観測6 『本質の片鱗』
そのまま猛スピードで走って、たどり着いたのは、建物が密接した間にある路地裏。
あまり人の通らない区画で、冒険士が巡回にでも来ない限り、大丈夫だろう。
このダイラムでこれ以上の場所は存在しない。
街路はもちろんのこと、下水道、地下都市、挙句の果てには空まで監視が行き届いているのだ。
「ここまでくれば……とりあえず安心かな……」
僕はおぶっていた少女を地面におろし、大きく息を吐いた。
この世界は死が日常に満ち溢れている。
身体は毎日死に物狂いで鍛えてはいるが、それでも息が苦しくなるほど走った。
「だいじょうぶ……?」
そんな僕を見て少女は心配そうに顔を見てくれた。
申し訳そうな顔と不安な気持ちでいっぱいな顔。
初めてこの街に来た時の僕そっくりだ。
――アンシンサセロ。
「大丈夫、大丈夫! ほら、まだまだ走れるから!」
その場で笑顔になって、素早く足踏みする。
手も大きく振って、疲れを感じさせないように振舞った。
「そのお兄ちゃんはびっくりするくらいタフだから大丈夫。それにこの前、風や雷よりも早く走ってたから」
「そうそう、そのせいで風圧が凄くてさ、息がすぐ切れちゃうんだよ」
エリシアも意図を汲み取ってくれたようで、フォローを入れてくれた。
僕はそれに乗っかって、ふざけるような口調で少女を励ました。
「――ふふっ」
どうやらウケは良かったようで、少女は笑ってくれた。
ここまでやり取りだけで、目の前の少女が化け物だと誰が思うだろうか。
そんなのだれも思わないし、あり得ない。
この子はいたって普通の、どこにでもいる女の子なのだ。
――あ、そうだ。
「僕はハイトっていうんだ。そしてこっちは――」
「わたしはエリシア、よろしくね?」
そういえば自己紹介がまだだった。
僕らが名前を告げると、少女はもじもじとしながら――、
「……ワタシはマコっていうの。よろしく」
そう恥ずかしそうに名乗ってくれた。
エリシアと二人揃って「よろしくね」と言うと、マコは同じように遅れて返事を返してくれた。
「大丈夫だった? どこか怪我してない?」
「……ここのとこ、切られちゃった」
そう言ってマコが差し出した左腕からは、赤い血が大量に流れていた。
傷口からして、あの女の出刃包丁で切られたのだろう。
錯乱していて考えなしにつけられた傷にしては、とても深いところまで肉が抉れていた。
「……ごめんね。去るのは速かったけど、来るのはちょっと遅かったみたいだ」
僕は頭を少女に目線を合わせ、深々と頭を下げる。
前にもこんな風に誰かが傷ついた後に駆けつけたことがあった。
被害者は両脚を旧獣に喰われ、あと一秒でも遅れていれば、喰い殺されているところだった。
本来なら被害者はたまたま運が良くて命拾いをしたようなものだ。
でも、被害者からすれば、生き残った以上そうはいかなくなる。
『お前らが遅かったせいで、この先どう生きていけばいいんだよ!!』などと強く罵られた。
最終的には『創明卿』"御伽噺のプレラーティ"が開発した義脚をつけ、生活に支障はないようにできたが、それでも喪ったものを考えれば、嘆いたり、誰かに当たり散らすのは当然だ。
――僕だって、記憶という自分を喪ったから分かる。
それが最悪な結末で、今回はそうじゃなかったとしても、あり得たかもしれない結末の一つ。
「……そう、お兄さんが速すぎて、痛かった」
「え?」
「ふうあつのせいで傷ついちゃった。だから次はもう少しゆっくり走ってほしいな」
思いがけない一言に、ぽかんと口をだらしなく広げる。
「――だから、その……そんなの気にしなくていいんだよ?」
マコが不安そうに僕の顔を見る。
どうやら、自分の発した言葉で、逆に気を使われてしまったようだ。
理解と同時に、僕の顔が破顔した。
強い子だなと心の底から尊敬する。
「……ふふっ、じゃあマコ。ちょっとこっちにきて。そのけが、治すから」
同様にエリシアも柔らかな笑みを浮かべ、指をぱちんと鳴らす。
すると、何もないところから一匹の蝶々が現れた。
もっと正確に言えば、それは単なる普通の蝶々などではなく、れっきとした旧獣の一匹、名をメルニガルという。
「わあ……すごい……!」
掌サイズの面妖な模様の蝶々旧獣が傷口に留まると、まるで何事もなかったかのように、回復していく。
僕の気持ち悪い身体よりは、治る速度は遅いが、それでも三秒もかからずに傷は跡形もなく消えさった。
「ありがとうお姉さん! この蝶々さん、すごい! なんて蝶々さんなの?」
「これは新種のちょうちょさんだからひみつなの、ごめんね?」
そんな蝶々がいる筈もなく、マコはメルニガンを知らなかったらしい。
僕も記憶喪失の影響で、ひと月前から旧獣について勉強しているおかげで知ることができたが、実際のところめったに人里には現れない旧獣らしい。
本当は留まった対象の生命エネルギーを一分程度で吸い殺す危険な旧獣なのだが、逆も然りの理論で再生もできるらしく、エリシアの神能で『ともだち』になっているおかげでこうして治癒の能力を使ってもらっているという訳だ。
そしてもう一度エリシアが指を鳴らすと、世界から喪失したようにいなくなった。
「ねえ、お兄さん、お姉さん。――ワタシってきもちわるいのかな?」
『―――!!』
無邪気で明るかった顔や口調が一瞬で暗く濁った。
「いつもこうなんだ。どこに行ってもああやって怒られたり、叫ばれたり――ばけものって呼ばれたり」
マコのヒトデのような形をした顔が揺れる。
そこから伝わってくるのは悲しみと諦めだった。
「仕方ないのはわかってるの。みんな、大切な人を旧獣に殺されてちゃって、おかしくなっちゃてるんだよね。だから、旧獣に似てるワタシがイヤなのは当たり前なんだよね?」
言葉が出てこなかった。
目の前の十歳くらいの少女の強さが、僕の心を揺れ動かしていた。
この子の人としての本質、気高さ、強さがまぶしくて仕方なくて――同様に哀しかった。
「……でも、マコには関係ないことでしょ? マコの言ってることは正しいかもしれない。だけど、悪いのはマコじゃなくて旧獣じゃないか。それなら、例えば『居残り』って呼ばれてる人たちが恨むべきなのは、旧獣であるべきなのに。どうしてそんな風に思えるの?」
「——パパも旧獣にころされたから」
きっと、息を呑んで驚愕するというのはこういうことなのだろう。
「パパは冒険士だったの。『別人』だったけど、冒険士はそういうの関係なくなれるから。……自慢のパパだったけど、『五大死獣』にころされちゃったんだ」
無意識にマコの顔が揺れた。
見た目のせいで、感情がどう変わったのかは、ぱっと見ただけじゃ分からない。
でも、忘れていた何かを思い出して、それに縋っているのが、声の調子から伝わってくる。
それは諦観——こんな小さな女の子が持っていてはいけない感情だった。
「お兄さんもさ。ワタシのこと、普通の人間だとは思えないでしょ? ばけもの……にしか見えないよね?」
——なんだよ、それ、そんな顔しないでくれよ。
見た目のせいで分かりにくいなんて、なにバカなことぬかしてんだよ、僕。
数秒前の自分の考えがイライラして仕方なかった。
僕は常識というものが欠けている。
『神能』、『法式』、『旧獣』、『五大死獣』、『色彩病』、『別人』、『居残り』——他にも知らなかった単語なんて馬鹿みたいにいっぱいある。
空っぽなこの身には、到底理解し難い、不条理、理不尽をたくさん知った。
ここに生きる人たちは、それらを当たり前のように受け入れていて、何かを堪えるように取り繕って生きている。
「そうだな、じゃあ聞くけど――」
――それがどうしても許せない。
――ソンナノハモウミタクナイ。
「僕のこと、化け物とか怪物に見える?」
「え?」
「いや、実は僕、記憶喪失ってやつでさ。右も左も分からない迷子っていうやつなんだよ。旧獣とか最初は全く知らなかったし、てかひと月前のことなんだけどさ」
マコが呆然と僕の顔を見つめる。
「神能だの色彩病だの意味わからんよね。五大死獣とか初めて聞いたときびっくりした。なんだよ、六十億もの人を殺した怪物って、ふざけんなマジで勘弁してくれよって思った」
エリシアの顔がチラリと見えた。
なにか言いたそうだけど、黙ってじっと聞いてくれていた。
聡明な彼女のことだから、全部見透かされているんだろうな。
「でも、そんな旧獣にさ。僕、怖がられてるみたいなんだ」
「え? ど、どうして……?」
マコはあり得ないといった顔になった。
それは旧獣に恐怖の概念などあり得ないからだ。
あいつらは人を恐れない。
自分たちこそがこの世の統治者で、何者よりも勝っていると理解しているからだ。
「不死身なんだよ僕、絶対に死ねないんだ。刺されても、焼かれても、粉々にされても、一秒も立たずに元に戻っちゃうんだ」
「……」
「それにこの街にきて初日にさ。泥山羊っていう旧獣が、お前に生きてられると困るから死ねよ怪物が、って殺意マシマシで襲い掛かってきたんだ。身に覚えのないことめちゃくちゃ言われて困ったなあ、あの時は」
清潔感のない黒いローブを纏った人型の旧獣。
その身に邪悪という瘴気を纏った本当に恐ろしいやつだった。
「お前が生きてられると迷惑だ、なんで死んでないんだよ気持ち悪い、救世主のフリしたイカレ野郎、お前のせいでご主人さまが不幸になる、とか散々罵倒されたよ。そのくせ、僕がきみに何をしたって尋ねたら、お前に記憶を戻されると厄介とか言われて、結局何にも分からずじまいだ。――まあ、たしかに間違ってないけどさ」
僕ののどは驚くほど乾いていた。冷め切っていた。
「自分でも分かってるんだよ。この身体はびっくりするくらい気持ち悪くて、おぞましい化け物そのものなんだってことは」
実際のとこ、あまり関わりのない人たちからは嫌悪の目で見られている。
「……お兄さんは、ばけものなんかじゃないよ」
切なさを噛み締めるような声とともに、マコは僕の手を握った。
「お兄さんみたいな優しい人が、ばけものなわけないよっ!」
「――うん、そうだよね。マコの言う通りだ」
「え……」
「僕らは化け物なんかじゃない。誰かの話を聞いて、何かを思って会話のできる人間なんだよ」
マコは呆気に取られていた。
何を言えばいいのか分からない様子だった。
「わたしもみんなからばけもの扱いされてる。旧獣と仲良くなれるって神能を持ってしまったから」
エリシアが僕とマコに身を寄せるようにやってきて、僕らに目線を合わせるようしゃがんだ。
「実はさっきのちょうちょは旧獣で、メルチーっていうの。わたしの神能は『
エリシアの唐突な告白にマコは息をのんだ。
初めて聞いたときはこれがどれだけ常識外れなのか知らなかったけれど、今なら気持ちがよく理解できる。
世間的、一般的に見て――イカレている。
唯一無二の狂気と言われても差し支えないほどの力。
怯えられるには十分すぎるほどの力。
――でも、エリシアは決して、化け物なんかじゃない。
「忌み嫌われるのはあたりまえ。旧獣はみんなからなにかを奪っていく。わたしだって奪われたものはいっぱいあるから。でも、いまわたしについてきてくれてる『みんな』は大切な仲間。もちろん隣にいるハイトも。そして――マコのことも」
――ああ、本当にきみと同じ場所に立てる気がしない。
「―――――――」
「わたしたちはいま出会ったばかり、でもこうして言葉を交わすことでお互いを知ることができる。わたしはマコもハイトもばけものなんて思えない」
マコはただじっとエリシアの話を聞いていた。その表情に諦観はもうなかった。
これがきっと――誰かを安心させるということなんだろうな。
——だから僕も、自分自身の言葉を紡ごう。
「僕が思うに、相手との関わりを深く持つことが一番大切なんだと思う。深く相手を知れただけ、その分相手を想いやれる。だからマコ、出会ったばっかで言われても困るだろうけど、きみの強さが、僕にはとっても眩しい。尊敬してる、きみはどこにでもいる普通の女の子さ‼︎」
僕はそう言って、マコを強く抱きしめた。
「……ありがとう。お兄ちゃん、お姉ちゃん。助けてくれて。優しくされたのは、久しぶりだった」
本当によかった。そう言ってくれることが何よりも嬉しかった。
肩にひやりと雫が垂れ、濡れる。
「堪えるのはやっぱりきついよね」
見ろよ、残酷な世界。
お前に少しでも思いやりがあるのなら、この強い少女にご褒美くらいあげてやれよ。
——少しばかりの幸せくらいくれてやれよ。
「よし! じゃあお家に帰ろう! 僕らが送ってくよ」
「え、あの、その……まだおうちにはかえれないの。おかあさんに……買ってきてって頼まれたものがあるから」
しゅんとしたように顔を俯かせ、マコはそのまま口を開く。
「でも、お金がなくてどうしようかってこまってたの」
「……」
……なるほど、そういうことか。
「そっか、何を買ってきてって頼まれたの?」
「おくすりとごはんとか……」
「よし、それじゃあ……」
僕は懐に入れていた封筒を取り出し、その中から幾らかお金を取り出す。
「これでお母さんのおつかい。頑張って」
「え? いや……もらえないよ」
「いいからいいから」
僕は遠慮するマコに無理やりお金を押し付けた。
マコは困惑しきっていた。まあ、僕も同じことをされたら困惑するから気持ちは分かる。
ここでなにか気の利いたことを言えればよかったんだけど、まあ変な感じになるよりはいいだろう。
「よし! これも何かの縁だし、おつかい手伝うよ。エリシアいいかな?」
「だいじょうぶ」
「……そこまで迷惑かけられないからいい。ワタシ、一回おうちかえるよ」
「じゃあ送ってくよ」
「い、いいから!! すぐそこだし、ひとりでかえれるからっ!!」
マコはそう言って、その場から離れて、奥の道へと走り出した。
かと思うと、僕らの方に一度振り向いて、
「お兄ちゃん、お姉ちゃん!! 助けてくれてほんとにありがとう!!」
と笑顔で言ってから再び走り去っていった。
「あ~ちょっとしつこかったかな……」
「ううん、あれくらいでちょうどいい。無関心になるよりは絶対まし」
エリシアは僕を見て、嬉しそうに微笑んでくれた。
「ハイト……とってもかっこよかったよ」
「――」
心臓が跳ね上がった。こんなの不意打ちだ。
普段あまり表情を変えないエリシアが微笑んで、褒めてくれた。
尊敬する女の子に少しだけ認められて嬉しくないわけがない。
やっぱり僕、エリシアのことが――、
「――くだらねェ、ガキのヒーローごッこかよ」
「え――?」
知らない誰かの声が耳に響いた。
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