観測5ー2 『別人』


「ひっ……」


 明確な意思を持ち合わせ、怯え切った瞳で女を見入る——か弱い子供だった。


「嘘よッ! あそこにいるのは化け物よッ! 人殺しの化け物なのよッ!」


 真実を告げられて尚、女は暴れていた。

 確かに女の言っていることは、あながち間違ってはいないだろう。


「助けて……」


 そんな女を見て、子供は涙を流し、身体を震わせて怯えていた。

 フードのついた擦り切れたボロボロの服から身を晒すその姿は、まさしく化け物と呼ぶに相応しい風貌をしていた。

 枯れ木のような胴体に、そこから生えた触手のような八本の手足。

 首から上にある顔はヒトデのような五角の形をしていて、その内の二つの角に左右対称になるよう、真珠のように小さな黒い瞳がついている。

 声からして女の子だということが分かった。


「おい見ろよアレ……」


 誰かのなじるような声が響く。

 気がつけば、騒ぎを聞きつけた民衆たちが幾人も集まっていた。

 彼らは見せ物のように僕らを囲み、様々な感情のこもった瞳をこちらへ向けていた。


「察するにあの女、『居残り』なんだろうな」


 その中の誰かが女のことを見て、そう呼んだ。

 その言葉の意味を僕は知っている。

 『居残り』——旧獣に一族郎党皆殺しにされ、精神を恐怖と絶望で犯された哀れな被害者を指す言葉だ。


「しかもあそこにいるの『別人べっと』の子供よ……」


 別の誰かがそんなことを言った。

 その言葉の意味もまた、僕は知っている。

 『別人』——またの名を『蔑人』。

 容姿が通常の人の身にあらず、だがそれでも人として生を受けた、人間として数えられる者たち。

 悪辣非道かつ、恐怖と絶望の根源である『未知』なる化け物——『旧獣』。


 ——その邪悪なる冒涜者どもに似通った容姿というだけで、迫害される者たちを指す言葉だ。


「アアアアアッ!! あなたァ!! 目の前で、食べないでぇ! 私から息子を取らないデぇぇ!! 私の家族でアソばないデぇぇ!!」


「可哀想に……目の前で家族を遊び喰われちまったんだろうな」

「恐らく、次は自分が喰われるというところで、冒険士に助けられたんでしょうな……」

「やるせないねぇ……。あの調子じゃあ、食い殺された方が幸せだったろうに」


 民衆たちは哀愁と憐憫の両方が籠った言葉を、狂ったように叫ぶ女へ向けて投げつけた。

 他者を憐れみ、自分もいつかこうなるのではないかと未来に怯えるような声だ。


「それにしてもあの子、ほんとに旧獣じゃないのかい?」

「旧獣にも言葉で唆してくるヤツはいるからなぁ……それにあの見た目」

「バケモンにしか見えねぇよ」

「冒険士はあんな連中でも助けるから、ホント立派なもんだぜ」


 対して、僕の身に隠れるように怯えている女の子に放たれるのは、恐怖や憎しみといった己の仇敵を見ているかのような言葉だった。

 誰がどう見たって被害者であるはずの少女は、蔑まれ、怯えられ、怒りをぶつけられている。

 僕は必死になって、女の子を隠そうとした。

 そうして身体に伝わってくる、この少女の震えが余りにも印象的だった。


「——バケモノが人里に出てくるなよなぁ。さっさと、どっかでおっ死んじまえばいいのによ」

「———ッ!」


 聞きたくないことが――いや、聞かせたくない言葉が耳の中を刺激した。


「違……うッ! この子は人間だッ!!」


 許せなかった。

 何も悪いことをしていない小さな子供に吐き捨てられたその言葉が。

 怒りという感情が己の心から濁流のように押し寄せてくる。

 そんな僕を見て、民衆の中の一人が虚をつかれたように僕を見やった。

 なぜ自分が怒鳴られたのか、全く理解できないといった顔をしていた。


「おい! 見世物ちゃうねんぞ! ここにいるもん全員、今すぐ立ち去れやッ!!」


 ヴェニスは民衆に向けて、何かを払うように手を振った。

 それを見て我に返ったかのように見物人たちは、一人ひとりそそくさとその場から立ち去っていく。


「……エリシア、この子を助けたい」


 それを見た僕はすぐさまエリシアに向けて、そう言った。


「ん、わかった。――ヴェニス、ボーシャ。その女の人、任せてもいい?」


 エリシアは僕に頷き、間髪入れずにヴェニスたちにお願いをした。


「任せといてくれや!」

「ああええ!」

「ん……」


 二人はすぐさま頷いてくれた。

 本当に感謝してもしきれない。


「……ありがとう」


 すると、先ほどまで身体を震わせていた女の子が口を開いた。

 目に涙を浮かべながらも、勇気を出して礼を言ったのだ。


「大丈夫、安心して。――もうここに、きみを傷つける人はいないから」


 それを聞いた女の子は、もう我慢の限界だと嗚咽しながら泣いた。

 当たり前だ。こんなことは小さな子供が経験してはいけない出来事だ。

 僕はそっと涙を流す女の子を抱きしめた。


「いやだ……おいていかないでつれていかないで」


 そんな中――掠れた悲鳴が耳に届いた。


「わた、わたたしはは、ひひととりはイやややいや」

「おい、急にどないしたんや!?」


 何かが壊れたように女が呟く。

 先ほどまで喚いたはずの女が人として壊れ始める。


「あああああわたしヲヒトリはイやで私はコドクでナニモなくてアアアアアア!!」


 組み伏せられた女の声は次第に膨張していく。

 狂った女の精神が更に狂い始め、やがて人の形をした化け物へと変わっていく。


 ――その瞳を、極彩色に染め上げて。


「そんなことが……!」


 あり得ていいのかと絶句した。


「――あかん! このオバハン、色彩病や! 暴れる前に殺さなあかん!」


 ヴェニスの怒号が街へ伝播する。

 どこからか悲鳴が轟き、今度は僕らを中心に逃げ惑う民衆の群れが発生した。


「あレ? ココ、どこォ!? グルあああァあ!!」

「ぐはッ!?」

「あう!?」


 女は常軌を逸した怪力でヴェニスとボーシャを吹き飛ばした。

 それは焼け爛れて今にも崩れそうな肉体から出てくるような力ではない。

 まさしく『色彩病』の副作用である――ありとあらゆる身体能力の強化と暴走に他ならなかった。


「アナタ⁉ カシュ⁉ ドコにイるのおおおお!!」


 腕をぶんぶん振り回して、探るように周囲を見渡した。

 四方八方、様々な場所に目線を動かし、最後には僕がいるほうへ目を向けた。


「あ、アなタぁ! 聞きたィことがアるんだケドォ! ワタシのかぞクがドコにいるかシらなぁ!!」


 女はそのまま素早い身のこなしでこっちへ向かって迫ってきた。


「ひっ……」


 抱きしめていた少女から悲鳴が漏れる。

 化け物と蔑まれた少女よりもはるかに恐ろしい化け物へと変貌した女が襲い掛かってくる。


「そうか……僕はまた」


 ――見ていることしかできないのか。


「――ごめんね」


 そして女は僕らのもとへ到達することなく――身体の右半分が消滅した。


「えぁ……?」


 それは一瞬の出来事だった。

 エリシアが腰に掛けたチェーンに手に触れると、そこから淡い神秘的な光が発せられた。

 つけられたキューブが一つ発光、面を分割するように光の線が顕現したのだ。

 それを基にしてくるくるとキューブが廻り、やがて別の形――拳銃へと変貌する。

 エリシアは一秒も満たずに完成した拳銃を間髪入れずに女へ向けて発砲。

 銃口から発射されたのは、金属でできた弾丸ではなく、『夢力(むりょく)』と呼ばれる惑星の力。

 神秘的で神々し光が女の胴体を貫き、肉体を跡形もなく消滅させたのだ。


「あならぁ……かしゅぅ……」


 声とも評せない小さな断末魔とともに女は目から色を失い、沈黙した。


「―――――ぁ」

「見ちゃだめだ!!」


 少女の呼吸が止まった。

 僕はその亡骸を見せぬよう必死になって身体で隠した。


「ハーくん、エリ嬢! ここは俺らが何とかするッ! やから早くどっか行ってまえ!」

「う!!」


 ヴェニスから言われハッとなる。

 このままここにいるのは不味い。

 街人がそうであるように、冒険士にも『別人』を嫌う人はいる。

 もしそんな人が駆け付けたら、問答無用で切り捨てられるかもしれない。

 だから早くここを離れない!!


「ハイト、その子背負って!」

「う、うん……!」

「あっ……」


 エリシアに言われるがまま、僕は少女をおんぶしてエリシアの後を追いかけようとする。


「ごめんなさい……」


 一度立ち止まって、女の亡骸を見やり、そう呟く。

 向かうはとにかく人がいない場所。誰も通らないような場所。

 僕とエリシアはそこに向かって走り続けた。


「――胸糞ワリィな」


 ――その姿をじっと見やる人影に気づかないまま。

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