第5話 小学三年の頃のちんこ
僕は小学三年生になった。
初めてのクラス替え。その年は、教室の中に見知らぬ顔が混じり始めていた。隣の席の子とは今まで一度も話したことがない。二年生までは別のクラスだった。それまで仲良かった友達は違うクラスになってしまい、その寂しさと、新しい環境への期待が胸の中でごちゃ混ぜになっていた。
僕が小学一年生として小学校に入学したとき、六年間という時間はとてつもなく長く感じられた。
卒業なんて言葉が現実として頭に浮かぶことはなく、その先にどんな生活が待っているのかなんて全く想像がつかなかった。ただ、ランドセルを背負って学校に通う毎日が、半永久的に続いていくような気がしていた。
それがいつの間にか、六年間の半分を越えて、三年生という折り返し地点に立っていた。けれど、そのことに特別な感慨なんて抱いていなかった。むしろ、「半分」なんて考え方自体が頭になかった。折り返し地点だとか区切りだとか、そんな時間の流れを意識する感覚は、当時の僕には程遠いものだった。
僕にとっての毎日はただ、目の前に見える範囲だけがすべてだった。過去も未来もぼんやりしていて、ただ毎日が続いていくのが当たり前だった。小学生としての自分がずっと続くんじゃないか、なんとなくそんな風に思っていた。それは無邪気な錯覚で、当たり前のようで、でも振り返ればとても不思議な感覚だった。
本を開くと、以前は謎めいた模様にしか見えなかった漢字たちが、今では意味を持って僕に語りかけてくる。「海」の字からは波の香りが、「雨」の字からは濡れた土の匂いが漂ってくるような気がした。
算数の時間。九九はもう完璧に暗記できていて、新しい計算問題にも抵抗なく取り組めるようになっていた。でも、それが成長の証だなんて、当時の僕には思いもよらなかった。
あの頃の僕は、自分が少しずつ変化していることに気づいていなかった。それは今になって振り返ってみると、確かな成長の足跡だったのだろう。でも、九歳の僕には、そんな実感はまったくなかった。
毎日が新しい発見で満ちていて、でもそれが特別なことだとは思わなかった。それが小学三年生の僕の日常だった。
僕のちんこは、小学三年生の体に似合った小ぶりな大きさだった。皮一枚に包まれた先端は、まだ幼さを残していて、恥ずかしそうに内側に潜り込んでいた。チン毛なんて生えるはずもなく、素肌がつるんとしている。朝になると硬くなることはあったけど、それが何のためなのかも分からなかった。僕にとってちんこは、ただおしっこを出すための管みたいなものでしかなかった。
その下にぶら下がっている「キンタマ」。柔らかい袋の中に、左右二つの小さな玉が収まっているのは分かっていた。でも、それが何のためにあるのか、なぜ二つもあるのか。そんなことを考えたこともなかった。
学校では、男子の間でキンタマのことを「急所」と呼ぶのが当たり前だった。誰が最初に言い出したのかは分からない。ただ一つ確かなのは、そこが特別で、絶対に守らなければならない部位だということを、全員が知っていたからだ。その理由も単純明快だった。ここを強く打つと、我慢なんて到底できないほどの痛みに襲われるからだ。
僕自身、その「急所」の恐ろしさを身をもって知ったのは、校庭のブランコで遊んでいた時だった。ブランコの脇にある鉄の柵に乗ってバランスを取る遊びが、男子の中で密かに流行していた。脚を柵の上に跨ぐようにして立ちながら、誰が長く安定していられるかを競い合う。その日、僕も挑戦してみたが、足元が滑って無様に真っ逆さまに落ちてしまった。咄嗟に手をつく余裕もなく、僕のちんこは柵の角にぶつかり、さらにその衝撃がキンタマを直撃。
その瞬間、全身に稲妻のような痛みが走った。思わず地面に崩れ落ちた僕は、息をすることさえ苦しかった。お腹の奥からこみ上げてくる吐き気に耐えながら、ただ地面に丸まってうずくまるしかなかった。「痛い」と叫ぶことすらできず、涙が勝手に溢れてきた。遠くで誰かが笑っている声が聞こえたけれど、そんなことを気にする余裕なんてなかった。
しばらくして、痛みが少しだけ引いてきた頃、僕はかつてないほど真剣に思った。「なんでこんな場所に急所なんてあるんだろう」と。何か大事な理由があるのかもしれないが、あの時の僕には理解できなかった。ただ、男子にとってキンタマが「急所」であることは疑いようもない事実だということだけは、その日しっかりと思い知らされた。
男子たちはみんな、同じような経験をしていた。だからこそ、「急所」という名で暗黙の了解が成立していたのだと思う。
今思えば、あの頃から僕の世界は少しずつ変わり始めていた。でも当時の僕には、その変化に気付くはずもなかった。
それまで僕が見ていた世界は、どこかぼんやりとした夢のような場所だった。例えば、赤ちゃんは白いこうのとりが運んでくるものだと、本気で信じていた。そして、アニメのヒーローみたいに空を飛べる日がいつか来るかもしれない、と心のどこかで思っていた。
そんな僕の周りには、同じように夢を抱く子たちがいた。宇宙飛行士になりたいと言うクラスメイトもいれば、魔法使いに憧れる子もいた。それぞれが、それぞれの空想の中で生きていた。それが当たり前だった。現実の厳しさや、生々しさなんて知らなくても、何の不自由も感じなかった。
世界と僕の間には、どこか柔らかい膜のようなものがあった気がする。その膜は、現実と空想の境界を曖昧にしてくれていた。
あの頃の僕にとって、世界はまるで絵本の中に広がる牧歌的な風景そのものだった。疑うことも、問いかけることもなかった。ただ毎日をその世界の中で、当たり前のように過ごしていた。
世界は確実に形を変えていった。でも当時の僕には、その変化が何を意味するのか分からなかった。
ある日、休み時間のざわめきの中で、クラスの友達が突然「セックス」という言葉を口にした。その瞬間、僕の耳はその音を捉えたけれど、その意味はまったく理解できなかった。それまで僕が過ごしてきた幼い世界に、その単語は存在したことがなかったのだ。
友達は笑いながらその言葉を繰り返していた。ふざけたテンションで、他の友達もつられて笑っている。それが何を意味しているのか、友達自身も知らないようだった。ただ、皆がその言葉の響きを面白がっているのがわかった。言葉自体に妙なリズムがあり、それだけでなんとなく秘密めいていて特別な感じがする。
やがてその言葉は、僕たちの中で冗談の一部として手軽に使われるようになった。これまでみんなが「うんこ」や「ちんこ」で笑っていたのと同じように。「セックス」はただ新しい「笑える言葉」として仲間入りしただけだった。
しかし、どこか他のふざけた言葉とは違う性質があることも、漠然と感じていた。誰もその意味をちゃんとは知らないけれど、その響きには特別な力があるように思えた。
赤ちゃんはコウノトリが運んでくる。そんな童話めいた優しい世界が、僕たちの当たり前だった。母親のお腹が大きくなっていく理由も知らなかったし、知ろうともしなかった。そんな無邪気な日常の中で、僕たちは大人の世界とは完全に切り離された場所で生きていた。
男の子と女の子の違いと言えば、ちんこがあるかないかという程度の認識しかなかった。トイレが別々なのも、ただの決まり事のように感じていた。
そんな穏やかな子供の世界に、突然「セックス」という言葉が投げ込まれた。それは何か違う世界の入り口のような気がした。でも、その向こう側に何があるのか、僕たちには想像もできなかった。中に何があるのかは分からない。でも、きっと大人だけが知っている何かがある。そんな予感だけが、僕たちの心をくすぐっていた。
その頃の僕たちの体は、まだ完全に子供そのものだった。性欲という言葉も感覚も知らなかった。精通という言葉なんて聞いたこともなかったし、そもそもそんな変化が自分の体に起こるなんて想像もできなかった。朝起きて、学校に行って、友達と遊んで。そんな単純な毎日を過ごしていた。
「セックス」という言葉は、まるで意味のない呪文のように僕たちの間で浮遊していた。誰もが知らない意味を持つその言葉を口にして、なんとなく笑い合う。それは僕たちにとって、ただの新しい遊び言葉の一つでしかなかった。
でも今になって思えば、その言葉が教室の中を漂い始めたことは、僕たちの無邪気な日々が終わりに近づいていることを、静かに告げていたのかもしれない。純粋な子供の時間は、実は思ったより短い。けれど、その頃の僕たちには、そんなことを感じ取る術もなかった。ただ、いつもと変わらない日々を過ごしていただけだった。
僕は夕食の後、テレビを見ながら何気なく母親に聞いてみた。「セックスって何?」
母は一瞬動きを止め、困ったような表情を浮かべた。「そんな言葉、誰から聞いたの?」と逆に聞き返してきた。答えようとしない母の様子に、この言葉が普通の質問とは違うことを感じ取った。
大人の不自然な反応を見るたびに、この言葉の持つ力が大きくなっていった。聞いてはいけない言葉なのかもしれない。使ってはいけない言葉なのかもしれない。でも、だからこそ余計に知りたくなった。大人たちが隠そうとすればするほど、その秘密を知りたい気持ちは膨らんでいった。
そして、この頃には学校の図書室で性の絵本というものを見つけた。
その本には精子と卵子の話が載っていた。精子は小さな尾っぽのような形をしていて、卵子と出会うと子供になるという。理科の授業で習ったアメーバの分裂のように、細胞が分かれていく様子が描かれていて、それは少し理解できた気がした。
でも、その精子がちんこから出るという説明を読んで、僕は混乱した。おしっこなら簡単だ。お腹に力を入れれば自然と出てくる。
でも、精子ってどうやって出すんだろう?そんな感覚は今までなかったし、どうやってその「出す」という動作をするのか全く想像がつかなかった。
もしかしたら、僕がいつもしているおしっこが精子そのものなのかもしれないとも考えたことがある。そう思うと、トイレでおしっこをするたびに「これが精子なのか?」と真剣に考え込んだ。おしっこと精子の違いについては、絵本には何も書かれていなかったから、僕は本気でそう信じてしまったこともあった。
でも、どんなに考えてみても、ちんこから精子なんてものが出てくる感覚は、まったく思い描けなかった。
そして、精子と卵子がどうやって出会うのか、まったく分からなかった。
大人の男女が一緒に寝ている場面を想像してみた。二人は布団の中で、ただ静かに横になっている。目を閉じて、まるで普通の睡眠を取っているかのように。そして、そこで何か不思議なことが起きるのだと思った。
僕は真剣に考えた。一緒に寝ているだけで、男の人の体から精子が自然と出てきて、女の人の体の中に入っていくのではないか。それが最も自然な説明のように思えた。まるで、眠っている間に体の中で勝手に何かが起きるみたいに。
精子がどうやって体の外に出て、どうやって女性の体の中に入るのか。その具体的な仕組みは想像もつかなかった。ただ、二人が一緒に眠っているだけで、何か神秘的な現象が起きて、自然と精子が移動するのだと思い込んでいた。
今になって思えば、とても単純で幼い発想だった。でも、当時の僕にとっては、それが最も納得のいく説明だった。性行為の存在など、まったく知らない純粋な時代の、精一杯の推理だった。
ちんこを勃起させて女性の性器に挿入するなんてこと、当時の僕にはまったく想像すらできなかった。そもそも、ちんこが大きくなること自体は知っていたけれど、それが性行為とどう関係しているのかなんて考えたこともなかった。ただ、ちんこが大きくなるのはおしっこをしたい時のサインなんだろう、くらいに漠然と思っていた。
それだけじゃなく、そもそも性欲とか性的な快感なんてものの存在を知らなかった。
当時、兄は小学6年生だった。その頃、兄の体に訪れた変化を僕は間近で目撃した。
まず目についてわかりやすかったのは身長の伸びだった。兄は毎日のようにぐんぐんと背が高くなり、気づけば母よりも大きくなっていた。そしてある日、その変化の一端をさらに知る出来事が起きた。家の風呂場で、兄の姿を偶然目にしたのだ。
風呂上がりの兄が脱衣所から出てきたとき、僕は思わず息をのんだ。兄のちんこが、これまで僕が見慣れてきたものとはまるで違っていたからだ。それまでは、自分のちんこと兄のちんこに大きな違いはないと思っていた。小さくて丸っこくて、特に注目するようなものではなかった。けれど、その日見た兄のちんこは明らかに変わっていた。太くて長く、形も大人びた印象を受けた。
その変化は、今までの子供のちんことはまるで別物だった。思わず目を凝らしてしまうほどで、言葉にするなら、まるでポークビッツがウィンナーになったように見えた。子供の間で「ちんこはみんな同じようなものだ」という漠然とした共通認識があった僕にとって、それは衝撃的な光景だった。
これまで僕は、ちんこは一生同じ大きさや形で、変わることなどないものだと思っていた。幼稚園の頃から友達とプールで一緒に着替えたり、お風呂に入ったりする中で、みんなのちんこはほぼ同じ大きさだった。それが当たり前だと思っていたし、それが変わるなんて考えもしなかった。
もちろん身長は伸びるし、髪や爪も伸びる。当たり前のように「成長する体の部分」があることは知っていた。でも、ちんこだけは目や鼻や耳のように生まれたときから形が固定されているものだと信じ込んでいたのだ。
大人のちんこは違うということも、なんとなく知識としてはあった。毛が生えていたり、子供のものより大きかったりすることは知っていた。でも、僕の中ではそれは別の種類の存在だと思っていた。「子供のちんこ」と「大人のちんこ」は、まるで違う生き物のように感じていたのだ。その分、兄のちんこの変化を目の当たりにした瞬間は、どう受け止めればいいのか分からず、ただただ困惑するばかりだった。
しかし、兄のちんこが変わったことを、性や生殖と結びつけて考えることはまったくなかった。そんなことを理解する知識も想像力も、当時の僕にはなかった。ただ目の前にいる兄の姿を見て、なんとも言えない複雑な感情が湧き上がった。
まず浮かんだのは、自分がああなりたくないという漠然とした気持ちだった。これまでずっと変わらないと思っていた、子供らしい小さなちんこがまるで別物のように変わることが、どうしても受け入れがたいように思えたのだ。その変化が何を意味しているのかもわからないまま、とにかく違和感だけが先に立った。
一方で、自分にそんな変化が起きることはないだろうという、根拠のない安心感もあった。小学六年生なんて、まだまだ先の未来だと感じていたし、自分には関係のない話だとどこか楽観的だった。自分のちんこが兄のように変わるというイメージが湧かず、まるで他人事のように思えたのだ。
とはいえ、兄の変化したちんこに興味がないわけではなかった。どうしてそうなったのか、その理由を知りたいという気持ちが心のどこかに芽生えていた。でも、兄が自分の体を意識して隠すようになったことで、以前のように何気なくその姿を見ることはできなくなった。変化の理由を観察することは、もう許されなくなっていた。
小学三年生の生活の中で、いつの間にか性に関する情報が少しずつ入り込んできていた。それは断片的で曖昧で、意味がまったくわからないことばかりだった。誰かが教えてくれるわけでもなく、かといって避けられるようなものでもなかった。それはまるで僕に断りもなく始まった何かのようだった。そして、自分の無邪気な子供の世界が、静かに変わり始めている兆しだったのかもしれない。
だけど、その当時の僕にはそんな変化に気付く余裕なんてまったくなかった。
当時の僕のちんこは、まさに小学三年生らしい小さなものだった。毛も生えておらず、完全に子供のちんこだった。今になって思い返すと、それは本当に可愛らしいちんこだったように思う。ただおしっこを出すためだけの器官で、特別な意味もなく、ただそこにあるものだった。
皮に包まれていて、亀頭が見えることもなかったし、それが普通だと思っていた。色も大人のちんこのような浅黒さはなく、どこか無垢さを感じさせるような薄い肌色をしていた。何の変化も感じられないその姿は、子供らしさそのものだった。
それがずっと変わらず、このままの姿でいるものだと、何の疑いもなく信じていた。自分が子供の世界に留まり続けられるのは当たり前で、それが永遠に続くように感じていた。
今振り返ってみれば、たった三年前は幼稚園児だった自分が、性の話題なんて一切知らない、本当に無邪気な子供だった。それから数年で少しずつ世界は変わり、周りから性にまつわる情報が入り始めていたのだ。そうやって少しずつ変わっていると言えるのに、当時の僕はそんなことに気付くはずもなく、ただ日々を何も考えずに過ごしていた。それが小学三年生の僕の日常だった。
あのちんぽこよ、どこ行った @ponderingo
★で称える
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