【25-1】大政変(1)

伽弥が蓮京れんけいに帰還して月余が過ぎたその日。

曄の朝廷には百官が招集され、曄公の出御を待っていた。


近年御体ぎょたいの健やかでない曄公は滅多に朝廷におわすことがなく、宰相の摩遷ませんによって朝議が招集され差配されていたのだ。

よって曄公自ら朝議を招集することは、近頃では稀有の事態であったため、何事が起こるのか諮り兼ねた臣下たちは、互いに顔を見合わせ、腹の内を探り合うのだった。


その中で宰相の摩遷だけは憮然とした表情で、廷臣たちの喧騒の外にいた。

実質的に国権を握っているのは自分であると自負しているこの男は、曄公が断りもなく朝議を招集したことに腹を立てているのだ。


それが甚だ僭越な思いであることに、驕り高ぶった摩遷は気づいていなかった。

そしてその驕慢が、この後彼を奈落の底に落とす所以となるのだった。


「公は何故わしに一言の断りもなく、一存で朝議を催されたのか?

何か聞いておらぬのか?」

摩遷は奥から姿を現した伝詔官を詰問したが、彼は首を横に振るだけだった。

「公はただ、百官を集めよと申されただけでした」


その答えを聞いた摩遷は更に憮然となって、朝臣たちの最前にある宰相の立処に戻った。

すると早速彼の忠実な配下である<九扶>たちが寄り集まって来た。


「伝詔官は何か申しておりましたか?」

その問いにも摩遷は憮然としたまま首を横に振る。


「近頃伽弥様が耀都から帰京されたとか。

それと関わりのあることではありますまいか」


<九扶>の一人の推量も摩遷は煩げに退ける。

女童こむすめ一人戻ったところで、何ほどのことがある。

狼狽えるな」


長年朝廷を統べてきたと自負する摩遷にとって、曄公家の動向など些事に過ぎなかったのだが、この日は何やら心地が悪い。

その所以の一つは、公の座所に胡床が三脚並べ置かれていることだった。

その常にない様態が摩遷を苛立たせているのだ。


そして伝詔官が曄公の出座を告げると、座所の奥から曄公が朝廷に姿を見せた。

その姿はどこか弱々しく、御体の不具合が如実に表れているようだった。


しかし廷臣たちが騒めいたのは、そのお姿を拝したためではなかった。

公に続いて伽弥と去暝きょめいの姉弟が出御し、公の左右に座したからだ。


そして伽弥の背後には、長身痩躯の娘が見事な彫の剣を手にして佇立する。

それは廷臣たちが初めて目にする光景だったのだ。


これは摩遷を初めとする廷臣たちの意表を突くことで、朝議を支配するために練られた、季聘による企謀であった。

そのはかりごとは見事に的を射て、廷臣たちは言葉を失ったのである。

そして彼らを吃驚仰天きっきょうぎょうてんさせる、曄国史に残る朝議がこの時始まったのだった。


「皆の者、朝議への列席大儀です」

事態を飲み込めずに廷臣たちが粛然とする中、一同に向けて伽弥が言葉を発した。


「さて、早速ではありますが、そなたたちに申し伝えることがあります。

こちらにわす我が父曄公様は、皆も承知の通り、御体ぎょたいのお加減が優れず、公位にあって国を率いることが難儀となっておられます。


よって本日この場にて公位を太子の去暝に委譲し、上公となって国事より身を引かれる意を固められました。

そなたたちも、しかとそのように心得なさい」


伽弥が放った驚天動地の諭言に、朝廷は鼎を覆したような騒擾を呈する。

そんな中、宰相の摩遷が御座の前にまびろ出て、顔を顰めて抗弁した。


「お待ち下され。

そのような国の大事を我らに諮ることなく、決めるとは」

しかし摩遷がそこまで口走った時、伽弥の冷言がその容喙ようかいをぴしゃりと遮った。


「宰相の摩遷であるか。

そなたに奏上を許した覚えはない。


公の許しなく、朝議に口を差し挟むとは、僭越至極であろう。

控えなさい」


伽弥の凛然とした物腰に、摩遷は唖然として言葉を失った。

しかし女童こむすめと侮っていた伽弥の変貌を、この佞臣が思い知るのはこれからだったのだ。


「さて話を続けましょう。

次代の曄公去暝様は英明ではあらせられますが、まだ加冠に達しておられません。


よって去暝様が無事加冠を迎えられるまでは、私伽弥が摂政としてお扶けし、国事に当たる所存です。

そなたたちも、そのように心得るよう。

よろしいな」


伽弥の諭言を聞いた廷臣たちは、最早言葉を失って呆然と立ち尽くしてしまった。

そんな中で、またもや摩遷がまびろ出て抗弁する。


「お待ち下さい。

いくら公姫様と言えども、今の言葉は聞き捨てなりません。

そのようなことは私が許しませんぞ」


しかし摩遷の言葉はそこで途切れてしまった。

伽弥の傍らから走り出た上官昧が、<鷂鳴剣ようめいけん>の切っ先を彼の喉元にぴたりと当てたからだ。


「今は伽弥様がお話になっているのです。

あなたはお黙り下さい。


これ以上伽弥様のお言葉を遮るようでしたら、あなたの首を切らなければなりません。

分かりましたか?」


童顔の娘から放たれる殺伐とした気に呑まれ、摩遷は身を硬直させてしまった。

そしてこれも季聘が企んだ、朝廷を支配するための策だったのである。


季聘はこの日の朝廷の成り行きが、この先の改革にとって最も肝要であると考え、強引ともいえる策謀を伽弥に進めたのだ。

そして彼の企図は図に当たり、朝廷は伽弥の支配下に置かれたのだった。

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