観測20 『盲目な介添人』


 ——この世界の中はクソだ。


 わたし——アリナにとってすべてはそれで完結している。

 この世界に生まれた時点で、生きることを強いられた時点で、すべての生命は"恐怖"を知る。

 恐怖には途方もないくらいの種類が存在し、大抵の凡人は抗えずに死んでいく。

 そして最後には無価値であったという事実だけが残ってしまう。

 だから最初にわたしは自分が無価値であることを理解させられた。

 気持ち悪いと蔑まれ、理不尽にやっかまれ、生まれてきた事実を否定された。

 周りにいたのは"心の醜い本当の怪物"たちばかりで、知りたくもない現実ばかり教えられた。

 もちろん、すべての者がそのような邪悪でないことはわかってる。

 心の清らかな者もいれば、強いられた恐怖に立ち向かっていける強い者もいる。

 だけど、結局みんなどこかで破綻する。

 にぎっていたはずの拳を緩め、すべてに絶望して死んでいく。

 正しさだけでは生きられないことを知ってしまう。

 できるのなら誰だって良いことをしていたいに決まってる。

 でも、限界がかならずくる。そうなったときが一番悲惨だ。


 だからわたしはなにも考えないようにした。

 自分は無価値な存在で、だから苦しまなければいけないと思うようにした。

 すべてを破壊できる神能(ちから)はあった。でも、なにも考えない。

 やったところでなにも変わることなんてないから。拳なんてにぎらないほうが楽だから。どんな理不尽も仕方のないことだから。

 なにも感じずに、この色のない世界を生きていこう。


 ——現実なんて、くそくらえだから。


『——だいじょうぶ、かい……?』


 目が覚めたら、自分を苦しめる怪物たちに似たような姿の人がいた。

 いや、よく見れば全然違う。今にも壊れそうに見えて、本当は芯の強いまっすぐなひとだった。拳をにぎれる側の『人間』だった。

 わたしとは違う、おひさまの下だけを歩くために生まれてきた人間だった。

 

『ボクはハオン。——ほんのちょっとだけでいいから、ボクと生きてみないかい?』


 その時、わたしの中になにか得体のしれない感情が流れ込んでくるのがわかった。それがなんなのか、理解できなくて怖くてたまらなかった。知ってしまえば、いまのわたしでいられなくなると思った。今まで経験したことのない恐怖が、わたしを満たした。でも、すぐにそんなのどうでもいいことだと思った。なにも感じずに生きよう。いつ死んでもいいって思ってたんだから、気にしたってめんどくさいだけ。


 ——この世界の中はクソなんだから。


『イヤなこと考えても仕方ないよ、ここはポジティブにいこう!』

『笑顔に勝るものはないんだよ? 尊敬してる先輩の教えなんだ。だから笑顔でね!』

『あらら、またやっかまれちゃったな……まあ、こんなの誤差だよ誤差!』

『親友と約束したんだ。みんなが笑顔でいられる世界を作ろうって。だから、もうちょっとだけでいいから、その夢に向かって歩きたいんだ!』


 わたしが嫌いな悍ましいきれいごとを吐き散らす人だった。

 この世界に生まれて、よくそんなことが言えるなと軽蔑してしまうことばかり口にしていた。顔をしかめずにはいられないほど――まぶしかった。


 どうしてか、嫌いにはなれなかった。わたしを支配する理不尽より嫌いなのに。

 目を離せなかった。理不尽に抗うために握られた彼の拳が。

 いつまでも見ていられる気がした。なんで? どうして?


『ちょっとくらい、笑顔でいられる幸せな時間があってもいいんだよ』


 ああ……わたし、この人のことがどうしようもないくらい好きなんだ。

 誰かを愛そうなんて思ったことなかったからわからなかった。知らなかった。

 わたしの嫌いな言葉を語るこの人が愛おしいと感じる矛盾。

 わたしはそれを理解することを恐れていたのだ。


『最後くらいっ!! "オレ"をどうしようもないクズにさせてくれよォォォォォ!!』


 だけど、それに気づいたときには手遅れだった。

 いつか限界がかならずくることを。そうなったときが一番悲惨だということを。

 わたしはこうなることを知っていた。知っていたのに目をそらし続けた。


 ――盲目であり続けてしまった。


 そうして彼の、ハオンの心はぼろぼろになった。どんな理不尽に侵されても握られていた彼の拳が、よわよわしく開いた。彼はきっとここで死んだのだ。

 このクソみたいな世界に――愚かなわたしの盲目に殺されたのだ。


「だから――これからも、盲目に彼を愛そう」


 彼に寄り添うと決めた。この世界の全てが彼を嫌っても、わたしだけは彼を愛そうと誓った。どれほど許されざる罪を犯そうとも、共に分かち合い共有し、彼の隣に立ち続ける。ハオンだけの味方になる。

 わたしは彼にすべてを与えてもらった。今度はわたしのすべてを彼に捧げよう。

 この愛のために、少しだけ色のついた世界を生きていこう。


『あなたは、盲目でありすぎた』


 そんなこと、自分が一番わかってる。


『自分にできない暖かな優しさに甘えて、無意識のうちに自分に妥協案を作って、それに従ってきただけ』


 なにもかも持って生まれてきたくせに。なにも失ったことないくせに。

 圧倒的な強さを持って生まれたから、正しく生きられただけのくせに。

 自分が正義になれるから、何もかも自分好みにねじ曲げてきただけのくせに。


『自分が守られる立場だったから、自分には彼を救うことはできないと決めつけた』


 わたしだって、できるならそうしたかったッ!!


 そう在れるならどれだけよかったかって、今でもずっと思ってるッ!!


 でもわたしにはどれだけ足掻いても無理だったッ!!


 わたしがそれを叶えるためには、世界を滅ぼせるくらいの力が必要だったッ!!


 この生き地獄を歩くには、自分が持っているものを潰さなきゃいけなかったッ!!


 だから盲目で在り続けたっていうのにッ!!


 旧獣と徒党を組んで弱者を虐げるイカれた女が、耳障りな綺麗事を吐くなッ!!


 だからどうか、誰でもいいからッ!! ここで死んでいいからッ!!


 あいつを殺せる力をわたしにくださいッ!! 世界を滅ぼせる力をくださいッ!!


★ ★ ★ ★


 神能というものは、数多の『未知』を有している。

 法式のように夢力を使用する等価交換のような、有るものを別の事象に変換するわけではなく、正真正銘、不可能を可能にする奇跡の力。

 代償は必要とせず、ただ使用者の自由意思で能力を発動させ、乾いた笑いしか浮かばなくなるような圧倒的な力を振りまく――絶対的な天上の御業。


 分かっているのは、神能は間違いなく『旧獣』由来の能力であること。

 旧獣以外の神能所有者が世界人口のわずか十パーセントなのに対して、旧獣はもれなく神能を有している。

 神能は世界中の有識者から日夜、あらゆる説や理論が考察されており、世界から贈られた生命へのギフトという説もあれば、神能は臓器のようなものだと考察されることもある。


 そして、神能には必ず『銘』というものが存在し、それは所有者が生まれたときからなぜか、記憶に刻み込まれている。

 『銘』はその神能の力に由来するもの、所有者の本質を体現するもの、または所有者の末路を記すものなど多種多様に存在している。


 少し長く面倒な説明になってしまったが、要するに――性能が神的病的なレベルでバグったチート能力だと思ってくれれば、それでいいだろう。


 そして、神能には必殺技のようなものが存在する――それが『神核解放』。

 神能は持ち主の才能に応じて、必ずブレーキを掛けなければならない。

 そうでなければ、文字通り神の領域に踏み込むこの異能は持ち主を破壊する諸刃の剣にもなりうるからだ。

 そのブレーキを取っ払うことで、神能が出せるすべての力を解き放つというのが、この『神核解放』であり、己の完璧な神能を理解し、それを十全に扱える才能があってこそ成立するまさに才能の最奥。


「ああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 アリナ・ランチェスターは不完全な出来損ないの神能を理解し、それを十全に扱える才能を持って奇跡を起こした。


 ――そう不完全な出来損ないの神能を使ってだ。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 その夢力の塊はまさに巨大な大量破壊熱線。

 直撃すれば、地球ほどの大きさの惑星を九つまとめて無に還すその威力は、肉体を一瞬で崩壊させ、跡形もなく消滅させていく。


 これは身の丈に合わぬ力を欲した者に与えられる『不到魔砲(ランブダイン)』である。


 一度限りの命を代償にした大規模な攻撃はエリシアに直撃し、光が都市を――世界を飲み込んでいく。自分を見上げていた敵に向けたことで大地が破壊されることはなかったが、空に浮かぶ小さな星々が二十七も消滅し、その先にあった高い建物は塵も残さず消滅した。


(ああ………………)


 薄れゆく意識の中、愛する人の横顔が浮かんだ。


(ハオ、ン……あい、して――――)


 消えゆく愚かな弱者の命。本来なら輝くことなく物語の登場人物にもなれないような存在のわずかな灯。誰からも苦しみを理解されず、観測もされなかった魂。


 ――さようなら、哀れな不届き者。身の丈に合わぬ希望を識た者は、ただ死ね。


「――〈ゴモガン〉、螺夢変形(チェンジ)」


(え…………?)


 目が潰れるほどの光の中から、丸い黒色の球体がアリナの体に当たる。

 とめどなく体にぶつかるいくつもの球体は崩壊するアリナの体を癒した。

 神核解放によって放射された夢力の光線は、今も絶え間なく空に放たれている。


(う、そ…………)


 朦朧としていた意識が元の状態に戻っていく。信じられない、信じたくない。


(神核解放に耐えながら、わたしの体を癒してるっていうの……?)


 やがて光が収束し、街が元の暗闇に包まれる。

 変わったのは周囲が更地になったこと、月が一層と輝いたこと。


「……すごいね、こんなに夢力を使ったのは、ひさしぶりだった」


 そして、無表情な顔をしたエリシアの服がぼろぼろに破けたくらいだった。


(…………!!)


 何度、目の前の怪物に驚かされればいいんだろうと、は思った。


「……メルチーでてきて」


 エリシアは今もアリナに治癒を施す弾丸を放ちながら、指を鳴らして一匹の面妖な模様をした蝶々が現れた。

 蝶々はすぐさまアリナの体にとまると、怪しげな光を発して、ぼろぼろになったアリナの肉体を癒していく。


「まさか神核解放まで使えるなんて思わなかった。あなた本当にすごいね。飛び級制度なんてないけど、冒険士になるなら、いますぐ『銀鍵』になれる」


 賞賛の声と共に、無機質に銃弾を放ち続けるエリシアの姿はどこか不気味だった。


 ――冒険士、『引鉄語り』のエリシア。


 『道楽者』ランベルト・カーターの元『パートナー』として名を馳せ、前代未聞の二か月で『金鍵』に成りあがった偉業を持つ――常識外の大天才。

歴代の冒険士の中でも、文句なしの夢力量と手数を持った完全無欠の存在として認知され、完璧な神能と最高位の法式を扱う彼女はその容姿も相まって究極の美姫とも揶揄されている。

 『特選冒険士』になることは確実視されており、その偉業として最も有名なのは、『五大死獣』の一角である、『暴死獣』テルテ=ラトランの討伐。

 旧獣と仲良くなろうとする正気の沙汰とは思えない行動に目を瞑ってなお、その偉業が色褪せることはない。



 まさに――完全無欠百花繚乱天衣無縫、只人の身にて敵う道理なし。



「――おいおい、服がボロボロじゃないか。夢力を服に纏わせなかったのかい?」


 そうしてずっと撃たれ続けていると、後ろから不健康そうな顔をしてくたびれた白衣を着た女が姿を現した。


「ラミナ、きてくれてありがとう。それはとっさのことだったから、そこまで間に合わなかっただけ。この子がすごいだけだよ」


「そうか。それにしてもまあ、本当に凄いな君は。どうしてあれをまともにくらって服以外、無傷なんだ? 弱い『超越種』を余裕で殺せる威力だったのに」


「この力のせいで苦労もあるし、おあいこだとおもう」


「……それもそうか」


 感情の起伏を感じない会話劇に興じながら、治癒士のラミナ・ヴェイトリーはアリナの元までやってくると手を出してアリナの体を撫でるように触れた。

 すると、触れられた箇所にあった怪我が綺麗さっぱり消えてなくなった。


「っ!!」


「ああ……驚かしてすまないね。私のこれは『神の治癒手(トゥレイト)』といってね、手で触れた対象のどんな病気や傷を即座に治癒するという神能なんだ。まあ、『色彩病』のような特殊な病気には聞かないんだけどね。死体になっていない限りはまあ……大抵なんとかなるものだよ。分かりやすいのだと、がんとか治せるかな」


 ただれた皮膚やむき出しになった骨も肉で覆われていく。

 それは疑いようもない超常的な奇跡だった。


「……どぅぃ…………ッ!!」


「あまり喋らない方がいい。喉が治ったからといって、今まで使ってなかったんだからすぐに会話なんてできるわけないじゃないか。初めては恋人との語り合いか法廷や尋問のときにでも使ってくれたまえ」


 のどにあった痛みも消えてなくなっている。あの村にいた頃、同い年の子供から石を投げられた際に失ったはずの、のどが戻っている。


「――それじゃあ、おやすみ。あとはすべてが終わるまでゆっくり寝てて」


 凍えるような瞳がアリナの心までも凍てつくさんとする。

 アリナは想い人の顔を延々と思い浮かべながら――沈黙した。


「さてさて、これでこの事件は幕引きだろうな。お手柄だよエリシア。毎度ながら、君には驚かされてばかりだな。君ほど完璧な存在を、私は知らない」


「……わたし、完璧なのかな?」


 ラミナの言葉にエリシアの声のトーンが一段下がる。

 それはまるで、自分に対して不安な子供のようだった。

 いや、実際彼女の年齢は十七歳。まだまだ立派な子供だろう。


「……あーそうだな。少なくとも私は、どんな時でも君が選択を誤ったとは思ったことはないよ。治癒士や医者だったら、間違いなく名医って呼ばれてるよ。私が君になれるのなら、私は過去に戻って『記憶にない娘』を救いたいからね」


 大人であるラミナはなぜか少し気まずくなった。フォローにもなっているかも分からない言葉をとっさに吐いてしまうくらいに。

 自分で彼女を褒めた手前、綺麗事や強い言葉を使って、自分を厳しく戒めるエリシアの生き方がどうにも気の毒に思えて仕方がなかった。

 ラミナにはそんな生き方、到底できない。ずっと、正しくあるなんて不可能だ。

 いつか来るかもしれない自らの信念を捻じ曲げるような出来事が起こったとき、彼女は一体、どうするつもりなのだろうか。

 まあ、私に彼女の本心なんて崇高すぎて私に理解できるわけないかと、ラミナは思考を仕事の話に切り替えることにした。


「まあ……なんだ。ハイト君ももうじき決着がつくみたいだ。後始末は私がするから、彼のところに行ってやってくれ。『パートナー』なんだろう?」


「うん……わかった」


 エリシアはラミナの言葉に素直に頷くと、ラミナとすれ違うように歩き始めた。


「ラミナ」


 ふいに隣でエリシアが立ち止まった。


「……なんだい?」


「わたしも過去に戻れるなら、取りこぼしたものぜんぶ取り戻したい」


 そのままエリシアはポーリを呼び出してカンニョスが顕現した方へ飛んで行った。

 静寂がこの場を支配していく。エリシアの言葉が、ラミナの脳内を反芻していた。


「……そうか、そうだな。――みんな、平等に失ってばかりだったな」


 それがこの世界の本質、簡単に説明できる解答。


「どこで散れば、この悪夢は華々しくなるんだろうな?」


 ラミナは空を見上げた。

 この夜空のように世界は暗闇に染まっている。

 いつかこの世界が照らされることがあるのだろうか。

 分からないが、一つだけ絶対なことがある。


 たとえ夜明けが来る日があったとしても、私はそれを見ることなく死んでいるだろうから。



『――感傷に浸っているところ申し訳ないが、その少女は私が面倒を見よう』


 突然、機械で加工されたくぐもった声がラミナの耳を刺激した。


「――⁉ それは『創明卿』の……プレラーティが作っ――」


『しぃぃぃぃ…………』


 そこにいたのは、全身真っ白な包帯をぐるぐるに巻いてボロボロの白い布地の纏った怪しさ満点の人物だった。

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ドリームトリップ—DRe:am Trip― 黒種恋作 @kusunokiren

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