観測18 『世界一の嫌われ者』


 二〇三三年八月五日二〇時〇〇分、ダイラム商業区プライスン通り。


「それで? ナニカ感想でもあるなら聞いてやるが?」


 ハイトの眼前に、自我を獲得して初めて心の底から嫌いになった男がいた。


「ああ、気分最悪だったよ。悪かったね、たしかに僕は世間知らずだったよ」


「フーン、無知であることが罪であるコトをようやく理解したワケだ。……なあ、険悪だった人間が唯一簡単に和解する方法があるんだが、シッテルか?」


 流石に分かるよな、と首を振ってハオンは尋ねてきた。


「……共通の敵を作ることか?」


「アア、その通りだ。学校とかでアルだろ? ケンカしてたガキ共が先生に怒られて、結果なぜか先生を悪にしてガキ共は仲直り……ミタイなの。世の中なんてそんなモンで、ナニかアッタラとにかくワリィヤツを作ル。その点、別人ってのは都合いいよな? 人間だからヨワいし臆病だしサカらわない。旧獣に復讐なんてできない。勝てるワケがない。だからマトにかけられる! だからよォ……それならそれ以上の"敵"ってヤツがイればいいんジャネェかと思わねェか?」


「だから無差別に罪もない人巻き込んで殺してもいいって言いたいのか? 別人よりも恐れられる敵――世界一の嫌われ者になって、寄ってたかって自分を攻撃させようって? 本当にクソだな、オマエ」


「アア……正直な? バカな解答だって自覚はあるゼ? でもな、いつまでも小難しく考えたってムダだってワカッたんだよ。このクソまみれの世界で、もうガマンする気はねェ。残りの余生くらい、クソみてェなワガママさせてもらうわ」


 それは突然のことだった。ハオンが片腕を天へ掲げ、指をパチンと鳴らしたと同時に周囲を飛び回っていた旧獣たちが全員苦しみ始めた。尋常ではない苦しみの咆哮と共に旧獣たちは肉体を変化させ、やがて一つへ混ざり合っていく。

 それはまるで獅子のように猛々しくあり、人智を超えた悍ましい悪意の集合体。

 製作者の憎悪を体現したその姿は人間でも神を産み出せることを証明していた。


「コイツはヒトが造り堕とした旧獣であり神だそうだ。弱者を救済するため、あらゆる物質を混ぜ込んだ結果、その罪過によって神能を獲得した。スゲェよな? かの『創明卿』ですら、無能に神能をつけるなんざできてねェのに、なんとビックリ、コレはその成功例だ」


『ギャイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』


 街を覆う怪物の咆哮が浸透する。それはまるで悲鳴のようにも聞こえただろう。悍ましさの中に混ざるその嘆きにはどのような意味が込められているのだろう。

 そもそもこの悲鳴は——本当に悲観的なものなのだろうか?


「『歓喜する麗しき救済された弱者』、カンキニョスってのがコイツの名前だ。元々弱者と軽蔑された存在をブレンドして調整した人造の旧獣シムハナ。それをさらにかけ合わせて配合した存在……ワカリヤスイ説明だろ?」


「救済だと……? これのどこが救済なんだ!!」


「別にオレが造ったワケじャねェから知らねェよ。ただアイツには……『ピック』には、これが救われた存在だとしかもう認識できねェんだよ」


 カンキニョスが喜びの悲鳴を上げる。この矛盾した二つの言葉が交わっている表現こそ、対義や類義したものを織り交ぜて誕生したカンキニョスに相応しい。


「コイツの神能は単純だ。——どんなものでも自由に支配できる念力とどんな攻撃でも殺せない不死性。あとは……勝手に想像してろ。オマエと戦うのメンドいから、バケモノ同士でヨロシクやっといてくれ。もしオワったら、オレが相手してやるよ」


「…………そうか」


 ハオンの言葉を合図にカンキニョスは痛みに悶えるように身体を震わせながらハイトに向かって降臨する。

 天から地へと向かうその姿はまさしく厄災に他ならず、周囲にある神能によって浮かされた瓦礫の山や大地が彼の者の到来を祝福していた。


「どうか安らかに眠ってくれ」


 ハイトが銃を構えるポーズをとると、黒い小さな『泥』の塊が指先に顕現した。混沌と調和を象徴するその『泥』はハイトの指先から離れ、カンキニョスへと一直線にのびていく。


「おいおい、いくらテメェの神能があらゆる神能や法式を消すからって、ソリャア豆鉄砲すぎだろ」


 呆れるハオンの声をよそに泥の弾丸はカンキニョスの身体を貫いた。だが、カンキニョスには攻撃は通らない。カンキニョスはハイトのように怪我が再生したりするのではなく、そもそも怪我を負わない無敵の肉体なのだ。

 これはどんな神能でも法式でも攻略不可能であり、カンキニョスはかの『特選冒険士』や『五大死獣』にも引けを取らない怪物を産み出すことを目的にして創造された存在。

 ああ——否、一応弱点はあるにはあるが、それは創作者ですら知らないものだ。

 だからその弱点に気づかなければ倒せない。

 その————はずだった。


『ギャイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?』


 だがカンキニョスの肉体はまるで油を注がれ、火をつけられたように燃焼した。その苦しむ様は元々あったカンキニョスの生態にあらず、純粋に耐え難い苦痛を与えられた反応だった。

 本来ならカンキニョスは二種の対義や類義といった特性を重視しすぎたため、それに適応しやすくなっている。そのため神核級の性質が全く異なる攻撃を同時に当てれば、それに適応してしまうため攻撃が通るというのが唯一の弱点なのだ。


「――おいおい、冗談キッツいな……」


 その光景を見たハオンの表情が驚愕に染まる。

 袂を分かったとはいえ、誰よりも尊敬し、誰よりも親愛した"最愛の親友"。

 もう過去には戻れなくなったからこそ彼女の産み出した作品は創造性が更に極まり、道徳観念を捨て去ったからこそ不可能だった事象を可能にした。

 何もない世界から神格を産み出すという誰にも真似できない神業を。

 これが今回用意した"最後の奥の手"ではないにしてもこのような片手間感覚で倒されていい代物ではないというのに。


「クソがよ……ケッキョク力さえあれば、思いのままに振舞えるってワケか……」


 そのまま周囲に黒い炎をまき散らしながら、カンキニョスは生命活動を停止させる。炎が街へと降りかかり、その光景は世界が破滅する一歩手前のようだった。


『——ァ—い———ガ——と——』


 カンキニョスから悍ましい怨嗟がこもったような悲鳴が響く。

 人造の神格は死の間際に何を言い残したのだろうか?

 それが何かはきっと誰も理解できない。

 だが、これは間違いなく不可能を可能にした奇跡——救済だと言えるだろう。

 どうか彼の者らに安らぎがあらんことを。


「似たような怪物は一匹で充分だ。それで? ――他に何か言うことはあるか?」


 ハイトがそう吐き捨て、二人の視線が交差する。ハイトが見たのは『泥』と同じように黒く濁りきったハオンの瞳だった。もう何もかも諦めて、どうにでもなれって諦観して、ただ己の破滅だけを望んでいる卑屈なその表情がとても気にくわない。


「ハッ……やっぱ楽はスルもんじャねェな。——最後はいつもテメェ自身ってか?」


 ハオンは世間から忌み嫌われる化け物のような顔で不器用に笑い、懐から白色の手帳を取り出した。

 ハイトが前に見た時よりも傷んでいるその手帳は別人が『人』であることを示す証、別人承認手帳だった。

 ハオンはそんな命と同意義のある代物を——炎の中へと放り投げた。


「――!!」


「さて、バケモノ退治だ。冒険士サマは醜悪なバケモノから街を護れるかな?」


 ハオンが腰に携えた二刀を引き抜き、洗練された美しい動作で構えを取った。

 たかが刀を二本取り出して構えただけ。

 だというのに、それが血のにじむような研鑽によって培われたきた彼の栄光であることは疑いようがなかった。

 目の前にいる男は紛れもない強者だ。


「――ナメやがって」


 だがハイトはそれを理解したうえで、今も自分がコケにされていることも理解した。すぐさまハイトも続くように剣を引き抜く。


「バケモノ? お前は駄々ばっかこねてるだけのおっきなお友達のことをそう呼んでるのか? かっこつけるのも大概にしろよ。今から負けるんだから惨めになるぞ?」


 刹那、二種類の鉄が擦れる音が街に響いた。

 それは開戦の狼煙であり、力比べの押しつけあい。

 "門鍵より導かれし主人公"と"望んで堕ちた希星"。


 ――二つの光が交わった。

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