【16-4】璃倮教(4)

「私は、元はこの国の北部にあるまちで父から受け継いだを営んでおりました」

盲目の璃倮教信徒は静かに語り始める。


みせの規模は然程ではありませんでしたが、商いに滞りはなく、それなりの利を得ていたのです。

夫は心根の優しい人でしたが、商いには不向きなたちでございましたので、舗の切り盛りは私が担っていました。


夫との間には娘と息子に恵まれ、世間並みの幸せな日々を送っておりました。

しかしそれも長くは続きませんでした」


そう言って言葉を切った杜亜の顔に昏い翳が差す。

そしてその表情が、これから語られる悲痛な出来事を、如実に物語っていたのだった。


「ご存じのことと思いますが、この国では公と公弟が相争っております。

その煽りを受けて匪賊が跳梁し、民を苦しめているのです。


そして不運にも、私の舗が賊に襲われる日が訪れました。

それも最悪の者共だったのです。


賊に押し入られた時、私は全ての財を差し出しました。

家族の命に比べれば、財貨など何程のものでありましょうか。


しかし賊共は残忍この上ない奴輩だったのです。

彼奴等は私の目の前で夫と子供らを次々と殺したのです。


そして一人殺す度に、私の目を刀で潰しました。

夫を殺した時に天目を、子らを殺した時には地人の二目を次々と」


むごい」

杜亜の告白を聞いた伽弥は思わず絶句してしまった。

その目には大粒の涙が浮かんでいる。


護衛士の二人も、そして羅先も、杜亜の顔をまともに見ることが出来ず、目を伏せてしまった。

一人朱峩だけが、憐憫のこもった静かな眼差しを彼女に向けている。


「私は無残に命を奪われる夫と子供らから、眼を離すことが出来ませんでした。

刀で目を切られる痛みすら感じませんでした。


潰れた目からも、涙は零れるものなのですねえ。

これまで生きてきた中で、あれ程泣いたことはありませんでした」


そう言って涙ぐむ杜亜に、伽弥たちは掛ける言葉を失い、只々目の前の女性が見舞われた悲運に同情し、その出来事の理不尽さに激しい怒りを覚えるのだった。


「賊が私だけを殺さなかった訳は、今もって分かりません。

もしかしたら私が絶望の中でもがき苦しむことを、望んだのかも知れませんね。


すべてを失くした私は、自ら命を絶とうと思いました。

しかしめしいた私には、その術すらなかったのです。


変事に気づいた隣家の方が私を医家に運んで下さいましたが、最早私には生きる気力など欠片も残っておりませんでした。

そんな私を救って下さったのが、璃倮様だったのです」


その時杜亜の周囲に、森厳な空気が立ち昇るのを伽弥は感じた。

そして彼女が次に語る言葉の中に、自分が今日ここを訪れた意味を見出せるのではないかと、切実に願うのであった。


「医家で寝台に身を仰臥よこたえながら、私は食べ物も水も一切口にせず、そのまま静かな死を待っておりました。

そしてその時、偶々邑内にある<幸舎>に立ち寄られていた璃倮様が、私の噂を耳にされ、わざわざ訪ねて来られたのです。


私の傍に立たれた璃倮様は、そっと私の手を握られました。

私は今でもあの手の温もりを、明白はっきりと憶えております。


その手の温もりを感じながら、何故か私は身に起こった不幸を語っていたのです。

そしてすべてを語りつくした時、私の中から絶望が消えているのを感じました。


恐らく私は璃倮様に語る言葉と共に、絶望をも口から吐き出したのではないでしょうか。

そして最後に璃倮様は私の耳元に口を寄せて、こう仰ったのです。


『辛い思いをされましたね。

それでも生きることを諦めてはなりませんよ』


その言葉は私の体中に染み渡るようでした。

それから私は生きる勇気を取り戻し、養生を重ねたのです。


そして体が元に戻るにつれて、璃倮様についてもっと知りたいと、切に願うようになりました。

矢も盾もたまらず医家を出た私は、隣家の方にお願いして<幸舎>まで連れて行って頂きました。


私を迎えた璃倮様は、『随分とお元気になられました。重畳です』と仰って、恐らく微笑まれたのだと思います。

それから私は<幸舎>にお世話になりながら、璃倮様のお考えを知ろうと、必死の思いでそのお言葉に耳を傾ける日々を送ることになったのです」


そこまで語って杜亜は一度話を止め、手元の水を口にした。

そしてそれを無言で見つめる伽弥たちに向けて、またおもむろに語り始めるのだった。


「やがて璃倮様がこの国から立たれる日が来ました。

璃倮様は幾人の信徒の方々と旅しながら、中原各地にある<幸舎>を巡っておられたのです。


私は共に行かせて頂くことを切に願いましたが、恨むべきはめしいたこの身。

足手纏いになることを恐れて、断念せざるを得なかったでございます。


私は璃倮様が立たれる前に、二人でお話をさせて頂く時を設けて頂きました。

そして伽弥様が先程私にお尋ねになったことと、同じことを璃倮様にお尋ねしたのです。


何故璃倮様は、このように多くの人々に救済の手を差し伸べておられるのでしょうかと。

すると璃倮様は仰いました。


『私は誰かを救おうとしているのではありません。

ただ、自分が救われようとしているだけなのです。


私が為していることは、私のためにしていることなのです。

ですからあなたも、誰かを救おうとするのではなく、ご自身が救われるために生きて下さい』


そのお言葉を聞きながら、私は璃倮様の大きな悲しみの一端に触れた思いがしました。

その悲しみ故に、この方は人々に慈愛の手を差し伸べておられるのだと。


璃倮様は今も国々を巡る苦難の旅を続けておられるのでしょう。

そしてあの方が通られた後には、人々の心を濡らす慈雨が降っているのだと思います。


さて、お聞き苦しい話を長々とお聞かせしましたが、先程伽弥様から頂いた問への答えとなりましたでしょうか?


私は決して誰かを救おうなどという、大それたことを為している訳ではありません。

ただ自分を、あの日引き裂かれた自分の心を救うために生きているのでございます」


杜亜のその言葉に、伽弥は目を潤ませながら首を垂れる。

「辛いお話をさせてしまい、申し訳ありませんでした。

杜亜様のお心は、十分に得心いたしました」


「それでは本日伽弥様が、訪ねて来られた訳を教えて頂けますでしょうか」

杜亜が笑顔に戻って問うと、朱峩が伽弥に替わって、これまでの経緯いきさつを語る。


それを聞き終えた杜亜は少しの間考え込むと、

「とてもありがたいお申し出ではございますが」

と、困惑気味に口を開いた。


「御覧の通りのあばら家でございます。

折角財貨を寄進いただいても、ここに置くのは憚られます」

「たしかにここでは不用心だな。

しかしどうしたものか」


杜亜の応えに朱峩も困惑ぎみに返した。

伽弥や羅先も考え込んでしまう。

その時杜亜が、はたと思い当たったように口を開いた。


「もしよろしければその財貨を、私の知人の賈人に預けて頂けませんか?

その賈人に財貨を食に替えて頂き、必要な時に必要な分だけ届けて頂くようにすれば、過分な物をここに置かずに済みます」


「成程、それは良い考えだが、その賈人は信用出来るのか?」

「古い知人ですが、善良な方でございます。

私とのご縁で、この<幸舎>にも時折援助頂いておりますので」


「そういうことであれば俺は構わんと思うが、姫のお考えはいかがか?」

「私に異存はありません。

是非こちらで役立てて頂きたいと思います」


伽弥の答えを聞いた杜亜は、莞爾とした笑みを浮かべた。

「ではお手数ですが、明後日にここまでお運び頂けますでしょうか。

その時に引き渡せるよう、手配しておきますので」


こうして冥蛇めいだ一味の残した盗品の始末は算段がまとまり、伽弥たちは杜亜の元を辞すことになった。

そして笑顔の杜亜に見送られ、一同が<幸舎>を出た時、「朱峩様」と声を掛けた者がいる。


朱峩が声の方に顔を向けると、そこには鴇鳴館ほうめいかんの婢妾だった姜芭きょうはの姿があった。

姜芭は伽弥たちに歩み寄ると、深々と辞儀をする。


「ここにいたのか」という朱峩の問いに、「暫くこちらでお世話になりながら、働き口を見つけようと思います」と、姜芭は笑顔で応えるのだった。

そしてやおら表情を改めると、声を潜めて語り始めた。


「朱峩様たちが出て来られた<幸舎>の様子を、外から伺っている者がおりました。

鴇鳴館の従僕だったさくという者です。


中のお話に聞き耳を立てているようでしたので、私が声を掛けましたところ、慌てて立ち去ったのです。

その様子があまりに不審でしたので、お伝えしておこう思いまして」


その言葉を聞いた朱峩が羅先に目配せすると、彼は一つ小さく頷いて足早に一同から離れて行った。

その後姿を見送った朱峩は姜芭に穏やかな顔を向け、諭すように言って聞かせる。


「今の話には礼を言おう。

だがこれからは俺たちに話しかけるな。

これまでのことは忘れて、これからの自分たちのことだけを考えて生きろ」


その言葉に深々と腰を折る姜芭に別れを告げ、朱峩は一同を促して歩き始める。

その顔には姜芭に向けたのとは打って変わった、厳しい表情が浮かんでいるのだった。

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