プロローグ2 『これは僕が死ぬまでの物語』


「ヒッ——!?」


 寸前のところで彼女は横から押し出され、回避することができた。

 突然のことに脳が追いつかず、困惑が頭を支配する。

 ただ最初にやってくる自らの生に実感した後、ようやく理解する。

 自分へ向かってきた光線を避けられたのは、誰かに抱き抱えられたからだということに。

 そして立っていた場所は地面がえぐられ、生み出されたのは巨大なクレーターの真横だということに。


「——けがは、ありませんか?」


 発達途上の少年のような、または声帯だけ成長しきっていない青年のような声が聞こえてきた。

 彼の顔はとても近くにあって、要するに彼こそが自分の命の恩人なのだと分かった。


「ありがとう……ほんとにありがとうぅぅ……」


 彼はとても目の惹く容貌をしていた。

 黒と白の髪がくたびれたように無造作に入り混じった頭髪に日焼けのない健康的な肌に琥珀の瞳。

 冒険士のシンボルでもある『鍵を咥えた青い鳥』の紋章が胸についた青色の制服。

 首には太陽を模した首飾りを掛け、腰には剣と『蒼色の鍵』を身につけ、その整った容姿と合わさって、まるで空想の世界から飛び出してきた騎士の姿を彷彿とさせていた。


「ほんとのほんとにありがとうぅぅ……」


 冒険士の制服を見た女は安心しきっていた。

 冒険士が来てくれたならもう安心だと、今も騒動の渦中にいるにも関わらず安心してしまった。

 それほど冒険士は心強い存在だったから。


「えぁ……!?」


 そして同時に気づいてしまった。

 彼の下半身があるはずのところに血溜まりがあることを。

 そこから下の部分——脚や太ももの部分がぐちゃぐちゃになって跡形もなく存在しないことに。


「―――!!」


 喪われた肉体が戻ることはない。

 刻々と移り行く変化に対応できず、気に止めることができていなかったが、周囲には血であろう黒い『泥』のような液体が散乱していた。

 自分を守ったことで、彼は死んでしまうのだ。

 息が荒くなるのを感じる。

 脳が現実を拒もうと必死になっていた。


「――大丈夫です。落ち着いてください」

「へ……?」


 そんな今にも死に体の彼からは恐怖なんてものは微塵も感じなかった。

 ただ自分を安心させるために優しく語りかけてくれた。

 そしてリルは気づいた。

 彼の喪われた下半身が、恐ろしい速さで再生していることに。


「——僕は絶対に死にませんから」


 やがて彼の肉体は元の人間らしい状態へと復元された。

 しかし、彼はただの人間ではなかった。

 この世界でも数少ない人物だけが持つことを許された力。

 旧獣と呼ばれる化け物たちと変わらない、『色彩病しきさいびょう』とも違う異端の力を持つ者。


「——神能しんのう?」


 そう呼ばれる怪物たちの一人だった。


「あ、アあぁぁァァ————!?」


 突然男がこちらを見て、叫んだ。

 虹色の瞳からは涙の滝を流していた。

 思わず自分の目を疑った。

 先ほどまで怯えていた男が、まるで信じられない奇跡を目の当たりにしているような目でこちらを見ているのだ。


「お、お、オイ、そ、そこの、ア、アンタ」


 呂律の回っていない嬉しそうな声が耳に響く。

 男は彼の方を指さしていた。


「な、なんで、そこに、いるんだよ! ま、周りにいるバケモノどもに、こ、殺されるゾ!!」

「……また同じことを繰り返すはめになるのか」


 彼は悲しそうな表情でそう言った。

 リルには何のことだかさっぱりだった。


「化け物ってどんな感じのですか? 近くには見当たらないぞ!!」


 彼は元に戻った脚を使って、なんてことない口調で男に向かって対話する。

 さすがは冒険士、何度も修羅場を潜っているのか、全く動じていなかった。


「あ、アンタの目の前とか、そこら辺にいるだろ!? うじうじしたピカピカ光り続けてるバ、バケモノドモがよ!! そ、ソイツらは、ナカマ意識があるのか、人質をとりゃあ、攻撃してコネェ!! む、向かい側のやつなんて、全然動かねぇから、き、きっと弱ってヤガルんだ!!」


 うじうじしたピカピカ光り続けるバケモノなどどこにもいない。

 やはり『色彩病』の影響で幻覚を見ているのだ。

 あの色彩に染まった瞳は男に何を見せているのだろうか。


「ソ、ソイツらのどれでもイイ!! アンタが持ってるその剣を突きツケなガら、この上に上がってコイ!! は、早くしねェと、アンタがクワレチマウ!!」

 

 男は剣を指さし、腕の中にいる小さな女の子を窓から突き出した。


「ああ、そうだな! たしかにあなたの言う通りだ! 僕も一匹連れてそっちに向かうよ!!」

「ああ、早くシロ! 間にアワないと殺サレルぞッ!!」


 リルはあり得ない光景にぎょっとした。

 彼と『色彩病』の男が会話をしている。

 『色彩病』に罹った人間と話せている。


「その前に、あなたが持ってるものをそこに置いていたら、逃げてしまうかもしれない! だから肌身から離しちゃだめだ!!」

「あア! タシカニそうだ! わリィな!」


 男は彼の言葉に喜んで、少女を元に戻した。

 そこで窓から身を乗り出しているのは、男の顔だけになった。


「————ごめんなさい、どうか安らかに眠ってください」

「えっ?」


 彼はそれを見届け、決して目を離さないと決意するように男をじっと見て謝った。

 何事かと思い、リルもまた男の方を見る。


「————バア?」

「な、なんダ!? コンドは別ノ——」


 窓の近くを『ナニカ』が横切り、男はその方へ目を向けた。


「————ごめんね」


 ——何かが弾ける音がした。


 目でも追えない速さで、小さな光の弾丸が男は向かって飛んでいく。

 それは吸い込まれるように男の額へと向かっていき、小さな風穴を作った。


「ああアアアあああ———けい、シぃ……」


 鮮やかな色彩の瞳が黒く染まっていく。

 窓から手に持っていた自分の娘であるケイシーと一緒に落ちていく。

 あの高さから落ちれば、確実に助からない。


「——ポーリ、受け止めて」


 ぱちんと指を鳴らす音が聞こえた。

 音と同時に突然化け物が姿を現し、親子を宙で受け止めた。

 何もないところから突然現れた傘の持ち手のような形をした紫色の巨体。

 体の一部分に月のマークがついたスカーフを巻きつけ、ぷかぷかと宙に浮くその様は生き物の概念を一切持ち合わせていなかった。


旧獣きゅうじゅうが……人を受け止めた?」


 ——ポリスカイ、人に害を為す化け物である『旧獣』の一体。


「おとぉさん……?」


 旧獣きゅうじゅうポリスカイの背中に乗りなった娘は事切れた父親を途方に暮れたようにじっと見つめていた。


「アヒャアヒャ!! シンダシンダ!! ムザンニシンダ!! ムスメニキヅカズバカバカバカ!!」


 紫の巨体から口が飛び出し、滑稽だと言わんばかりに野次が飛ぶ。

 未亡人となった娘は十五にも満たしていないだろう。

 人類の敵である旧獣がそんな幼い少女にかけた言葉は——面白おかしく死者を冒涜したものだった。


「おとぅさん、おとぅさぁん……っ」


 父親に殴られたせいで腫れた頬に涙が落ちる。

 そんな娘を見て、旧獣は馬鹿にするようにけたけた笑い続けていた。


「ポーリうるさい、戻って」


 またぱちんと指が鳴った。

 今度は紫色の巨体がその場から消えてなくなった。


「あっ……」


 娘はそれに驚き小さな悲鳴をあげるが、地面に投げ出されることなくキャッチされる。


「——ごめんね。わたしがあなたのお父さんを撃ち殺した」


 それは雪のように美しく白い肌を持った、最高の輝きを放つ宝石と思うほど整った美しい顔立ちを持つ少女だった。

 腰まで伸びた黄金のように輝く金髪に綺麗で美しい翠瞳。

 白を基調としたドレスのような服を身に纏っており、胸元には『鍵を咥えた青い鳥』の紋章をつけ、首には月を模した首飾りを掛けている。

 そして腰には『金色の鍵』が一つと《金色のキューブ》が二つ、チェーンでくくりつけられていた。


「エリシア冒険士だ……」


 誰かが見惚れ、怯えるような声で口にした。


「あのランベルト・カーターの……血も涙も道徳心すらも捨てた男の手先である冒険士」


 誰かが怯えた声でそう言った。


「旧獣どもを……人類の外敵を従える、イカレた女……『引鉄語ひきがねがたり』ッ!!」


 誰かがそう大きな声でそう呼んだ。


「それじゃあ、あっちの男は二ヶ月前に見出されたっていう、新しいイカレ野郎の……ッ!」

「身体が吹き飛んでも生きてるなんて……」


 今度はリルを助けてくれた彼に対して、恐怖のこもった言葉が吐かれた。


「——みなさん大丈夫です。もう安心してくださいっ!」


 野次馬が静まり返る。

 全員が突然大声を上げた彼の方へを顔を向けた。


「僕たちは冒険士。みなさんを未知から護る——未知の探索者です」


 この世界には未知がある。


 人々に恐怖と絶望を与えられる。

 最後には灰も残せないくらいに残酷な死が享受される。

 そんな理不尽な未知たちを解決するべく、組織された組織こそが『冒険士協会』——通称『CGK』。

 彼らこそがこの世界の闇を照らそうとする者。


「——ハイトと言います。以後、お見知り置きください」


 『冒険士ぼうけんし』と呼ばれる者たちだ。

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