14. 跳舞
「お客様方、ずいぶんおはしゃぎなさる」
温泉宿の主人――えぇと、名前はたしかアマクニだっけ?――が目を血走らせながら近づいてきた。
こめかみにはぶっとい青筋まで浮き出ている。
「えっと……怒ってます?」
「自慢の湯殿をこうまでされては少々」
「ですよね……」
見れば、浴場はあちこち大きな亀裂ができていて、そこにお湯が流れ込んで酷いことになっている。
これじゃもう温泉に浸かることができない。
「人間さんでもモンスターさんでも、ここでは外の揉め事は忘れて気持ち良くご入浴いただくのがルールなんですがね」
アマクニさんからギロリと睨まれた。
これは相当怒っているなぁ。
まさかあのノコギリ、あたしをバラバラにするために持ってきたんじゃないよね?
「待ってください! 仕掛けてきたのはあっちの方なんですっ」
「ちょっと! 元はと言えば、あなたが
「あ、あれはフカコーリョク! うっかりパン様を落としちゃって――」
ラミアと言い合いを始めて間もなく、急に体が締め付けられた。
まるで縄で縛りつけられたかのように、手も足も動かせない。
その状況はラミアも同じみたい。
「やんちゃはダメだよ、お客さん」
突然聞こえてきた女の声――いつの間にか脱衣所の扉が開いていて、廊下から顔色の悪い女の人が入ってきた。
アマクニさんと違って人間の姿をしているけど、胸元を大きくはだけさせた服を着ていて、艶っぽい雰囲気を醸し出している。
「だ、誰⁉」
「あたいはこの宿の女中だよ。湯殿が騒がしいから何事かと思って来てみれば、どういうこったいこりゃあ」
女の人が指先を引く仕草を見せた瞬間、あたしとラミアは床に引き倒された。
今、体が勝手に動かされたの……?
『目を凝らしてみろ、グゥ』
目の前に着地したパン様が耳元で囁いてきた。
言われたとおりに注意深く観察してみると、あたしの体から細い糸が張っているのが見えた。
しかも、ぐるぐると全身に糸が巻き付けられている。
今の今までまったく気が付かなかった。こんな糸、いつの間に……?
糸の張る先を目で追っていくと、なんと女の人の指先に繋がっていた。
「な、なんなんですか、この糸ぉ⁉」
「へぇ。気付いたのかい、お嬢ちゃん」
こんなに細い糸なのに、全身に力を込めてもまったく引き千切ることができない。
むしろ力を入れるほど腕や足に食い込んできて痛い。
「暴れてもムダ。あまり無茶すると、糸で手足の肉が切れちまうよ?」
「ヤクモ。お客様に無礼を働くな」
「そんなもん持ってるあんたに言われたくないよ」
ヤクモと呼ばれた女の人に指摘されて、アマクニさんは慌ててノコギリを背中に隠した。
どうやら背負っている甲羅に収納したみたい。
「こ、これは失礼を! 私、興奮すると周りが見えなくなるタチでして……っ」
アマクニさんがあたしとラミアに平謝りを始めた。
あたしが騒ぎを起こしたのは事実だけど、だからってノコギリなんて持ってくる?
物騒な人――じゃない、カッパだなぁ。
「でもさ、浴場があの有り様じゃしばらくお客さんは取れないよ」
「仕方がない。お代だけいただいてお帰り願おう」
「それで済ませるつもりかい? あたいなら、迷惑料に手足の一本でも貰っておくけどね」
「物騒なことを言うな。
「ふんっ。ま、主人が言うなら従うさ」
ヤクモが指を鳴らした瞬間、体が楽になった。
今ので糸が切れたみたいで、もう自由に体を動かせる。
あたしがパン様を拾い上げる一方で、ラミアがヤクモに話しかける。
「あなた、アラクネね?」
「そうだよ。ま、あたいの故郷じゃ
「
「あんたもラミアならわかるだろ? 人間を食うには、こういう姿が一番だって」
「まぁね――ふふっ」
「うふふ」
「「ふふふふふふっ」」
なになになに?
ヤクモって人間じゃないの?
ラミアと揃って怪しい笑い声をあげていて、気味が悪いんだけど……。
「ところでご主人。さっきお代と言っていたけど、いくら払えばよろしいの?」
「お二人とも温泉のみご利用でしたので、2万エニーか、その額に相当するお品物をいただきます」
「そう。なら、2万エニー相当の金細工でいかが?」
言いながら、ラミアがまた尻尾の穴から何かを取り出した。
あの穴、いろんな物が入っているんだな……。
彼女の手のひらに乗っているのは、綺麗な装飾が施された金色のブローチ。
それを受け取るや、アマクニさんはまじまじと見つめ始めた。
「……たしかに本物の金ですね。よろしいでしょう」
次に彼が視線を向けたのは、あたしだった。
……2万エニーか。
そんな大金、持っていないんだけど。
だって2万エニーといえば都の高級宿に何泊もできる額だよ?
そんなの、あたしに払えるわけないじゃん‼
「そのお顔から察するに、必要額はお持ちでないようですね」
「い、一文無しです……」
「では、代わりに2万エニー相当のお品物を――」
彼はあたしの服が入っている籠を見て早々、黙り込んだ。
その理由はわかる――だって、籠にはボロボロの武道着と下着だけしか入っていないもんね。
「あはは。ツケって利いたりします?」
「……」
「無理ですよね……」
アマクニさんの両目が再び真っ赤に染まり始めた。
……ヤバい。
「だったら体で払ってもらうよ‼」
ヤクモの声がすると共に、あたしの体に一瞬にして糸が巻きついてくる。
「払うもんも払えないんじゃお客じゃないよねぇ、アマクニ⁉」
「……仕方ありませんな。2万エニー相当のものを、お客様の体からいただく他ありません。非常に残念です」
アマクニさんの手に再びノコギリが握られている。
ヤバいってこれ!
「貧相な子どもだけど、人間の肉は久々だよ!」
ヤクモの方は、ヨダレを垂らしながら舌なめずりまで。
何この宿、ぜんぜん安心でも安全でもないんですけどっ⁉
必死に暴れても糸が頑丈過ぎて逃げられない。
しかも、暴れれば暴れるほどお腹が空いてきて、力が抜けていってしまう。
……ぐぅ。
必然的にお腹も鳴る。
「あははっ。この子、自分がこれから食われるってのに、お腹を鳴らしてるよ!」
「恥を掻かせる必要もあるまい。ここは一息に」
ノコギリを構えて、ゆっくりとアマクニさんが近づいてくる。
ヤバいヤバいヤバい!
ほんとに目に殺意がこもっているんだけど‼
「待って待って! あたしの命って、2万エニーと釣り合っちゃうわけ⁉」
アマクニさんがノコギリを振り上げると――
「お待ちなさい。お二人とも少々気が早いですわ」
「なんですと?」
――意外なことに、ラミアが彼を止めてくれた。
まさか彼女があたしを助けてくれるなんて。
たしかに顔の傷痕はあたしのおかげで治ったようなものだから、恩を感じていてくれるのは当然だよね。
「その娘、不思議な携帯食を持っています。それならば間違いなく2万エニー以上の価値は見込めるでしょう」
こいつ、パン様狙いだった‼
「携帯食って、この子が落とした丸い物のこと?」
「ええ。
「エリクサー――噂に聞く万能薬ってやつね。人間の肉を食えないのは残念だけど、それを代わりにいただけば十分じゃないの、アマクニ?」
アマクニさんの目の色が元に戻っていく。
「ふむ。エリクサーとは俄かに信じ難いが、事実ならばそれで手打ちとしようか」
彼はノコギリを下ろして、床に落ちているパン様へと手を伸ばす。
……そんなことをして大丈夫なのかな?
『
「え?」
突然、パン様がその場から消えた――いや。すっごい速度で跳ね上がった!
目にも止まらぬ速さで天井や壁を跳ねながら脱衣所を高速移動している‼
「な、なんだこれは⁉ ひとりでに動いたぞ!」
「ただの食べ物じゃないの⁉」
パン様がぶつかる度に、その衝撃で壁も床も天井も砕け散っていく。
心なしか、脱衣所が――それどころかこの建物自体が揺れ動いている気すらする。
アマクニさんとヤクモが跳ね回るパン様を捕えようとするも、触れることすらできていない。
「は、速い……っ」
「なんなのこいつ! あたいの糸でも捉えられない‼」
アマクニさんの振るノコギリはことごとく空を斬り、ヤクモが指先から飛ばす網状の糸も軽々と突き抜けていく。
彼らは完全に翻弄されていた。
『我が
響き渡るパン様の声。それが途絶えた頃――
「ぐはぁっ‼」
「ぎゃあっ⁉」
――超高速の頭突き(?)がアマクニさんとヤクモに直撃して、二人はそれぞれ壁と床を突き破って姿を消してしまった。怖~。
『グゥ、貴様も貴様だ! この程度の
「パン様って、戦ってもちゃんと強かったんですね……」
パン様があたしの頭に戻ってきた直後、全身を縛っていた糸が千切れた。
自由の身になった後、壁に張り付いて青ざめているラミアの姿を見つけた。
「な、なな……っ」
『ラミアの娘よ。貴様も余を手に入れようなどとのたまうか?』
「めめ、滅相もありません~~~~っ」
睨みを利かせた――ように感じる――パン様の圧を受けて、ラミアはすぐさま土下座した。それはとっても綺麗な姿勢だった。
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