【15-3】鴇鳴岡(3)

「屋敷内で暴れると後始末が面倒だろう」

朱峩のその一言で、冥蛇めいだ一味の賊を迎え撃つのは、屋敷の庭でということになった。


そして護衛士のうち隊長の虞兆ぐちょう顧寮こりょう憮備むびの三人が朱峩の賊討伐に加わり、残り四人の護衛士たちは屋敷内で伽弥の護衛と、従僕たちの監視に当たることに決まったのだった。


そうして冥蛇を迎え撃つ手筈を決めた朱峩は婢妾の姜芭きょうはに向かって、

「ところで、毒が入っているのは酒だけか?」

と、軽い口振りで訊く。


姜芭がその問いに「はい」と答えると、朱峩は、

菜肴さいこうには毒は入っていないようだ。

冷めてしまったが、今のうちに腹ごしらえをしておこう」

と伽弥たちに向かって言い、胡床に座って箸を手に取った。


それを見て驚いたのは、伽弥たちよりもむしろ姜芭だった。

「私の言うことを信じて頂けるのですか?」


朱峩は「何故だ?」という顔を彼女に向け、

「嘘は吐いておらんのだろう?」

と笑いかける。


「勿論嘘は申しておりませんが、何故あなた様は賊に使われている私の言葉を、それ程易々とお信じになるのでしょうか?」

姜芭は不思議さを隠せない表情で、朱峩に尋ねる。


「大した理由ではない。

ここを訪れた時から、お前たちの眼には怯えの色しかなかったからだ。


それは脅されたとはいえ、賊に加担してしまった自身の罪への怯えなのだろう。

そんな者が今更俺たちを騙して、怯えの種を増やすとも思えんからな」


その言葉を聞いた姜芭は、手で顔を覆って嗚咽し始めた。

彼女の中で賊どもに脅され使役されて来た、一載の間の苦痛の日々が突然蘇ってきたからだった。


そして罪に手を染めた自分たちの悲しみを、朱峩という人は眼を見るだけで見抜いてしまったのだ。

その洞察力の根底にある彼の<信>に触れた思いの姜芭は、この方ならば自分たちを賊の手から解放してくれるのではないかという、微かな希望を抱いたのだった。


その様子に顔を見合わせた護衛士たちは互いに肯き合うと、朱峩に習って席に着き、各々が箸を手に取った。

伽弥もあまり食欲は湧かなかったが、胡床に腰を下ろし、少しだけでもと菜肴に口をつける。


冷めた菜肴を噛みしめながら、伽弥は思った。

――曄の役人たちも、この国同様腐敗しているのでしょうか。


彼女の胸には先程姜芭の口から迸り出た、血を吐く様な怨嗟の言葉が、今もわだかまっていた。

――姜芭のあの言葉は、曄の民が彼女の口を借りて、私に伝えたものなのではないでしょうか。


<大義>を弁え<信>を貫く。

朱峩が伽弥に伝えたその言葉の重みが、今彼女に重くし掛かっていた。


その重みに耐えながら大きく成長しつつある伽弥の心に、為政者としての強い信念と決意が満ち始めているのだった。


夕餉を終えた伽弥と二人の侍女は、房に戻って朱峩たちの首尾を待つことになった。

彼女の房の前には、二人の護衛士が剣を携えて不測の事態に備える。


また姜芭たち三人の婢妾と六人の従僕たちは、一房に篭められて二人の護衛士の監視下に置かれることになった。


そして朱峩と虞兆たち三人の護衛士は屋敷の庭に出て、冥蛇の帰還を待ち受ける。

朱峩は胡床に縛られた丁項ていこうを胡床ごと軽々と肩に担ぎ上げると、そのまま運んで庭の中央に据えた。


彼は端から刀剣を使う気はないらしく、それらは房に残し、黒棒だけを手にして丁項の後ろに佇立するのだった。

そして護衛士たちは各々弓矢を持って、庭の三方に散って行く。


彼らが配置についた僅か四半刻後、秋夜の静寂を破るように騒がしい声が近づいて来た。

すると屋敷の塀に昇って外の様子を伺っていた羅先らせんが庭に飛び降り、手筈通り門脇の灯篭に火を灯した。


それを見た、庭の隅の暗がりで待機している護衛士たちに緊張が走った。

一方朱峩は自然体のまま、灯りに目を慣らすようにして佇んでいる。


やがて開け放たれた門を潜って、冥蛇の一党が屋敷内に入って来た。

そして先頭に立った一際雄大な体躯の男が、屋敷内の異変に気付いて立ち止まる。


「うぬは何者だ?

丁項に何をしやがった?」


男は胡床に縛り付けられている丁項の後ろで、悠然と立って自分たちを見ている朱峩を胴間声どまごえで威嚇する。

その男が冥蛇であると判断した朱峩は、両手で指弾を放って彼の両脇に立つ賊を打ち倒してしまった。


そしてそれを合図にして、庭の三方から伽弥の護衛士たちが一斉に矢を放ち、三人の賊を射殺したのだった。

瞬時に五人を倒された一味の者たちは、慌てて得物を手に身構える。


それに対して朱峩は更に二弾を放って更に二人を打ち倒すと、地に刺した黒棒を抜き取り、ゆっくりとして足取りで前に進み出て行く。

そして虞兆たちも彼に合わせて、庭の三方から姿を現したのだった。


既に数の優位を失った賊一味だったが、流石に修羅場には慣れた強者揃い。

冥蛇を除く五人がおめき声を上げて、一斉に朱峩に向かって殺到した。


しかし此度は相手が悪かった。

彼らが立ち向かったのは武林観が誇る<武絶>、巷間にその名も高い<烈風>の朱峩だったのだ。


彼が繰り出す神速の棒撃が、情け容赦なく賊どもに襲い掛かった。

先ず先頭の二人が横殴りの棒を受け、胴をへし折られて弾き飛ばされる。


続く二人は側頭部を棒で一撃され、脳漿を巻き散らしてその場に崩れ落ちた。

そして最後の一人は、真上から打ち下ろされた棒で、頭蓋を粉々に打ち砕かれてしまったのだ。


これまで良民相手に、暴虐を欲しいままにしてきた賊どもは、朱峩の歩みを止めることすら出来ず、地に滅んだのだった。


そして手下どもの惨状を目の当たりにした冥蛇の巨躯が、怒りに膨らみ激しく震える。

血走った眼を真ん丸に見開き、腰に手挟んだ巨大な二挺の板斧を抜き放って、冥蛇は目の前に立った朱峩を睨み据えた。


「うぬらは絶対に許さんぞ。

今からこの手でみなごろしにしてやる。


先ずはお前だ。

これからなますに刻んでやるから、覚悟しやがれ」


しかし並の者であれば震え上がるようなその兇猛さにも、朱峩は全く動じることなく冷笑を浴びせる。

「御託はいいから、さっさと掛かって来い」

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