観測8ー1 『ナイものねだり』
その後、僕らは午後の仕事を終え、それぞれ帰路についた。
僕は代表に「今日からここが家ね」と軽いノリで貰った寮の一室へと戻ってきていた。ここは北の学術区に位置していて、『ジェレマオールドアカデミー』というダイラムで一番有名な総合学校の特待生が冒険士協会から与えられる寮の部屋らしい。
学生じゃない僕がその一室に陣取っていいのかと尋ねると、「年齢不詳だけど学生っぽい雰囲気あるしいいんでね?」と代表に言われたのは記憶にまだ新しい。
幸いなことに、ずっと前から住んでいた寮生のメリィ、バートン、ハロライト、ブーンからはびっくりするくらい歓迎され、管理人のマダムも親身になって接してくれた。
今ではここが僕にとって唯一無二の帰る家だ。
二階にある部屋の中は至って普通で、生きていくうえで最低限のものが置かれている。
机と椅子にベッドに代表が置いていったマンガにエリシアから貰った時計。
最後にアマルタから貰った剣と太陽の首飾り。
これら全部が物に限った今の僕が持つ財産であり、宝物だ。
「――やあ、おつかれさま。ハイト」
「ああ、お疲れ。ナイ」
あたり一面真っ白で鎖が張り巡らされた空間。
そして目の前にいる彼(彼女)もまた、僕にある数少ない宝物の一つだ。
「今日も色々と大変そうだったね~。やっぱりハイトの一日は刺激的でおもしろいね」
「……いつもそうだけど、きみも僕なんだろ? いくら夢の中の存在とはいえ、ちょっと他人事すぎないか?」
「えっ、そうかな? こうしてハイトが寝た後にしか話せなくて、ぼくが直接体験してないからかな……まあ、こうして存在できてるだけありがたいもんだよ」
「……まあ、僕もナイがいてくれて助かってるからいいんだけどさ」
人は夢を見る。これは未来の自分という意味ではなく、眠ったときに見る夢のことだ。僕もちゃんとした生き物ではあるので、夢を見るのだが、必ず見るその夢こそがこのナイだ。
「うわっ! 最初はあんなに警戒してたのに、今じゃそんな風に想ってくれてるなんて……感激で涙がでそうだよ」
自分が女の子ならきっとこんなだろうなという顔ですすり泣くナイ。
性別以外はまるで鏡を見ているようにそっくりな彼女(彼)は、夢の中に産まれた僕だけの味方らしい。
「殺された次の瞬間に僕とうり二つの姿で出てきて、『ここは夢の中。ぼくはキミの味方だよ』って言われて、すぐに真に受けたらそれはそれでやばいやつじゃない?」
「でも、真に受けてくれたじゃん。それにおんなじ顔の方が安心できたでしょ?」
「そのあと『やっぱこっちのほうがよかった?』って言ってその姿になられたら、ああもう流れに従うしかないなって思ったんだよ」
「男はみんなかわいい女の子が好きでしょ? ハイトってものすんごい美形だから女体化したらおもしろいかなって」
「ん……ん、ん? かわいい女の子が好きと僕を女の子にするの組み合わせが意味分かんないんだけど」
「ま、ま、気にしないでよ。それにこうして服も変えてるんだし見わけつけるには十分じゃない」
ナイはそう言って赤、燈、黄、黄緑、緑、青、藍、紫の八色を絵の具を使って乱雑に塗りたくったようなぶかぶかの服を揺らした。
辺り一面真っ白なこの空間では、そんな元気一杯に動くナイと張り巡らされた鎖だけしか存在しない。
ベッドに横になれば見ることのできる夢がこんなに殺風景な場所だとはだれが想像できるだろうか。
本気で夢がナイってこういうことなんだなと思う。
「あ、そうだ、今日はどんな景色がいい?」
「ちょうどそのこと考えてた。花畑とかどう?」
「おっけ~」
そう言ってナイはすぐさま指をパチンと鳴らした。
それに応えるかのように世界は塗り替えられるように変容し、自然の摂理もない様々な種類の花が咲き乱れた美しい花畑の上に僕たちはいた。
「いつ見てもこの衝撃には適わないな。さすが夢、これが何でもありってやつか」
「ふふ~ん、これはぼくが全知全能だからできる芸当なんだ。夢だからのヒトコトで済ますなんて、ハイトはイジワルだなぁ~」
「何もないとこから産まれたからナイって呼んでって、言ったやつのセリフとは思えないな」
「やめて? 今になってその自己紹介ダサかったなって思ってるからヤメテ?」
「そこがきみのかわいらしいとこなんだからいいじゃないか、何を気にするんだい?」
「くそっ、警戒されないためにってわざとすべらせるんじゃなかった。わざわざイヤらしく煽りやがってこのヤロウ!!」
「いや、すべらせなくてよかっただろ」
拗ねてそっぽを向くナイ。本人には口が裂けても言わないが、僕がこんな風に気軽に接せるのは、目の前にいるナイだけだ。本当に感謝してる。
できることなら一緒に現実で暮らしたいが、それは絶対に不可能なことだ。
それくらいの現実逃避、許されてもいいと思うんだがなぁ。
「じゃあお兄ちゃん、今日はどんな悩みを抱えてきたんだい?」
「……多分、一生抱える悩みかな。人を助けるって……難しいんだなってさ」
「あ、まじめな話だ。ごめん……」
そう言って申し訳なさそうな顔をするなら最初からふざけないでほしい。
「ぼくはよくやったと思うけどなぁ。あれ以上のことをしろっていうのは、さすがに無理だと思う」
「でも考えが足りないってのは、そうだな、って思ったんだよ。助けた先のことなんて考えもしなかった」
「考える方がへんだって、そんなの。善意なんて心の余裕の延長線でしょ? やるかやらないかは、気分次第。そんなものにケチつけてくるようなやつは無視すればいいんだよ。ハイトって他人に親身になりすぎ、ほんとお節介だよね~」
ナイはにやついた顔をして、そうなじった。でも、そう言われても仕方がない。
「お節介なのは否定しないし、周りのことばっかり考えてるのも自覚してる。でも、空っぽな僕にはそんな風にしかできないんだよ。だってさ――」
一瞬、躊躇った。話していいものかと迷った。いや、こんなのナイにしか話せないなとすぐさま理解した。
「――死なない僕の言い分って、びっくりするくらい軽いんだよ」
紛れもない本心は、自分以外に打ち明かすのは許されないのだから。
「……そんなことないと思うけど、どうして?」
ナイの表情が真剣なものへと変わった。やっぱり言ってよかったと思った。
「僕は失敗してもやり直せるんだよ。例えどんなことがあってもさ。肉が全部はじき飛んでも復活するこの身体のせいで、説得力が欠けるんだ。みんなが必死に生きるか死ぬかの思いで生活をしてるのに、一人だけ安全圏に座ってるみたいなんだ。仕方がないことなのは分かってるけど、それでもゆるぎようのない事実だろ?」
「……でも記憶のこともあるでしょ? 身体だって望んだわけじゃないし、実情さえ話せば、みんなハイトに同情してくれると思うけど?」
「それだと、ただ他人に甘えてるだけじゃないか。甘えたって根本的なとこは何も変わらないだろ? そうやって頼り続けても、ずっと同じ目で見られるだけなんだ」
それじゃいつまで経っても変われない――エリシアに並び立てない。
「だから僕にとって他人が教えてくれる価値観や信念って、これ以上ないくらい大切な教科書なんだよ。自分がない僕には他人から受け取ったものを大切に使って、自分を探すしかないんだ」
そうすればきっといつか、僕が僕を納得できる自分を見つけられる気がするから。
そうしないといつか、本当の意味で自分を喪ってしまうから。
「なるほどね……くそおめぇな、おい。なんだこれ、地獄か? 今ぼく、とんでもない話聞かされたよね? 多分、家族、親友、恋人にすらしないレベルの話だったよね?」
「……ごめん、正直ナイだから話したっていうのはある」
「えっ!? 今の嬉しい……もっかい言って」
「……ごめん、やっぱ話すの間違いだったね」
結構な勇気を振り絞ったつもりなのだが、いつものように軽い口で話題の方向転換。まあ、いきなりこんな話をした僕が完全に悪いので、仕方ない。
「ま、要するにハイトってさ、自分にないもの持ってるヤツらに嫉妬してるんだね」
「え……?」
自己嫌悪に陥っている最中、ナイが漏らすように呟いた。
「ううん、なんでもない。今のハイトにはまだ早いからね。それより、ハイトの言葉は全然軽くないから安心していいよ。それはハイトの勘違いというか、自分のこと嫌いになりすぎだよ。――ハイトは自分を知らなさすぎてるだけさ」
「……どういうこと?」
まるで意味が分からない。ナイは時折こうして僕のすべてを見通していると言わんばかりの発言をする。
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