【16-1】璃倮教(1)

翌朝伽弥一行は鴇鳴館こうめいかんの庭に集まり、出立の手筈を整えていた。

姜芭きょうはたち三人や従僕の六人も、身の回りの物を携えて不安気に身を寄せ合っている。


朱峩は彼ら一人一人に幾許かの貨を手渡すと、

「賊のことは忘れろ。

俺たちのこともだ。

そしてこの先は、元の良民に戻って生きるんだ」

と言い渡す。


彼が兇賊冥蛇一味をことごとく葬り去ったことを知った僕婢たちは、その言葉に何度も頭を下げて頷くのだった。

そして男たちはそそくさと門を出て、屋敷から立ち去って行った。


ところが女三人はその場に残って、もの言いたげに朱峩を見ている。

その様子を不審に思った朱峩が「どうした?」と尋ねると、姜芭が前に進み出た。


「皆様方は坂を西に下って行かれるのでしょうか?

もしそうであれば、墨塞ぼくそくという邑まで、私どもをご一緒させて頂けませんでしょうか?」


「別に構わんが、お前たちはその墨塞という邑の出なのか?」

その問いに姜芭の眼には悲し気な色が宿った。


「いえ、私どもは三人とも東にある邨の者です。

しかし邨の皆には、ここで賊に使われていたことを知られてしまっているのです。


今となっては、邨に帰ることも叶いません。

そこで三人で話し合ったのですが、墨塞で働き口を見つけ、三人で生きて行こうと思うのです」


その言葉を聞いた朱峩は、女たちに憐憫の目を向ける。

「分かった。

では一緒に墨塞まで来るがいい。

しかし墨塞に着いたら、俺たちのことは忘れろ」


朱峩の肯諾が得られて、姜芭たちは顔を見合わせて喜び合った。

その様子に苦笑を浮かべた朱峩は、丁度屋敷から出て来た伽弥に歩み寄って行く。


そして姜芭たちの事情を伽弥と虞兆ぐちょうに手短に話すと、

「姫の支度も整ったようだから出立したいのだが、一つ困ったことがあってな」

と言って耳朶を摘まんだ。


「困ったこととは何でしょうか?」

その言葉に伽弥が不審げな表情を浮かべると、朱峩は護衛士たちが囲んでいる荷駄を指差した。


「あれは賊どもが屋敷に貯めこんでいた盗品なのだが、ここに置いていく訳にもいかんのだ。

かと言って我らが持ち去る筋合いの物でもないし、どうしたものかなと思ってな」


その言葉を聞いて伽弥は仄かに笑いを浮かべる。

「朱峩殿にもお困りのことがあるのですね。

役所に渡して、元の持ち主にお返しすればよいのではないですか?」


しかし彼女の言葉に朱峩は首を横に振った。

「役所に渡せば、役人の懐に入るだけだろうな。

それに冥蛇の一味は、押し入った先の者をみなごろしにしていたらしい。

だから返す者も残っておらんだろう」


朱峩のその言葉を聞いた途端に、「まあ」と言って伽弥の表情が昏くなる。

しかしその時、二人のやり取りを聞いていて虞兆が口を開いた。


「その墨塞という街で道観を探して、寄進してはいかがか?

道観であれば、施薬や貧民救済に宛てるのではないかな」


虞兆の言葉に「道観なあ」と朱峩が呟くと、彼らの近くで話を聞いていた姜芭が、遠慮がちに「あの」と声を上げる。

三人がその声の方に顔を向けると、姜芭はおずおずと口を開いた。


「墨塞には<墨庭観ぼくていかん>という、この辺りでは一番大きな道観があるのですが、そこの観主様は余り良い評判を聞かない方です。


噂によればとても欲深く、施薬や貧民救済などは何一つ行っておられぬとか。

その方に寄進されるのは、お止しになった方が…」


「それ程評判が悪いのか?」

朱峩の問いに姜芭は上目遣いに肯いて、言葉を続けた。


「墨塞には璃倮教りらきょうの幸舎があると聞き及んでおります。

そちらに寄進されてはいかがでしょうか?」


「璃倮教なあ」

姜芭の言葉に、朱峩は難しい顔をした。


「璃倮教とはどのようなものなのでしょう?

朱峩殿はご存じなのですか?」


「璃倮教というのは、かん(十六侯国の一つ)が発祥の宗教だ。

詳しいことは俺も知らんが、近頃ではあちこちの国に拡がって、各地に<幸舎>というものを建て、貧民救済を行っているようだ。

悪い噂を聞いたことはないが、かと言ってよく分からぬものに寄進するというのもなあ」


朱峩のその呟きに、伽弥は微笑をもって応える。

「墨塞の街で直接様子を見てみてはいかがでしょう?」


「そうだな。

ここで悩んでいても詮無いことだ。

<墨庭観>とやらの評判も、直接調べて見るか」


伽弥に肯いた朱峩は、

「それでは出立しよう。

おんなたちは盗品の荷駄に乗せてやってくれ」

と虞兆を促した。


その言葉に頷くと、虞兆は護衛士たちに向かって出立を告げる。

そして一行は虞兆を先頭に鴇鳴館こうめいかんの門を潜り、西に向かって旅立つのだった。


長い坂道を十里余り下ると鬱蒼とした森は途切れ、街道は広大な平原へと繋がっていた。

そしてその先には長大な土壁に囲まれた大邑が見える。


「あれが墨塞か?」

一行を止めた朱峩は、荷駄に乗った姜芭に尋ねる。


姜芭は彼に肯くと、

「墨塞はこの国の西の地域で、最も大きな街なのです」

と、彼方の長壁を遠望しながら答える。


その時森の切れ目に立つ巨木の陰から羅先らせんが姿を現し、一行に近づいて来るのが見えた。

彼は伽弥たちに先行して、墨塞の様子を探っていたのだ。

朱峩の元に歩み寄った羅先は、集まって来た一同に向かって街の状況を話して聞かせる。


「あれが墨塞の街ですが、治安は然程さほど悪化しておりません。

大賈も多く、賑わいもあります。


街への出入りは、門が開いている間は自由です。

特に役人が門でまいないを貪るようなこともないようです。


お指図通り旅亭の目星は付けておきましたので、今宵はゆっくりと旅の疲れを癒されればよいと思います」


そう言って羅先は姜芭たちを見ると、「あれは?」という表情を朱峩に向けた。

朱峩は羅先に苦笑を返して事情を語る。


「あの者たちは墨塞で働き口を見つけて暮らしたいそうだ。

元居た邨では、冥蛇に使われていたことが知られているらしくてな。


詰まらぬ悪評であっても、女の身では棲み辛かろう。

それよりも頼まれて欲しいことがあるのだがな」


「何でございましょう?」

姜芭たちの事情に得心した羅先は、そう言って朱峩を見た。


「墨塞で<墨庭観>という道観と<璃倮教>の風評を集めて欲しいのだ」

「それは何故でございましょうか?」

羅先に問われた朱峩は、鴇鳴館を立つ際に伽弥たちと談合した事情について語って聞かせる。


事情を聴いた羅先は、

「では早速戻って調べて参りましょう」

と請け負い、一同に会釈して足早に去って行くのだった。


その後姿を見送った伽弥たちも、墨塞を目指して進み始める。

彼らが足を踏み入れた平原には、秋風が蕭々しょうしょうと吹き抜けていた。

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