観測7ー2 『救世主へ捧げるブルース』


「ア――?」


 ドスの聞いた威圧がエリシアに向けられる。

 僕もエリシアの真意が全く分からない。


「強く言いすぎて言葉の暴力になってる。まるで敵意を向けられたいみたい」

「……急に話し出したと思えば、何が言いてェんだ? オマエ?」


 敵意を向けられたいというのはどういうことだろう。

 男も様子がおかしく、先ほど僕に向けた侮蔑や嘲笑とは違った反応を見せた。

 しかしエリシアは、そんな敵意むき出しの威圧をどこ吹く風といった様子で、無視した。


「人に話すのにそんなに怒鳴りちらしてたら、普通はまともに聞いてもらえないよ? まあ、しっかり聞いてもらえると思ったから話しかけてきたんだろうけど、せっかくいいことも言ってるのにもったいない」


 まるで目の前の男のことを理解しているような言い草で、エリシアは続ける。


「あなたの言ったことは、間違いじゃない。未来って不確定なものをしっかりと予測して考えることは大切。軽はずみなことをして後悔することなんていっぱいあるから。でも、それ以前にあなたの言い分は少し停滞しすぎていると思う」

「……停滞だと?」

「あなたになぞらえるなら、善意の停滞。失敗を恐れるあまり、大切なときに本当に護りたいものが護れなくなる受け身の姿勢。あなたは物事を深く考えられているだけで、思考することを止めてしまっている」

「……ハンッ、想像力豊かな考えなしってことか? オマエ、マジでなにいってんだ?」

「――だってあなた、さっきから自分の失敗を他人に注意して、ついでに自分にも言い聞かしているようにしか見えないから」

「――――!!」


 今、男の纏う雰囲気がガラリと変わった。

 僕でも分かるくらい、男の動揺は明白だった。

 触れられたくない禁忌に侵されて、虚を突かれたようにしか見えなかった。


「……ナマ言いやがって。まるでオレのことを知ってるような口ぶりだな」

「自己紹介もなかったのに、わたしがあなたのことを知ってるわけない。あなたがハイトのことを全部知ったように話すから、私もそれに倣ってるだけ。自分をまったく見せないあなたにどんな事情や過去があるのかは知らないけど、あなたはきっとそれに囚われすぎている。――あなたは何に対して、そんなにも失望してしまったの?」

「――ッ!?」


 男の顔はフードのせいで未だ分からない。それでも肉親の敵かのようにエリシアを睨んでいることは容易に察せられた。

 それくらいの怒りが男に纏わりついていた。


「——誰かを助けるのはこの世のどんなことよりも難しい」


 そんなゾッとような怒りを向けられても、エリシアは全く動じていなかった。


「ありふれた善意が悪意になることもあれば、悪意こそが救いになることもある。人によって求められるものは千差万別で、お星さまみたいにきりがない」


 その通りだと思った。

 救いが必ずしも幸福とは限らない。

 例えば、どこかの誰かに助けられ、死に場所を失った『居残り』と呼ばれる人たちがいる。

 全てを喪った彼らは、この現世に繋ぎ止めた救いの手を恨むこともあれば、自分だけ生き残ってしまった事実に罪悪感を感じて、他人からの悪意を望むこともある。

 その方が楽になれるから。誰もが喪った恐怖から目を背けたいから。


「でも、人は助け合って生きている。大切なものを作って、きれいごとを言って生きていく。現実に打ちのめされるだけの人生なんて誰も望まない」

 

 男のことなんてどうでも良くなるくらい、僕はエリシアの話に聞き入っていた。

 いや、多分男の方も僕と一緒で、この場にいる全員がエリシアに注目していた。


「長かったけど、私がほんとに言いたいことはたったひとつ――ハイトをばかにしないで」


 ――その瞬間、男のそれをはるかに上回る強烈な怒気がエリシアから放たれた。


「なにも知らない礼儀知らずのあなたに、他人の優しさをけなす権利なんてない。それにハイトもちゃんと言ってたけど、あの子の笑顔をみて、よく無駄なことなんて言えるね。この節穴やろう!!」


 その場にいる誰もが、放たれた怒りを実感した。

 自分のために声を荒げてまで怒ってくれている。

 その嬉しさよりも先にやってきたのは、エリシアの人としての在り方を示す言葉の羅列。美しく気高い少女の魅力。

 その姿はまさしく魔性の姫と呼ばれるにふさわしかった。

 本当に追いつける気がしない。

 ——彼女はあまりにも眩しすぎるのだ。


「……クハッ、クハハ、クハハハハハハハハッ!!」


 それに返事をするように、男がその場で高らかに笑い声をあげた。

 おかしくて今にも口から何かを吐き出しそうなくらい笑い転げた。


「オエぇぇぇぇぇぇ――!!」

「「えっ!?」」


 いや、男は本当に口から今日食べただろうもの全てを吐き出した。


「あ、あの大丈夫――」

「――近寄んじャねェ」

「っ――!!」


 胃の中が空っぽになるくらい嘔吐し続けるので、近づいて介抱しようとするが、隣にいる少女に遮られ、男からは冷え切った声で拒絶された。

代わりに少女がとても手慣れた様子で男の背中をさすり、介抱した。


「ハァ……ヘンなきまぐれで、思わぬ収穫ができたな。オマエらフタリ、それぞれ別の意味で、最高だよ」


 疲れ切ったような声で憎悪――何かを憎むために存在する感情を僕とエリシア、二人に向けて放った。


「うざッてェな、ホント。人間のマシなとこしか見せやがらねェ」

「マシなところ……?」


 言葉の意図が分からず困惑する。


「ハッ、心が削がれてないまっさらなオマエじゃ、わかんねェだろうさ」


 男はくるりと僕らに背を向けた。どうやらここから立ち去るつもりらしい。

 横にいる少女も男と同じように背を向けた。


「オレはハオンってもんだ。そんでこっちはアリナ。喉をツブされてるもんで、会話できねェがオレの相棒だ。オマエらは?」

「エリシア」

「……ハイト、です」


 今さらっと衝撃的なことを言われたが、僕らは名前を名乗った。


「名乗る気なんざサラサラなかッたが、オマエらとはまた会えそうな気がするな」

「へんな気は起こさない方がいい。その隠してる刀で憂さ晴らしとかもやめてね」

「ハッ、なんでもお見通しッてか? ウザッたい女だぜ、さすがは冒険士サマだ」

「え……?」


 とんでもないことを口走る二人を交互に見やる。

 なんというか、冒険士になってからしょっちゅう聞かされる超人同士の会話だった。

 今の僕はきっと傍から見れば、少し間抜けな顔をしていると思う。


「……勘違いされたら困るから言ッておくが、オレは恐れてるワケじャねェ。やり方を、思想を変えたんだ。オマエらのガワに立つ気がなくなったんだよ。——誰もやらねぇけど、やらなくちャならねェことをオレはやるんだよ」


 ハオンはそう意味深に呟いて、無口なアリナを連れて人が密集する大通りの方へと歩いていった。

 完全に見えなくなるまで、僕はじっと二人を見続けた。


「……なんだったんだろう、あの人」

「……あの人は、ハイトのことが眩しかったんだと思う」

「え……僕が……?」


 エリシアがゆっくりと頷く。僕にはその意味がちっとも分からなかった。


「ハイトって自分関連にはすごく鈍い。要するに考え方があの人そっくりなの」

「え……? どのあたりが……?」

「優しさとか善性とか人に対する敬意の表し方とか。ほんとうそっくり」

「そ、そうかな……?」

「うん。とりあえずわたしたちも本部にもどろう。ほら、れっつごー」

「えっ!? あ、ちょ――!」


 エリシアに促され、僕は追いかけるようにその場から脚を動かす。

 それから今日一日、ベッドに横になるまで、男のことがずっと気がかりだった。

 いまいちピンとこないエリシアの言葉がずっと頭の中で反芻したのだった。

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