第3話 過去と決意
シャロンがわたしの婚約者になったあと、何気ない日々が続いていた。
ある休みの日、ユネが訪ねてきた。
シャロンはバラの花が咲く庭を見せたいとユネを案内した。庭は丁寧に整えられ、シャロンはこの庭を気に入っている。
「いやー。ほんとこの庭は広いなぁ」
「ユネ様。紅茶をお持ちしましたわ。ゆっくりしていってくださいませ」
「シャロンさん。ありがたいけど、俺に気を遣わないでください。ローファルに怒られますんで」
「わたしは怒ったりしないぞ」
「やばっ。聞いてたんだ」
「最初から聞いていた。わたしは少し休む。二人で楽しむといい」
「あーあ。ローファルが嫉妬しちゃったよー」
「ローファル様はそんなことで嫉妬したりしませんわ」
二人の会話を聞き流し、わたしは部屋へ戻った。両腕にはめている手袋を取る。右手には黒い斑点の模様が広がっている。
「先週より酷くなっているな。痛みも強くなっている」
シャロンを処刑から救ったときから、手にこのような症状が出てきた。
医者に診てもらってはいない。あの狂った聖女たちにも頼らない。これでいい。ゆっくりと死が近づくのを待つだけ。
*
まどろみのなかで見る夢は、いつもわたしを死の淵へ陥れようとする。
「ローファル! あと少しで安全区域に入れる!」
わたしは父の言葉を聞きながら、広い荒野の中を両親とともに走っている。聖人たちが作った結界のなかに入れば、もう魔人たちは手を出すことはできない。
あと少し先。急にわたしは背中を押された感覚がした。そのまま結界のなかに入り、後ろを振り返る。そこには、魔人に心臓を貫かれている両親の姿があった。
「お父様! お母様!」
わたしは両親のもとへ行くため、結界の外に出ようとする。だが聖女たちがわたしの腕を掴み、止める。それでもわたしは聖女たちの手を振りはらう。だが、もう遅かった。
喰い殺されていく両親を結界のなかから見ることしかできなかった。
*
目が覚めると、わたしはびっしょりと汗をかいていた。
「いつの間にか寝てしまった」
毎日見る夢だが、何度見ても胸がえぐられるような感覚。もう耐えられない。八歳で両親を亡くし、戦場でも多くの仲間を失ってきたわたしはもう壊れている。
なぜ、わたしだけ生きているのだろう。毎日胸の中で問いかけても、当然答えは出ない。
外に目をやると、庭でシャロンとユネが談笑している。
わたしはシャロンの幸せを考えたことがあっただろうかと、二人の姿を見てふと思った。
過去の辛い経験を理由にして、自分のことしか考えていない。それなのに、罪の償いもせず、死を選んでこの人生から逃げようとしている。
ならば、せめてシャロンのこれからを真剣に考えなければならない。
わたしはこのとき、シャロンとの婚約破棄を決意した。
*
わたしは聖堂の静かな場所でユネと面会した。シャロンの新しい婚約者には、ユネが適任だという結論に至ったからだ。
「なんだよ話って? のろけか?」
「ユネ。頼みがある。シャロンの新しい婚約者になって欲しい」
「は? 喧嘩でもした?」
「真面目な話だ。これを見てくれ」
わたしは手袋を外し、右手を見せた。ユネは息を呑み、青ざめた顔になる。
「いつから?」
「内紛を収めに行っただろう。そのときだ。わたしはもう長くない」
「なんでそんな大事なことすぐ言わないんだ? もっと早かったら!」
「すまない」
「ほら、聖女たちに頼めば、今からでも」
「聖堂にいる聖女たちとは気が合わん。それに簡単に治るものでもないだろう」
「俺、いやだよ。これ以上大切な人がいなくなるの!」
ユネも両親を魔人に殺されている。心の傷も深いだろう。もうなにも失いたくないのはわかる。心根の優しいユネのことだ。それでもわたしの頼みは受け入れてくれるだろう。それをわかっていながら、このお願いをしているわたしは残忍なのかもしれない。
「ローファルが言ったじゃないか。もう一人にしないって。あれは嘘だったのかよ」
スラム街でうずくまっていたユネを救ったとき、一人にしないと約束した。それを忘れていたなんて、本当は自分が救われたかっただけなのだろうか。自分がまだこの世にいる意味を知りたかったからという所以の。それならばどこまでも身勝手だ。
それにその約束を破り、死を望む自分は卑怯なのではないか。わたしがいなくなったとき、ユネはどんな気持ちになるのか考えたことがあっただろうか。
それでも今、わたしはシャロンの未来を考えなければならない。たとえ、ユネに嫌われたとしても。
「すまない。もうユネにしか頼む人がいないのだ」
ユネは苦い顔をして目を伏せる。正直、ユネのそのような顔を見るのが苦しい。罪悪感がわたしを襲う。しばらくして、沈黙を破ったのはユネだ。
「俺はローファルになにかあったら、助けようとずっと思ってた。だからこそ、条件がある。ちゃんと聖女たちに浄化の力を借りて、治療してくれ。俺も一緒に行くからさ。もし、なにかあったら、俺がシャロンさんを守るよ」
正直、聖女たちに頭を下げるのは気が進まない。だが、そうするしかないのが事実だ。
「わかった。ありがとう。ユネ」
わたしはユネに隠していた。まだ、これから生きていくという気持ちになれないことを。
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