【19-2】独枩嶺(2)

「山賊ですか?」

伽弥が戸惑いながら朱峩の言葉を反芻すると、彼はそれに頷いた。


「山賊と呼ぶのは違うかも知れんな。

叛徒と呼ぶ方が相応しいだろう」


「叛徒ということは、晁の公室に対して反旗を翻しているということであろうか?

どのような経緯いきさつで反乱など起こしたのだろうか?」

今度は虞兆がいぶかし気に声を上げる。


「俺も詳しいことは知らんのだが、独枩嶺どくしょうれいに山塞を構えて、晁の公室が送り込んだ地方軍を何度も撃退しているようだ。


五百余りの勢力らしいのだが、それを率いているのが晁にその人ありと言われた渠深きょしんという武人でな。

二千や三千の地方軍では歯が立たぬのだろう。


かと言って晁の中央軍は今、公弟との争いに明け暮れておるからな。

最近では討伐を諦めて放置しているらしい」


「そのような場所を通過して大丈夫なのでしょうか?」

伽弥が不安を口にすると、朱峩は少し眉を顰める。


羅先らせんが調べた限りでは、独枩嶺の叛徒はこの国に跳梁する他の匪賊と違って、旅人や邨民を襲うことはないそうだ。

寧ろ近隣の匪賊どもを、ことごとく打ち払ってしまったらしい」


「では、どのようにして五百もの兵を養っているのでしょう?」

「主に官庫や汚吏の役宅を襲っているようだな。

この邑の官庫も一度襲われたのだそうだ」


それを聞いた一同は、驚きに声も出ない。

そこまで公然と公室に逆らう者がいるなど、彼らには思いもよらぬことだったからだ。


「そういう者ども故、滅多に襲って来ることもなかろうと思う。

仮に行く手を遮られたとしても、話の通じぬ相手ではなさそうだからな」


「そうですね。

その様な者たちでしたら、朱峩様が言われるように無体なことは為さぬでしょう。


それにここを凌げば曄に入り、お父様に危急を知らせることが出来るようになります。

私はこのまま独枩嶺を超えていくことに賛同しますが、皆はいかがですか?」


伽弥が決意を込めた目で一同を見回すと、皆がそれに応えて力強く頷く。

その様子を見た朱峩は、「では今日はこれまでにして、明日の出立に備えるとしよう」と言って立ち上がると、伽弥たちに房室に戻るよう促した。


隅中ぐうちゅう初刻(午前九時)。

伽弥たちは出立の支度を整え、せつ邑を後にする。


邑門を出ると、彼方に独枩嶺の緩やかな稜線が遠望出来た。

一行は護衛隊長の虞兆ぐちょうを先頭に、既に晩秋の気配が漂い始めた枯野を粛々と進んで行った。


そして一刻程街道を行くと、緩々ゆるゆるとした登りに差し掛かる。

漸く独枩嶺に至ったと察した護衛士一同に、緊張が走るのだった。


そこから半刻程は何事もなく過ぎたのだが、突然最後尾から先頭まで駆け寄った朱峩が虞兆に声を掛ける。

「物見らしい者が今、樹間を走り去って行った。

恐らくこの先で叛徒どもが待ち構えているようだ。

ここからは俺が先頭を行こう」


その言葉に頷いた虞兆は背後に立った顧寮こりょう憮備むびに振り向き、後方の四人の護衛士たちに急を告げさせる。

そして朴刀を握る手に力を籠め、先頭を歩き出した朱峩に続くのだった。


束の間坂を上ると、そこには朱峩の予見通り、那駝なだ(中型二足歩行獣)に騎乗した一団が道に立ち塞がっていた。

そして一際大きな那駝に跨った先頭の騎士が進み出てくると、一行の目前でひらりと地に降り立つ。


その男の顔は婦人に見紛うほどの端麗さだったが、その目には秋霜の如き冷厳な気迫が込められていた。


朱峩と指呼の間に対峙した男は、口元に微笑を浮かべて彼に問い掛けた。

「曄姫様の御一行とお見受けしたが、間違いないか?」


それに対して朱牙も、冷笑を浮かべながら応じる。

「先ずはそちらが名乗るのが、礼儀というものだろう」

その言葉を受けた男は表情を改めた。


「これは失礼致した。

私はこの独枩嶺の山塞を統べる渠深きょしんと申す者。

今一度尋ねるが、貴殿らは曄姫様の御一行で間違いないか?」


それに朱峩が応じようとした時、いつの間にか豨車から降りていた伽弥が前に進み出て来た。

「曄の公女伽弥は私ですが、渠深殿と申されたか。

行く手を塞ぐとは無礼ではありませんか」


その凛とした答えに渠深は、思わず苦笑を漏らす。

「これはご無礼致した。

我らは曄姫様に害を為そうというのではないので、ご安心召されよ。

ただ」


そこまで言って渠深は、凄みのある目を朱峩に向ける。

「こちらの朱峩殿に少し用があってな」


「ほう。何故俺が朱峩だと思うのだ?

それ以前に何故俺たちが曄姫の一行と分かったのだ?」


「それはある筋から聞き及んだとだけ言っておこう。

そして貴殿の隙のない佇まい。

噂に聞く朱峩殿で間違いあるまい」


「俺が朱峩だとしたら、俺に何の用があるのだ?」

「中原に名高い<烈風の朱牙>。

貴殿とは一度刀を交えたいと、常々思っていたのだ」


「酔狂なことだな。

しかし俺の方も、<雷鳴>の通り名を持つ渠深という男には、興味がなくもない」

「それでは早速、手合わせ願おうか」


そう言い放って渠深は背に負った長刀を抜き放った。

対する朱牙も黒棒を地に突き立てると、背中の長刀を鞘走らせ、小さく「中」と呟いた。


一瞬たりとも目を逸らさずに睨み合う二人の間に、緊張感が極寒の気の如くほとばしった。

その気を切り裂くような裂帛の気合と共に、渠深が一気に間合いを詰めると、上段から渾身の斬撃を朱峩目掛けて振り下ろす。


身の毛もよだつようなその一撃を、体を躱して長刀で受け止めた朱峩は、渠深の刀を押し返しつつ袈裟懸けの一撃を見舞う。

今度は渠深の長刀がその超速の斬撃を、見事に払い除けて見せたのだった。


同時に一歩下がって間合いを取り、互いを見つめ合う二人の口元には、命のやり取りをする者同士にも拘らず、喜悦の笑みが浮かんでいた。

それも束の間、朱峩と渠深が互いに示し合わせたように間合いを詰めると、再び斬撃の応酬が始まるのだった。


渠深が振るうのは、その端麗な容貌に似合わぬ剛刀の一撃。

ただ力任せに振るうのではない、武の理に適った太刀筋の、瞠目に値する刺斬の技の数々だった。

まさにその武威は、<雷鳴>の通り名に恥じないものと言えた。


一方の朱峩が身につけたるは、剛柔兼ね備えた<武林観>相伝の武技。

渠深の放つ刺突、斬撃の数々を或いは受け、或いは流しながら軽々と捌きつつ、隙を突いては神速の一撃を繰り出していく。


二人の驍勇ぎょうゆうが繰り広げる神技しんぎの応酬を、伽弥たちは陶然として見守るのだった。


そして朱峩と渠深が渡り合うこと五十余合。

渠深が放った渾身の斬撃を弾き返した朱峩の長刀が、彼の首筋目掛けて襲い掛かった。


しかしその一撃が彼の命を刈り取ることはなかった。

朱峩が刀を首筋に届く直前で止めたからだ。


「負けた。負けた。

流石は烈風の朱牙。

私の及ぶ相手ではなかったな」

渠深はそう言って大笑すると、長刀をだらりと下げた。


そして朱峩もにやりと笑みを浮かべ、刀を鞘に納める。

「俺と五十合も渡り合ったのはお主が初めてだ。

<雷鳴>の通り名に恥じぬ腕だな」


そのやり取りを聞いていた伽弥の一行と、いつの間にか近くまで来ていた騎乗の一団の間に、安堵の空気が流れる。


そして渠深は自身の刀を鞘に納めると、伽弥に向かって深々と頭を下げた。

「曄姫様、此度の無礼な振る舞いをお詫び致す」


「いえ、渠深殿に害意がなかったことは、承知致しました。

どうぞ頭を上げて下さい」


伽弥の言葉に顔を上げた渠深は、再び朱峩を見る。

「さてご一同はこのまま曄に向かわれるか?」


「何故それを訊く。

もう満足したのなら、道を開けてもよかろう」


「ふむ、そのことだが、このまま進めば山中で夜を迎えることになる。

夜半はかなり冷え込む故、姫にはお辛かろうと思ってな」


朱峩が「それで?」という目で促すと、渠深は言葉を続けた。

「よろしければ、山塞で一夜を過ごされてはいかがだろうか?

明朝山塞を立てば、夕刻には曄の邑に着くことが出来る筈だ」


その申し出を受けて朱峩が伽弥を見ると、彼女は笑顔で頷いた。

「ありがたいお申し出です。

是非ともそうさせて下さい」


その答えに莞爾とした笑みを浮かべた渠深は、配下に目を向け頷いた。

すると一人の兵が那駝に飛び乗り、山塞に知らせに駆け去って行くのだった。


「ここから山塞までは一刻ほどです」

渠深はそう言って自身も那駝に跨る。

そして伽弥一行は独枩嶺の騎兵たちに続いて、彼らの山塞へと歩き出したのだった。

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