第9話 隅田八幡神社の静寂

 夏の終わり、新は、友人の浩司に連絡を取っていた。思いがけず「隅田(すだ)八幡神社に行ってみたい」とふと思い立ったのだが、免許がない二人にはどうにも難しい場所だった。運転できる浩司なら、気軽に頼める気がしたのだ。

「久しぶりやな、新。何か相談事でもあるんか?」と浩司の気さくな返事に、新はすぐに笑顔でスマホを打った。「実は彼女と行きたい場所があるんやけど、俺ら二人とも免許ないから、よければドライブで連れてってほしいんや」

「ええで、全然。道中は、温泉とかも寄ったらどうや? 汗もかくやろし」と浩司が提案してくれた。すぐに優子にこのプランを伝えると、「温泉も神社も楽しみ!」と喜んでくれた。思いもよらない温泉プランに、新も思わず胸を高鳴らせた。

 そして迎えた週末の朝。新と優子は和歌山駅で待ち合わせ、電車を乗り継いで橋本駅へ。隅田(すだ)駅に着いた頃には、真夏の陽射しがじりじりと照りつけていたが、どこか心地よい高揚感もあった。二人は浩司に再会し、車で隅田八幡神社へ向かう道中を楽しんだ。

 神社に着くと、静かな杜(もり)が広がり、まるで時間が止まったかのような感覚に包まれた。大きな鳥居をくぐり抜けると、優子が目を輝かせながら言った。「なんだか空気が違うね。心が静かになっていくみたい」

 新も頷きながら、二人でゆっくりと境内に進んでいった。陽の光が木漏れ日となり、苔むした石畳に柔らかな影を落としている。新はお賽銭を投げ、祈りを込めた。「優子と一緒に穏やかに過ごせますように。良い公務員になれますように」

 その時、不意に新は隣で祈りを捧げる優子の姿に心が温かくなるのを感じた。優子が小さな声で「一緒に祈ってもいいかな」と言った時、新は優しく頷いた。「願いが重なったら、きっと叶うはずや」

 参拝を終え、二人が境内を見回していると、どこか異国風の装いをした長髪の男性が目に留まった。知的でありながら独特な雰囲気が漂い、まるで時代を超えてきたかのような印象を抱かせた。新はふと声をかけてみた。「すみません、ここで何か調べておられるんですか?」

 男性は柔らかく微笑み、「隅田八幡神社の人物画像鏡について見ていたんですよ」と応えた。新は目を輝かせ、「高校の日本史で習った、あの鏡ですよね」と尋ねた。男性は軽く頷き、「そうです。奈良時代から伝わる貴重な鏡で、京大の日本史の入試でも話題になったことがありますよ」と語り始めた。

 新は驚きながらも興味深く、「僕たちも少し歴史に触れてみたくてここに来たんです。あの鏡を見て、和歌山に歴史的な魅力が詰まっていることに気づいたような気がします」と話した。男性は軽く笑い、「歴史というのは、人と場所のつながりを教えてくれますからね」と続けた。

 しばらくして、男性は丁寧に挨拶をして去っていった。新と優子は、彼の背中を見送りながら、静かに神社の空気に溶け込むように佇んだ。「新、すごい人やったね。和歌山って、まだまだ知らない魅力がいっぱいやね」と優子が言うと、新も頷いた。「ほんまやね。こうやって一緒に新しい発見ができるって、幸せなことやな」

 二人は神社の森の奥へと歩みを進め、静寂に包まれた境内の奥で再び手を合わせた。神社にある人物画像鏡のレプリカを見ると、先ほどの男性が話していた日本史の記憶がふと蘇り、自分たちもまたその歴史の一部としてここに立っていることを感じた。

 神社を後にして浩司の家に向かう道すがら、三人は和歌山の歴史や、この先訪れたい場所について語り合った。会話の合間、ふと優子が新の手を取って、「ここに来れて本当によかった。新といると、心がすごく穏やかになるわ」と小さく呟いた。新も優しく手を握り返し、「俺もや。これからもこうやって一緒に新しいことに出会っていこう」と応じた。

 新と優子は神社での出来事を静かに振り返りながら、互いの存在の大切さを確かめ合った。そして、心地よい疲れの中、二人は手を取り合い、これから訪れる未来への静かな決意を胸に、再び浩司の車へと乗り込んだ。

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