第10話 小学生のときのちんこ まとめ

小学一年生の頃、僕のちんこはただそこにあるだけだった。小さくて幼いまま。幼稚園の頃となんら変わらないその姿に、特別な感情を抱くことはなかった。ただ、それが「普通」で、「当たり前」のことだったからだ。

二年生になった頃も、その「普通」は続いていた。僕のちんこは相変わらず小さくて、まさに子供そのもの。おしっこをするためだけの器官だと思っていた。たまに勃起することはあったけれど、それがどうして起こるのか、僕には全く分からなかった。


小学三年生の僕のちんこは、これまでと何も変わらず小さなままだった。ツルツルで、まだ幼い、子供らしいちんこ。特に気にする機会もなく、それがずっと続くものだと思っていた。僕にとって「大人になる」ということは漠然としたイメージだったし、具体的に何がどう変わるかなんて考えたこともなかった。ちんこだって、このまま変わらず小さいままだと思っていた。


でも、当時小学六年生だった兄のちんこを見た時にその考えが揺らいだ。

ある日、風呂上がりの兄のちんこが目に入った。

その時の兄のちんこは太く長く成長しており、僕が今まで知っていた兄のちんこではなかった。

ほんの少し前まで、僕と兄のちんこには大した違いなんてなかった。僕たちは同じような子供のちんこをしていて、大きさも形もほとんど変わらない。どちらも小さくて丸っこくて、なんだか可愛いという表現が似合うそんな感じのものだった。


でも、この日の兄のちんこは全然違っていたのだ。

兄のちんこは、明らかに子供ではなくなっていた。太さも長さも以前とは比べ物にならないほど成長していて、睾丸も垂れ下がっている。

たった数ヶ月前には、同じような小さな子供のちんこ同士だったのに。今では、兄のちんこと僕のちんこの間には明確な差ができていた。

大人と子供のような、はっきりとした違いだった。


この変化を目の当たりにして、僕は初めて気づいた。小学生の間にも、ちんこはこんなに変わるんだということを。そして、いつか自分のちんこも、兄のように大きく変わっていくんだということを。

小学六年なんてまだまだ先のことだと、自分に言い聞かせて、安心させるしかなかった。


それからしばらくして、学校の授業で「性教育」というものを受けた。そこで僕は、ちんこから精子が出ることを初めて学んだ。けれど、僕には完全に理解できなかった。精子がおしっことどう違うのか、どうやってそれが自分のちんこから出てくるのか、頭の中でイメージが全くつながらなかった。僕は生物の授業で細胞を習うような、どこか現実味のない知識として捉えていた。


四年生になっても、僕のちんこには特に変化はなかった。相変わらず小さくて、子供そのもののままだった。

でも、その一方で、兄の体には目に見えて大きな変化が訪れていた。この時、兄は中学一年生になっていた。

ある日、兄のちんこに黒い毛が生えているのが見えたのだ。

僕はそれまで、ちん毛というものはもっとずっと後、大人になってから生えるものだと思い込んでいた。僕らのような子供には生えない、そう信じて疑っていなかったのだ。


五年生になった頃、ついに僕の体にも変化が訪れた。それは、睾丸が少し大きくなっていたのだ。それは、僕の中の「子供らしさ」が少しずつ失われていく、初めての出来事だった。


睾丸が大きくなったというその事実は、見た目こそ微細な変化でしかないが、僕にとっては非常に重いものだった。確かに僕はまだ子供のままでいたかった。兄のちんこのように変わりたくなかったからだ。


もちろん、睾丸の変化が何を意味しているのか、その頃の僕には知るよしもなかった。おそらく、男性ホルモンというものが分泌され始め、僕のちんこを大人のちんこに変えようと準備を始めていたのだろう。


六年生になった頃、僕のちんこは明らかに変化を遂げ始めた。

何の前触れもなく、僕のちんこは頻繁に勃起するようになった。まるで自分の意志とは無関係のように、突然硬くなり大きくなる。

六年生のはじめ、勃起したちんこはまだ皮に覆われていた。ある日気づいたときには、いつの間にか自然に皮が剥けていて、亀頭が露出するようになっていた。


六年生の終わり頃には、僕のちんこの見た目も以前とはまるで違っていた。勃起すると明らかに太く、そして長くなっていた。表面には血管が浮き出るようになり、亀頭も完全に露出するその姿は、もはや「子供のちんこ」とは呼べないものだった。


勃起していないときでも、太さが増して、以前のようなる小さなちんこではなかった。

ちん毛がまだ生えていなかったおかげで子供のちんこと呼ぶことに多少の余地は残されていたけれど、見た目の可愛さや幼さは確実に失われていた。


僕は小学三年生の時、当時小学六年生だった兄のちんこが太く長く成長しているのを見たとき、僕は心の中で「自分はああはなりたくない」と強く思ったことを覚えている。でも、同じ小学六年生になった僕は、その変化を避けることができなかった。


今思えば、この六年生の終わり頃には、僕の睾丸の中で精子が作られていたのだろう。

もしこの頃にオナニーをしていれば射精できたのだろう。


でも、その時の僕は「オナニー」や「射精」という行為について何も知らなかったし、それに伴う性的な快感というものも全く体験していなかった。

僕が自分を「子供」だと感じていたのは、こうした知識や経験が欠けていたからかもしれない。性的快感というものを知らないこと。自分のちんこから精子を出せるという事実を知らないこと。そして、自分の睾丸が精子を作っているという現実に気づいていないこと。それらが僕をまだ「子供」として成り立たせていたのだと思う。

もしその時点でそれらを知っていたら、僕はもう子供ではいられなかったかもしれない。知らないという状態が、僕にとっては最後の「子供らしさ」だったのだろう。



小学一年生の頃のちんこは、無邪気さそのものだった。柔らかく小さな性欲を知らない無垢なちんこだった。睾丸の中ではまだ精子も男性ホルモンも作られてない。まさに「子供のちんこ」。

その小さなちんこは、小学五年生まで続いた。まだ、ちんこは相変わらず細くて小さく、まさに「幼いちんこ」とでも呼べるような愛らしさを持っていた。

しかし、小学五年生のある日、初めて睾丸が少しずつ大きくなり始めたのだ。そこから一気に変わっていった。

そして、小学六年生。小学生活最後の年に突入すると、まるで何かがスイッチを押したかのように、ちんこの成長が加速した。

これまで細くて小さかったちんこが、まるで何かに突き動かされるように、太さも長さも増していった。頻繁に勃起するようになり、今まで隠れていた亀頭が完全に露出するようになり、別物に変わっていった。睾丸の中では精子が生産され、そして男性ホルモンが分泌されていたのだろう。

一年という短い時間の中で、僕のちんこは完全に別物になっていった。卒業が近づく頃には、あの小さくて無垢で、ただの「子供のちんこ」と呼べたものは、どこにも見当たらなくなっていた。

 


人生の大部分、十年以上もの間、僕のちんこは小さな子供のちんこだった。それが当たり前だった。

それがたった一年で、すべてが変わってしまった。小学六年生になった途端、ちんこは予告もなく成長を始めた。止めることもできず、振り返る間もなく、あの小さな子供のちんこは消えていった。

十年以上もの間、ずっと変わらないと思っていた僕のちんこが、わずか一年で別のものになった。かつて僕の体にあった小さな子供のちんこは、もう二度と戻ることはないのだ。

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