【23-3】七耀の日月(3)
白捗配下の騎兵たちにとって、真の<悪夢>はその時から始まった。
動揺する騎兵の群れの中に、朱峩は疾風のように那駝を乗り入れる。
そして一陣の颶風となり隊を割って駆け抜けた後には、木偶の如く宙に突き上げられ、地に落ちた十余騎の骸が転がっていた。
しかし朱峩の猛威はそれだけで収まらなかった。
騎兵の中を駆け抜けた朱峩はそこで騎首を返すと、再び戟を
漸くその時になって、白捗の配下たちは彼を迎え撃とうとして応戦の構えを取ったが、それも虚しく砕け散ることとなった。
朱峩の行く手を遮ろうと立ちはだかった者は、或いは月牙で首を刎ねられ、或いは矛先に貫き通される。
戟の柄で那駝から払い落とされただけの者たちは、幸運だったと言えるだろう。
朱峩の騎足を止めることも出来ずに十余騎を失った時、彼らは初めて、今相対している者が、決して抗ってはならない冠絶の武神であることを知るのだった。
そして漸く自らの誤謬を悟った兵たちの間に、恐怖が電撃の如く駆け抜けた。
既に部隊としての統制を失った兵たちは、朱峩への恐怖に駆られて四散する。
しかし朱峩に容赦はない。
彼に背を向けて逃げまどう兵たちに追い縋ると、次々と騎上から突き落としていく。
朱峩に奪われた、白捗自慢の那駝の騎足が飛び抜けて早かったことが、彼らの不幸を招いたのだった。
一方伽弥たちの方に向かって逃げ出した数騎にも、災厄が待ち受けていた。
彼らを迎え撃ったのが、朱峩無二の弟子、<
上官昧はその綽名に恥じない優雅で俊敏な動きで、軽やかに敵の間を舞い跳びながら、次々と切り捨て騎上から突き落としていく。
そして彼女の猛威を辛うじて避け得た一騎も、伽弥の護衛士たちの鉾に騎足を止められ、虞兆の朴刀で切り落とされてしまったのだった。
この時朱峩師弟の巻き起こした暴風から逃れ得たのは、僅か十余騎に過ぎなかった。
そして命からがら逃げ戻った彼らの口から、その武威の凄まじさを聞き伝えられた胡羅氾の兵たちの間で、朱峩の名は<最兇の厄神>として語られることになったのである。
秋風吹き抜ける平原から争闘の気配が消えた時、地には白捗たちの骸が横たわっているだけだった。
その中を朱峩は、賀燦の亡骸を那駝に乗せて伽弥たちの元に戻っていく。
そしてその貌には、虚しさだけが浮かんでいた。
「凄まじい武威ですね。
一国の軍に匹敵するかも知れない」
初めて朱峩の武勇を眼にした季聘の口から、賛嘆の声が漏れた。
それに頷いた伽弥は一同の前に進み出て、朱峩と上官昧の師弟を出迎える。
伽弥の眼に浮かんだ悲しみの色を察した朱峩は、無言で頷くと護衛士たちに捕われた
既に意識を取り戻した彼女の眼には、底知れぬ絶望と諦めの色が浮かんでいる。
そして朱峩に向かって彼女の口から発せられたのは、驚愕の言葉だった。
「賀燦の亡骸を丁重に扱っていただき有難く存じます。
改めまして。
私、<七耀>の<月>、鹿瑛と申します」
その告白に伽弥と従者たちは絶句する。
その顔を寂しげな眼で見た鹿瑛は、静かな口調で語り始めた。
「私は胡羅氾様、いえ、胡羅氾が、公室内の諜報を行わせるために侍女として送り込んだ者なのです。
伽弥様付きの侍女となりましたのは偶然でしたが、伽弥様が王室に嫁すことが決まった時、あの男の薄汚い陰謀が動き出したのです」
胡羅氾の名を口にする度に、<月>の鹿瑛の眼に隠しようのない怒りの色が浮かぶ。
それが<七耀>たちの心に宿る
「胡羅氾が以前公室に、嫡子と伽弥様の婚儀を申し入れたのは、<傾国>と呼ばれた貴方様を自領に招き寄せる口実だったのです。
そして招き寄せた貴方様を、我がものとしようとしていたのです。
その唾棄すべき貪婪さを察してか、曄公様は王室への通婚を思い立たれ受理されました。
しかしあの男は諦めなかったのです。
王室に多額の賂を贈る一方で、太子だった剋冽を
伽弥様を奪って己の下卑た思いと遂げる一方で、婚儀の前に王都を出奔した伽弥様の責を曄公様に負わせ、己が公位を簒奪するための大義名分としようというのが、胡羅氾の薄汚い
しかしそれも朱峩殿によって、半ば打ち砕かれてしまいました。
朱峩殿が王都に行かれたのは、国母様の指図であったとか。
胡羅氾如きが太刀打ち出来ぬ、賢明なお方ですね」
鹿瑛がそこまで語った時、伽弥が悲し気な声で彼女に問い掛ける。
「あなたたち<七耀>は、何故そうまでして胡羅氾に従うのでしょうか?
今の鹿瑛の言葉からは、胡羅氾への怒りと憎しみしか感じられないというのに」
「私たち桔族は、胡羅氾による<討伐>を免れた者なのです。
それはあの男の温情などではなく、桔の者が具える特別な力を欲したからです。
桔の者は生来、視る力と聴く力が異常に優れているのです。
例えば離れた場所の囁き声を聞くことができ、彼方にある物の動きを見ることが出来るのです。
その力に目を付けた胡羅氾は、桔の者の中で武に長けた者を選んで<七耀>と名付けました。
そして己の詐謀を為す際の手足として使役しているのです。
<討伐>を免れる代償として、胡羅氾は桔の里を、兵を持って重厚に監視しています。
いつ何時でも
さらに私たち<七耀>は、大切な者たちを
それは臆病で猜疑心の強い胡羅氾が、<七耀>の裏切りを心から恐れているからです。
<金>は妻を、<土木日>は子を、<水火>の姉弟は母を、そして私は弟を質として抑えられ、胡羅氾の命令に従わざるを得ないのです」
切々と語る鹿瑛の言葉は、聞く者たちの胸を強く打った。
幾度も彼らの行く手を遮った仇敵である筈の、<七耀>の者たちの眼に宿っていた悲嘆と絶望の所以が、今ここに
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