【23-1】七耀の日月(1)

季聘きへいは一先ず書肆と私塾の整理を行いながら、各地に散る<保曄講ほようこう>のともがらたちとの繋ぎを行った後、伽弥たちと同道して蓮京れんけいに上る運びとなった。


そして彼の支度が整うのを待つ間、伽弥も畦斗けいとに残り、季聘の元に通って様々な教えを受けることになったのだ。

大勢で押しかけることを迷惑と考えた伽弥の意向で、彼女には就き従うのは上官昧じょうかんめいと二人の護衛士という布陣に決まる。


護衛隊長の虞兆ぐちょうは護衛の少なさに当初難色を示したが、

小昧しょうめいがおれば、懸念はあるまい」

という朱峩の一言で渋々引いたのだった。


そして朱峩は出立までには戻ると言い残すと、偵探役の羅先らせんを伴って、旅亭から姿を消してしまった。

彼の意図は上官昧にも分からないようだった。


この日も伽弥は上官昧と護衛士二人を伴って、邑内を季聘の書肆に向かっていた。

伽弥は屈託のない彼女を殊の外気に入って、朱峩に習って「小昧」と呼び慣わしているのだ。


そして一行四人が書肆の近くまで至った時、上官昧が突然立ち止まると、伽弥を腕で押し止めた。

驚いた伽弥が「小昧?」と言ってその顔を覗くと、上官昧は円らな瞳を細めて行く手の家屋の壁に凭れかかっている男を凝視している。


「あそこに立っている人は、かなり強いのです。

襲ってきたら私が相手をしますので、伽弥様と護衛の皆様は動かないで下さい」


そう言って上官昧が前に進み出ると、男もこちらを凝視しながら道の真ん中に立ち塞がるように出てきた。

そして二人の間に、激しい殺気がほとばしるのだった。


束の間睨み合っていた二人だったが、何を思ったか、やがて男は伽弥たちに背を向けて立ち去って行った。

それを見た上官昧も、緊張を解いて大きく溜息をつく。

「あれは恐らくお師匠様が言っていた<七耀>の一人なのです」


その言葉に驚きの表情を浮かべる伽弥に、上官昧は普段の愛嬌のある顔に戻って笑いかけた。

「背中の槍を抜いていなかったので、襲って来るつもりはなかったのかも知れません。

でも今日は季聘様の元へは行かず、このまま旅亭に戻った方がよいと思います」


その言葉に伽弥は素直に頷くと、護衛士の一人に言伝を託して季聘の書肆に走らせ、自身は上官昧に従って、来た道を引き返したのだった。


旅亭に戻った伽弥から経緯いきさつを聞いた虞兆は、

「もしものことがあれば取り返しがつきません。

出立までは旅亭に留まって下さい」

と強く諫める。


伽弥はその言に素直に頷くと、護衛士の一人を季聘との間の繋ぎに走らせることにして、旅亭に留まって過ごすことにしたのだった。


そしてその三日後、全ての算段が終わり何時でも蓮京に旅立てるという、季聘からの言伝を護衛士がもたらした。

まるでそれに機を合わせたかのように、朱峩も飄然と伽弥たちの前に姿を現したのだった。


留守中の出来事を上官昧から聞いた朱峩は、束の間無言で考え込んだが、やがて徐に口を開いて翌朝の出立を一同に告げる。

それに頷いた伽弥たちは、急いで旅立ちの支度を整えるのだった。


そして翌隅中ぐうちゅう正刻(午前十時)。

旅装を整えた季聘を迎え、いよいよ伽弥たちは蓮京に向けて出立したのだった。


季節は晩秋も深まり、行く手には寒々とした景色が広がっている。

しかし漸く故国の地を踏んで、住み慣れた都へと向かう一行の心は、どこか浮き立っていた。


曄公が蓮京に留まっていることを知り、左程先を急ぐ用もなくなった護衛士たちは、那駝を下りて徒歩かちで伽弥たちに従って行く。

そして伽弥も豨車を下りて季聘と並んで歩きながら、彼の語る国の在り様について耳を傾けているのだった。


「国を治める基は何だと思われますか?」

季聘の問いに伽弥は、「のりでしょうか」と言って小さく首を傾げる。


「仰せの通りです。

今の曄は摩遷ません一党を初めとする貪官汚吏たんかんおりたちが、法をよこしまに曲げてほしいままに用いているため、国として立ち行かなくなっております」

「では法を厳格に用いれば、国は正道を歩むことが出来るのでしょうか?」


「厳法は民を損なうと申します。

しかしそれは法そのものにるのではなく、法の用い方に因るのです」


<保曄講>の主催者の言葉は、歯切れよく伽弥の耳に響く。

その言葉の一つ一つを、彼女は今、噛みしめるように聞いているのだ。


「法を用いる者が摩遷のように邪であれば民や国を損なうのと同じく、厳格に過ぎれば民は息が出来なくなり、やがては死に絶えてしまうでしょう。


つまり法を用いる者は、それに足るみちを備えていなければなりません。

そしてその倫の根となるべきは、仁慈であると言えます」


「季聘様が仰ることはよく分かります。

国が正しき道を歩むためには、法を用いるに足る人がいなければならないということですね。

しかしその様な倫を備えた人が、それほど多くいるのでしょうか?」


「いなければ訓育するのです。

朱莉様が為さってきたように」


「ああ、お婆様が<えん塾>を営まれたのは、そのようなよしだったのですね。

愚鈍な私は、今初めてそのことに気づきました」


そう言って嬉し気に顔を綻ばす伽弥を見ながら、季聘の心は歓喜に満ちていた。

――この御方こそ朱莉様の後を襲って、国の柱となるべき方。

彼の心には、その確信が生まれていたのだ。


その時だった。

伽弥の数歩前を歩きながら、二人の問答に耳を傾けていた上官昧が急に立ち止まったのだ。

行く手に立ち塞がる、一つの影を認めたからだ。


その影からは、抑えようもない殺気が立ち昇っている。

その気配を察して前に進み出てきた朱峩に、上官昧が呟いた。


「あれは先日畦斗けいとの邑内で、伽弥様を待ち伏せていた人なのです。

恐らくお師匠様が言っていた、<七耀>という人なのです」


「そうだな」と頷いて朱峩が前に進み出ると、上官昧は慌てて声を掛ける。

「お師匠様、私が相手をします」

しかし朱峩は上官昧に構わず、虞兆に声を掛けて一行をその場に留めるのだった。


男の数歩前まで歩み寄った朱峩は、「<七耀>か?」とおもむろに声を掛ける。

すると男からは、

「いかにも。我は<七耀>の頭、<日>の賀燦がさんと申す。

貴殿は朱峩殿か?」

という、問いが返ってきた。


朱峩はそれに無言で頷くと、

「道を空ける気はないようだな」

と賀燦を見た。


それに対して賀燦は、背にした短槍を静かに引き抜いた。

それが賀燦の答えだったのだ。


しかし朱峩は殺気を放つ賀燦を手で制すると、

「相手をしてやるから少し待て。

訊きたいことが二つあるのだ」

と言った。


そして不審げな顔をする賀燦に向かって問い掛けた。

「何故先日畦斗の邑内で姫を襲わなかったのだ?」

その問いに賀燦は苦笑を漏らして、朱峩の背後を指す。


「あの娘は貴殿の弟子であろう。

なかなか良い筋をしている。


あのまま姫を襲っても、あの娘とでは相打ちが精々であっただろう。

それでは役目を果たせぬのでな」


「俺なら勝てると思ったか?」

「いや、貴殿には到底敵わぬだろう。

既に姫を奪うことは諦めておる」


「そこまで分かっていながら、何故命を粗末にする。

他の者にも訊いたが、何故お主等程の者たちが胡羅氾こらはん如きの言いなりになっておるのだ?

を取られておるのか?」


「それを話しても詮無きこと。

今は<武絶>と呼ばれた貴殿との手合わせを、生涯最後の一華とするのみ」


そう言って短槍を構える賀燦に、朱峩は憐憫の目を向けると、徐に背に負った長刀を抜き放った。


「<七耀>の頭、<日>の賀燦の名に敬意を表して、俺が自ら相手をしてやろう」

その言葉に応じて、賀燦が神速の突きを繰り出した。

こうして<烈風>と<七耀>の、激烈な争闘が始まったのだった。

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