第11話 中学一年の頃のちんこ①

僕は中学1年生になった。

小学生の頃、通学路で見かける中学生たちは、紛れもない大人に見えた。高い背丈、広い肩幅、がっしりとした体格。ランドセルを背負う僕らとは、はっきりと違っていた。彼らを見上げる度、大人の世界を感じた。

けれど、中学生になった今の自分は、鏡に映る姿はつい先日までの小学生とほとんど変わらない。制服は着たけれど、それだけだ。背もそれほど伸びず、今の僕は、まだ子供のままだった。


あの時の中学生たちが大人に見えたのは、きっと僕が子供すぎて、全てを大きく見上げていたからなんだ。今思えば、あの中学生たちだって、きっと僕と同じように子供で、同じように不安で、同じように成長の途中だったんだろう。


入学式の日、真新しい制服を着て体育館に向かった。体育館に入ると、新入生たちが列になって並んでいて、そこにはざわついた小さな熱気が漂っていた。見慣れた顔もいくつかあるけれど、知らない子たちもたくさんいる。特に他の小学校から来た子たちは、すでに固まってグループを作っていて、その輪の中で自然に笑い合っていた。どこか大人びて見える彼らが、僕には少しだけ遠く感じた。


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僕の通っていた小学校では、六年生になってもまだ子供っぽい空気が漂っていた。教室では相変わらず「うんこ」だの「ちんこ」だの、そんな幼い下ネタばかりが話題の中心だった。性の話題も出始めていたけど、正直、誰も本当のところは分かっていなかった。


中学生になって、教室の空気は一変した。入学して数日もしないうちに、男子たちの間で下ネタが話題に上がり始めた。でも、もう小学生のような幼稚な下ネタではなかった。アダルトビデオの話や、大人の世界に一歩踏み込んだような会話が飛び交っていた。僕はその変化に戸惑いを感じていた。


ある日、部活動の時間。初めて更衣室で先輩たちと顔を合わせたときのことだ。

そんな中、1人の先輩が突然、僕たちに声をかけてきた。

「お前ら、ちん毛、生えた?」

冗談のような軽い口調ではあったけれど、僕たちは一瞬固まった。まだ小学生を卒業したばかりの僕たちにとって、その質問は予想外すぎた。


小学生の頃を思い返してみれば、ちん毛の話なんて本当の意味で話題に上がることはなかった。休み時間に教室で飛び交う下ネタは、もっと単純で子どもじみたものばかりだった。

確かに、ふざけて「ちん毛もじゃもじゃー」なんて言葉を投げ合うことはあった。

でもそれは、自分の身体とは全く関係のない世界の話だった。そもそも僕たちには、ちん毛なんて生えているはずもなかったのだ。話のネタは、たまたま風呂場で見かけた親のちん毛を思い出して、それを面白がって話すくらいのものだった。

ちん毛は、まだ僕たちの現実とはかけ離れた、笑い話の道具でしかなかった。


でも、先輩が聞いてきたのは、僕たち自身にちん毛が生えているかどうかだった。その瞬間、ちん毛の話題は、もはや他人事ではなくなった。それまで小学生だった自分には「絶対に生えないもの」として、どこか他人事のように無関係だと思い込んでいた。

それが、中学生になった今、自分にも確実に生えるのだという現実として、突然目の前に突きつけられたのだ。


「いや…まだです」と僕は正直に答えた。他の新入生たちも同じように首を振った。本当に生えていなかったし、それが当たり前だと思っていた。

「マジで?まあ、そっか、まだ1年だもんな」と、笑いながら返してくる。


その何気ない言葉の中に、僕は気づいてしまった。中学生になれば、いつかは必ずちん毛が生えてくるものなんだ。そんな当たり前の事実を、初めてはっきりと意識した瞬間だった。


中学生になれば、ちん毛は必ず生えてくるものなのだろう。先輩たちだって、きっと中学に入ってから生えてきたはずだ。そう頭では分かっているつもりだった。でも、自分のちんこの周りに毛が生えてくると想像すると、なんとも言えない気持ち悪さと戸惑いを感じた。

だって、今まで何も生えていなかった場所に突然毛が生えるのだ。そして一度生えたら、もう元の姿には戻らない。そう考えると、胸の奥がきゅっと締め付けられた。


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小学校六年生の頃から僕のちんこは目に見えて成長し始めた。それまでの細く小さな、いかにも子供らしいちんこが、少しずつ形を変え、ぐんぐんと大きくなっていった。そして、子供のちんこから大人のちんこへと近づいていった。

けれど、今になってふと一年前の自分のちんこを思い出そうとしても、はっきりと思い出せない。


子供の頃のちんこが小さかったという事実は覚えている。

でも、具体的な姿となると、もう思い出せない。一年前まで十年以上毎日見てきたはずなのに。小便をする時に上から見た姿、風呂場の鏡に映ったちんこの形。毎日目にしていたはずなのに、もう思い出せないのだ。

長さはどれくらいだったのか、太さはどうだったのか、形はどんなだったのか。毎日見ていたはずなのに、今となっては具体的な記憶がほとんど残っていない。

たった一年で、以前の自分のちんこの形すら思い出せなくなってしまった。

僕のちんこは日に日に成長し、確実に大人へと近づいている。もう二度と子供の頃の小さなちんこには戻れない。そして、成長すればするほど、あの頃のちんこの記憶は思い出せなくなっていくのだろう。


そしてこれから、ちん毛も生えてくる。

そうなったら、きっとまた同じことが起きる。毛が生える前のちんこの姿を、いつか思い出せなくなってしまうんだ。そう考えると、何だか切なくなる。

昨日までの自分が、もう取り戻せないものになっていくような気がして、落ち着かない気持ちでいっぱいになる


生まれてからずっと当たり前だった「子供の自分」。その自分には、ちん毛なんて生えていなかった。けれど、一度ちん毛が生えてしまえば、その「子供の自分」は少しずつ消えていく。それは止めることも、元に戻ることもできない変化だ。

子供の自分がこの世界から永遠にいなくなるような、取り返しのつかないその変化に僕は漠然とした怖さを感じていた。

まだ子供のままでいたい。その静かな願いが、胸の奥でくすぶり続けていた。


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教室では、性に関する新しい言葉が次々と飛び交うようになった。特に「しこる」という言葉は、僕にとって初めて耳にする未知の単語だった。

初めはその意味が全くわからなかった。ただ、話を聞いているうちに、どうやら「しこる」というのは精子を出す行為、つまりオナニーを指しているのだと気づいた。僕は小学生の頃に辞書で「オナニー」という単語を調べたことがあったので、言葉自体は知っていた。でも、それが実際にどんな行為なのかは理解していなかったし、自分でやったことも一度もなかった。


クラスの男子たちは、「一日何回しこった」とか、そんなことを当たり前のように話していた。


そして、それがちんこに気持ちよさを与える行為であることに気づいたのだ。僕にとっては衝撃だった。生殖行為が快感を伴うものだという事実すら、それまで考えたことがなかった。性という言葉は、僕にとってはどこか曖昧なイメージしかなく、快感というものと結びつけて考えたことなんて一度もなかったのだ。


子どもの頃に聞かされていた「赤ちゃんはコウノトリが運んでくる」みたいな話とは、全く違う生々しい現実がそこにはあった。

僕の知らない快感、その快感を求める行動が性だということを、僕は初めて知った。


しこり方についても、誰も具体的に説明してくれるわけではない。ただ、話すときの手の動きやジェスチャーを見て、大体のイメージを掴むしかなかった。

しかし、いざ試そうとすると何をどうすればいいのかよくわからない。やり方なんて誰からも聞いていないし、見たこともない。話の端々で得た断片的な情報を頼りに、見よう見まねで手を動かしてみた。それでも特に何かが起こるわけではなく、ちんこを触る感覚に少し違和感を覚えるだけだった。当然、精子なんて出ることもなく、ただ漠然とした「こんな感じでいいのか?」という混乱だけが残った。


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ほんの1、2か月前までの僕たちはまだ小学六年生で、純粋に子供らしい毎日を送っていた。

性的な快感を求めるような話が飛び交うことなんて、その頃の僕たちには想像もできなかった。それどころか、自分のちんこから精子が出るという具体的な身体の機能を理解しているやつなんて、ほとんどいなかったはずだ。


しかし、中学校に入学した途端、まるで世界が一変してしまった。

彼らの会話はすっかり変わり、休み時間に飛び交うのはセックスやオナニーといった、以前なら考えもしなかった性的な話題ばかりだ。

その話題がただの冗談ではなく、リアルに自分たちの体に起きていることとして語られていたことだった。短い間に、「子どもらしさ」はどこか遠くへ消えていった。


ふと一年前の修学旅行のことを思い出していた。あのとき、大浴場で見た同級生たちの裸が頭に浮かぶ。


その時、彼らのちんこはまだ幼く、小さくて、ちん毛なんて一本も生えていなかった。それは紛れもなく子供のちんこだった。

それはまるで眠りから覚めかけたばかりのようで、ただ排泄という役割を果たすだけのものだった。

彼らの中に「性」という感覚は目覚めておらず、身体の中に秘められたその機能は、ただ静かに眠っていた。


その当時、彼らの生活にはまだ性的な欲望や快感といった要素は入り込んでいなかった。

しかし、この一年という時間の中で、彼らの内面にも身体にも変化が訪れていた。小学生の頃の無邪気さや純真さは、少しずつその姿を変え、代わりに性的な意識や欲望が芽生え始めていた。


しかし、この一年間で、彼らの身体には少しずつ変化が訪れた。幼く小さかった彼らのちんこは、日々の中で少しずつ大きく、形を変えていった。中学生になった今、それはもはや「子どものちんこ」とは呼べないものへと成長しつつあった。


中学生になった彼らは、初めてのオナニー、そして射精、そして快感が全身を駆け巡った瞬間の驚きや興奮。それはこれまでの生活にはあり得なかった新しい感覚だったのだろう。


性的な欲望もまた、彼らの中で大きく膨らんでいった。最初は戸惑いながらも、その快感を求めることに抵抗がなくなり、むしろそれを楽しむようになった。彼らは何度もその感覚を味わい、次第にそれが生活の一部になっていった。性がもたらす感覚や欲求は、彼らを確実に「純粋な子供」の枠から押し出し、新しい世界へと引き込んでいった。


こうして、一年前とは全く違う彼らがそこにいた。たった一年前は純真無垢な小学生だった頃の彼らは少しずつ影を潜め、性的な欲望に目覚めた彼らは、大人の入り口に立つ存在へと変わっていったのだろう。


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僕が中学一年生になって一番変わったのは、環境だった。小学生の頃、性の話題は身近になく、自分のちんこと生殖の関係もよくわかっていなかった。言葉としては知っていても、セックスやオナニーの具体的な快感については全く知らなかった。

しかし、中学生になると状況が一変した。ちんこの性的な側面が普通に語られるようになり、ちん毛が生えるといった話題も当たり前のように出てくる。小学生時代の「ただの身体の一部」としてのちんこが、中学生ではまるで別のカテゴリに位置づけられるように感じた。

そして、中学一年生になり、ちんこの変化はより進んでいく。

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