観測2 『浅い眠りから覚めて』


 それから少しの間、僕たちは歩き続けた。

 目の前には、自前のさらりとした長い赤髪を揺らして暗闇に向かって進み続けるアマルタの姿があった。

 僕はその後ろにピタリと張り付いて、見失わないようにアマルタの背中をずっと見ていた。


「アマルタ、それでここは結局なんなの?」


 短い言葉でアマルタに尋ねる。

 どれくらいの時間歩いたかは分からないが、気が狂いそうなほど何もないことは分かった。

 どうしてこんな世界が成り立っているのか不思議なくらいに。

 こんな世界を延々と見ていれば、誰でも不安が募る。


「ここは、『神殿』という空間——世界と言ってもいいかな?」


「しんでん?」


 何かを祭り上げてでもいるのだろうか。

 神様に黙祷したり、生贄でも捧げたりするのだろうか。

 こんな場所に祀られている神様なんて、絶対ろくなものではないだろうが。


「ええ、これから向かう世界に行くために、誰もが通る場所。あらゆる世界から隔離され、ただ入り口としての役割にしか機能していない、空虚な世界」


 アマルタが淡々と歩きながら語る。


「ワタシはこの世界の管理を任された者。夢から目覚めない『旅人』を案内する『導き手』という存在よ」


 アマルタがふっとこちらへ振り返った。

 本当に人形みたいな少女だ。


「とは言っても、ワタシが導く旅人っていうのはハイトが最初で最後なんだけどね。ワタシの使命は、アナタを無事あの世界まで送り届けること。——とっても不本意だけどね」


 アマルタがつらそうな声色と共に微笑した。


「えっ、不本意って、僕なんか悪いことした……?」

「いいえ、別にハイトが嫌いとかって意味じゃないわ。単純にハイトにあの世界に行かなくてもいいって選択肢があるなら、絶対行ってほしくないかなーってだけよ」


 アマルタが訂正を促すように両手を振った。

 そして話を聞くに選択権は与えられていないらしい。

 とても不吉だ。

 

(旅人に導く者……言葉が難しいけど、旅行に行くみたいな感じなのか……?)


 全くもって話の全容を掴むことはできないが、僕はとにかくアマルタに案内される立場にあるらしい。

 まるでツアーガイドと旅行客みたいな関係。

 このアマルタは記憶を失う前のハイトとやらと、どんな関係だったんだろうか。


「まあ、目的は分かったけど……結局、僕とアマルタはどんな関係だったの? アマルタは僕のこと知ってるの?」

「ええ、知ってるわ」


 アマルタは頷いたが、それと同時にこうつけ加えた。


「——でも、ごめんなさい。ワタシからそれを口にすることはできないのよ」

「……どうして? なにか理由でもあるの?」


 どうしてそこを勿体ぶるのだろう。

 一番教えて欲しいのはそこなのに。

 ただ、言い方からしてなにか話せない理由があるのは、察せられる。

 それを踏まえたうえで、僕はアマルタに問いかけた。


「これは契約——まあ『約束』ね。ワタシはある人物と約束をしたの。ワタシの願いを叶えてもらうのと引き換えにね。その代償なの。二択の片方を選んだだけ」

「……困った話だね」

「ええ、ホント、アイツの性格は終わってるわ。……まあ、それが話せない理由ね。——もちろん、縛りをかけたアイツについても話せない」


 本当に何者なんだ?

 タチが悪いなんてもの通り越している。

 でも、そんなのと『契約』をしてまで、僕の『導き手』になる理由はなんだ?


「——そもそも、ワタシとハイトがここにいること自体、奇跡みたいなものだから」


 あまりにもぼかした言い方だ。

 そうやってアマルタと話しながら前へ進み続けていると、何やら上に続く階段が現れた。

 階段と表現したが、もちろんただの階段ではない。

 それは段差全てが真っ黒に染まり、世界の一部として存在していた。

 上へ目をやると、そこには黒い渦のような何かが蠢いている。

 僕にはそれが果ての見えない地獄への入り口に思えた。


「このままのぼるよ」


 アマルタが一度ちらりと振り返ってから、恐れることもなく階段を一段ずつ上がっていく。


「…………」


 僕は無言のまま、前を歩くアマルタを見つめた。

 この子を本当に信用して、いいのだろうか。

 恐怖心を心の中に押さえ込んで、後に続いた。


「ながっ……」


 延々と続く無限の暗闇。

 底無しのように上に続く階段のような何か。

 果たしてそれはどこに通じているのだろうか。

 この世の終わりとかは勘弁願いたい。


「……着いたよ、ここが目的の場所」


 僕はアマルタの言葉に反応し、周囲を見渡す。

 そこは地平線の向こうまで真っ黒な世界が広がっていた。

 今までと変わらない光景に思わず困惑。

 目的の場所というからには何かあるのでないかと踏んでいたのだが、そこは想像していたものと酷くかけ離れていた。


「なにもないけど……」

「うん——今、出すからね」


 アマルタは僕の方へと向いて、顔を合わせた。

 何事かと思いきや、そのまま目を閉じて片手を僕に向けた。


「"——汝、浅い眠りから覚めし者、次なる深き眠りは備えよ"」

 アマルタが突然何かを唱え始めた。

「"汝は『夢見る人』。永劫なる眠りから覚め、新たな世界へと進む探索者たんさくしゃなり"」

「アマルタ……?」

「"我は『導く者』。汝を、次なる世界へと導く案内人なり"」

 アマルタは僕を無視しながらゆっくりと言葉を紡いでいった。

「"我は汝に敬意を示し、我が命果てることがあろうとも、汝へ道を示すことをここに誓う"」

 淡麗たんれいな声で何かを唱え続ける少女が、僕にはとても神秘的で、神々しく映った。

「"今こそ——眠りの門は開かれん"」


 ——次の瞬間、何もなかった筈の空間が歪み始め、巨大な渦を作り始めた。


「なっ……!」


 巨大な渦は、みるみる肥大化していき、やがて巨大な扉——否、眩い光を発する何かへと変貌していく。

 それは、世界がその場所だけ切り取られ、改変されたと言っても過言ではない。

 突然の出来事に思わず、口から驚嘆の声が漏れた。

 それほどまでに、その光景は現実離れしていたのだ。


「ここが、この世界の最奥。そしてこれが、ハイトが向かう世界の入り口となる『眠りの門』だよ」

「な、なにこれ……夢? 幻? 手品? 魔法かなんか……?」


 開いた口がふさがらない。

 どういう反応をすればいいのか分からなかった。

 それぐらいありえないものを見せられた。

 ただ黙って、門とやらが完成するのを見届けた後、僕はようやくアマルタの顔を見ることができた。


「信じられないものを見たと言う気持ちはわかるけど、今からハイトにはこの門を越えた世界へと旅立ってもらうから」

「この門を越えた世界……」

 唐突に告げられるそれは、僕にとって全てが未知なるものであり、恐怖の対象だ。

「この先は一体、どこに通じてるの?」

「——この先にあるのは、色々な物が混ざり合って完成した、まさしく混沌と言うのが正しい世界。見栄えは美しいけれも、本当は歪で、不完全で、いまにも壊れてしまいそうな、そんな希望のカケラも残っていない、作り物という言葉が似合う——そんな世界」

「??」

「意味わかんないだろうし、信じられないだろうけど、これは紛れもない現実なの。ハイト、ワタシにできるのは、もうアナタを導くことだけ……」

「……そこで僕は何をすればいいの?」

 正直、アマルタが何を言っているのか分からない。

 『縛り』とやらのせいで、限られた言葉を必死に使って、信じてもらえるよう努力しているのは伝わるが、一番大切な部分——『目的』が欠けている。

 

「ワタシは——」


 沈黙が二人の間を交差した。

 僕は彼女の目が一瞬泳いだのを見逃さなかった。

 必死に何かを押さえつけているみたいだった。


「——ハイトが『自由』に生きてくれればそれでいいよ」

「じゆ……う?」

「今までずっと縛られて……ワタシたちだってアナタを苦しめてきたから……ハイトにはもう好き勝手に生きてほしい。その権利は絶対にある」

「それは、なんの話……?」

「ハイトはもう十分頑張ってくれた。でもこの先の旅でもきっと、ハイトはどこかで傷つくことがあると思う。本当にもうダメだと思ったら逃げ出していいから——"幸せに生きてほしい"。ただそれだけ」


 アマルタが慈しむような瞳で僕を見た。

 瞳は潤んで今にも泣きだしそうだった。

 それは愛情や親愛といった『心』がよく伝わるものだった。


「——ん?」


 ふと、アマルタのいるところの奥、何もなかった筈の場所にひびが入っていることに気づいた。


「これは……結婚式とかの歌……?」


 この世のものとは思えない音だった。

 聴いているだけで、悪寒と吐き気がするくらい気持ちの悪い旋律。

 何かを叩くような音と笛を吹く音が入り混じったとてつもなく恐ろしい音色。

 何かを祝福するような鐘の音。

 重低音な不協和音。

 それがべちゃべちゃとかき混ぜられ、狂ったように混ざり合う音階がこの何もない世界へと撒き散らされていく。

 人間には耐えられない地獄の聖歌と讃美歌。

 だがそれは、ふたりの男女を祝福する祝歌の側面もあるように思えた。


「悪趣味なやつ……」

「ぁ——」


 アマルタが何か言ったのと同時に裂け目から現れたものに、僕は息を呑んだ。


 ——形がなかった。

 如何なる形でもなく、ただ無定形のままそれは佇んで顕現した

 そこに在るだけで時間と空間を支配——否、超越し、まるで巨大な心臓が脈打つかの如く、膨張したり、収縮していた。

 そんな姿でも所々、生物が持つべき部位の備わっているようで、いくつもの耳、鼻、口、目、腕といったものが備わっており、特に目立つのは、爪を切る行為を何度も怠ったかのように乱雑に伸びた鉤爪がそこにはあった。

 そして一通りその姿を見たところで、その目は僕たちを嘲笑うような気色の悪い笑みを浮かべた。


「————」


 その目を見た瞬間に心の底から何かが沸き立っていくのを感じた。

 なんだろう、これは。

 ただそれがとてつもない勢いで脳内に満たされていくのだ。

 きっとこれは人間には理解できないものなのだろう。


「まだちょっとしか、話せてないのに……」


 アマルタが落ち着いているような声でそう言った。——いや、違う。

 拳を震わせ、希望を打ち砕かれたような表情を浮かべていた。

 僕にはその姿がこの世界の真理をついているように思えて仕方がなかった。


 ——己を誰かに示せるなんて贅沢な夢なのだと。


 だが、そんな弱者の余韻に浸っている場合ではない。

 そう言っているかのように、アマルタはすぐさま何もない場所でもう一度手を振るった。

 すると、何もなかった空間に裂け目がうまれ、中から美しいナニカが現れた。


「これを、ハイトに……」


 それはまさしく一本の剣だった。

 

「……剣?」


「これは『鍵』。この世界でとても大切な意味をなすもの。せめてこれだけでもハイトに渡したかった。それと——これも持っていって」


 アマルタが『鍵』を僕に渡した後、首にかけていた太陽を模した首飾りを僕の首へとかけた。

 首飾りをかけた後、アマルタは僕に向けて優しげな笑みを浮かべていた。

 そして表情を元に戻した。


「じゃあ、ここから逃げて」


「逃げるって、どこにッ!!」


 アマルタが先ほど出した門を指さした。


「えっ……」


 腹部が焼けるように熱くなった。

 下を向くとそこには——、


「がはッ……」


 あの怪物の鋭い爪がアマルタの体と一緒に突き刺さっていた。


「あはは、まったく、ちょっとくらい、別れの挨拶ぐらい、させてくれても、いい、じゃない……」


 アマルタが静かに渇いたように笑っている。

 そしてその小さな手で僕の身体を――


 強く押し出した。


「……!!」


 鉤爪が体から引き抜かれる。

 とても痛い。

 でもそんなこと気にも出来なかった。

 目の前の少女の姿が、それをさせてくれなかった。


「どんなに、つらいことがあっても、アナタなら大丈夫。きっと乗り越えられる。ずっと、そうして生きてきたんだから、絶対に報われる。だから……『幸せ』になってね……?」


 ——じゃあ、行ってらっしゃい。


 身体中が浮遊感で支配されていた。

 そんな中、僕が見たのはアマルタの屈託のない美しい笑顔だった。


 そして奥に見える怪物が嗤い、アマルタへと——


 もう一度、その鉤爪を振り降ろした。


「アマ……ルタ……ッ!」


 少女から赤い鮮血が飛び散った。

 飛び散った液体が頬へと飛びつく。

 少女の口から途切れることなく、赤い液体がこぼれている。

 明確な■が彼女を襲った。


「———ハ……イ…ト………………」


 名前を呼ばれた。


「かぎ……あな……は、ぁ……なたの、なかに……ある」


 目の前の少女は何事もないかのように安らかな笑みを浮かべていた。


「——■■して、る」


 己の身体が下へと落ちていく。

 何もない闇の中へに落ちていく。

 意識を少しずつなくしながら、

 ゆっくり、ゆっくりと——

 そして——




 浅い眠りから覚め——『悪夢』が終わった。

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