おもてを上げよ』

「はっ。ははぁ~~~っ」


 なんだか王様とその召使いみたいな状態だなぁ。


 ラミアは恐る恐る顔を上げると、青ざめた表情でパン様を見つめている。

 蛇に睨まれた蛙ってきっとこんな感じなんだろうな。


『ラミアの娘よ、名乗ることを許そう』

「我が名はミメメミィニと申します。ラミア語で美しい尾という意味でございます」


 ミメ……何?

 すっごく発音しにくい名前なんだけど。


『ミメメミィニよ。本来ならば余の血肉は選ばれし者にのみ捧げる貴重なもの。それを其の方が口にしたという事実は本来ならば相応の報いを受けて然るべきだが、今回は事故ゆえに不問とする』

「ありがたきお言葉……っ」


 たしかにありがたいお言葉だな。

 これであたしもパン様に怒られずに済むもの。


『グゥよ! 貴様は許可なく余の一部を千切り取ったことを深く反省せよ‼』

「えー。いいじゃん別に、減るもんじゃないし」

『貴様、まだ余の価値を正しく理解しておらぬな⁉ 加えてその無礼な態度……品位と礼節を学ぶ気がないのなら、貴様の元にいる道理はないぞ‼』

「ご、ごめんなさいっ‼」


 思いっきり怒られた。

 ちょっとばかり気が知れてきたからって、馴れ馴れし過ぎたかな……。


『今回は不問に付す。しかし、今後同じ失態は許さぬぞ。学ばぬ者に将来さきなどないからな』

「はい……」


 あたしがしょんぼりしている一方で、ラミアのメミィ――だっけ? あれ?――がくすくすと笑っている。

 なんだか腹が立ってきて、お腹が空いてきたよ!


「我が大恩あるパンの君。よろしければそんな小娘など捨てて、わらわをお供にいたしませんか? 品位も礼節も備えていると自負いたしますわ」

『ふむ。それも悪くないか?』


 えー!

 パン様があたしを見捨てようとしている⁉


「ちょっと待ってよ! そんなことより、マホちゃんのことを聞かせてくれない⁉」

「マホ……? ああ、あの魔導士ウィザードの小娘のこと!」


 さっきまで強張っていた顔が、急に怒りの形相へと成り代わった。

 マホちゃんに顔を焼かれたこと、よっぽど根に持っているみたい。


『グゥの願いは余の願い。ミメメミィニよ、事実のみを答えよ。偽りは許さぬ』

「しょ、承知いたしましたっ」


 ようやくマホちゃんの情報を聞きだせる。

 そう思った矢先――


「えっ⁉」


 ――突然、足元に大きな振動を感じた。

 まさか地震?

 こんな地下深くにあるダンジョンで⁉


「……揺れが止まった?」


 しばらくして地震は収まった――いや。まだ微かに揺れ動いているのを感じる。


 そして、次なる異変が起こる。

 周囲の様子をうかがっていると、脱衣所の天井が割れてしまった。


「……」

「……」


 突然の状況に、あたしもラミアも声が出ない。


 分割された天井は壁もろとも溶けるように床へと沈んでいき、脱衣所の外も同じような有り様だった。

 まるで建物全体が地面に溶けだしているよう。

 さらには、空に見える星々まで消えてしまい、代わりに錆びのこびりついた洞窟のような赤い天井が露わになった。

 あの夜空は幻だったの⁉


「何これ、どうなってんの⁉」

「胃袋の形が元に戻り始めたのです――」


 壁の穴からアマクニさんが這い出してきた。

 顔中痣だらけで酷い状態だけど、かろうじて意識が残っていたみたい。


 でも、イブクロってどういうこと?

 イブクロって、胃袋のことだよね?


「――少々暴れ過ぎました。寝付いていた野槌のづちが目を覚ましてしまった」

「ノヅチ?」

「せっかく良い場所に落ち着けたというのに、もう場所を移さなければならないとは……」

「あのぅ、何がなんだか――わっ⁉」


 アマクニさんを問いただそうとした時、いきなり足元がぬかるんだ。

 脱衣所の床が急に柔らかくなって、足の裏が沈み始めている。

 この感覚……昔、底なし沼にハマりかけたことを思い出してしまう。


「脱衣所も浴場も消えてしまうなんて。この急な変化は一体……⁉」


 周囲の変化にラミアも驚いている。

 というか、少しずつ天井が低くなってきているような気がするんだけど。


「胃袋が収縮を始めた! すぐに脱出しないと、全員食われてしまうっ」

「く、食われるぅっ⁉」


 アマクニさんが物騒なことを言う。


 食われるって何に?

 まさかこの床に?

 そもそもこの空間は一体……⁉


『どうやら事情があるようだな。……グゥよ、貴様に任せよう』

「へ?」

『壁を破り、脱出のための道を開くのだ』

「あ、あたしが……ですか⁉」

『どうやら我々は何者かの腹の中にいる。モタモタしていれば食われるぞ!』

「は、はいっ」


 何がなんだかわからないけど、今が大ピンチだっていうのはわかる。

 マホちゃんがあたしの助けを待っているのに、こんなところで終わってたまるもんか‼


 天井だけでなく、壁が脈打ちながらあたし達の方へと迫ってくる。

 このままだと四方から迫ってくる壁に圧し潰されちゃう。

 それまでに道を開かないと!


「ううぅぅぅ~~~~‼」


 全身から闘気を捻り出し、右手へと集中させる。

 通り抜けるための穴を作るなら、拳よりは貫手の方がいい。

 指先を立てて、闘気はそこに集中しよう。


 ……ぐうぅ~~~。


 指先が熱くなっていくのと同時に、どんどんお腹が空いていく。

 すべての力を出し尽くしたら倒れちゃうかも。


『案ずるな。事が済めば、貴様の空腹は余が満たしてくれよう』


 でも、心配なんてしていない。

 パン様がいてくれるなら、あたしはいつだって全力を出せるんだから!


 腰を落として。

 指先を固めて。

 歯を食いしばって――


「っしゃああああぁぁぁっ‼」


 ――貫通破砕・ピアスフィンガー‼


 あたしの全力を乗せた一撃が壁を突いた瞬間、赤い液体と共に壁が爆ぜた。

 まるで肉が爆発したかのように欠片が周囲に飛び散っていく。


『道は開けたな、行け‼』

「はいっ‼」


 目の前には壁が抉れて巨大な穴が露わに。

 その穴の先からは灯りが漏れていて、どうやらあれが出口らしいとわかる。


「メミィ、ここから出るよ。ついてきて‼」

わらわの美しい名前を雑に略さないで‼」


 メミィが尻尾を這わせて走りだした。

 彼女はあっという間にあたしを通り過ぎて、トンネルを進んでいってしまう。


 見れば、壁が迫ってくるのと同じく、トンネルも徐々に狭まり始めている。

 こりゃモタモタしていられないな。


「よぅし、あたしも――」


 ダッシュのために爪先に力を込めた時、アマクニさん達のことを思い出した。


 あの二人は立ち上がれないほどのダメージを負っている。

 このまま放っておいたら、この空間に飲み込まれてしまう。


「――ああっ、もうぅっ‼」


 とっさにきびすを返して、脱衣所――だった場所――の中央へと駆け戻る。

 倒れているアマクニさんの首根っこを掴み、さらに穴から這い出そうとしていたヤクモの手を掴んだ。

 二人を引きずってトンネルへと駆け込み、悪路を無我夢中で走り抜ける。


「んああああああぁぁぁっ‼」


 脈打つ壁がすぐ傍まで迫ってきた時には、なんとかトンネルの外に飛び出すことができた。

 そこは迷宮図書館の通路――元の場所へと戻ってきたんだ。


「なんとか外に出られたぁ~」

『グゥ、後ろを見てみよ』


 振り返ると、石畳の上をでっかいイモムシみたいな物体が動いていた。

 顔――らしき部分――には目も鼻もなくて、でっかい口だけが開いている。

 横腹には大きな裂け目が見えるので、あたし達はあそこから出てきたみたい。


「何あれ……」

『あのワームらしきモンスターが先の空間の主だ』

「えぇ? どういうこと?」

『察しの悪い娘だな。あれの体内こそ温泉宿のあった空間の正体だったのだ。我々は腹に異空間を抱えるモンスターの中にいた――実に面白いことにな』

「???」


 さっぱりわからない。

 なんでモンスターのお腹の中に夜空や温泉があったの?

 どうしてお腹の中に入ったのに食べられなかったの?


『特異なモンスターを飼い慣らし、ダンジョン内での旅館経営に利用したといったところか。たしかに外界から隔絶された異空間ならば、ダンジョン内でも安全な経営はできよう』

「察しの良い御仁でございますな――」


 アマクニさんはヨロヨロと立ち上がるや、あたしの前に座り込む。

 そして、そのまま深く頭を下げて土下座の姿勢に。

 少し遅れてヤクモもそれに倣った。


「――あれは野槌のづちという我が祖国に伝わる怪異でございます。眠りにつくと岩のように動かなくなり、開いた口を洞窟だと思って体内に入り込んだ獲物をゆっくりと消化していく。その間、獲物には夢とも幻ともつかない情景を魅せながら」

『なるほど。温泉の湯はあれの胃酸というわけか』

「左様。この野槌のづちはまだ幼いゆえ、獲物の肉や骨までは溶かせません。せいぜい肌にこびりついた汚れまで……本物の湯と変わらぬ心地良い酸を沸かせてくれるのです」

「東方の知恵か。実に面白い――主人よ、褒めてつかわす』

「お褒めに預かり光栄です。しかし、なぜあなた方に害を成そうとした私どもまでお助けになられたのです……?」

『余は知らぬ。貴様らを助けたのは、すべて我がしもべの独断だ』

しもべ――たしかグゥ殿と申されましたな?」


 殿付けだなんて、なんだか恥ずかしい。

 でも、ちょっと偉くなった感じがして悪い気はしないな。


「いや、まぁ、当然のことをしたまでっていうか――」


 思わず助けてしまった。

 それ以上の理由があたしにはなかった。


「――助かってよかったです」

「大きな借りができましたな、グゥ殿」

「あたいからも礼を言うよ。ありがとう、グゥちゃん」


 ヤクモはちゃん付けだった。

 ……別にいいけど。


 あたし達が落ち着いた頃には、ノヅチは横腹の裂け目が完全に元通りになって動きだしていた。

 石畳を這っていく後ろ姿は寸胴の大きな蛇に見えないこともない。


「パン様、グゥ殿。私どもは野槌のづちを追いかけねばなりません」

『これからどうするのだ?』

「我々はこのダンジョンで当面湯屋を続けるつもりです。そのためにも、まずは動きだした野槌のづちを静めねばなりません。あなた方がこのダンジョンに留まるのであれば、またのご利用をお待ち申し上げております。その時はもちろん無償で」

『よかろう。縁があればまた世話になる』

「それでは、これにて」


 アマクニさんとヤクモはフラフラしながらノヅチの後を追いかけていった。

 二人ともボロボロだけど、大丈夫なのかな……。


「あっ‼」

『はしたない声を上げるな、グゥ』

「あたし、今すっぽんぽんだってことを思いだしました」

『……本当に品のない娘だな』


 いくらダンジョンの中だからって、素っ裸でいるのはまずいよね。

 服の新調、どうしよう……。

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