【21-4】耀都動乱(4)

蒙赫率いる群衆が金吾兵と最初に遭遇したのは、耀江に掛かる<弧渡橋>まで残り三里の場所にある花街の中心部だった。

群衆を遮ったのは、那駝なだに乗った将校に率いられた五十名の歩卒。

所詮は平民が集まった烏合の衆と侮っての陣容だった。


群衆に向かって喚き散らす将校まで十軒余りまで近づいた時、蒙赫は後ろの配下たちに手を挙げて合図する。

その途端百余の配下が、隠し持った石を金吾兵に向かって投げつけたのだった。


蒙赫たちからの反撃など予測もしていなかった彼らは、一斉に投げられた石の雨を浴びて、忽ち狼狽え始める。

そして騎上の将校は石を受けて暴れ出した那駝から、あえなく振り落とされてしまった。


その混乱の隙を突いて一気に間合いを詰めた蒙赫は、無様に地べたに転がった将校の首を一刀の元に撥ね飛ばしてしまった。

そして頭の勇猛さに鼓舞された配下たちは、雄叫びを上げて金吾の部隊に一斉に打ち掛かって行くのだった。


指揮官を失って狼狽えた歩卒たちは、命知らずの左幣の侠客の攻撃を受け、散り散りになって逃げ去ってしまった。

それを見た群衆から大歓声が上がる。


その声を背にして、蒙赫は再び大道を進み始めた。

金吾兵との争闘で数人の配下が怪我を負っていたが、朋輩の肩に掴まりながら、全員が彼に続く。


そして群衆が<弧渡橋>まで辿り着いた時、橋の袂に屯する百人余りの姿が蒙赫の眼に飛び込んできた。

「あれは右幣うばんの奴らですぜ。

先頭にいるのは于蝉うぜんの野郎です」


秦不害に言われるまでもなく、それに気づいた蒙赫は、腕組みして待ち受ける于蝉の前まで進むと、目を怒らせて威嚇した。

「道を空けてもらおうか。

邪魔しようっていうなら、力づくで通るぞ」


すると于蝉は一度鼻哂した後、意外な言葉を口にした。

「そう猛るなよ。

お前さんたちの邪魔をするつもりはねえ」


仇敵の口から出た意外な言葉に困惑する蒙赫に、于蝉はしわ枯れた声で続ける。

「お前さんたちが通った後、ここは俺たち右幣が引き受けてやるよ」


「一体どういう存念で、あんたがわしたちの手助けをしてくれるんだ?」

驚いて訊き返す蒙赫に、于蝉はまたも鼻哂する。


「別にお前さんを助けようってえ魂胆じゃねえよ。

ただ狂猩の野郎に意趣返しをしたいだけだ。


野郎のせいで、微右の街は滅茶苦茶になっちまった。

おかげで手下どもを養っていくだけの甲斐性もなくなっちまったのさ。


だから野郎の鼻を明かそうっていう、お前さんの無茶に乗っかって、狂猩野郎に吠え面書かせてやろうっていう魂胆なんだよ」


そう言って蒙赫から目を逸らした于蝉は、

「それに野郎は妹の仇だからな」

と、低い声で呟くのだった。


そして于蝉は後ろの配下に指図して道を空けさせる。

それを見た蒙赫も、配下に指図して橋を渡り始めた。


「恩には着ねえよ。

どうせお互い、生きちゃいねえだろうからな」


すれ違いざま声を掛ける蒙赫に、于蝉も吐き捨てる様に返す。

「せいぜい急ぐことだ。

ここもそれほど長くは持たねえからな」


その言葉に苦笑した蒙赫は、群衆を引き連れて<弧渡橋>を越えて行くのだった。

やがて彼らが湖陰の大道を進み、昱へと続く西門まで来た時、噂を聞いて彼らに従う群衆は千を超える数に膨れ上がっていた。


ここまで来る間に数回金吾の兵と遭遇した左幣は半数以上を失って、残りの半数も例外なく怪我を負っていた。

蒙赫自身も身に数か所の傷を受けている。


そして西門前には、五十の騎兵と二百の歩兵が整列して彼らを待ち受けていた。

それを見た蒙赫は、金吾の部隊を睨んで凄みのある笑顔を浮かべた後、背後の群衆を振り向いて叫ぶのだった。


「昱は目の前だ。

ここで投降しても、狂猩の野郎は容赦なく俺たちを殺すだろう。


仮に逃げ延びても、待ってるのは地獄のような暮らしだ。

だから死ぬのを恐れて怯むんじゃねえ。


あいつらを蹴散らして、一人でも多く門を超えるんだ。

いいな」


その檄を聞いた群衆から、凄まじい歓声が上がる。

それを背にして、蒙赫は朴刀を構えると、迷いもなく駆け出した。

そして彼の配下の侠客たちも、傷ついた身を顧みることなく頭に従う。


命を捨てた五十余りの漢たちと、それに従う千の民の怒りが金吾の部隊を呑み込んだ。

相手と刺し違える覚悟で打ちかかってくる左幣を持て余し、騎兵たちはたちまちのうちに那駝から引きずり降ろされる。


弓矢を浴びながら、狂ったように押し迫って来る群衆に怯えた歩兵たちは、算を乱して逃げ出したのだった。


そして遂に西門は開け放たれ、耀を捨てた民たちは歓喜の声を上げながら、傾れ込んで行った。

門の先の昱の警備兵たちは、あまりの数の多さに群衆を押し止めることも出来ず、道を空けるしかなかったのである。


その光景を見ながら、蒙赫は門の脇に凭れて座り込んでいた。

その身には十余の矢が立っている。


彼の隣には、同じ様な姿勢でに秦不害が座していた。

彼は血塗れの顔を蒙赫に向けて、微かな笑いを浮かべる。


「狂猩の野郎に、一泡吹かせてやれましたかね」

「ああ、そうだな」

しかし蒙赫の言葉に、秦不害からの返事が返って来ることはなかった。


「逝っちまったか。

安心しろ。

わしもすぐ逝く」


そう呟きながら、蒙赫は朱峩を思い浮かべていた。

「これでわしも、少しは朱峩さんに近づけましたかね」

それが湖陽の侠客、蒙赫が口にした最後の言葉だった。


その日西門を越えて昱に至った民は八百余名にまで減っていたが、それでも耀を捨てる者がそれだけの数に上ったことは、耀の朝廷に大きな衝撃を与えることになった。

更に昱公がそれらの難民をすべて受け入れる意思を示したことで、耀王の権威は地に落ちることになったのだ。


弟の儸舎らしゃに続いて、難民の返還に応じない昱公に対して、剋冽の怒りは頂点に達していた。

しかし如何せん今の耀の国力では、昱を攻めて懲罰を加えることなど到底叶わぬことだったのだ。


「あの昱公の傲慢は何とかならんのか。

王を蔑ろにするにも程があるぞ」

そう喚いて酒盃を叩きつける剋冽に、成可せいか衛克えいこくの二人は俯くだけで言葉を返すことが出来ない。


ただ唐憲とうけんが密かな笑みを浮かべているのを見た剋冽は、この佞臣に向かって酔眼を向けた。

「唐憲、そなたには何か存念がありそうだな。

申してみよ」


剋冽から諮問された唐憲は、拱手して上目遣いに主を見る。

そして後の中原に大動乱を引き起こす愚策を、口にしたのだった。


「恐れながら言上奉ります。

陛下は今、王軍に昱を懲らす力がないことを嘆いておられます。

しかし逆臣の昱公を撃つのに、王軍を用いる必要がありますでしょうか」


「どういうことだ?

はっきり申せ」


「王軍を使わずとも、昱に隣接するしんの二国に勅を下して、昱を討たせればよいではありませんか」


「待て。

それは諸国不可侵の耀律にもとるのではないのか?」

さすがに剋冽は疑問を呈したが、唐憲はそれに薄ら笑いを浮かべて答えた。


「よくお考え下さいませ。

耀律とはそもそも、王に忠を尽くす諸侯に適用されるもの。

逆臣の昱公を、耀律で保護する必要などないではありませんか」


「確かにそなたの申す通りだな」

唐憲の佞言を聞いた、剋冽は手を打って喜色を浮かべる。

その主を上目遣いに見る佞臣の顔にも、この上もない邪悪な笑みが浮かんでいた。


そして剋冽は群臣に諮ることもなく、晨公、苴侯に向けて昱公討伐の詔書を下したのだった。

このことは耀王が自ら耀律を破って、後に隣国侵略を目論む諸侯に免罪符を与える結果となってしまったのだ。


その軽挙妄動がやがて中原の動乱と王室の衰退を招くことになろうとは、この愚かな主従が気づくこともなかったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る