【22-4】保曄講(4)
彼は先ず、曄の朝廷の腐敗について語り始めた。
「事の始まりは、現宰相の
摩遷という者を表すならば、<陰険強欲>という言葉が最も適切でしょう。
寒閥の出自でしかない彼の者が人臣の位を極めたのは、偏に陰謀を駆使して上位の者たちを蹴落とした故の首尾でした。
摩遷が宰相の位に就きましたのは、今より丁度十五載前。
以来、その位を譲ることなく居座り続けております。
そして十五載前より、この国はやおら腐り始めました。
それは摩遷が徒党を組んで、売官を始めたからでございます」
「売官?
それは貨を持って官位を売るということでしょうか?
官位とは、公であるお父様が定め与えるものではないのですか?」
「伽弥様の仰せは正しいのですが、曄公様に官吏を推挙するのは宰相の役割ですので、摩遷はそこに付け込んだのです。
彼の者は売官によって巨財を成し、更に主要な官位を己の意に沿う者たちで固めることで朝廷を
そして摩遷一党の為す
酷税の収奪を持って民に臨み、軍の力を持って民の憤懣を圧殺しております。
そして彼の者が栄華を極めたその遣り口を見て、それに倣う者どもが出たことは、理の当然と言えるでしょう。
今やこの国では朝廷に在る官僚に留まらず、地方の吏僚に至るまで
そしてその
季聘の口から迸り出る言葉の一つ一つが、今伽弥の心に突き刺さっていた。
そしてその痛みが、彼女の中で育ちつつある大義の萌芽を、大きく揺さぶっているのだ。
そのことを知ってか知らずか、白面の書肆の語りは続いていく。
「次に
彼の者は元を正せば、地方軍の一下級将校に過ぎなかったのです。
その小卒が今の様な高位に上り詰めることとなった契機は、匪賊討伐で名を挙げたことでした。
その手柄によって小部隊の指揮官に昇進した胡羅氾は、<討伐>が出世に繋がることに味を占め、悪辣な所業に手を染めたのです。
彼の者が行ったのは、国境地帯の山地で暮らす少数民族を<匪賊>にでっち上げて、<討伐>することでした。
そのために彼の者は配下の兵に匪賊を装わせ、辺境の
そしてその罪咎を山地の少数民族に押し付け、無辜の彼らを<討伐>したのでした」
<討伐>という言葉を聞く伽弥の脳裏に、
亡骸を弔われることもなく捨て置かれた民の無念を思い、彼女の目頭が熱くなる。
「似非の<討伐>による功績で胡羅氾は遂に地方軍の将軍にまで上り詰めたのですが、彼の者の強欲はそこで終わりませんでした。
丁度その頃、朝廷で
胡羅氾は配下の匪賊働きによって収奪した財貨を、摩遷一味に惜しみなくばら撒くことでその地位を累進させ、遂に辺境伯にまで上り詰めたのです。
辺境とは言え私領を得た彼の者は、先ず支配地での軍事力を強化し、王軍や地方軍とは比べものにならない規模の直属軍を作り上げました。
そして配下の者を自領に隣接する公室の直轄領に送って治安を悪化させ、その混乱に乗じて徐々に支配領域を拡大していったのです。
その遣り口は、嘗て少数民族に対して行った悪逆な<討伐>と、何ら変わることはありません」
そこまで季聘の話を聞いた伽弥は、ふと思い至った疑義を口にする。
「何故地方軍は胡羅氾の横暴を、為すがままに放置しているのでしょうか?」
問われた季聘は幾分表情を暗くする。
「悲嘆すべきことですが、この国の軍も官吏同様に腐敗しております。
軍の指揮官には、賂を取って出世することだけを望む輩が
そして兵たちは日々の鍛錬を蔑ろにし、とても軍の体を成さない弱卒と化しております。
胡羅氾の兵が必ずしも鍛えられている訳ではありませんが、今の地方軍ではとても太刀打ち出来ないでしょう。
しかし地方軍が弱体化した訳の一つは、耀律により隣国への侵攻が禁じられていることにあります。
即ち軍の大きな任が、主として国内の治安維持にあることが、弱体化の所以なのです。
この国は物産が豊かで人口も多く、腐僚どもが跳梁していると言えども、隣国
それが緩やかに続く、軍の弱体化の一因となっているのです。
しかしこれからはそうは参らぬでしょう。
既にお聞き及びかも知れませんが、耀において太子による王弑逆と王位簒奪が行われました。
そして新王が自ら耀律を破り、
その言葉を聞いた伽弥に衝撃が走った。
それと同時に、耀で垣間見た
「既に耀律は有名無実と化しました。
これからは中原諸国に動乱の時代が訪れるでしょう。
そしてこのままでは、この国は時代の大波に呑み込まれかねません。
それ以前に、胡羅氾による公位簒奪が行われるでしょう。
伽弥様。貴方様は朱莉様より、国の行く末を託されたと拝察します。
では貴方様はこの国を、どのような国になさりたいのでしょうか?」
季聘の静かだが激烈な問いに、伽弥は雷鳴を聞いたように身じろいだ。
そして暫くの沈黙の後、決意を込めて口を開くのだった。
「私は此度初めて公室を出て、旅を致しました。
その中で初めて、国というものをこの眼で見たのです。
私が見た国というものは、民の様々な思いを満たす器の様でした。
そして旅する中で様々な国の、様々な人々の思いに触れることが出来ました。
<七耀>の者たちの眼に宿っていた絶望。
名もなき民の悲しみ。
季聘殿のお話を伺う限り、この国には今、絶望や悲しみが満ち始めているように思われました。
ですので私は、今その器を覆してしまいたい。
そして新たにその器を、この国に暮らす人々の希望や喜びで満たしたい。
たとえ僅かでも、希望や喜びを感じられるような国にしたい。
過酷な税に苦しまずに暮らせる国。
役人の横暴を嘆かずに暮らせる国。
匪賊の跳梁に怯えずに暮らせる国。
その様な国を造るために、何をすればよいのか、未熟な私にはまだ分かりません。
しかしその様な国を造るために、前に進みたいのです」
そう締めくくって伽弥は季聘を見つめた。
その双眸には、不退転の強い意志が込められていた。
「以前も申したが、姫はその<大義>をもって<信>を貫けばよいのだ。
それを実現するための<知>や<武>など、それを持つ者を探して借りればよい」
伽弥の背後から朱峩が力強く彼女を後押しすると、虞兆もその言葉に頷いて主を励ます。
「我ら姫の護衛士も、微力ながら姫の国造りに死力を尽くしますぞ」
そして伽弥の決意を目の当たりにした季聘は、彼女に向かって深々と首を垂れた。
「市井の匹夫が伽弥様のお心を察せず、ご無礼を申し上げました。
何卒ご容赦下さい」
そして「そのようなことは」と言いかける伽弥を制して、彼女に笑顔を向ける。
「朱峩殿が言われるように、姫をお助けする心と力を持つ者がこの国にも大勢おります。
その者どもの集まりを<
「<保曄講>ですか」
「はい、多くは<
そのような者たちが、朝廷にも地方の吏の中にも、国軍にも地方軍にもいるのです。
皆がこの国を立て直したいという志を持つ者ばかりなのです。
そして私は非才ながら、講を主催しております」
そう言って伽弥を見つめた季聘は、居住まいを正して言葉を続けた。
「我ら<保曄講>に連なる一同はこれより先、伽弥様の国造りに粉骨砕身することをお約束します」
余りに意外な季聘からの申し出に、伽弥は驚きを隠せずにいた。
そして漸く彼女の口を伝って出た言葉は、感謝と請願だった。
「季聘殿。
不才な私をお援け下さるとのこと。
心よりお礼を申し上げます。
そしてどうか、私を正しい道へとお導き下さい」
摩遷一党の悪政の元、長年雌伏してきた<保曄講>の知者、勇士たちが、この時から曄姫伽弥を援けて動き始めたのだった。
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