【21-1】耀都動乱(1)

伽弥たちが独枩嶺どくしょうれいを越えるために、晁国西端の小邑せつを離れた頃。

耀では新王剋冽こくれつによる暴政が始まっていた。


剋冽が曄の辺境伯胡羅氾こらはんの陰謀に加担して父王を弑逆し、一朝にして王位に昇った時。

百官を朝堂に招集して先ず下した勅令は、弟である儸舎らしゃの捕縛であった。


その目的は言うまでもなく、積年の怨念を晴らすとともに、自身の王位を脅かしかねない儸舎を処刑して将来の禍根を断つためだった。


しかしその目論見は見事に外れる。

己に迫る危機を知った儸舎がいち早く湖陰こいん(耀の西都)を脱して、隣国のいくに庇護を求めたからだった。


昱は剋冽と儸舎の母である前王后の母国であったが、剋冽が王位に就くや、前王后が早々に彼の意図を察して、次子である儸舎に急を知らせたからである。

後からそれを知って激怒した剋冽は、実母である前王后を幽閉し、水も食物も一切与えず涸死させてしまった。


そして怒りの収まらない剋冽は昱公に勅使を送り、儸舎の身柄引き渡しを命じたのだ。

しかし王命に逆らう諸侯など、いる筈がないと信じ切っていた彼の目算は、ここでも外れてしまった。


以前から剋冽の暴虐の振る舞いを快く思っていなかった昱公が、姉である前王后が彼によって悲惨な最期を遂げたことを知り、激怒していたからだ。

昱公は剋冽の詔勅を持参した勅使の両耳をそぎ落とし、官服を剥ぎ取って送り返したのである。


その凄まじい叛意を目の当たりにして、剋冽は顔を蒼白にして言葉を失った。

それと同時に王室の零落振りを、身を持って知ったのである。


諸侯が<耀祖神>を祀る王室への敬意を失くしているということは即ち、神への畏敬を失くしていることに等しい。

それは神の威権を借りて中原に君臨してきた耀王室にとっては、取り返しのつかない程の痛恨事であったのだ。


王に即位した早々に失意を味わった剋冽は、以来内宮に籠って朝廷に出御しなくなってしまった。

そしてそのことに多くの廷臣たちが安堵の胸を撫でおろす中、剋冽の悲嘆に付け込む一人の佞臣が現れたのだ。

その男の名は唐憲とうけんと言い、奏者という卑官の職に在る者だった。


その日伝奏のために内宮の拝謁室に入った唐憲は、並々ならぬ決意を秘めていた。

彼は卑官の身にありながら、国政を司る高位に登る野望を抱いており、日々身を焦がれるように立身を夢見ていたのだ。


しかし背景となる門閥もなく、その力量も奏者の職に見合う程度のものでしかなかった唐憲は、先王の時代には周囲から見向きもされないような矮小な存在に過ぎなかった。

彼に備わっていたのは、ただ陰謀の才だけだったのである。


そんな唐憲にとって、剋冽が王位に就いたことは千載一遇の好機と言えた。

その機会を逃すまいと、彼はその日までにとある情報を密かに掻き集め、剋冽に吹き込む機会を虎視眈々と狙っていたのである。


拝謁室に入って来た剋冽はかなりの酒気を帯びており、不機嫌さを顕わにしていた。

それを新王の不安の表れと感じ取った唐憲は、煩げに伝奏を聞き終えて立ち去ろうとする剋冽に、必死の思いで縋りつく。


「陛下におかれましては、朝廷内に陛下を亡き者とせんとする陰謀があることにお気づきでしょうか?」

その聞き捨てならない奏上を耳にした剋冽は思わず振り返ると、平伏する見窄らしい卑官の者に、「もう一度申して見よ」と怒声を浴びせた。


「恐れ多くもその者どもは、陛下が先王を弑逆し王位を簒奪したという、有りもしない風評を広めております。

それを鵜呑みにした愚か者どもが王を害し奉って、儸舎らしゃ王子を新王として担ごうとしているのでございます」


唐憲が申し立てたことは事実だった。

朝廷内には、先王が何者かによって弑されたことを剋冽がいち早く知り、さらに兵を率いて早朝から外廷に乗り込んで来たことを、不審に思う臣が多数いたのである。


それに加えて内宮の王の房室に置かれていた伝国璽を、先王から譲り受けたとして剋冽が所持していたことを持って、彼が弑逆の首謀者である証であると強く主張する者たちがいたのだ。


その王臣たちは密かに徒党を組んで、剋冽を王の座から引きずり下ろし、先王の第二王子儸舎を担ごうと動き出していたのである。

そしてその旨を昱公にも伝え、助力の約束を得ていたのだった。


唐憲はその陰謀に加担する一人の高官に巧みに取り入ると、自身もその陰謀に組する者と信じ込ませ、あらゆる情報を引き出していた。

そして今その情報を、己の栄達の道具として活用しようとしていたのだ。


性根が臆病者の酷烈は唐憲のその言葉に真実味を感じて、震え上がった。

実際彼が先王弑逆を使嗾したことは、紛れもない事実だったからだ。


「よ、余はどうすればよい。

唐憲と申したな。

そちに何か存念があるか?

あるのであれば申してみよ」


唐憲はその言葉を待っていた。

そして平伏していた顔を少し上げ、上目遣いに剋冽を見上げると、己の策を滔々と述べ始めたのだった。


「陛下は既に王権を握られておりますが、それには実際の力が伴っておりません。

臣の申す力とは、軍の力でございます。


陛下は速やかに詔を下され、禁軍と金吾の軍を掌握なされませ。

そのためには今の禁軍都尉屈回くつかいと執金吾劉三嗣りゅうさんしを罷免し、陛下の腹心の方をその地位に据える必要がございます。


但し、単に罷免の詔を出されても、屈回、劉三嗣の両大将は肯んぜず兵を率いて反乱を起こすやも知れません。

何故ならば、二人とも今回の陰謀に加担しておる不届者たちだからです。


そこで陛下に置かれましては、武装した配下の直属兵を外廷に配した上で、昱公討伐について諮問するという名目で両名を召喚なさるのです。


不埒な反逆者どもは皆、まだ陰謀が露見していることを知りもせず油断しております故、屈劉両名は必ず参内しましょう。

そこを捕らえてすぐさま処刑なさいませ。


そして陛下の腹心の武官に禁軍、金吾の大将の印綬を授け、両軍を掌握させるのです。

さすれば軍の力を得た陛下に、逆らう者などおりませぬ。


そうした上で反逆に組した不忠者どもを根こそぎ狩り出し、断罪なさいませ。

これで陛下の朝廷は、晴天の如く清らかなものとなりましょう」


一気に策を言上した唐憲は、首を垂れて剋冽の裁可を待った。

そしてその頭上に浴びせられた言葉は、彼が待ち望んでいたものだっだのだ。


「唐憲。よくぞ余のために計った。

そなたの忠誠を余は嬉しく思うぞ。


これより腹心の者どもを呼び出す故、その者たちにそなたの策を披瀝せよ。

その上で、明日必ずその策を行うであろう」


「陛下。腹心の方々を招かれるのであれば、余人を交えぬ小宴という体を摂られませ。

万が一にも不忠者どもに、大事が漏れてはなりませぬ故」

「おお、いかにも左様であるな。

これより内庭にて酒宴を催すとしよう」


剋冽は宦官に小宴の支度を命じるとともに、腹心の成可せいか衛克えいこくを内庭に招き入れ、事を諮った。

唐憲の策を聞いた二人の腹心は、それに一も二もなく賛意を示す。


王の失墜は己の没落を意味することを、成衛両名は十分心得ていたからだ。

こうして佞臣唐憲の陰謀は見事に剋冽の意を得て、密やかに動き始めたのだった。

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