【19-1】独枩嶺(1)
耀王が崩御し、太子
曄姫
㸅を出て西の
漸く故国を目前にする所まで到達したことで、一行は心の昂揚を覚えるのだった。
思えば伽弥の婚儀のために訪れた湖陽の地で、太子剋冽から理不尽な襲撃を受けたことが、この旅の始まりであった。
朱峩と巷間の侠客
湖陽においては三人の護衛士を失い、暉の
この晁国内においても、
その他にも数々の艱難辛苦を乗り越えて、漸くここまで達したのである。
一同の感慨が
しかしこの先にも梟雄
㸅の旅亭で旅装を解いた一行は、揃って夕餉の卓に着いていた。
この夕は日頃偵探の役割を担って、伽弥たちとは別行動を取っている
一同が卓に着くと、間もなく皿に盛った
羅先が予め食堂の者に言い含めておいたもののようだ。
皿が卓上に並んだのを見極めて、朱峩が口を開いた。
「羅先。お前はこの辺りの出自だったな。
皆にこれの食べ方を教えてやってくれんか」
その言葉に笑顔で頷いた羅先は、得々と語り始める。
「この大皿に乗っておりますのは、
薄切りにしたものにこの付けだれをたっぷり浸けて、副菜と一緒に胡麻の大葉で包んで食べるのが定法です。
付けだれは酸味と辛みが効いて美味しいですよ」
それを聞いた護衛士たちが、思わず唾を飲み込む。
その様子を笑顔で見ながら羅先は続けた。
「この
そのままでもいけますが、この|花豆ともち麦を蒸して煉り合せた蒸餅を汁に浸して食べると、また違った美味しさがあります。
さあ皆さま。
熱いうちに召し上がって下さい」
その言葉を待ちかねたように、護衛士たちは一斉に箸を動かして菜肴に手を付ける。
伽弥や侍女たちも異国で味わう滋味豊かな菜肴に、舌鼓を打つのであった。
そして皆の腹がくちて夕餉に満足したところで、護衛士の
「羅先殿は、朱峩殿とは長いお付き合いなのですか?」
その問いに微笑した羅先は、
「そうですね。
かれこれ十載あまりになりますか」
と言って朱峩に笑顔を向けた。
朱峩はそれに苦笑で応え、
「もう十載になるのか」
と口にする。
「どのような
二人の言葉を聞いた憮備は、尚も興味深げに尋ねた。
その問いに羅先は、苦笑を浮かべながら述懐し始めるのだった。
「既に朱峩様から聞かれていると思いますが、その頃私は偸盗を生業としておりました。
今思えば、詰まらない稼業に手を染めていたものです。
中原の国々を行商姿で巡りながら、
何事にも投げやりになっていたのですよ。
このままではいずれ
あれは
懐かしむように語る羅先の言葉に、一同は思わず聞き入っていた。
朱峩は口元に苦笑を浮かべているが、別段話を遮る気もないようだ。
「私は曄に向かう途中、その邑に立ち寄ったのです。
そして街中を歩いておりますと、人が集まって何やら騒いでいる場に出くわしたのでございます。
何事かと思い私が覗いてみますと、
そしてその二人に向かって、男が何やら喚いていたのです。
童女はその声に怯えたのか、言葉を失くして立ち竦んでおりました。
後で聞いた話では、その豨車は邑主のもので、倒れていた女は後ろから来た車を避けることが出来ずに、轢かれてしまったようでした。
女は娘を車から庇ったのですね。
そして二人に向かって喚いていたのは、邑主の御者だったのです。
車駕に
しかし母親の方は既に絶命していたらしく、動く気配もありませんでした。
それでも御者は母親の遺骸を蹴って怒鳴り続けていました。
そこに割り込んだのが朱峩様でした。
周囲の者から事情を聞いた朱峩様は、あの鉄棒でいきなり御者を弾き飛ばしたのです。
そしてその場にしゃがんで母親の様子を確かめると、厳しい表情で立ち上がりました。
その後この方が、何をされたと思われますか?」
そう言って羅先はくすりと笑う。
そして朱峩は、気まずそうな顔で横を向いた。
「朱峩様は鉄棒を振り上げると、車駕を叩き壊してしまったんですよ。
中に乗っていた邑主は、何が起こったのか分からなかったらしく、壊れた車の中で言葉を失して呆然としていました。
私は驚きましたねえ。
あんな無茶をする方を見たのは、初めてでしたから。
朱峩様が母親の躰を担ぎ上げ、泣いている子の手を引いて立ち去って行かれるのを見た私は、思わず後をついて行っていました。
そして私を何かの役に立てて頂けるよう、お願いしたのです。
何故かこの人について行きたいと思ったんですね。
もう偸盗を働く気など消え失せていました。
それ以来、旅の行商を生業にしながら、付かず離れず何か用のある時に使って頂いているのです。
今回ご一緒に旅をさせて頂いているのも、その様な訳なのです」
そう言って話を締めくくった羅先に、伽弥が尋ねた。
「その親娘はどうなったのでしょうか?」
「母親の方はやはり駄目でしたので、朱峩様が邑人に貨を与えて埋葬させました。
そして娘の方はその後幾載かの間、朱峩様が連れて歩いたのです。
今は曄のさる御方の元で暮らしております」
「朱峩様に弟子がおられるのですか?」
羅先の言葉に驚いた伽弥が呟くと、朱峩は「不詳の弟子だがな」と憮然として応える。
そして表情を引き締めると、皆に向かって、
「さて、余談はさておき。
この先の話をしようか」
と切り出した。
「この先の
朱峩の言葉を聞いた一同に緊張が走った。
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