13. 戦湯

「かあぁぁっ‼」


 ラミアが奇声を上げながら頭を振り乱し始めた。

 髪の毛がまるで竜巻のようにうねったかと思うと、直後にはあたしを追いかけるようにして向かってくる。

 

「ひゃああっ⁉」


 一瞬でも飛び退くのが遅れたら、今砕き割れた床と同じ運命をたどっていたところ。

 でも、一度や二度攻撃を躱したところで猛攻は終わらない。

 ラミアはすっかりお湯から這い出して、床をうねりながらあたしを追いかけてくる。


「おのれ、ちょこまかと!」

「温泉で野暮はしないんじゃないの⁉」

「お前が言うかぁぁっ‼」


 身を躱した拍子に、ラミアの髪の毛針が脱衣所の扉に突き刺さった。

 何やら髪の毛を引っ張ってモタモタしている。

 さては扉から毛が抜けなくなったな⁉


 反撃のチャンス――


「っしゃああぁぁぁっ‼」


 ――隙だらけの脇腹へと右拳を叩き込んだ。


「うぐっ‼」

「痛ぅ⁉」


 ……硬い‼


 今殴りつけたのは、上半身の人肌部分。

 なのに、まるでごっつい岩肌を殴りつけたような感触だった。

 蛇女だけあって、全身すっごい筋肉を持っているみたい。


「この小娘! わらわの美しい体に痣ができたらどうする気⁉」


 ぶっとい尻尾が鞭のようにしなった。


 間一髪で首を引っ込めたことで躱すことができたけど、身を引くのが一瞬でも遅れていたら頭を吹き飛ばされていたかもしれない。

 このラミア、強い‼


「怒ると美人が台無しですよ‼」

「小娘が……っ。そんなに八つ裂きにされたいか‼」


 あれー?

 褒めて怒りを静めようと思ったのに、逆効果だった!


「こうなったら、あたしの必殺奥義をぶちかますしかない‼」


 そう。

 あたしには奥の手がある――闘気を捻りだしての全力パンチ。

 あの威力をぶつければ、ラミアの硬い肌だって確実に攻撃が通る!


「奥義ですって? ならば、わらわも奥の手を使わせてもらうわ!」


 ラミアは扉から髪の毛を引き抜くのを諦めて、体だけあたしへと向き直った。

 身動きが取れないのに何をする気かと思ったら、尻尾を手元に引き寄せている。


「何をする気⁉」

「ぶち殺してやるから待っていなさい‼」


 ラミアが尻尾のわずかな凹凸部分へと手首を突っ込んだ。

 次に手首が露わになった時、その指先には歪な形の剣が握られていた。


「えぇっ⁉ 尻尾から剣が出てきた⁉」

「ジンジャーロッド! 伸縮自在の連接鞭よ‼」


 そう言うなり、ラミアは剣を振り上げた。

 それは空中で鞭のようにしなり、振り下ろされた時には先端の飛距離が伸びてあたしの顔面まで迫ってくる。


「ぎゃっ‼」


 ガツン、と音を立てて額に命中。その衝撃で床を転がるはめになった。


「油断したわね! 脳震盪のうしんとうで立っていられないでしょう⁉」


 たしかに頭がグラグラするけど、ノーシントーを起こすほどじゃない。

 すぐに起き上がるや、次の攻撃に備えて身構える。


「問題なしっ」

「あ、あら、そう……? 人間のくせに頑丈な頭をしているのね」

「えへへ」

「褒めていないわっ」


 褒められた気がして、うっかり顔を緩めてしまった。

 ……いけないいけない。

 今は戦闘中。もう油断はできない。


「それにしてもなんて石頭なの。この武器、ミスリル製なのよ?」

「道理で! 額に大きなたんこぶができちゃったよ!」

「ならば次はもっと脆そうな部分を狙ってあげる‼」


 ラミアが鞭っぽい剣を頭上でぐるぐると回し始めた。


 さっきの飛距離を考えると、たぶんあの武器の射程距離は5~6メートルほど。

 彼女が動けないことも考えると、近づかなければ攻撃されることはない。


「……」

「何を狙っているのかしら?」

「言うわけないじゃん」

「どんな手段を講じようが無駄よ! 離れれば打ち込むし、近づけば絡めとる。本気になったわらわと距離を取ったのはお前の失策‼ もはやわらわの目を掻い潜って懐まで入り込むことは不可能だわ‼」


 たしかに間合いの遠い相手と戦うのは格闘士ウォーリアには不利。

 でも、別に真っ向から突っ込まなくても勝機はあるんだよね。

 あたし、いいアイディアを閃いちゃった。


「パン様、お湯から離れたところに移ってください」

『……』


 パン様はまだ怒っているのか、無言のまますすすっと床を滑って壁際へと移動してくれた。

 それを横目に見たラミアがギョッとしている。


「な、なんなの今のは⁉」

「あ。やっぱり驚きますよねぇ」

「魔法⁉」

「違いますって。あたし、根っからの格闘士ウォーリアなんだから!」


 練りだした闘気を右腕へ。

 さらに先端の手のひらへと集める。

 そして、指先は手刀のように広げてビンタの構え。

 これで準備は整った。


「何を企んでいるのか知らないけど、わらわの間合いを突破するなんて無理よ‼」

「そんな必要ありませんからっ」


 あたしが床を蹴って飛び出した先は――


「⁉ 何を……っ」


 ――温泉‼


「っしゃあぁぁぁぁっ‼」


 温泉に落ちる間際、土を掘り返すように利き腕を湯面へと振り下ろした。

 闘気をまとった平手がフルスイングで湯面を弾き、掻き出されたお湯がラミアへと振りかかる。

 それは大量の石礫いしつぶてを叩きつけたのと同じ威力を発揮して――


「きゃあああぁぁっ」


 ――ラミアの全身を打ち付け、その巨体を吹き飛ばす。

 彼女は扉を破って脱衣所へと突っ込んでいった。


「やっ――」


 勝利の言葉を言い終える前に、あたしはお湯の中に沈んだ。

 慌てて這い上がった時には、脱衣所の中でラミアの尻尾がパタリと倒れるのが見えた。


「……やった。勝った!」


 遅まきながら勝ち名乗り。


 水はゆっくり触れると柔らかい(?)けど、勢いよく突っ込むと抵抗が強くなる。

 あたしが全力で水を弾けば、それなりの破壊力を生む一撃くらいにはなるのだ。

 闘気をまとっている今なら尚更のこと。


『ふむ。この場の環境を利用して遠距離攻撃を仕掛けるとは、頭を使ったな』

「え? えへへ」

『思考の瞬発力も悪くない。根っからの格闘士ウォーリアを自称する最低限の資格はあるようだな』

「手厳しいなぁ」

『あのラミアの娘もなかなかの手練れ。今の貴様では対応に苦慮すると思ったが、よくぞ余の助言なしに退けた』

「拗ねてただけのくせに……」

『む?』

「な、なんでもありません」


 パン様は水溜まりを避けながら床を移動すると、あたしの頭の上に乗ってきた。

 お湯に落ちて湿っていた体はもう元通りになったみたい。


 ……なんだか不思議とこの定位置が落ち着くようになっちゃったなぁ。


『奴は身動きが取れぬ。今のうちにトドメを刺せ』

「えっ。何もそこまですることは……」

『敵に情けをかける気か? その甘さが報復を――新たな危機を招くのだ。一度矛を交えた以上、確実に相手を仕留めねば闘争は終わらぬぞ』

「は、はい……」


 モンスターとはいえ、流暢に人語を話す相手を――しかもさっきまで普通に会話をしていた相手を殺すのはちょっと気が引けるなぁ。

 でも、たしかにパン様の言う通り。

 あたしにはこのダンジョンでやることがあるのに、ずっとあんな手強い敵に付きまとわれたら大変だ。


 足音を殺して脱衣所に入ってみると、ラミアは仰向けになったまま動けずにいた。


 改めて見ると、ほんと凄まじいおっぱいだな。

 二つの山が、まるでプリンを傾かせたみたいになっている。

 巨乳が寝そべるとこうなるんだ……。


「あうぅ……」


 ラミアがうめき声を上げている。

 上半身も下半身も酷い擦過傷ができているのだから当然か。

 あたしが浴びせたお湯礫ゆつぶて――適当に命名――がかなり効果的だったみたい。


 美人さんにはちょっと悪いことをしたかな……。


「今、楽にしてあげますから」

「くっ。わらわとしたことが、人間ごときに二度も後れを取るなんて……」

「二度?」

わらわの美しい顔に火傷を負わせた忌々しい魔導士ウィザードの小娘。見つけ出して嬲り殺しにしてやろうと思っていたのに、無念だわ……」

魔導士ウィザード……⁉」


 ラミアの言葉を聞いてあたしはハッとした。


 魔導士ウィザードのマホちゃん――彼女の得意は火炎系魔法。

 もしかしてこの人――じゃなくてラミア、ダンジョンでマホちゃんと戦っていたの⁉


「殺しなさい。顔だけでなく、全身これほど傷つけられてはもう生きてはいけない。この身の美しさこそわらわの誇り……それが失われた今、わらわに存在価値は――」

「その魔導士ウィザードのことを聞かせてっ‼」

「ぐえっ!」


 ようやく発見したマホちゃんの手がかり――興奮したあたしは、思わずラミアの上に乗り上げてしまった。

 しかも、とびきり傷の深そうなところに……。


「ご、ごめん! でもその魔導士ウィザード、もしかしたらあたしの捜してる人かもしれないの‼」

「捜し人? あの娘、お前から逃げていたの」

「え?」

「あれとはこの階層の十字路で出くわしたのよ。何を慌てていたのかしらないけど、通路で鉢合わせた途端、不意打ちにわらわの大切な顔に魔法を……。今思い出してもはらわたが煮えくり返るわ」

「それはいつのこと⁉」

「昨日……いいえ、今朝のことね」

「十字路のどの方角へ逃げたかわかる⁉」

「そんなこと教える義理はないわ……それより早く殺して。一刻も早くこの醜い人生に幕を下ろしたいの」

「ちょっと傷を負ったくらいで! あたしなんて、もっと酷い傷――は負ったことないな」

「美容にこだわりのない小便臭いガキにはわからないのよ! わらわがどれだけ真剣に己の美を突き詰めてきたか……っ」

「ああ、もうっ! だったら傷が治れば教えてくれるんですね⁉」

「顔の火傷痕はポーションでも治らなかったわ。それなのに、まさかお前がポーション以上に効果のある治癒魔法を使えるとでも言うの?」

「できますっ! 魔法じゃないけど‼」

『む? グゥよ、まさか貴様――』


 パン様から声が聞こえた瞬間、あたしの指先がその体の一部を千切り取った。


『――なぁっ⁉ 貴様、まさか‼』

「これを食べればどんな傷でも綺麗に治るからっ」


 あたしはパン様の欠片をラミアの口の中へと押し込んだ。


「むぐぐっ⁉ あ、あにを……」

「いいから食べてってば‼」


 指先で無理やり欠片を押し込み、彼女に飲み込ませる。

 すると――


「あ……あぁっ⁉」


 ――ラミアの全身に変化が起こった。

 傷口が輝き始めるや、見る見るうちに塞がり始めたのだ。

 すべての光が消えた時には、全身にあった擦過傷や顔の火傷痕が綺麗に消え去ってしまっていた。


「すっごい。ほんとに治っちゃった」

『グゥ! 貴様! よりによって余が認めておらぬ者に勝手に我が身をっ‼』

「痛いっ! 痛いってば! ごめんなさいっ」


 パン様が頭の上で暴れ始めた。

 勢いよくガンガン叩いてくるので、たんこぶが増える一方だよ!


「まさか……本当に傷が癒えた⁉」


 ラミアは顔を撫でながら驚愕の表情を浮かべている。


 火傷痕のなくなった顔を見ると、本当に美人さんだなーとつくづく思う。

 それでいてこのプロポーション……なんだかやっかんじゃうなぁ。


「さぁ、これでいいでしょ。マホちゃんのこと――その魔導士ウィザードの行き先を教えて!」


 その時、あたしは背中に視線を感じた。


 振り向いてみると、いつの間にか脱衣所に宿の主人の姿があった。

 その手にはノコギリまで握って、真っ赤な顔であたしを睨みつけている。


 ……あ。これヤバいやつだ。

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