【16-3】璃倮教(3)

朱峩しゅが伽弥かや墨塞ぼくそく西門外にある璃倮教りらきょうの<幸舎>を訪れたのは、その日の晡時ほじ初刻(午後三時)になろうとする時刻であった。


信徒の束ねを行っている杜亜とあという女性に、羅先らせんが面会を打診したところ、快く受け入れてくれたのだった。


そして杜亜との面会には、大勢で押しかけて無用な警戒を招くのは避けるべきだと朱峩が主張を入れ、顧寮こりょうともう一人の護衛士だけが同道することとなった。


旅亭に残ることになった護衛隊長の虞兆ぐちょうは一抹の不安を感じぬでもなかったが、朱峩が傍についている限り伽弥の身に滅多なことは起こらぬだろうと、自身を納得させるのだった。


旅亭を立った伽弥は豨車きしゃに揺られながら、これから会う杜亜という女性に対して、様々な思いを巡らせていた。


――どのような境地であれば、人々に広く救済の手を差し伸べられるのでしょう?

――それは璃倮教という宗教の教えなのでしょうか?

――或いは杜亜という方のお人柄によるものなのでしょうか?


これから曄に帰って自身が為さんとすることを思い、杜亜から何か大切なことを得ることが出来るのではないかと、伽弥の心は期待に膨らむのであった。


街の西門まで来た時伽弥は豨車を止めさせ、この先は歩いて行くと顧寮に告げる。

顧寮は主の身を案じてそれを止めようとしたが、伽弥は肯んじなかった。


「困窮する方々の暮らす場所に豨車を乗り入れるのは、不遜というものでしょう」

そう言って顧寮を諭す伽弥を、朱峩は口元に微笑を浮かべて見ていた。


伽弥たちが足を踏み入れたのは、粗末な小屋が無秩序に立ち並ぶ雑然とした一郭だった。

軒を寄せ合うようにして建てられた小屋の合間には、窮民たちの姿が見え隠れする。


彼らのある者は通り過ぎていく伽弥たちを興味深かげに見ているが、殆どの者が五人には無関心で、齷齪あくせくと何かの作業をしていたり、或いはあらぬ方を呆然と見ていたりする。


そのいずれの顔にも不安と絶望が浮かんでいるように思えて、伽弥の心は締め付けられるのだった。

――曄の民も、この人たちと同じ表情をしているのでしょうか?


「この様子を見ると、<幸舎>という名は皮肉に思えますね」

周囲を見回しながら誰にともなく呟く顧寮に、朱峩が低い声で返す。

「他に比べれば、ここは僅かでも食っていける分だけ、まだましということだろう」


やがて一行は<幸舎>に漂う重苦しい雰囲気の中、目指す建物に辿り着いた。

そこは他と比べてかなり大き目の小屋で、璃倮教の信徒たちが集って暮らしている場所のようだった。


先頭に立った羅先がおとないを入れると、中から痩せた中年の男が顔を覗かせる。

淡黄色の長袍を着て髪を同色の巾で結っているところを見ると、信徒の一人らしい。


羅先が用向きを告げると、男は余り表情のない顔に僅かな微笑を浮かべ、伽弥たちを中にいざなうのだった。

小屋の中に物はあまりなく、中央には幾つかの卓と胡床が置かれていた。


その一つに黄袍黄巾を纏い、紗で顔を覆った女性らしい姿があった。

伽弥たちを案内した男が近づいて何事か耳打ちすると、その女性は立ち上がって伽弥たちを手招きする。


その手に誘われるまま卓に近づいた伽弥と護衛士二人は、紗を通して垣間見えた女性の顔に、一様に驚きの表情を浮かべた。

三目いずれにもむごい刀傷が残され、潰れていたからだった。


「杜亜と申します。

私の顔に驚かれましたか?


見苦しい有様をお見せして申し訳ありません。

ご容赦下さいませ」


杜亜と名乗った女性はそう言って口元に笑みを浮かべる。

そして伽弥たちに席を勧めると、

「差し支えなければ、お名前とご身分を明かして頂けませんでしょうか?」

と、慇懃に乞うた。


伽弥はそれに応えて、偽りなく身分を明かす。

「曄公の娘、伽弥と申します。

私の後ろには警護の者が二人控えております。

そして」

と言って隣に座った朱峩を見ると、彼は無言で肯く。


「その他に朱峩殿と羅先殿が同行しております。

突然大勢で押しかけまして、ご迷惑をお掛けしております」


「まあ、曄姫様でいらっしゃいますか。

そして朱峩様と申されるのは、武林観で武を極められた方でございますね?」

「ほう、俺のことをご存じか」


「はい、ある筋の方からお名前をお聞きしております。

中原に名を馳せたお二方にお会いできるとは、光栄の至りでございます。


他の皆さまも、この様なあばら家まで足をお運び頂き、誠にありがとうございます。

さて、本日わざわざお越しいただいたのは、どの様なご用向きでしょうか?」


そう言って一同に笑顔を向ける杜亜に、朱峩が口を開いた。

「こちらの用件をお話しする前に、不躾ながらお訊きしたいことがある。

よろしいか?」


杜亜が無言で頷くと、朱峩は徐に口を開いた。

「貴殿らは如何にして、数百もの窮民の糊口を賄っておられるのだ?

周囲を耕して得た収穫だけでは、とてものこと足りぬと思うのだが。

璃倮教の本山から、援助を受けられているのか?」


「朱峩様がご不審に思われるのも、無理はありません。

確かに周辺の田畑の収穫ではとてものこと、皆様に十分な食を供することは叶いません。


また璃倮教には、教団や本山というものがございません。

ただ璃倮様の教えがあるだけなのです。


その教えを奉じる者たちが、総じて璃倮教の信徒と呼ばれております。

そして信徒たちは皆貧しいので、援助を望むことは難しいのです。


しかしこの様な私どもでも、支えて頂ける奇特な方々がおられます。

その方々から頂戴するご支援にて、細々と<幸舎>を営んでおる次第でございます」


その言葉を聞いた伽弥は、道々胸に抱いていた疑問を杜亜に投げ掛けた。

「杜亜様はどのような経緯いきさつで璃倮教に入信されたのですか?

そして何故、このように多くの人々に救済の手を差し伸べておられるのでしょうか?

それは璃倮教の教えなのでしょうか?」


伽弥のその問いに微笑で応えた杜亜は、

「その訳をご説明するには、かなりお聞き苦しい話をお聞かせすることになりますが、構いませんでしょうか?」

と居住まいを正して言った。


その言葉に頷いた伽弥は、杜亜の顔に深い悲しみが宿るのを感じた。

そして彼女の口から語られるであろう話の重さを感じて、思わず身震いするのだった。

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