【20-1】惨事の跡(1)

破暁はぎょう終刻(午前七時)。

伽弥一行は旅装を整えると、渠深きょしんたちに見送られ、独枩嶺どくしょうれいの山塞を後にした。


山道を二刻下れば、漸く曄の地を踏むことになる。

耀都湖陽から逃げ出して以来、数百里の道程を超えて来た一行が、再び故国の地を踏むことに大きな感慨を覚えたとしても無理からぬことであっただろう。


伽弥は豨車きしゃに揺られながら、山道沿い広がる濃厚な樹林をぼんやりと眺めていた。

そして時折樹々の中に忽然と現れる、人々の暮らしの名残を垣間見る度に、昨夕朱峩から聞かされた胡羅氾こらはんの非道な振る舞いを思い出すのだった。


匪賊の濡れ衣を着せられ、汚辱にまみれたまま命を奪われ、この世から消し去られてしまった人々。

彼の者たちの怒りや悲しみは如何ばかりであっただろう。


――曄の公室はその人々を守ることすら出来なかったのですね。

それを思うと、伽弥の心は張り裂けそうになるのだ。


そしてその怒りと悲しみは、伽弥の中で強い決意となって膨らんでいた。

――<大義>をわきまえ、<信>を貫く。

何度も心の中で繰り返して来たその言葉が、今では伽弥の行く道を示す道標となっているのだった。


独枩嶺の山道を下り切ると、荒涼とした平原の中へと街道は繋がっていた。

往来する人が少ないせいか、街道はともすれば草に隠れて道を見失いそうになる。


そして独枩嶺を離れて二里程進んだ時、一行は荒れ果てた邨の跡へと踏み込んで行ったのだった。

道の両側には、朽ち果てた民家の残骸が散らばっている。


――ここも胡羅氾の<討伐>の害に遭った邨だろうか。

先頭を行く虞兆ぐちょうが昨日の朱峩の話を思い出しながら進んでいると、ふと足元に転がる丸い物が目についた。


不審に思った虞兆が立ち止まって見ると、それは人の頭骨だった。

先頭の虞兆が突然立ち止まったのを不審に思った顧寮こりょう憮備むびは、彼が見ているものに眼を遣って息を呑む。


そして彼らが目を凝らして周囲を見渡すと、あちこちに人骨が散らばっていたのだった。

三人が呆然と立ち止まっていると、後ろに続いていた豨車から、何事かと伽弥が降りて近づいて来る。

そして彼女も周辺の惨状を見て、声を失くしてしまうのだった。


「邨を襲った胡羅氾の兵が、死体を置き捨てにして行ったのだろう」

最後尾にいた朱峩も、いつの間にか伽弥の傍らに立って、周囲の様子に怒りの目を向けていた。


「これが果たして、人の為す所業でしょうか」

伽弥が怒りを米と呟く。


「姫の言う通りだな。

しかしその悪行を、平然と為す者どもがいるのも事実だ」


朱峩の言葉に唇を噛みしめた伽弥は、一同を見渡して言った。

「せめて土に還してあげましょう」


そして落ちている骨を拾い始めたのだった。

それを見た虞兆と侍女の施麻しまが慌てて止めようとしたが、彼女は取り合わない。


「頑固な姫だ。

では俺は穴を掘るとしようか」

伽弥の頑なな様子を見て苦笑した朱峩は、付近に落ちていた木切れを拾い上げて街道脇に穴を掘り始めた。


それに慌てた護衛士たちは骨を集めるために周囲に散って行き、虞兆は朱峩と共に穴を掘り始めるのだった。

一刻あまりが過ぎて遺骨を埋め終えた伽弥たちは、穴の上に積み上げた石の前に並んで黙禱を捧げる。


――今はこれだけしか出来ませんが、いつか必ず弔いをしますので、静かに眠っていて下さい。

名もなき者たちに祈りながら、伽弥は次々と沸き起こる悲しみを噛みしめるのだった。


朽ち果てた邨を後にした一行は、再び平原へと足を踏み入れた。

そして畦斗けいとまで残り一日の場所まで至った一行が、翌朝原野の中での野営を終え、正に出立しようとしていたその時だった。

彼方から騎乗の一団が近づいて来たのだ。


「何者でしょう?

近隣の地方軍が巡邏しているのでしょうか?」

副官の顧寮こりょうの言葉に虞兆ぐちょうは曖昧に頷く。


「念のためだ。

皆得物を用意して置け」

隊長の命令を聞いた護衛士たちに緊張が走る。


護衛士たちが伽弥を囲んで態勢を整えたところに、その一団はやって来た。

そして先頭の那駝なだに乗った兵が、彼らを見定めるような目つきで見下ろすと、横柄な態度で口を開く。


「お前らは何者だ?

どこから来て、どこへ行こうというのだ?」

その傲慢な口振りに、虞兆が怒りを顕わにする。


「貴様、無礼だぞ。

この方は公室の公女、伽弥様だ。

さっさと那駝から降りて平伏せよ」


しかしその言葉を聞いた兵たちは、那駝を降りるどころか、顔を見合わせて爆笑するのだった。


「伽弥姫だと?

これは朝から珍しい者に巡り合ったな。


耀都から逃げ出したと聞いたが、こんな所でうろついていたのか。

胡羅氾様への手土産に丁度よい」


先頭の兵の言葉に、他の兵たちが再び大笑いする。

その無礼な物言いに激怒した虞兆が怒鳴り返す。


「貴様ら、胡羅氾の兵か?

曄姫様に対して無礼にも程があるぞ。

そもそも、胡羅氾の兵が何故公室領内まで、のさばり出て来ておるのだ」


「無礼は貴様だ。

一兵卒の分際で胡羅氾様を呼び捨てにするとは何事だ。


俺たちが何故ここにいるかだと?

胡羅氾様が十余歳前に浄滅した匪賊どもの巣窟に、貴様らのような輩がたむろしていないか見回っておるのだよ」


その時、隊長らしいその兵が放った言葉に、護衛士たちの後ろに立ってそのやり取りを聞いていた伽弥が激怒した。

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