観測16 『6の衰退、7の完全、8の救い、40の試練』


 この感情はなんなんだろう?

 頭をぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、正解も不正解もない答えを考えさせられている。

 誰が正しい? 誰が間違っている?

 そもそも"正しい"ってなに? "間違い"ってなに?

 どちらが本当に大切なものなんだ?


 ――オマエゴトキガソンナコトヲカンガエルナ。


 "そんなの決まってる、どっちも大切なものだよ。" 


 誰の価値観と基準でそんなことが成り立っている?

 誰にもそんなものを創る権利はないというのに、誰かが秩序(それ)を組み立てなきゃ成り立たない世界。

 平等なように生まれてこれるのに、生きるためには平等であることが破滅にしか成り立たないようできてる世界。

 努力しても絶対報われるわけじゃないし、悪事を働いても絶対の報いなんて存在しない世界。強さという差で全てが決まってしまう残酷な世界。

 そんな地獄みたいな世界に意味なんてあるのだろうか?


 ――オマエニセカイニアルモノノカチナンテワカルワケガナイ。


 "この世界には意味がないものなんてひとつもないんだよ。"

 

 浅はかな思慮で誰かを傷つけてしまう"僕"は何者だ何様だ?

 関わらなければよかったのか?

 目を背けて自分のことだけ意識すればよかったのか?

 それとも大勢と同じように振舞って合わせればよかったのか?

 偽善者であるよりも、大衆であった方がよかったのか?

 僕も同じように脳を殺しておけばよかったのか?


 ――ヒガイシャヅラカ、キュウセイシュキドリノオマエニオニアイダナ。


 "それは違う、そんなのきみ自身で決めていいに決まってるじゃないか。"


 助けたかった、でも助けられなかった。僕が気を抜いたから、弱いくせに出しゃばって声を荒げて癇癪を起こすことしかできなかった。そうだ、自分で分かっていたはずなんだ。

 どんなことがあっても"死なない"僕の言葉に重みなんて産まれない。

 そんなやつの言葉が、いつ死ぬかも分からない恐怖に怯えながら生きていて、大切なものを奪われた人たちに響くわけがないのに。

 僕は無意味で無価値でちっぽけな存在なんだ。


 ――アタリマエダロ、オマエハモチアゲラレタダケノムノウナンダカラ。


 "友達や仲間のために声を出せる人が無意味だなんて言わないでよ。"


 全部あいつの言う通りだった。あいつは全てを理解していたから僕を糾弾してきた。あいつはなにも間違っていなかった。あいつの言ったこと、行ったこと全てをもう否定しようなんて思えない。逆にそれを正しいことだと思う自分がどこかにいた。

 本当の罪はきっと人間の決めたルールのどこにも書かれていない。そんなの誰も知らないから教えてもくれない。だからきっとこれは罰なんだ。

 僕はきっと同じ過ちを何度も繰り返す。間違ってはいけないのに。


 ――イマモムカシモソウヤッテ、アヤマッテナンマンニンモシナセテキタモンナ。


 "間違いは悔やむものであっても、自分を卑下するために使うものじゃないよ。"


 僕には誇るものなんてない。過去も未来もなんにもない。

 叶えたい夢もないし、辿り着きたい目標もいない。今日まで方角も分からず突っ走ってきただけの愚か者だ。みんなが当たり前のように持っているものを僕はどこかに知らずに置いてきた。空っぽの存在だからそれを埋めたくてしょうがなかった。

 そんな利己的な感情しか持ち合わせていない、恵まれている他人を羨むことしかできない僕は誰よりも苦しまないといけない。


 ――アタリマエダ、コレハオマエガウケルベキサバキデムクイナンダカラ。


 "たとえどんな過去があったとしても、だからって不幸になっていいわけない。"


 ――オマエガシアワセニナルコトナンカダレモノゾンデナイ。


 ――オマエハコレカラズットコドクダ。ユルサレルコトハアリエナイ。


 ――ソレガ"セカイ"ガアタエル"スイタイシタモノ"ヘノサバキダ。


 "違う、彼は衰退したんじゃない。勇気を出して新しい別の道を踏み出したんだ。"


 ……さっきから聞こえるこの声はなに? きみたちは一体だれ?


 ――オレハオマエダ。ノゾンデモナイノニオマエガヨウイシタニゲミチダ。

 "僕らはきみだった者であり、もう全くの別人だよ。"


 ――ダレヨリモジブンノコトガキライナオマエノヒガイシャダ。

 "どうか僕らのことは気にしないでほしい。僕らは歩みを止めた敗走者だよ。"


 ――オマエガイルカラダレカガシヌ。オマエノソンザイガダレカヲクルシメル。

 "きみは祝福されて生まれてきたんだ。何も気に病まなくていいんだ。"


 ――ホンキデシアワセニナッテイイトオモッテイルノカ? クズノブンザイデ?

 "生命の誕生は紛れもない福音なんだ。幸せになっていいに決まってるよ。"


 ――フザケルナ、オレハオマエガオナジヨウニクルシムヨウイノルヨ。

 "僕はきみが生まれてきてくれたことを心の底から祝うよ。"


 ――カゾクモトモダチモナカマモジンセイモウバッタオマエガユルセナイ。

 "きみの思うがままに、きみだけの物語を謳歌してほしい。"


 "きみはもう自由なんだ。きみ以外の何者にもならなくていいさ。"








 "――だからどうか後悔のないようにね? 僕みたいになっちゃだめだよ?"


★ ★ ★ ★


 二〇三三年八月五日、一八時三六分、ダイラム商業区某所。


「――きて、起きてハイト!」

「――あ?」


 目が覚めるとそこは日は沈みかけた朱色に染まった世界だった。

 空が黄昏れ、街全体が薄暗い闇に包まれる準備を始めていた。


「……エリシア?」

「よかった、目が覚めて本当によかった……!!」


 どこか自分に言い聞かせるようにそう呟きながら、エリシアは僕の顔を見てほっと一息をついた。こんなに表情が動いているエリシアを見ることはめったにお目にかかれない。……いや、今はそんなこと言ってる場合じゃないか。


「――ありがとうエリシア。それで、今はどんな状況?」

「――――ハイ、ト?」

「?? もしかしてあねさんから聞いてなかった? さっきまで昨日絡んできたあの二人がいたはずなんだ。"アイツラ"はどこに行ったの? どうせ、またどこかで騒ぎを起こしてるはずなんだ。――――居場所を知りたいんだ、今すぐに」

「――――」

「あのねぇ……目覚めてすぐになんかのポンコツ機械みたいに無表情で他人をみるんじゃないよ。普段のエリシアなんて目じゃないくらいだよ」


 呆然と口を開いたままのエリシアの横であねさんことウルが呆れた声で僕を見上げていた。


「ああ……すみません、寝起きなんで。まあ、気にしないで頂けると助かります。それよりあの後どうなりましたか」

「周りを見な。気が済むまで殺しまくった後、また雲の子散らすように帰っていったよ。あの子、話が固いから端的に言うとね。"――また夜来るから震えて待ってろ"だとさ」

「…………そうですか」


 周りに目を向けると、『鍵』を身に着けた冒険士が何名か遺体だったものを燃やしている姿が見えた。近くに小さな小物を一箇所にかき集めて山のように積まれているのが見えた。リバークのせいで死体を残せないから、代わりに遺品を遺体として扱うことは有名な話だから、おそらくそれだろう。

 その数から本当に"アイツラ"がやりたい放題やったことは明白だった。


「本当に男も女も子供も老人も関係なしか。これが本当の平等ですとでも言いたいわけか。――ふざけやがって」


 拳にぐっと力がこもる。苛立ちが隠せない、隠したいと思わない。

 だんだん心を侵食していく黒い感情。こんなのは初めてだ、経験したことがない。

 僕が僕として生まれ出でて、初めて感じた人間なら誰もが産み出す感情。

 なるほど――特定の誰かを"だいっきらい"になるってこんな感情なのか。


「…………マコ―――」


 少女が命を散らした場所に目を向ける。

 こんな僕にもできた護りたいと思える少女の残骸は、黒く焼かれ、煤のついた布の切れ端と形のない骨かどうかも分からない燃えカスだけだった。


 それに比べて自分のこの身体はなんだ?

 少女と全く同じ傷を受けたはずなのに、その痕跡すら残っていない。

 いや、残っているものが一つだけあった。あの顔を見ただけで嫌悪しかもう抱けない男にたたき切られた"古い頭蓋"だ。


「――なるほど。切り離された肉体がくっつくとかじゃなくて、新しい顔が肉体から生えてくるのか」


 僕はその頭蓋を持ち上げ、自分の顔だったものに刻まれた表情を見てようやく理解した。これは紛れもなく僕の"写し鏡"であり、絶対に忘れてはいけない原罪だ。


「じゃあ今はたたく前の準備期間で、街の人の避難とか諸々の準備を整えてる最中ってわけだね? なら、今すぐ行きたいところがあるんだけど言ってもいいかな?」

「うん……ん? 行きたいところ?」

「あーね。リーン通り6番地『佯狂者の楽所』134号室だね?」

「……どこでその場所のことを聞いたの?」


 ウルの言葉に僕は顔を縦に振って頷いた。その時、ほんのわずかだがエリシアの表情が変化した。それは明らかにウルの発した言葉に覚えがあるような反応だった。


「……どこでって、あの二人組に言われたんだよ。"あの場所を見て、まだオレの前に立てるって抜かすならソン時は相手してやるよ。"そうアイツに言われたんだ」

「……そっか。なら――」


 エリシアが沈黙する。何か考えこんでいるのかその場で立ち止まって、表情を小さく変化させている。やがてそれは何か決意に満ちたような姿に変わった。


「なら、本当はだめだけど、あそこにはいってもいいようわたしがなんとかする。――その代わり覚悟してもらう。そこにあるのは気分のいいものじゃないし、今のハイトには早すぎるものだから」


「うん。――――アイツの前に立つのに無駄なしこりは全部取り除いておきたいからね」


★ ★ ★ ★


 二〇三三年八月五日、一八時五〇分、ダイラム商業区リーン通り6番地『佯狂者の楽所』134号室。


 そこは薄暗い路地裏であり、廃墟のようなところだった。商業区の中心からは遠く離れたまるで何かを隔離するために作られたようなそんな雰囲気を感じた。

 もちろん壁が剥がれ、修理不可になった今にも潰れそうな茅屋(ぼうおく)があるわけでもないし、ここが放棄された無秩序な地域というわけでもない。

 ちゃんと道路も舗装されているし、少し埃かぶっているはいるが、建物も至って普通でしっかりと建造された頑丈な造りをしていた。

 だが、今まで見てきたダイラムの街並みとは明らかに隔絶した底知れぬ得体のしれない異様な雰囲気がそこにはあった。


「なんだよ……これ……」


 僕らはそんな雰囲気に吞まれながらも目的地である『佯狂者の楽所』134号室を目指した。

 『佯狂者の楽所』は本来なら存在してはいけない所謂、東にある四大国の一つ『ハルメシア神公国』でよくみられるという"パシリカ様式"で建造された廃教会だった。

 エリシアに習った話だと、ダイラムと西友好同盟を交わしている西の四大国『サルナス王国』と東の『ハルメシア神公国』は不倶戴天の仲と呼べるほど仲が悪い。

 

 昔は互いを尊重し、大陸全体で"唯一の国家"として共生し、同じく『神』を信仰していた二つの国。

 しかしとある日、ハルメシア側で『最初で最後の神を驕る異端者』によって引き起こされた『落罪神問』によって一つの国は完全に分裂し、二つの国として互いを嫌悪するようになった。

 神に救いを求めても無駄、最後に己を救えるのは己だけと謳うサルナス王国。

 この世界は神によって救われた、だから神を尊ぶべきと謳うハルメシア神公国。

 こうして互いを否定し、いがみ合う二つの国が生まれた。


「どうして……だよ!!」


 ではなぜ、そんな西からすれば怨敵とも呼べる東の建造物が存在しているのか?

 それは冒険士の存在が一番大きいとされている。

 まず『落罪神問』によって最も被害を被ったのはサルナス側だったのだ。

 今でこそ四大国とまで言われるほど発展したサルナスだが、その時代は国民全員が枯木のように飢え、必要な物資や食料もなく、そこに目をつけた旧獣によって安寧を奪われ、法も秩序もなく――奇跡なんてもってのほかだった。

 そこに現れた人物こそが『創りの冒険士』。

 彼は神に頼り切っていても意味はない。結局最後に己を救うのは己自身だと説いて、バラバラになったサルナスを一つに纏めあげた。

 そうしてサルナスは『創りの冒険士』によって息を吹き返し、かつての意志を取り戻した。

 サルナスの人々は彼を讃え、敬い、崇拝した。

 だがこれではかえって状況が悪化してしまうと考えた『創りの冒険士』は"公正"であることを望んだ。

 そこで彼はハルメシアからサルナスに最も近いとされる『ルルヴァナ海』に面した土地を拠点とし、サルナスとはお互いに西を支えあう同盟国として同盟を結び、両国の仲を少しでも改善すべく、ハルメシアにサルナスへ続く『入口』を作った。

 その入口こそが『冒険都市国家ダイラム』――最も公正な大地である。


「……旧獣には勝てないからって……こんな代わりみたいに……」


 つまり、ここはその名残りということだろう。サルナスにこんな東の遺産を残しておくわけにはいかない。かといって全てなくなってしまえば、繋がりが途切れてしまう。それを防ぐために教会だったものを集合住宅へと改装。使用目的を変質させることで、ここに遺産を残すことを正当化させた。

 そんな場所に今、僕は立っている。


「――くるって、る……」


 134号室の最奥、そこには一台のベッドがあった。この世のものとは思えない臭いを撒き散らし、それは清潔感のかけらもない。それはまるで存在しない正義を振りかざす者が作った罪人を処罰する断頭台のように見えた。人間の邪悪な部分を一つに固め、悍ましさだけが残されていた。身体が震え、いうことを聞かない。初めてなにか得体の知れない感情というものを僕は知った。


「――――――」


『死ね』『バケモノが』『家族のかたき』『あの世で後悔しろ』『なんで産まれてきたんだよ』『この人殺し』『これがオマエへの罰だ』『にいにをかえして』『街にでてくんな』『地獄におちろ』『当然の報いだ』『くたばれ』『このクソ野郎』『ぜんぶ奪ってやる』『罪を償え』『罰を知れ』『い、い、い、い』『気持ち悪いんだよ』『安心して夜も眠れない』『なんでこの世に存在してるんだよ』『旧獣に惨たらしい死を』『ただオマエラが憎い』『何もかも奪いやがって』『かえせかえせかえせかえせ』『これは正当な裁きだ』『一匹も生かさない』『ざまぁみろ』『なんで平気で全部奪えるんだ』『許さない』『死んだ後も苦しめてやる』『繁殖するなよ害虫が』『ほんとキモイ』『ほんとニクイ』『かたきはうったよおかあさん』『これでやっと死ねる』『仲間も全員殺してやる』『あああああ』『やったやった勝ったんだ』『これは正義の行いだ』『人類に栄光と繁栄あれ!!』


 壁や床、そして天井に敷き積まれた『人間』の憎悪と悪意。

 復讐、呪詛、怨念、怒り、激情、悪意、優越、下劣、達成、報復――数えるのも嫌になるほどの感情が混沌になって最大級の"恐怖"を孕んだ。

 やり場のない果てなき狂気は『人間』の内側に潜むからこそ見えない。

 僕はこの瞬間、初めてその狂気を見た。


 "オマエみたいなのが目に映ると、常識ってモンがどれだけ大切なのかがよくわかる。"


 アイツの言っていたことがまた頭の中に響いた。


 "現実から目を背けるだけの綺麗事をあんなガキに吐いて、恥ずかしく思わないのか?"


 ああ、恥ずかしいよ。そして悔しくて腸が煮えくり返っている。


 "オマエがやったことの本質ってのは、ただの自己満足だ。"


 そうだな、最後まで貫き通せなった以上、紛れもない事実だよ。


 ――もうなにもかもいやになったら逃げ出していいから。


「ハハッ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」


 どうしてだろう、笑いが込み上げてきた。

 自分でも理解できないまま僕はその場で笑い続けた。

 面白くもなんともないのに笑い続けた。


「……どこへ進めば、この悪夢は終わるんだよ」


 ——ハイトが『自由』に生きてくれればそれでいいよ。


「――もう、なにもかもどうでもいいや」


 やがて何もない"無"の笑顔は声という"形"に変わった。


「人間だの別人だの現実だの常識だの――もう考えるのが疲れた」


 自分の意思に反するように吐き出る言葉。でもそれは今までどんな言葉を紡いだときよりも自分の心のうちを言い表していた。


「自分の嫌いなヤツくらい自分で選べるんだ。アイツだけは絶対に許さない」


 そうだ、みんな好き勝手にやってたじゃないか。なら、僕だって同じように好き勝手に振舞っていいじゃないか。気にくわないヤツを憎んで、復讐したっていいじゃないか。僕だけそれが許されないなんてことあるはずがないんだから。


「――マコ。きみにこの声が届いているか分からないけど、約束するよ」


 これを告げて、ようやく僕は満たされるんだろう。

 今まで誰かを見て誰かを羨むことしかできなかった僕が一人で見つけた解答。

 絶対に覆すことのない僕自身で選ぶことのできた選択。

 誰にも邪魔できない僕の決意。


 ――ハイトにはもう、好き勝手に生きてほしい。その権利は絶対にある。


「きみに手向けるよ。アイツの――――――」

「――ハイト、それ以上はだめ。言っちゃだめ」


 そのはずなのに、僕の口は遮られ固く閉ざされた。


「その選択だけは絶対にだめ。それだけはいまのハイトに絶対相応しくない」

「は――――――?」

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