第4話 変わる心
わたしは大聖女と聖女たちを呼び出したのだが、大聖女がいない。どうやら二週間、地方へ派遣されたようだ。よくあることである。
「で、用件はなんですの?」
大聖女の次に権力のある、高圧的なリーダーが、腕を組んでいる。取り囲んでいる聖女たちも一緒だ。
「君たちの浄化の力を借りたい。それだけだ」
「確かにあなたは聖人ですから、わたくしたちより身分は上。でも、なぜわたしたちよりも上の存在なのでしょう? 聖女のみが持つ浄化の力が軽視されているのではなくて? 気に食わないですわ。それに、ウラルダ様を手下のように使って」
ウラルダに無理をいわせたのは、シャロンを処刑から救ったときだけだ。だが、それが面白くなかったのだろう。
聖女と聖人の間には強い隔たりがある。もう何百年と続いているものだ。わたし一人で簡単に変えられるものではないとわかっている。
聖女たちはクスクスと笑い始める。わたしはこれが嫌いなのだ。だが、ここは辛抱。
「その件に関しては、わたしが申し訳なかった。ウラルダにも謝っておく」
「あなたがなんと言おうと、わたくしたちは許しませんわ」
見兼ねたユネが、間に入ろうとする。
「俺からも頼むよ。ローファルを救いたいんだ」
「自力で救うことですね。わたくしたちには関係ありません」
普段、ユネに甘い聖女たちは、わたしが絡んでいるからなのか、いつになく厳しい態度だ。
「もうこれでよろしいですね。わたくしたち、忙しいので」
わたしたちの返答も聞かぬまま、立ち去ろうとする。
「待ってくれ」
わたしが呼び止めると、聖女たちは不機嫌そうに振り向いた。
「まだなにか?」
「どうしたら力を貸していただける?」
「ふん。すぐに聖人よりも聖女の身分のほうが高くなるようにしてくだされば、考えてもいいかもしれないですわ」
そんなことは、わたしの力ではできるはずがない。大聖人にお願いしても、すぐにはできないだろう。無理な提案だ。
「うふふ。無理でしょう? それではさようなら」
聖女たちは苦い顔をするわたしたちを見て、高らかに笑いながら去っていった。
「あいつら性格悪すぎじゃね?」
ユネはいつになく聖女たちの背中をにらみつけている。
「まぁ、ウラルダにはまだ交渉していない。だが、その前にこの身体が持つだろうか」
「俺は大聖女に交渉してみるけど、時間がない。ローファルは先にシャロンさんへ本当のことを言ったほうがいいと思う」
「そうだな」
望んでいる死が待っているのに、なぜか行動は生きていくように、前へ進んでいる。矛盾しているが、人間とはそういう生き物なのかもしれない。
*
木漏れ日の差し込む庭で、シャロンはベンチに寝転がっていた。同じくベンチに座っているわたしの太ももに頭をのせて。
「これは普通、逆なのではないか?」
「良いではないですか。こうするとわたくしは落ち着くのですわ」
「そうか」
なかなかシャロンに説明をするタイミングが見つからない。そうこうしているうちに、シャロンはそのまま寝てしまった。
シャロンの寝顔を見ていると、汚染されている右手が、急に我慢できないほど痛む。シャロンを起こさないよう、うめき声をあげるのを必死にこらえる。
ふと魔が差して、わたしはいつも携帯している小型のナイフを取り出す。護身用だ。
――このナイフを使えばこの痛みは消えるだろうか。
最低な人間だと我に返る。そもそも、シャロンを殺めたところで汚染が消えるという確証はない。そっとナイフをポケットへ戻した。
この痛みは早く死へ至る副作用。それなのに、逃れようとしているということは、わたしはまだ。
「……生きていたい」
今、わたしは望み通り死ぬ手前。しかし、今は死ぬのが怖い。すべてわたしのせいだ。なんと愚かなのだろう。
なぜか、ぽろぽろと涙が溢れる。流れた雫はシャロンの頬へ降り始めの雨のように落ちる。
それに気づきシャロンが目を覚ました。
「どこか調子が悪いのですか?」
「わたしはもうおかしいのかもしれないな」
「大丈夫ですわ。わたくしはどんなローファル様でも愛していますから」
「ありがとう。シャロン」
こんな醜いわたしを愛してくれる人がいる。けれども、もう遅い。自業自得とはまさにこのことだ。
「シャロン。君に話がある」
「なんでしょう?」
シャロンは起き上がりわたしの隣に座った。
「わたしとの婚約を破棄していただきたい。安心してくれ。シャロンの新しい婚約者もいる」
シャロンは数秒黙った。わたしの言葉を理解するのに時間がかかったようだ。
「ローファル様になにかあったのですか? それとも、わたくしになにか原因が?」
「シャロンはなにも悪くない。悪いのはわたしなのだ」
「それだけではわたくしは納得できませんわ」
「わたしはある病にかかってしまった。もう終わりなのだ」
わたしは右手の手袋を外し、腐り始めている右手をシャロンに見せる。
シャロンはユネに見せたときと同じ表情をした。だが取り乱したりはしない。
「それにわたしはシャロンが思っているような人間ではない。実際、シャロンを利用していた」
「利用とは?」
わたしの言葉を聞いても、シャロンは淡々としている。
「シャロンを処刑から救ったのはただわたしが早く死にたかっただけだ。シャロンが持つ魔人としての力を借りたかっただけで」
「そうだったのですね。でもわたくし気づいていました」
「え?」
「魔人の力の一種で、わたくしは触れただけでその人の気持ちがわかります。初めてローファル様に触れたとき、心を読んでしまいました。そしてさっきも」
シャロンの真剣な眼差しにわたしはたじろいだ。
「婚約破棄は受け入れます。その汚染はわたくしのせいなのでしょう? ですから、わたしを殺してください。そうすれば、ローファル様の汚染は消えますわ。子どものころ、本当の両親から聞いた確かな情報です」
シャロンはわたしに、どこから用意したのかわからないナイフを差し出した。そんなことできるはずがない。
「大丈夫ですわ。恐怖はありませんの。もう充分ローファル様の傍にいて、良い思い出ができましたから」
シャロンは目に涙を溜めていた。
それを見てわたしはこれまでを振り返る。
初めてシャロンに触れたあのとき。わたしが打算で救ったと知り、シャロンはなんと思っただろう。
婚約関係になって手を握った日。わたしがしぶしぶ了承したとき、シャロンはどんな気持ちだっただろう。
さっき寝そべっているシャロンを殺めようと思った何分か前。シャロンはわたしのことをどう感じたのだろう。
良い感情ではなかったのは確かだ。
それを良い思い出と捉えるシャロンの心はなんと清いことか。
だが、こんなわたしを見捨てず、命までも捧げるのはどうしてなのだろう。
「なぜそこまでわたしのことを思える? なぜなのだ?」
「なぜって、自分を救ってくれた人が、生きていてほしいと思うのは当然ではなくて?」
そうか。これが愛なのかとようやく気がついた。貰った愛は返すのが義理だと、わたしの消えかかった良心が言う。だがどう表現すればいいのかわからない。
「すまない。シャロン。君がこんなに思っているのに、わたしはなにも気づいてやれなかった」
結局、謝罪になってしまった。しかし、シャロンの表情は変わらない。
「ローファル様。もう良いのですわ。わたくしの命は消えるのですから。わたくしではない新しい婚約者を見つけて、早く幸せになってくださいませ」
なげやりとも受けとれる言葉を口にしながら、シャロンは強引にわたしの手にナイフを渡す。
わたしの最後を見てもらってから、シャロンにユネと一緒になってもらうこともできる。
だが、わたしの最後がいつになるのか、誰にもわからない。それに、受け入れてくれないだろうが、シャロンにはわたしのことなど構わず、早く幸せになってもらいたい。人の一生は長いようで短いものだ。これを愛だというのだろうか。
そして、ユネが頑張ってくれてはいるが、大聖女からの援助は難しいだろう。
今、わたしに残された選択肢はわたしかシャロンか。どちらかの命を選ばなければならない。
ならばもう答えは決まっている。
わたしはナイフを自分の腹に思い切り突き刺した。今まで体験したことのない痛み。血が溢れて衣服に広がっていく。
これは死にたいからじゃない。シャロンの未来を救いたいからだ。
わたしは激痛に耐えられず失神する。
「ローファル様!」
シャロンの大きな声が死にゆくわたしの耳に響いた。
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