【20-2】惨事の跡(2)

「今、浄滅と言いましたか?

無辜の民を故なくみなごろしにしておきながら、浄滅とは何たる言い草か!」


伽弥の剣幕に胡羅氾の兵は一瞬気圧されたが、再び下卑た笑いを彼女に向ける。

「ほう、曄姫様は中々気が強くていらっしゃる」


そして更に悪口あっこうを浴びせようとしたその時、いつの間にか前に進み出ていた朱峩が、兵を見上げて静かに口を開いたのだ。


「俺は今、物凄く機嫌が悪い。

ここに来る途中で、殺伐とした景色を見たのでな。


これから訊くことに心して答えろ。

お前は胡羅氾が行った<討伐>とやらに加わっていたのか?」


兵は彼の放つ殺気に一瞬怯えたが、すぐに気を取り直して喚く。

「我らは皆、胡羅氾様に従って汚らわしい賊どもを浄滅してやったわ。

童も含めて、一匹残ら、ぐげっ」


しかし兵のその言葉が、最後まで口を突いて出ることはなかった。

朱峩の鉄棒を鳩尾に喰らい、鞍から高々と突きあげられてしまったからだ。


朱峩が無造作に棒を振り下ろすと、突き上げられた兵はその場に投げ出されてしまう。

そして地に落ちた時には、既に絶命していたのだった。


そして朱峩は、彼の暴威に唖然とする兵たちの中に踏み込むと、するすると那駝の間をすり抜けながら、騎上の兵たちを片端から叩き落していく。

そして次々と地に落ちた者どもの頭蓋を兜諸共打ち砕き、躰を鎧ごとへし折って行くのだった。


伽弥がその残虐さに目を背けた時、朱峩の振るう棒撃の嵐から辛うじて逃れた一人の兵が、逃げ寄って来る。

しかしその兵は、立ちはだかった虞兆の朴刀で、一刀両断に切り伏せられてしまうのだった。


やがて辺りを静寂が包み、主胡羅氾の権を笠に着て驕慢暴虐の限りを尽くした配下どもは、ことごく地に滅んで声を失くしたのであった。

そして主を失った那駝の群れは、まるで戸惑うが如く寄り集まって佇んでいる。


伽弥たちの元に歩み寄った朱峩は、虞兆に声を掛けた。

「あの那駝を一頭ずつ貰っていくとしよう。

騎乗で行けば旅の進みも早くなろう」


その言葉に頷いた虞兆は、

「こちらの人数より多いが、残りはいかがいたす?」

と朱峩に問い返す。


「余った那駝には荷駄を分けて積めばよい。

姫たちはそのまま豨車で行くとして、荷駄を牽く二頭の豨も姫の車駕に繋げば、足も速くなるだろう。

手分けして取り掛かってくれ」


虞兆は朱峩の言葉に頷くと、配下たちに那駝を引いて来るよう指図する。

護衛士たちが那駝の群れに駆け寄るのを横目で見ながら、朱峩は伽弥に声を掛けた。


むごいものを見せてしまったな。

しかし彼奴らを生きて返すと、姫の所在を胡羅氾に知られるのでな。

随分顔色が悪いが、大事ないか?」


「お気遣いありがとうございます。

しかしこのような修羅場には、なかなか慣れないものですね」

「慣れる必要などないだろう。

荒事など見ずに済むなら、それに越したことはないからな」


「胡羅氾はあのような者たちを、他の公領にも放っているのでしょうか?」

伽弥が不安気な表情で問うと、朱峩は少し考え込んだ後、推量を口にした。


「はっきりしたことは言えんが、恐らくあの手の連中をあちこちに放って、じわじわと自領を広げていっているのではないかな。

その様な噂を耳にしたことはある。


それにここは独枩嶺どくしょうれいから晁に繋がっている。

もしかすると晁への侵攻を目論んでおるのかも知れん」


「無法な。

何故地方軍はそのような放恣を捨て置くのでしょうか」

「この国の軍は緩んでおるのだよ」


朱峩の答えに伽弥は目を瞠った。

その顔を見た朱峩は、曄軍の実情について彼女に語って聞かせる。


「晁などに比べればこの国には匪賊が少ないし、今のところは耀律(耀の法)が守られていて、隣国との間に争いの種はないからな。

地方軍に危機感が乏しくなっているのも詮方ないのだ。


それでも有事に備えるのが指揮官の心得というものだが、そういう意識の者は少ないのだろうな。

俺の知る限りでは、まともに調練を行っている部隊は殆どないのではないかな。


それ故胡羅氾の手下どもが跳梁しても止められんし、止める気もないのだろう。

胡羅氾の軍も寄せ集めで決して強い訳ではないが、もし彼奴が反乱を起こせば、地方軍にそれを止める力はないだろうな」


朱峩の言葉を聞いた伽弥の表情が昏くなる。

それを見た朱峩が、彼女を宥めるように言った。


「さすがの胡羅氾も口実がなければ、大々的に下克上をおこなう訳にはいかんだろう。

それ故このような姑息な手を使っているのだ。


姫は先ず、曄公が王都に上って、謀略に嵌められるのを阻止することに心血を注がれよ。

それで胡羅氾も蜂起する口実を失うからな」


「そうですね。

先ずは目の前のことをしっかりと見据えましょう」

朱峩の言葉に、伽弥は強い意志を込めて頷くのだった。


「姫、朱峩殿。

出立の支度が整いましたぞ」

その時虞兆が二人に声を掛けてきた。

朱峩が見ると荷駄は那駝の背に移され、四頭の豨が伽弥の車駕に繋がれている。


「荷車は置いて行こう」

朱峩の言葉に虞兆は頷くと、

「こ奴らの死体はいかがいたす」

と、辺りを見回した。


「打ち捨てて行こう。

あの邨の者たちに為したことの報いだ。

あとは禽獣が始末してくれるさ」


そう言って朱峩は伽弥に目を向ける。

伽弥は唇を強く結んで、それに応えた。


以前の伽弥であれば、死んだ胡羅氾の兵に憐みの目を向けたかも知れない。

しかし今の彼女の胸には、民を害する者どもを決して許さぬという、為政者としての強い意志が漲っているのだ。


その決意の表れと見て取った朱峩は、伽弥に頷くと護衛士たちに声を掛けた。

「さて、出立するとしよう。

夕刻までに畦斗けいとに着くぞ


そう言って那駝の鞍に跨った朱峩の心にも、ある強い決意が生じていたのだった。

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