【【【最大限の閲覧注意/自己責任】】】9 ろうごくの夢


 ◇◇◇


 くらいだけ。

 ううん、消毒液しょうどくえきにおい。

 ここまで、消毒液の臭いしかしないのは病院びょういんくらい。

 えないんじゃない。

 ちゃんとくろなかにも、いろが見えるけれど。

 夜空よぞらなら、北極ほっきょくせいつきが見えるはず。そして、かぜいていない。

 だから、ここは、そとじゃない。


 がつきたくはなかったけれど。

 ほかの臭いもした。

 ツーンとした、つめたい臭い。

 幼稚園ようちえんころ、ひいおじいちゃんがんじゃって。

 お葬式そうしきて、それから「くよ」ってわれて。

 そのとき、おじいちゃんのクシャクシャにくずれた真っしろほねをおはしげた。そのときにいだ臭い。

 焼いたばかりの骨はあついはずなのに。はなあながツーンとする、冷たい臭いがした。






「ごきげんよう、ひなさま。

 おとうさまはいま、おとなりのこうぼうでうつわをつくられています」






 可愛かわいらしいこえしかこえなかったけれど。

 だれかがわたしのふくそでっぱった。

 ううん。

 ぬのれるおとじゃかった。

 駐車場ちゅうしゃじょう出入でいぐちくるまはいれなくするためにつけられたくさりのような、ジャラジャラしたおとだった。

 手首てくびには冷たい金属きんぞくっか。

 手じょうなのかと思ったら。

「それはてかせでございます」だって。


 いつから、ごはんべていないのか。

 ううん、そうじゃない。

 いつから、自分じぶんき手でお箸やフォーク、スプーンをっていないのかわからない。

 ここにいつからいて、このさきもずっといるのか。わからない。なにも、わからない。

 くちなかには、みがきあじがかすかにのこっている。

「おこさまようのはみがきこと、やわらかいぶらしをつかって、はみがきをしました。

 あばれると、きずがのこります」

 手かせをされたままだけれど、りょう手を口もとってくとリップクリームをったようなうるおいがくちびるにあった。

 かみれると、くしでキレイにとかされていて。

 ふく浴衣ゆかたのような、病衣びょういのようなもの。

 でも、触れることでしかわからない。


 目蓋まぶたうごきそうで動かない。

 暗がりのひかりは目蓋のすきからかんじるのに。

「ひなかざりはおおきみのけっこんのいちばめんをきりとった、おかざりです。

 あなたさまも、おとうさまのてによって、うまれかわるのです。

 しあわせをいのりいわうためのうつわとなるのです」




「ふふふふ。

 ですから。

 ひなさまは、ひとのもつめがいらぬのでございます」




 いとわれた目蓋が引きつる。


 また、あの牢獄ろうごくもどって来た。

 さけびたいのに、叫べない。

 だって、だれに叫びたいか。

 それはおかあさんしかいない。

 わたしを見ていなかったお母さんがわるい。

 お母さん、わたしを見つけて。

 お母さん、わたしを牢獄から出して。


「さあ、くびをあらいましょう。

 おとうさまがくびをはねずにもちかえるなんて。

 あなたさまにはようじょうがひつようなのでしょう」


 みずがタプン、タプン、らぐ音がせま空間くうかんひびく。

 冷たい水をうなじにタラタラかけられる。

 冷えた水は、ゆきよりも冷たく感じる。


 水音とくびみがく布の擦れる音とはべつに、とおくからこちらへやって来る、大人おとなあし音が聞こえる。

ようじょうきみ具合ぐあいはどうだ?」

「おとうさま。

 ひなさまは、まぶたをとざして、うつわにふさわしいおすがたでおやすみなられています」

なんおしえればわかる!

 この御方おかたひな一緒いっしょにするな!

 だから、御まえ世話せわまかせる気になれない!

 ……御前にあざを作ったら、にならない。

 そこで正座せいざしていろ」

「はい、おとうさま。

 ごめんなさい、ごめんなさい……」

 水にれた、熱を持った大人のおとこの手がわたしのうなじをまわす。


「目を見たくなってね。

 糸きりばさみって来た。

 睫毛まつげを切ってしまわないように、気をつけるからね。

 動いてはいけないよ」


 ジョキン。


 ジョキン。


 ジョキン。


 ジョキン。


 ジョキン。


 ジョキン。


 ジョキン。


 ……。


 ジョキン。


 ジョキン。


 ジョキン。


 ジョキン。


 ジョキン。


 ジョキン。


 ジョキン。



 カタンッ。


 目蓋をこじけられ、

 真っ暗のまま。

 何かをの中にとされた。

 おおきなしずく一滴いってき滴、さん滴。


 大人の気配けはいが無くなって、わりとすぐ。

 カチッ。

 そんな音がして。

 狭い空間の照明しょうめいがついたのはわかった。

 つぎの瞬間、光のかたまりが両目をおそった。

 まるで、太陽たいようちいさくなって、ミラーボールのようにわたしの目の前で回っているかのようにギラギラ。

 だから、真っ暗やみ世界せかいから、今度こんどは、白以外いがいの世界が無くなった。


瞳孔どうこうを開く点眼てんがんやくだ。

 よく見せてくれ。

 養生の君、真っ黒な目に思えたが。

 ちゃ色……いや、うつくしい琥珀アンバーだ」

 目蓋にのこった糸くずがピンセットでままれ、引きかれる。

 いたみは感じない。



 目の前の白い太陽がだんだんと小さくなって消えていくまで。

 じっとその場にとどまった。

 男はどこかへ消えてしまった。

 子どもをれて、いなくなった。

 だんだんと、ふる木材もくざいはしらが見えて来る。

 たてよこ格子こうし

 幼稚園の頃はまだひいおじいちゃんがきていた。

 そのひいおじいちゃんは時代じだいげきを見るのが好きだった。

 そのときに見た、盗人ぬすっと人殺ひとごろしがはいまち奉行ぶぎょうしょ牢獄ろうごくと同じ。

 これは、座敷ざしき牢だ。


 牢獄は奥にあって、すぐちかくには工房こうぼうがあるらしい。

 工房の明かりにらされた、工房の中のわった雛壇ひなだんが見えた。

 見たくなかった。


 目があるはずなのに無いから、小さい……ううん、そこまで小さくないあなふたつ。

 歯があるはずなのに無いから大きめの穴が一つ。


 男は、二本にほんふと蝋燭ろうそくしんをつけて。みぎ手とひだり手それぞれにって。

 大きな穴の中に流しこんでいく。

 ひいおじいちゃんのあたまの骨は焼いて、グシャグシャッとなっていた。

「のうみそはあなからかきだせます。

 おとうさまはとってもおじょうずなのよ」

 正座をしていろと命令めいれいされた女の子が一度は男に工房へれていかれたのに。わたしのところへかっ手にもどって来て、こっそりと耳打みみうちした。


「ひなさまのめをのぞいて、てしごとがすすんで。

 ようございました」


 何もわからないことだらけでも。

 この女の子のお世話が続くかぎり、わたしは生きていられる。

 それはつまり、「養生が続けば」ということ。

 養生が終われば、わたしは首を切り落とされる。

 それだけはよくわかった。


「御前の彫刻ちょうこくとうを持って来てくれ。

 すこけずりたい。

 あまり、頭骨とうこつでは無かったから。

 蝋がはみ出す」

 子どもが男に言われて、座敷牢の格子にぶら下げていたリュックサックの中から彫刻刀を取り出した。

「正座しろ」と命令したこともわすれるくらい削る作業にぼっ頭していたようだけれど。男は子ども用の彫刻刀をもとめて、座敷牢側にかって手をばしていた。


 ゴッ。

 ゴッ。


「クソッ。

 駄目だな、この頭骨は。

 火にくべておくか」


 蝋燭の火が二本とも、された。

「やはりじゅうの雛にくらべて、男子だんしの頭骨は気にらないな」

 嗚呼、この男は子どもの頭を欲しがっている。

 それも、男の子じゃない。

 女の子だけ。


 世話がかりの女の子は蝋燭の火が消える前に、ちゃんとはりに真っな糸をとおしていた。

 そして、れた手つきでわたしの目蓋をチクチク縫って行く。

 嗚呼、また、光の無い世界が戻って来た。

 怖い。

 怖い。

 こんなにも自分の目蓋のうらに広がる世界が怖いなんて、りたくなかった。

 まだ、ねむれないのに。

 きているのに。

 わたしはもう、光の無い世界でいきをしている。


 ◇◇◇


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