【15-2】鴇鳴岡(2)
「どうした。
一口飲むだけで構わんのだぞ。
それとも、噂通りこの屋敷では客に毒を盛るのか?」
朱峩に見据えられた
その声に応えて、厨房からは手に包丁を握った厨人らしき風体の男たちが三人、食堂に傾れ込んで来る。
しかし先頭の男が包丁を振り上げた途端に、何かに弾かれたように仰向けに倒れ込んだ。
そして続く二人も、その男と同様に次々と床に倒れる。
朱峩が放った正確無比の指弾が、狙い違わず三人の天目(三目人の眉間に開いた目)を次々と貫いたのだ。
それを目の当たりにした丁項は、何が起こったのか理解出来ずに、口を大きく開けてその場に立ち尽くしてしまった。
そして朱峩は背後の壁に立て掛けていた鉄棒を手に取ると、呆然としたままの丁項の
その時廊下から、どかどかと駆けてくる足音が響いて来る。
屋敷の男どもが騒ぎを聞き、駆けつけて来たのだろうと察した朱峩は、
「こいつには訊くことがあるから、縛り上げておいてくれ」
と虞兆たち護衛士に言い残し、悠々と食堂から出ていった。
彼が察した通り、廊下には数人の従僕たちが得物を手にして
それを見て一笑した朱峩は、手にした棒を軽く一振りして、ゆっくりと歩を進めた。
彼の姿を認めた男どもは、得物を振り上げて打ちかかって来た。
それに対して朱峩は、棒を左右に振って先頭に並んだ二人の手首を打って武器を取り落とさせると、手元で棒を回して
そしてその場に崩れ落ちる二人の間を悠々とすり抜け、唖然とする次の二人の獲物を素早く棒を回転させて巻き落とし、すれ違いざまに
そのままゆったりと歩を進めた朱峩は、既に逃げ腰になっている二人に向かって、
「得物を捨てて
と、低い凄みのある声で告げる。
それを聞いた二人の男は、すぐさま手にした得物を投げ捨て、その場に平伏して許しを請うのだった。
朱峩は彼らを見下ろして、吐き捨てる様に言った。
「そこでじっとしている。
逃げようとすれば、容赦なく殺す」
そして食堂から出て来て、廊下の様子を伺っていた伽弥の護衛士に、
「こいつらを縛り上げてくれ」
と声を掛けると、後は彼らに任せて食堂に戻って行った。
食堂内では既に、丁項が胡床に縛り付けられていた。
その傍らに虞兆が立ち、曄姫と侍女の二人は壁を背にして青い顔で立っていた。
「外は片付いた」
朱峩は虞兆に声を掛けると、倒れた三人の厨人の死体を跨いで奥の厨房を覗く。
中では婢女三人が、震えながら抱き合っていた。
「事情が訊きたい。
手荒な真似はせんから、こっちに来てくれ」
朱峩が声を掛けると、
そしてその中の一人が朱峩を上目遣いに見ながら前に進み出ると、後の二人もそれに続いて出て来た。
朱峩は三人を食堂内に招き入れ、胡床に並んで座らせる。
そして伽弥と侍女たちにも、
「先ずは名を訊こうか?」
「
この二人は
朱峩に答えたのは三人の真ん中に座った、落ち着いた雰囲気をした年嵩の婢妾だった。
他の二人は、まだ顔立ちに幼さが残っている。
姜芭の答えに頷いた朱峩は、女たちを怯えさせぬように静かな声で続ける。
「この丁項という男だが、こ奴がこの屋敷を根城にしている賊どもの首魁なのか?」
「いえ、その人は屋敷を預かる手下に過ぎません。
この
その名を口にした時、姜芭の眼に恐怖の色が過った。
「その冥蛇というのは、今どこにいる?」
「一昨日から姿を見ませんので、手下を連れて盗賊働きに出ているのだと思います」
その時気絶から醒めた丁項が、二人に間に割り込んだ。
「今宵冥蛇様がお帰りになるぞ。
そうしたら、お前らなんぞ
さらに喚こうとする丁項の蟀谷を、朱峩が棒で無造作に突いた。
途端に丁項は、口から泡を吹いて再び悶絶する。
その無様な有様を横目で見ながら、朱峩は姜芭への尋問を続けた。
「お前たちは盗賊には見えんが、何故この屋敷で働いているのだ?」
その問いに三人の女たちは、一斉に顔を伏せる。
葺妹と成嬌は涙ぐんでいるようだ。
姜芭は二人に労わるような眼を向けた後、真っ直ぐな顔を朱峩に戻して言った。
「私どもは元々この屋敷に雇われていた者です。
六人の男の人たちも同じです。
前のご主人は
ところが一載程前に、冥蛇とこの丁項が大勢の手下を引き連れて、屋敷に乗り込んで来たのです。
そしてこの屋敷を乗っ取り居座ったのです。
その時ご主人様と奥方様は殺されてしまって。
私共三人と従僕の皆さんは、命を助ける代わりに、屋敷で働くことを強制されました。
逃げれば、どこまでも追いかけて殺すと脅されたのです。
以来ずっと、この屋敷に縛られているのです」
言い終わった姜芭は、俯いて涙をぽろぽろと
葺妹と成嬌の二人も、彼女に肩を寄せるようにして
その姿を憐みの眼で見ていた伽弥が、
「どうして役所に訴え出て、助けを求めなかったのですか?」
と口にすると、姜芭はきっとした眼で彼女を見た。
「役所など当てになりましょうか。
役人は税を取り立てるばかりで、何もしてくれません。
軍も同じです。
賄賂でも渡せば別でしょうが、私どものような貧民の訴えなど、耳も貸さないでしょう」
怒りに震える姜芭のその言葉に、伽弥は返す言葉を失ってしまった。
それがまるで自分に向けられた言葉のように、彼女の胸に突き刺さったからだ。
姜芭は伽弥から朱峩に眼を戻すと、「皆さま、早くここからお逃げ下さい」と訴えかけた。
「何故だ?」
短く訊き返す朱峩に、彼女はさらに切実な眼で語った。
「もうすぐ冥蛇が手下を連れて帰ってきます。
冥蛇は恐ろしく強いだけでなく、とても残忍な人です。
皆さんが殺したあの厨人たちは、元々の冥蛇の手下なのです。
それを手に掛けてしまっては、ただで済む訳がありません。
どうか冥蛇が戻る前に、逃げて下さい」
しかしその切願を聞いた朱峩は、平然とした顔で彼女に尋ねる。
「その冥蛇とやらの手下は何人おるのだ?」
「十二人です。
いずれも荒くれ者揃いです。
それが何か?」
その答えを聞いた朱峩は、伽弥に目を向けて問い掛けた。
「姫、このまま立ち去ってもよいが、どうなさる?」
そう問われた伽弥は、厳しい眼で彼を見返した。
「その冥蛇という者、放置すればこの先も悪行を為し続けるでしょう。
また朱峩殿を危険に曝すようで心苦しいのですが、何卒その非道な者共を…」
そう言って絶句した伽弥に、朱峩は凄みのある笑みを返した。
「せっかく宿を借りたのだ。
朝には綺麗に片づけておくから、姫はゆっくり休んで旅の疲れをとればいい」
その二人のやり取りを、姜芭たち三人は呆れた眼で見ているしかなかった。
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