【22-2】保曄講(2)
――丸い眼がくるくるとよく動く
伽弥は語り始めた上官昧の、幼さの残る顔を好まし気に見ていた。
しかしその口から語られた故国を取り巻く状相を聞くに及んで、幾度も驚くことになるのである。
「実は私
目立たないようにしていましたので、誰もお気づきにはならなかったと思いますが」
それが伽弥にとって第一の驚きだった。
祖母の朱莉が朱峩に加えて、上官昧を耀に向かわせた訳が推量出来なかったからだ。
その心中を察したように、上官昧は話を続ける。
「朱莉様が私を使わされたのは、船の上で伽弥様を密かにお守りすることと、先に湖陽に入ったお師匠様を手伝わせるためだったのです。
ところがお師匠様ときたら神出鬼没で、まったく捉まらないのです。
私困ってしまいました。
それだけではなく湖陽の邑内を、お師匠様を探し歩いているうちに、伽弥様まで行方知れずになってしまったのです。
後で訊き込んだ話で、太子配下の<紅賊>に襲われたと分かった時は泣きそうになりました」
上官昧がそこまで話した時、店の小物たちが伽弥たちの卓に、菜肴を運んで来て並べ始めた。
「あ、菜肴が来たので、食べながらお話しますね。
実は私、とてもお腹が空いているのです」
そう言って目の前に置かれた
「あ、やっぱり辛いですね。
でも美味しいです」
と、掌で顔を仰ぐ仕草をした。
それを見た一同は童顔の娘の愛嬌に微笑しつつ、自分たちも箸を動かし始める。
そして一時菜肴を嗜んだ後、上官昧は
「どこまでお話しましたか。
あ、伽弥様を見失ったというところまででしたね。
私は途方に暮れてしまったのですが、翌日太子の<紅死行>が襲われ、その後も<紅賊>たちが次々襲われたという話が、湖陽の街中に拡がったのを聞いたのです。
そしてそんな大それたことを仕出かすのはお師匠様しかいないと思い、私はお師匠様が湖陽の中で暴れ回る訳を考えたのです。
そしてその訳は、お師匠様が伽弥様をどこかで保護されていて、湖陽から逃がす機会を造ろうとしているのだと思い至ったのです。
何故なら、もし伽弥様が太子に攫われたとしたら、<紅死行>など悠長に襲わずに、直接太子邸に乗り込んだ筈だからです。
お師匠様はそういう無茶を平気でするのです」
それまで弟子の話を苦笑交じりに聞いていた朱峩は、
「俺たちは湖陽の知り合いで、
それにしても俺を見つけられなかったとは、まだまだ未熟だな」
と、上官昧の長広舌に口を挟んだ。
「師匠、未熟とは余りの仰りようです。
弟子に対して酷過ぎます。
私は湖陽など初めて行きましたし、その蒙赫という方も知りませんでしたから。
探せないのは無理もないのです」
その遣り取りを聞いていた伽弥は、師弟の間に強い信頼があるのを感じ、少し羨ましく思った。
そして朱峩は弟子からの苦情に、「いいから先を話せ」と苦笑をもって応じる。
上官昧はその言葉を聞いて不満気に口を尖らせたが、すぐに気を取り直して口を開いた。
「そうこうしているうちに湖陽の東門で大騒ぎがあって、<暴漢>が警備の兵を相手に大暴れした挙句、暉に向かったという噂が立ったのです。
『ああ、これはお師匠様に違いない』と私は思ったのです」
「そう思ったのならば、何故俺たちを追って来なかったのだ?」
「それは
「朱莉殿から?」
[お婆様から?]
上官昧の口から出た意外な言葉に、朱峩と伽弥が同時に応じた。
「はい、そうなのです。
朱莉様は、もし何か間違いが起こって伽弥様が耀の国外に出られた場合には、私はすぐに曄に戻って復命するよう仰ったのです。
そして私は朱莉様のお指図に従って、曄に戻る便船に乗ろうとしたのです。
ところが一隻を除いて曄に向かう船に王室の出航許可が下りず、またもや私は途方に暮れることになったのです」
「その一隻というのが、胡羅氾の船だな。
やはり王室と胡羅氾は繋がっていたのだろう」
朱峩のその言葉に上官昧は肯いた。
「お師匠様の言われる通りなのです。
胡羅氾の船かどうかは分からなかったのですが、その船はとても怪しかったので、私は乗らなかったのです。
そこで他国に向かう船はないかと探したところ、丁度曄の隣国の
そして私は朱莉様に事の次第を復命しました。
伽弥様が太子の配下に襲われたことや、湖陽を脱出されて暉に入られたことです。
私が曄に戻った時は、曄公様が伽弥様の婚礼のために出立の支度をされていたのですが、私の復命をお聞きになった朱莉様は、すぐに曄公様の出立を取り止めるよう諌止されたのです」
「では、お父様は曄を立たれていないのですね?」
伽弥が顔を輝かせて訊くと、上官昧はコクリと肯いた。
「曄公様は蓮京におられます」
それは伽弥にとって二度目の驚きであり、喜びであった。
しかし伽弥にとっても他の者たちにとっても、更なる驚きが待っていたのだった。
「それでお前がここにいる訳は何なのだ?
まだその説明は聞いておらんぞ」
「お師匠様は相変わらず気短かでいけません。
もう少し辛抱して聞いて下さい」
上官昧はそう言って口を尖らせれた後、話を続けた。
「私が蓮京に戻った後、とんでもない知らせが飛び込んできたのです。
何と、耀王様が亡くなられて、剋冽太子が王位に就かれたのです」
「何と、太子が王に」
それを聞いた一同から驚愕の声が漏れたが、上官昧の驚報はそれで終わらなかった。
「それだけではないのです。
王様の死が太子による弑逆という噂が流れてきたのです」
「弑逆」
「何という」
上官昧の話を聞いて只々絶句する一同だったが、朱峩だけは厳しい眼差しで、剋冽即位による耀都の荒廃に思いを馳せるのだった。
「そして漸く私がここに来た所以についてお話します。
実は私の復命を聞いた朱莉様が、私をここに差し向けたのです。
朱莉様は伽弥様たちがきっと、胡羅氾領を避けるために暉と晁を通る道筋を通ると予見されました。
そしてお師匠様であれば、きっと晁から曄に至る最も近い道筋を選ばれると考えられたのです。
それは
「成程、すべて朱莉殿の掌の上ということか」
そう言って苦笑する朱峩に、上官昧はしてやったりと微笑む。
そして伽弥に真顔を向けて、朱莉からの言伝を告げたのだった。
「伽弥様にお伝えすることがあります。
この邑のある方と会って話されるようにと、朱莉様が仰せになられたのです」
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