【22-1】保曄講(1)

曄国北東部の大邑琥湛こたんの一隅にある辺境伯胡羅氾こらはん邸。

<七耀>の<日>賀燦がさんはその奥まった一室で、邸の主である胡羅氾から厳しい叱責を受けていた。


「未だに小娘一人捕らえられんとは、何をやっておるのだ。

<七耀>とは木偶でくの集まりか?」


豺獰さいどう(凶暴な山犬)が唸るような、低く掠れた声で賀燦を叱責する胡羅氾は、豪奢な胡床に過食で膨らみ切った躰をもたせ掛けている。

その左右には彼を補佐する軍師の喬容きょうようと将軍の白捗はくちょくが侍立して、主と賀燦のやり取りを聞いていた。


「その上、たった一人の朱峩とかいう男を相手に<五耀>まで討ち取られるとは、情けないにも程があるぞ。

うぬは<七耀>の頭として恥ずかしくないのか?」


胡羅氾は決して大声で怒鳴りはしないが、その声には底なしの陰険さと酷薄さが込められている。

彼の罵倒に無言で項垂れる賀燦に向かって、胡羅氾は冷笑を向けた。


「まあ上手く剋冽こくれつの阿呆を乗せて、王を始末したことは誉めてやろう。

その功に免じて、<七耀>のの処刑には猶予を与えてやる。


必ず伽弥をわしの前に連れて来い。

どんな手を使ってもだ。

いいな?」


その言葉にも賀燦は無言で頷くだけだった。

それを見た胡羅氾は胡床の背に反り返る。

「死んだ<五耀>の後継は決まっておるのか?」


「かなり絞られてきておりますが、まだ確定はしておりません。

今少しお時間を頂ければと」

その答えを聞いて胡羅氾は鼻哂する。


「急いで決めろ。

わしもそろそろ待つことに飽きてきた。


新王の言質も取れたことであるし、公室を覆す頃合いであろう。

わしの役に立つ者どもを選ぶのだ。


本来であれば、他の小族ども同様にみなごろしにするところを、お前たち桔族だけは特別の温情で見逃してやったのだ。

その恩を忘れるなよ」


その厚かましい言い様に賀燦は激しい怒りを覚えたが、それを胡羅氾に悟られないよう、努めて表情を殺しながら、深々と頭を下るのだった。

そして無言のまま、胡羅氾の居室を後にする。


その後姿を冷笑と共に見送った胡羅氾は、左右に侍立する腹心二人に向かって呟いた。

「桔族もそろそろ切り捨てる頃合いかな」


それに答えたのは怜悧な顔の喬容だった。

「公室を覆すまでは使い切りましょう。

その後使い捨てにすればよいのです」

そう言って冷酷極まりない笑みを浮かべる喬容の顔は、陰険さに満ち溢れていた。


一方の白捗は傲岸さを満面に湛えて、胡床に座る主を見下ろしている。

彼は方天戟の使い手で、天下無双の武勇と自ら豪語しているのだ。


その白捗は分厚い笑みを口元に浮かべながら、胡羅氾に向かって豪語する。

「<七耀>がしくじったとしても、俺がおりますからご安心下さい。

朱峩だか何だか知らんが、真の武人の力を見せつけてやります」


そして二人の言葉を聞いた胡羅氾は、

「まずは賀燦にやらせてみよ。

彼奴も後がないことは知っておろうから、必死になるだろうよ」

と言って、残忍な笑みを浮かべるのだった。


一方伽弥一行は胡羅氾こらはんの悪謀によって滅ぼされた廃邨を離れ、畦斗けいとの邑に辿り着いていた。

晩秋の日の入りは早く、伽弥たちが邑門を潜った時には既に辺りに闇が落ち始めていた。


一行はその日の宿を求めて、灯りの点り始めた花街へと入っていく。

その時だった。

「お師匠様」という甲高い声が響き渡った。


一同が声の方を見ると、長身痩躯の娘が立っていて、彼らに笑みを向けていた。

幼い顔立ちのその娘は、朱峩と同じ黒い胡服を身に纏っており、手には剣を携えている。


そしてその娘が朱峩に駆け寄り、「お久し振りです」と挨拶をした瞬間、何と朱峩が背にした長刀に手を掛け、抜き打ちの一撃を振り下ろしたではないか。

伽弥たちは驚きの余り、一斉にはっと目を瞠った。


しかし娘は彼らの驚きを他所に、背筋の凍るような朱峩のその斬撃を、軽やかな動きで躱して見せたのだった。

すると朱峩は振り下ろした刀の向きを変え、娘の胴を目掛けて横薙ぎの一撃を加える。


「きいいいん」

辺りに金物同士がぶつかり合う、甲高い音が鳴り響いた。

娘が剣を半分鞘から抜いて、朱峩の刀を受け止めたからだった。


「修業は怠っておらんようだな」

朱峩がそう言いながら刀を鞘に戻すと、女は口を尖らせて苦情を述べる。

「師匠。いきなり弟子に向かって、抜き打ちは酷いじゃないですか。

当たったらどうするんですか」


「あれくらい躱せんで、俺の弟子が務まるか。

それに、もし躱せんようなら止めてやるから心配するな」


娘がその言葉に尚も言い募ろうとした時、豨車から降りてきた伽弥が、

「その方は?」

と朱峩に問い掛ける。


その問いに朱峩は苦笑と共に答えた。

「ああ、こいつは上官昧じょうかんめいといって、俺の不詳の弟子だ」


「師匠。不詳は余分です。

あ、こちらが伽弥姫様ですね。


お初にお目に掛かります。

師匠のただ一人の弟子の、上官昧と申します」


そう言って上官昧は、伽弥に笑顔を向けると頭をぺこりと下げたのだった。

その様子を見た伽弥は顔を綻ばせた。

上官昧という、自分と年の近い娘に親近感と好感を持ったからだった。


「ところで、お前が何故ここにおるのだ?」

朱峩に訊かれた上官昧は、

「師匠、ここで立ち話も何ですから、一度旅亭に落ち着いてからにしましょう。

私が目星をつけていますので、ついて来て下さい」

と言ってさっさと歩き出してしまった。


朱峩はその後姿を見ながら、「小賢しい奴だ」と苦笑する。

そして一行を促して上官昧の後に続くのだった。


上官昧に案内されたのは、花街の中心にある落ち着いた雰囲気の旅亭だった。

一行は那駝と豨車を旅亭の使用人に預けると、荷物を解いて食堂に集まる。


「皆さま、何か召し上がりたいものはありますか?

なければ、ここの名物菜肴の赫辣彘かくらっていはいかがでしょう?」


上官昧が、皆が卓に着いたのを見計らって、そう持ち掛けるのを聞いて、

「それはどのようなものなのだろうか?」

と虞兆が尋ねた。

すると彼女に替わって、護衛士の憮備むびが答える。


てい(食用の四足家畜)の肋肉を炭で軽く炙った後、色々な野菜と一緒に柔らかくなるまで煮込んだものです。

味付けは巴豆醤はずしょう冬葫とうごと何と言っても辣芥らっかいですね。


私はこの近隣の出自ですので、蓮京れんけい(曄都の名称)に出る前まではよく食べていました。

辣芥の辛味は強いですが、予め彘肉を炙ってあるので全体に香ばしさもあって、肋肉の脂までしっかり味が沁みて美味しいです」


憮備が今にも涎を垂らさんばかりに言うので、護衛士たちの顔が一気に輝く。

そして伽弥も一度試してみたいと言ったのが決め手となり、夕餉は赫辣彘に決まったのだった。


小物に人数分の菜肴を頼み終えると、朱峩が改めて上官昧に質す。

「さて、何故お前がここで待ち構えていたのか、話してもらおうか」


師匠に訊かれた上官昧は、居住まいを正して語り始めた。

「先ず私がここに来た所以ゆえんをお話しする前に、中原の状相についてお話した方がよいと思います」

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