第6話 熊野古道のふたり旅

 和歌山駅に降り立った朝、新と優子は霧に包まれたホームで、静かに電車を待っていた。新宮への旅は、日常の忙しさを忘れ、心の再生を求めるふたりにとって、特別なひとときだった。

 電車が動き出すと、車窓に豊かな山々が次第に広がり、緑が鮮やかなカーブを描いて流れていく。新は外の景色を見つめながら、「こうして自然に触れていると、心が洗われる感じがするね」とつぶやいた。隣で優子も頷き、「都会ではなかなか味わえない静けさがここにはあるね。こうして連れ出してくれて、ありがとう」と優しく返した。

 やがて電車が新宮に着き、ふたりはさらにバスを乗り継いで熊野古道へ向かった。窓の外に流れる田園風景に心がほどけていくと、熊野古道の入り口が見えてきた。新は深呼吸し、「さあ、ここからが本当の冒険だね」と笑顔で振り返った。優子も同じように空気を吸い込み、「昔の人が巡礼のために歩いた道を、私たちも歩けるなんて、特別な気分だね」と微笑んだ。

 石畳を覆う苔の緑、古びた石碑。熊野古道の入り口に立つと、ふたりは目を合わせ、無言のまま歩き出した。木々が頭上でざわめき、鳥のさえずりが静けさの中に響く。熊野古道は単なる観光地ではなく、何世代もの巡礼者が歩み、祈りを捧げてきた道だ。その歴史の重みを感じながら、新は優子の手を取り歩き出した。

 古道沿いには可憐な野花が咲き、岩陰からは小さな滝が顔をのぞかせている。「この花、まるで絵画みたいにきれいだね」と優子が感嘆すると、新も立ち止まり、「自然が作り出すものって、ほんとうにすごいよね」と応じた。

 しばらく行くと、小さな祠が目に入った。風雨にさらされた石造りの祠には、古い文字が彫られており、祈りを捧げるように立ち続けていた。新は静かにその場に立ち、優子に語りかけるように、「昔の巡礼者たちも、ここで祈りを捧げたのかもしれないね」と言った。優子も神聖な雰囲気に包まれるように立ち、「ほんとうに…来られてよかった」と小さくつぶやいた。

 ふたりは祠(ほこら)の前で目を閉じ、そっと祈りを捧げた。新は優子を見つめ、「こうして一緒に歩くことで、君のことをもっと理解できる気がする。君といる時間が、僕には何より大切なんだ」と真剣な眼差しで言葉を重ねた。優子も涙を浮かべながら、「私も新といることで、自分が強くいられる気がする。これからも、こうして一緒に歩いていこうね」と応えた。新は彼女を静かに抱きしめ、その腕の温かさを確かめるように目を閉じた。

 熊野古道の中腹に差し掛かったとき、紅葉の美しさがふたりを迎えた。赤や黄に色づいた木々が織り成す景色は、まるで一幅の絵画のようだった。優子が「あれ見て、新、すごくきれいだよ」と指をさすと、新も感動を隠せず「まるで絵葉書みたいだな。この道の魅力って、こういう四季折々の変化もあるんだな」と応じた。

 その後もふたりは、ゆっくりと熊野古道の奥へ歩みを進めた。時折、歴史的な石碑や祠を見つけるたびに立ち止まり、互いにその意味を考えながら進んでいく。ふたりの間には言葉少なでも、心が寄り添いあう穏やかな時間が流れていた。

「こうして歩いていると、都会でのストレスなんてすっかり忘れられるね」と新が呟くと、優子も頷いて「ほんとうにね。君と一緒だと、どんなことも乗り越えられる気がするよ」と言った。その言葉に、新は優子の手を強く握りしめ、「これからも、ずっと一緒に歩いていこう。君となら、どんな場所でも心が安らぐから」と静かに応えた。

 夕暮れが近づき、熊野古道の終点が視界に入った。夕陽が照らす道の先には、温かい光が差し込み、ふたりの歩みをやさしく包み込んでいるようだった。「今日のデート、ほんとうに素晴らしかったな。自然の中で過ごす時間が、こんなにも大切だなんて気づかなかった」と新が言うと、優子も頷き「うん、本当に特別な日になったね」と微笑んだ。

 帰路のバスに揺られながら、ふたりは窓の外に広がる夜の景色を眺め、今日の出来事を静かに思い返していた。「またこんなふうに、自然の中で過ごそうね」と優子が微笑みながら言うと、新も「もちろんさ。また、新しい思い出を作ろう」と応じた。

 その夜、ふたりは心穏やかに家へ戻り、今日の旅で深まった絆を感じながら、穏やかな時間を共有した。熊野古道で過ごした一日が、ふたりにとってかけがえのない記憶となり、未来に向けての希望をより強くしたことを感じつつ、静かな眠りに包まれていった。

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