観測9 『ルナティックトロイメライ』
二〇三三年八月四日、二二時四六分、ダイラム西側学術区、自室。
――オキロ。
「——おい、起きなッ!! いつまで寝てんだい!」
「んぁ……?」
顔にふにゃりとした柔らかい感触が伝わり、瞼を開ける。
「やっと起きたのかい、今日はいつもより眠りが深かったねぇ」
「……あねさん?」
ぼやけた視界が世界を鮮明に認識していく。顔の近くにはぷにぷにした肉球があった。辿るように目線を動かすと、真っ白な毛並みを持つ白猫が胸の中にいた。
「あねさん呼ぶな。あたしにはウルという名前があるんだ。そっちで呼びな」
「……あねさんはあねさんですよ。尊敬の念を込めて、そう呼ばせてください。それに他の猫たちからもそう呼ばれてるんでしょう?」
そもそも恩人に無礼な態度は取れない。
彼女はエリシアの飼い猫(旧獣)であり、名前をウルという。姉御肌の知的なメス猫で、僕の恩人の一人だ。
「なんでどいつもこいつもあたしを敬おうとするんだ?」
「あねさんの人柄もとい猫柄に惚れたってことですよ」
「はぁ……慣れないねぇ」
あねさんはやれやれとため息を吐いた。
「じゃあ舎弟一号、事件発生だ。旧獣の大群が来てる。窓の外を見てみな」
「――!!」
僕はすぐさま起き上がり、窓の外を見る。
「――なんだ、あれ」
窓の近くに植えられた木の遥か彼方――商業区の上空に何かが粒となって無数に蠢いていた。数えるのが嫌になるレベルの影たちは遠く離れているにも関わらず、とてつもない存在感を放っていた。まるでどこかの国の軍隊が攻めてきたかのように。
「お~い!! ハーくん起きたんか~?」
「ヴェニさんっ!」
窓の下からなじみのある声が聞こえたので、目を向ける。そこには一台の車――もとい夢動車が停まっていた。銀色の巨大な体躯で横には窓がつけられており、そこからなじみ深い先輩の顔がひょっこりと出ていた。
「寝てたとこ悪いねんけど、お仕事の時間や!! 街中の冒険士が商業区に集められとって、俺らもお呼び出しがかかっとる。はよ、向かわなヤバイから窓から飛びのってくれや!! エンジンとばすでっ!!」
「分かりました、すぐ準備します!!」
僕はすぐさま着慣れた制服やその他諸々の武器一式を身に着け、準備する。
名称『鍵』の剣に予備のナイフ二本を腰につけ、六発まで撃てる拳銃をホルダーに入れて、靴を履き、準備完了。
窓の前に立ったところであねさんが僕の肩に乗った。
「よし、準備できたならいくとしようか」
「分かりました。掴まっててください」
そう言って窓の外への勢いよく飛び出した。そのまま勢いを殺すために木の枝を伝い、何事もなく車のルーフへと足をつけた。
「おはよう、そしてこんばんわ、ハイト」
「おあおー!」
「エリシア! ボーシャ!」
それと同時にヴェニスの座る席の後ろの両窓から二人の姿が現れた。どうやら先に合流していたらしい。
「よしっ、これでみんな乗ったも同然やな! 飛ばすからしっかり掴まっときッ‼︎」
「え? ヴェニさんあねさんと僕がまだ中にはい——」
「エリシア、あたしも中に入れとくれ」
「ん」
エリシアが窓から両手を差し出して、あねさんがそこに飛び乗った。そのまま両手と共に車の中へと入っていくあねさん。僕だけがルーフに取り残された。
「よっしゃ、とばすで〜〜‼︎」
「……え? えええええええええっ〜〜⁉︎」
豪快なエンジン音と同時に車が動き始める。こうなってしまってはもうどうしようもなかった。
「は、はや~~~~!?」
★ ★ ★ ★
『――こちら商業区警備部より『風醒天使』オブリゲート・マルムッチが通信。現在、商業区上空に正体不明の旧獣の群れが出現。およそ千体以上はいること確認され、数の多さから信奉種と推定される。特徴はやせ細った紫色のぶよぶよとした皮膚に骨と構成された翼を持ち、顔はヒトデのような五角の形をしている。見た目通り防御力は低く、剣を軽く一振り、もしくは銃弾を一発当てさえすれば倒せるだろう』
機械から発せられる声が車内から鳴り響く。聞き覚えのない声だが、どうやらすでに現場に到着した冒険士らしい。
『――が、旧獣は自身を起点にしてあらゆるものを浮遊させる神能を保有しており、人間を宙に浮かせてそのまま地面に叩きつける、人間通しをぶつけ合う等の残虐性に特化した行動を取っている。群れであることからも察せられる通り、全ての個体がこの神能を保有するものと考えられる』
『――――!!』
『以上のことから協会の規定に基づき、この事件を三級案件へと認定。討伐任務を『ヨツカド』の名のもとに発令する。討伐時に起きる神能解除の二次被害を防ぐため、飛行能力を持った神能、法式使いを中心に現着した冒険士は旧獣の殲滅へと移行せよ。繰り返す――』
そうして事務的に何度も現場の状況が車内につけられた通信機から発せられた。淡々とした声から発せられる内容は現場の凄惨な状況が容易に想像できる。間違いなく多くの死者が出ているだろう。
「……これ、本当にマズイ状況だよね。街にそんな大群が攻めてくるなんてさ」
「ん、三級って言ってるけど、それはダイラムで起きたから。もし他国で同じことが起こったら確実に一級案件……死亡者数が報告されてない辺り、被害はまだ拡大してないみたいだけど、早く事態を収束させないとひとがいっぱいしぬ」
「それによりにもよって新種って話やしな。解説書なんてあるはずもないし、今の情報だけじゃ、旧獣の能力ぜんぶを把握できたとも言えんから、ホンマに手探りで駆除していくしかないな」
「あう…………」
僕は車の屋根にしがみつきながら、車内にいる三人と会話する。全員が通信機から得た情報をもとに事件内容への感想を述べた。
「この中だと……飛行能力を持ってるのはエリシアのポーリとイブリだけですね」
「ミゼも機動力があるから落ちた人をキャッチできるよ」
「そやな。神能使っとるヤツが死んだら、基本はその効果がなくなってまう。やから人を浮かしとる旧獣をうっかり殺したら、その人がお陀仏や。やから神能を使っとるヤツは基本避けて、殺ってしもたら今言ったみんなに任せよか」
「ん。神能を使ってるかの判断はわたしに任せて」
「いい!!」
エリシアは抑揚のない声で気を引き締めるようにそう言い放つ。
現場での立ち回りを話し合いながら、車は夜の街を猛スピードで走っていく。それは八人くらい乗れる大型車にしては異常なスピードで、今にも振り落とされそうやった。
「……ちょっと夢力減ってきたな。すまんがエリ嬢、チャージしてくれん? どこ触れてもできるらしいから」
「ん、任せて」
そんな会話が車内から聞こえたと同時に、車全体から神秘的な光が漏れ始めた。車を中心に周囲が照らされ、街の風景がより鮮明に映し出される。光源の中心にいるような今の状況は、僕にとって目に毒だった。
―――ウエヲミロ。
「…………あれは――」
夜空を見上げると星々があちこちに散らばっていた。いや、そんなことはどうでもよかった。そんなものが気にならないほど、異様な物体が宙に浮いていたのだから。
「――――!!!!」
星に擬態するように小さく、遠く離れた手も届かないような空の世界に浮くソレは、まさしく人間の姿をしていた。身体の半分がいびつにねじれ、半身を真紅に染め上げていた。
「――――!!!!」
男か女かどうかといった細かい部分は分からない。でも、ソレが僕に向かって何かを叫んでいるのは明白だった。
もはや手遅れにも関わらず、必死に助けを求めるように僕にまだ無事な片腕を差し出していた。
――それをあざ笑うかように身体を上下に揺らすバケモノの隣で。
「エリシアッ!! 車の右ななめ上空!! 旧獣に人が浮かされてッ――!!」
僕は見つけて一秒もかからずに叫んだ。目で手遅れだと理解しても、心の中でまだ助かると無責任に言い聞かせながら、どうしようもないくらい高い所に浮遊させられる憐れな被害者の位置を知らせた。
「――!! ………………」
「ぁ――――」
――死んだ、いま、殺された。
僕が叫んだのと同時に、被害者(ソレ)は無事だったはずのもう片方をぐにゃりの捻じ曲げられ、夜空に似合わぬ真っ赤な球体へと変化させられた。
悲鳴も絶叫も響かないほど遠い場所にあった命は、この世界の不条理さを体現するかのようにいともたやすく破壊された。
その横でケタケタとバケモノがこちらを睥睨しながら、腕のような細い何かをこちらへ向けた。
それは通信機から発せられた特徴と全く同じ旧獣だった。
――ヨケロヨケロヨケロ。
人だった球体が物凄い勢いでこちらに向かってやってくる。流れ星みたいに猛スピードで飛んでくる球体はまさしく死の弾丸。そんなものがあと二秒もすれば車に被弾するのだ。
「――ぶっつけ本番、やるしかないっ……!!」
そう自分に言い聞かせて、僕は球体に重なるよう、天に左手をかざす。あれが飛んでくる要因となっているのは神能、異能の力。それなら僕には対抗する手段がある。勢いも殺せるし、神秘の力で装飾されてしまった以上、人だったとはいえ確実に消滅させられる。救えなかったからこそ、責任は果たさないといけない。だから仕方ない、仕方ない、仕方ない。
――ココロヲケズレ、ソレハフヨウダ。
「――〈パルブラ〉、螺夢変形(チェンジ)」
――突然、流れ星がぱちんと弾けた。
自分が立つ場所の下、車の窓から神々しい光の弾丸が球体に向かって、ぶつかったのだ。球体は光に包まれその場でパアンと花火のような音を立て消滅した。
攻撃が防がれるとは思っていなかったのか、遠く離れた安全圏にいた旧獣は動揺して固まっていた。
「――ふたつ」
無機質な声と撃鉄が鳴り、再び光の弾丸が発射された。星にしか見えないくらい遠く離れた旧獣へと弾丸はぐんぐんのびていき、被弾。何の変哲もない安寧の夜空が取り戻された。
「――ヒット、命中した」
「さすがやなエリ嬢。よう車ん中であてれるなそれ、ほんま尊敬するわ」
唖然としながらも下を見ると、窓から金属の棒の先端がはみ出していた。
それは『夢力を使用して扱う道具』である『星遺物』と呼ばれるものに分類される道具の一種――『法銃』。昼の任務でもエリシアが使っていた特殊な銃だった。
「……別に難しくない。こっちに向かってとんでくるのとぼけっとしてるのを撃ち落としただけ」
「まあ、ロマン武器っていわれとる法銃のライフル使っとるだけのことあるわ。それでなにが飛んできたん? 運転してたからわからんかってんけど」
「ひとだったもの。どうやら旧獣の神能はただ宙に浮かせるんじゃなくて、念力に近いものみたい」
「……悪趣味な性格しとるな。群れ言うとったから、臆病なんやと思ててんけど」
「あいうあ~!!」
「落ち着けボーシャ。気持ちはわかるけど、今おまえに暴れられると、このおニューの車がふっとんでまうねん。ハーくんは大丈夫やったか? なんかケガとかない?」
「えっ、あ……だ、大丈夫です。エリシアが助けてくれましたから!! ありがとうエリシア!!」
呆気に取られていたので、一瞬反応が鈍ったが、なんとか返事を返した。
「ん、気にしないで。それでヴェニス……もっとスピード出せる? 急いだほうがいい」
「おう、問題ないで。さっき夢力も入れてもらったしな。みんなかっ飛ばすから、どっかつかまっといてな。――あ、情報共有しとかなあかんな」
ヴェニスはそう言ってペダルを強く踏み抜いたのか、車の速度がどんどん上がっていく。
「…………」
僕は誰にも見えないのをいいことに拳を力強く握りしめ、震わせた。
結局また何もできなかった。悔しくて仕方がなかった。手も足も出ずただ見ていることしかできない自分が腹立たしかった。僕にもっと力があればよかったのに。なんで『自分の身を守るためだけの力』と『しょうもない小細工しかできない力』しか、持ち合わせていないんだろう。
「……ハイト」
突然下から名前を呼ばれたので、顔を向けるとエリシアが窓からひょっこり顔だけ出していた。
「ハイトが叫んでくれなかったら、対処できてなかった。また異変が起きたらすぐに知らせて」
「……うん、まかせてよ」
「ハイト、思考は止めないで。人は完璧にはなれないけど、助け合って短所を埋めあえるんだから。――もしわたしに対処できないことがあれば、わたしを助けてね?」
「…………うん」
本当になんでもお見通しなんだね、エリシア。
どうしていつもそんな見透かしたように言葉を紡げるんだ。
そうだった、今はこんなマイナスな思考をしてちゃダメなんだ。
「――きみの隣に立てるようがんばるよ」
「…………ハイト」
僕もエリシアのように言葉を紡ぐんだ。そうやって決意を可視化しよう。そうすればきっとマイナスにはならない。
この経験は次に生かすとしよう。僕はそう考えながら、意識を前へと向けた。
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