【19-3】独枩嶺(3)

渠深きょしんたちが立て籠る山塞は独枩嶺どくしょうれいを貫いて通る山道の頂上付近にあった廃邨はいそんを利用したものだった。

その邨は嘗て晁と曄を往来する、旅人や行商人のための中継地として栄えていたようだ。


しかし晁の動乱の呷りで曄からの来訪者が減り、次第に廃れていったため、人々が逃散して無人になってしまったらしい。

そこを渠深に率いられた兵たちが占拠して要塞化したのが、今から五載前のことだった。


山塞を訪れた伽弥たちが驚いたのは、そこには兵だけでなく大勢の民が暮らしていたことだった。

渠深から聞いたところによると、兵の家族だけでなく晁の流民が山塞に居着いて、彼らと生活を共にしているとのことだった。


独枩嶺は低山で、山塞付近には平地が広がっていたため、住民たちはそこで農耕を行うことが出来た。

その収穫と渠深たちが官庫や汚吏たちから奪った物で、皆の暮らしを支えているというのが山塞の実情だったのだ。


そして近頃は晁や曄から賈人たちが山塞を訪れ、渠深たちと取引していくようだ。

伽弥たちが墨塞ぼくそくの邑で出会った韓保義かんほぎもその一人らしい。


伽弥たち一行には渠深の好意で、嘗て行商人のための旅亭として使われていた屋舎が提供されたのだった。

旅装を解いて一息ついた一同は、階下の食堂に降りた。


まだ夕餉には早い時刻だったが、厨房では調理が始まっているらしく、食欲をそそる香りが漂っている。

そして食卓には軍装を解いた渠深が既に席に着いていて、伽弥たちを手招きした。


席に着いた伽弥に笑顔を向ける渠深は、あれ程の剛剣を振るう者とは思えない程、端正な顔立ちをしていた。

「改めまして、私は嘗て晁の寧泉ねいせん郡の将軍をしておりました渠深と申します」


「曄の公女、伽弥です。

こちらは私の護衛隊を率いる虞兆ぐちょう

そしてこちらは」


「俺と渠深は先程刀で語り合ったから、もういいだろう」

朱峩が伽弥を遮って苦笑するのに、渠深も微笑で応える。


そして双方が居住まいを正すと、おもむろに朱峩が切り出した。

「まずは先程の問いに答えてもらおうか。

何故お主たちは、我らがここを通ることを知っていたのだ?」


「ああ、それは墨塞ぼくそく杜亜とあ殿から聞いたのだ」

「杜亜殿とお知り合いなのですか?」

渠深の口から出た意外な答えに、思わず伽弥は目を丸くして尋ねた。


「ええ、三載程前に墨塞の官庫を襲ったことがあるのですよ。

その際に話す機会があったのです。

以来些少ではあるが、<幸舎>の援助をしています」


「杜亜殿が、援けてくれる方がいらっしゃると仰っていましたが、貴方でしたか」

「我らだけではないとは思いますが」

伽弥の言葉に笑顔で頷くと、渠深は話を続けた。


「姫様が墨塞を立たれた直後に、援助を届けさせた配下の者が、杜亜殿から貴殿らの話を色々と聞いてきたのだ。

それでせつにいる助力者に、貴殿らが到着したら知らせるよう頼んでおいたのだよ」


その言葉を聞いて、朱峩は「成程」と苦笑する。

すると今度は渠深が、表情を改めて伽弥に問い掛けた。


「不躾なことをお伺いするが、姫は何故晁を通って曄に向かっておられるのですか?

噂では耀王の第二王子に嫁されるとお聞きしたが」


尋ねられた伽弥は少し顔を曇らせたが、すぐに表情を改めた。

そして湖陽で剋冽太子に襲撃されてから今日までの間に、彼女がそれまで経験したこともなかった出来事の数々について、語って聞かせたのだった。


神妙な表情で伽弥の話に聞き入っていた渠深は、話が終わると深々と頭を下げた。

「大変な思いをされましたな。

お話難いことを聞かせて頂き、お礼を申し上げます」


「決して悪いことばかりではなかったのです。

蒙赫もうかく殿、杜亜殿、そして渠深殿。


宮殿の奥にいては決してお会い出来ない方々と巡り合い、様々なことを学ばせて頂きました。

私にとっては、一生の宝となります」


伽弥の言葉を聞いた渠深は目を瞠った。

貴人の口から、そのようなことが語られるとは思いもよらなかったからだ。


「成程、曄の姫様は聡明なお方だ。

あなたの聡慧の半分でも晁の公族にあれば、国がこれ程乱れることもなかったのだが」


その述懐を聞いた伽弥が、遠慮がちに問いかける。

「私の方からも、不躾なことをお聞かせ願いたいのですが。

何故渠深殿のようなお方が、公室に反旗を翻されたのでしょうか?」


「別にこの山塞に、国への反旗を掲げている訳ではないのですが」

伽弥に問われた渠深は少し照れたように笑うと、得々と語り始めるのだった。


「ご存じのことと思いますが、今晁では公と公弟、そしてその取り巻きの豪族どもが、下らない覇権争いを繰り広げているのです。

理由は、言えば口が腐るような、下らないものなのですがね。


しかしその呷りで国土は荒廃し、匪賊どもが跋扈している。

そして多くの民が酷税と匪賊の害で流民となり、行く宛もなく彷徨っているのですよ。


飢え死ぬ者たちも後を絶ちません。

これで国が立ちゆく訳がない」


渠深はそこで一度言葉を切った。

その顔にはこれまでの笑顔とは打って変わった、苦渋の表情がありありと浮かんでいる。


「五載前のことでした。

その頃私は、この地域を管轄する地方軍の将の任に就いておりました。


軍の任務は主として匪賊の討伐だったのです。

無論民の暮らしを守るために、匪賊を排除することは必要でした。


しかし匪賊といえども、元を正せばまつりごとの乱れが生んだ流民たちです。

いくら討伐しても、次から次へと湧き出てきて切りがありませんでした。


そのような先の見えない任に、私も配下たちも倦み始めていた頃、公室朝廷より郡内を彷徨う流民たちをひと所に集めるよう、命が下りました。


何のために流民を集めるのか、定かなことは伝えられておりませんでしたが、私は流民たちを帰農させるために集めるのだろうと考えていたのです」


淡々と語る渠深の眼に、深い怒りと悲しみの色が差した。

伽弥はその眼の中に、この快活な武人の心の奥底に秘められた、国への絶望を見る思いがしたのだった


「私たちが二千余の流民たちを集めた時でした。

朝廷から公室禁軍百騎がやって来て、流民たちを都に連れて行こうとしたのです。


驚いた私がその理由を質すと、禁軍の将は答えました。

流民どもを都に連れて行き、兵にするのだと。


その頃禁軍と公弟軍の間では、各地で小競り合いのような消耗戦が繰り広げられておりました。

その戦に流民を駆り出そうというのです。


何と愚かな。

政の乱れによって生み出され、住み慣れた地を離れ、行く宛もなく飢えて彷徨う民を、さらに死に兵として戦場いくさばに送り出そうというのです。


怒りに我を忘れた私は、問答無用で民を連れ去ろうとする禁軍の将を、切り捨てました。

そして我に返った時には、禁軍の兵どもを五十程、那駝から切り落としていたのです」


「五十もの騎兵を一人で」

「渠深ならば容易かっただろうな」

伽弥たちはその超絶の武威に唖然とし、朱峩は当然のことと頷く。


「その後私は軍を離れたのですが、何故か百余りの部下が付き従ってきたのです。

仕方がないので、当時廃邨になっていたここに居着いたという次第なのですよ」

そう言って照れたように笑う渠深の眼は、元の快活さを取り戻していた。

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