【16-2】璃倮教(2)

墨塞ぼくそくに到着した一行は姜芭きょうはたちに別れを告げる。

三人に行く宛がある訳ではなかったのだが、取り敢えずは邑内に住まいを見つけて、職を探すことにするようだ。


「私どもを、あの人でなしから解き放って頂きまして、誠にありがとうございました」

揃ってこうべを垂れる姜芭たちに、伽弥は優し気な笑顔を向ける。


「今一度言うが、俺たちのことは忘れろ」

朱峩がそう言って念を押すのに、三人は真剣な眼差しで首肯するのだった。


姜芭たちが立ち去るのを見送って、一行は華街の外れに向かった。

時刻はまだ隅中ぐうちゅう(午前十時)を過ぎたばかりだったが、先ずは今宵投宿する旅亭を探すためであった。


前夜は冥蛇めいだ一味の巣窟だった鴇鳴館こうめいかんで過ごしたため、皆が緊張でゆっくりと休むことが出来なかったのだ。

更にここまでの長旅の疲れが重なり、伽弥が体調を崩すことを慮った朱峩が数日留まることを主張したため、一行は墨塞で旅装を解くことになったのである。


帰国を焦る伽弥は旅の強行を主張したのだが、その顔色があまり思わしくないことを見て取った虞兆ぐちょうと侍女たちが、彼女を必死で説得したのだった。

そして伽弥の体調以外にも、冥蛇めいだ一味が残した盗品を託す先を見つけなければならないことが、墨塞に留まる理由となったのだ。


花街に着くと旅亭はすぐに見つかった。

そして各自が宿房に荷を下ろし、早めの昼餉を摂るために、護衛士四人を荷の見張りに残して食堂に降りると、そこには羅先らせんが卓に着いて、朱峩たちを待ち受けていた。


彼は先に邑内に入って墨庭観ぼくていかん璃倮教りらきょうの風評を調べていたのだ。


既に羅先が調べを終えたと見て取った朱峩は彼の卓に席を取り、伽弥と虞兆を同じ卓に同席させる。


そして食堂の小物に昼餉の支度を頼んだ後、朱峩は早速羅先に報告を促した。

羅先はそれに応え、「先ずは墨庭観ですが」と話を切り出した。


銭匿せんとくという観主はかなり吝嗇なお方のようでして。

側聞した限り墨庭観では、施薬、救民の類の慈善奉仕は一切行っていないようです」


「成程、姜芭が言っていた通りだな。

施薬を行わないということは、煉丹も行わないのか?」


「いえ、配下の道士たちを使って煉丹自体は盛んに行っているそうです。

ただ、貧民、飢民は一切相手にせず、富家に対して<仙薬>と称するものを高額で売り捌いているとか」


そこまで言って羅先は思わず失笑する。

伽弥も呆れ顔で首を横に振るのだった。


「それで、その<仙薬>とやらで得た財はどうしているのだ?」

朱峩が苦笑を浮かべながら訊くと、羅先も眼に笑いを浮かべながら続けた。


「表向きは観の財としているようですが、実際は銭匿が着服しているようですな。

しばしば花街に現れるそうですので、今宵顔を拝めるかも知れません」

その言葉に朱峩は思わず吹き出す。


「俺も人のことは言えんが、その銭匿という奴、道士の風上にも置けん俗物だな。

そんな奴に預託する訳にもいかんか」

そう言って伽弥を見ると、彼女も深く頷いた。


「さようですね。

預けた物は、悉く銭匿せんとくの懐に入るのが落ちでしょう。

お止しになった方が宜しいかと」


朱峩は羅先の言葉に頷くと、「璃倮教りらきょうの方はどうだ?」と先を促した。

すると羅先はやや困惑した表情で語り始めるのだった。


「璃倮教というのは、実はよく分からないのですよ」

「分からぬとは?」


「璃倮教の<幸舎>と申しますのは、邑内ではなく西門外に設けられております。

そこには近隣から集まって来た、数百の貧民が暮らしているようなのです。


ただその中に璃倮教の信者は殆どおらず、匪賊の害に遭って食い詰めた者や、親を失った童などが集っているのです。

その<幸舎>を建てて取り仕切っているのが璃倮教の信徒なのですが、これは十人に満たない数なのだそうです」


「その数で数百人の貧民をどうやって養うのですか?」

伽弥が不審げな顔で尋ねると、羅先も困った表情を浮かべる。


「<幸舎>の周囲の痩せ地を耕しながら、糊口をしのいでいるようではありますが。

その細々とした収穫も税で七割徴収されますので…」


「七割!」

「それでは到底暮らしていけぬではないか!」

伽弥と虞兆は税の酷烈さに思わず声を上げたが、羅先は苦笑を浮かべるだけだった。


「国が乱れ、役人が腐ればそうなるのだろう。

それに匪賊の害が加われば、民が田畑を捨てて流民になるのも必然だな」


伽弥には朱峩のその言葉が、暗に故国曄の世情を示唆している気がしてならなかった。

あの<七耀>の<木>、魯完ろかんが残した言葉が、彼女の心に今も残っているからだ。


『曄姫よ。貴方は何も分かっていない』

『曄が今どのような有様なのか。曄の民が、何を思っているのか』

『そして、何故胡羅氾様があれ程の力を持ったのか。貴方は何も分かっていない』


「話を戻そう。

それだけ搾り取られて、貧民たちはどのように食い繋いでいるのだ?」

朱峩のその言葉に、伽弥は我に返った。


「それがよく分からないのです。

富家からの寄進があるのか。

或いはかんの教団本山から貨が送られているのか」


その答えを聞いて、朱峩は束の間黙考する。

そして再び羅先に向かって口を開いた。

「その十人に満たないという信徒は、どのような連中なのだ?」


「信徒を束ねているのは杜亜とあという女だそうです。

その杜亜を含め、璃倮教の信徒に対する悪評はありませんでした。


皆貧民たちと同じ物を食し、暮らしぶりも質素というよりは貧困に近いようですね。

貧民たちを何かに使役することもなく、来る者は拒まず受け入れています。


貧民の中には、墨塞ぼくそくの邑内で働いて貨を得る者も僅かながらいるようですが、それらの者に寄進を迫る訳でもないようです。

尤も、中には進んで寄進する者もいるようですが」


銭匿せんとくとは随分違うようだな。

しかしお前の言うように、その<幸舎>とやらを、どの様に維持しているのか皆目見当がつかんな」


再び黙考した朱峩は、「一度その杜亜という女に会ってみるか」と言って口元に笑みを浮かべる。

すると伽弥が、「私もお会いしてみたい」と呟いた。


「ほお、姫も興味を持たれたか」

「はい、その方がどのような心境で貧民たちに奉仕されているのか、お会いして確かめてみたいのです」


その答えを聞いた朱峩は、「繋ぎを取ってもらえるか?」と羅先に依頼する。

羅先は、「ではこの後<幸舎>をおとなってまいります」と笑顔で頷いた。

そのやり取りを聞きながら、伽弥は魯完の残した言葉を、また心の中で反芻するのだった。

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