【19-4】独枩嶺(4)

独枩嶺どくしょうれいの大侠、<雷鳴>の渠深きょしんの述懐は尚も続いた。

「その後も私の後任として都から来た将を嫌って、結局五百余りがここに集って来たのです。

その将は討伐軍と称して兵を率いてきた時に、真っ先に首を撥ねてやりましたがね。


そして兵たちを養うために、近隣の邑の官庫や、民から掠め取った財を貯めこんだ汚吏どもの役宅を襲っています。

そういう意味では叛徒と呼ばれても、無理からぬところですが。


ことのついでに、この近辺に巣食う兇賊どもを根こそぎ駆逐してやったので、以前と大して変わらぬ暮らしぶりなのですよ」


そう言って笑う渠深に、伽弥が問いかける。

「この山塞には兵以外の民も暮らしているようですが」


「ああそれは、私が禁軍どもを追い散らした時に解き放った流民たちが、ここを頼ってきたのです。

追い返す訳にもいかぬので、好きなようにさせたのですよ。


この辺りには元の住人たちが残した耕地もありましたし、山の獣も多いので、官庫から奪ったものと合わせれば、何とか養うことも出来ました。

するといつの間にか、千を超える流民が暮らすようになったのです。


食べていけることも勿論ですが、ここにいれば匪賊に襲われることも、役人に収奪されることもありませんので。

平穏に暮らせるのでしょう」


その話を聞きながら伽弥は、渠深という端正な容貌を持つ武人の懐の深さに、感動を抑えることが出来なかった。

朱峩と同じ<侠>の心を、彼の中にも見る思いがしたからだ。


渠深たちとて望んで落草し、叛徒となった訳ではない。

国を怨むのであれば、他の者たち同様に匪賊と成り果てたとて、何ら不思議ではなかっただろう。


しかし彼らは窮民たちに手を差し伸べている。

それは渠深が国とは民であり、民を愛することが即ち国を愛することだという強い信念を持っていたからだ。


――政が乱れ、塗炭の苦しみに喘ぐ民は、彼らのような侠者を心の寄り辺にしているのでしょうか。

――この広い中原に、朱峩様や渠深殿のような漢がどれほどの数いるのでしょう。


「さて、余談が長くなりました。

そろそろ夕餉の支度も整う頃合いです」

そう言って伽弥に笑顔を向けた渠深は、厨房の前に控えている者たちに目配せする。

すると大皿に盛られた菜肴が次々と運ばれ、卓上に並べられた。


「山中のこと故、大した饗応も出来ませんが、山獐さんしょう(鹿に似た獣)の群れを捕らえましたので、夕餉に供させて頂きます。


香木で燻した肉を山菜や茸と煮込んだだけのものですが、量だけはたっぷりとありますので。


それに以前近隣の邑宰から巻き上げた銘酒をお出ししますので、存分に飲んで頂きたい」


渠深がそう言って笑うと、伽弥の護衛士たちの間にも笑顔が広がる。

彼の話を聞いて、皆が信の置ける漢と感銘を受けた故だった。


その夕の宴は伽弥たちにとって、湖陽を出て以来、初めて心置きなく寛げる場となった。

護衛士たちも渠深の配下たちと談笑しながら、酒食を愉しんでいる。


その喧噪に紛れながら、渠深が伽弥にこの先の道行について語った。

「山塞の前の山道を戌亥じゅつがいの方に下ると、二刻余りで曄に入ります。

そしてそこから更に二日ほど街道を行けば、畦斗けいとという邑がある筈です」


「畦斗から蓮京れんけい(曄都の名称)まではどれ程の隔たりがあるのでしょうか?

お恥ずかしい話ですが、私は曄で生まれたにもかかわらず、蓮京以外の地を踏んだことがないのです」


「姫は深窓で暮らしていたから、それは仕方あるまい。

畦斗から蓮京までは、凡そ三百里といったところだな」

伽弥に答えたのは朱峩だった。


「まだ道は遠いのですね」

その一言に彼女の苦衷を察した朱峩は、宥めるように言葉を繋いだ。

「曄公に急を知らせるのであれば、畦斗から伝騎を走らせればよかろう。

確か畦斗は中規模の邑ゆえ、常駐する地方軍もあったのではないかな」


しかしその言葉を聞いても、伽弥の憂いは晴れないようだった。

「畦斗までの間に邑はないのでしょうか?」


伽弥に問われた朱峩が、耳朶を摘まんで困った顔になる。

彼のその顔を見た伽弥は不審げに彼を見つめた。

そして朱峩はその視線に押されるように、重い口を開くのだった。


「十余歳前までは独枩嶺どくしょうれいの山麓にも、途中の山道の近辺にも邨はあったのだが、今は住む者もいない」

そこまで聞いた渠深が、「<討伐>か?」と、苦い表情になって呟いた。


「知っておるのか?」

「噂程度ならな」

二人のやり取りに不審気な表情を浮かべた伽弥に向かって、朱峩は苦いものを吐き出すように語り始めた。


「<討伐>というのは胡羅氾こらはんが十余載前に行った悪行でな。

その頃この独枩嶺や、それに連なる山岳地帯には、幾つもの少数民族が暮らしていたのだよ。


そしてそれらの殆どが、胡羅氾によって討伐され滅ぼされたのだ。

その訳は、匪賊を装ったそれら山間の民が、平地の邨々を襲ったということだったのだがな。


実際は胡羅氾が配下に匪賊を装わせ、その罪業を山間の民に着せたということらしい。

そして<討伐>と称して、無辜の者たちに兵を向けたのだ。


さらに彼奴は配下が邨々から収奪した富を曄の朝廷の高官どもに撒いて、のし上がったのだそうだ。

そうでもなければ、地方軍の一兵長に過ぎなかった男が、辺境伯にまで昇ることはあるまい。


そして胡羅氾が<討伐>と称して行ったのは、民のみなごろしだった。

それ以来、独枩嶺とその山麓から、人の影は無くなってしまったのだよ」


朱峩のその話を聞く伽弥の護衛士たち、そして渠深の配下の者たちの眼に、激しい憤りの灯が点っていた。

そして伽弥は聞くに堪えない悪行に、声を失ってしまうのだった。

その様子を厳しい眼で見渡した朱峩は、伽弥に顔を向け、静かな口調で語り掛けた。


「姫よ。胡羅氾の悪行を憤るのは構わん。

しかし怒りに眼が眩んで、進むべき道を間違ってはならん」

その言葉に伽弥は、もの問いたげな目を向ける。


「例えば胡羅氾一人誅して事が済むのであれば、それは容易いことだ。

俺が乗り込んで行って、彼奴の首を撥ねれば済むこと。


しかし胡羅氾がこの世から失せても、曄の国が変わることはないのではないかな。

むしろ彼奴が死んだ後に、配下どもが大騒乱を起こすとも考えられる。

もし胡羅氾を倒すのであれば、姫が彼奴と正々堂々と向かい合うしかないだろう」


「私にそのように大それたことが為せるでしょうか。

とても自信がありません」

そう言って涙ぐむ伽弥を、朱峩は静かな声で諭した。


「前にも申したが、姫が自ら力を持つ必要などないのだ。

ただ大義を弁え、信を貫けばよい。

知や武など、それを持つ者たちから借りれば済むこと。


見られよ。

乱れに乱れたこの国にも、渠深やその配下のような漢たちがいるではないか。


曄にその様な者たちがいない筈もなかろう。

姫はそのような者どもを糾合して、姫自身が信じる道を進むだけでよいのだ。


杜亜とあ殿が申していただろう。

姫が望む国を造りなされと。

姫が望む国は、曄の民にとっても暮らし良い国だと、俺は思うがな」


そう締めくくって、朱峩は慈愛のこもった眼で伽弥を見た。

そして伽弥の心に、己の信じる道を進もうという、新たな決意が生まれるのだった。


「我ら一同、微力とは申せ、姫と同じ道を進んで参りますぞ」

虞兆ぐちょうのその言葉に、護衛士たちが一斉に頷いた。


「我らも出来ることがあれば助力致しましょう。

朱峩殿には命を一つ借りておりますからな」


渠深の言葉に朱峩は、

「只の手合わせだ。

それ程大仰に捉えることもあるまいに」

と苦笑を浮かべる。


彼らの力強い言葉の数々に、伽弥は深々と頭を下げるのだった。

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