【12-1】伽弥の危機(1)
とは言え伽弥はそのまま旅亭に残り、
そして伽弥の侍女の
伽弥は房の中で、昨夜朱峩から言われた言葉を何度も反芻していた。
「<大義>を
――果たして私は、<大義>が意味するものを、本当に理解しているのでしょうか?
――果たして私には、<信>を貫く勇気があるのでしょうか?
この先<七耀>の襲撃を
――朱峩殿は、この旅の途上で考え抜けと言われた。
――もしかしたらお婆様は、この旅で私に何かを学べと仰っているのでしょうか?
――しかし一体何を学べば、曄の民を安んじる<大義>を知ることが出来るのでしょうか?
――そもそも無力な私に、
数々の疑問が、果てしなく頭の中に浮かんでは消えていく。
それでも伽弥は、決して諦めることなく、必死で考え続けていた。
これまで曄公室の深窓で生まれ育ち、世の中のことを何も知らずに育った伽弥が、今初めて世界という大きな壁に立ち向かっているのだ。
そしてその苦難が彼女を大きく成長させようとしていることに、伽弥はまだ気づいていなかった。
やがて時刻が
伽弥の前にひれ伏した彼女の顔色は真っ青であった。
「何があったのです?」
伽弥が驚いて訊くと、鹿瑛は狼狽えながら答える。
「し、施麻殿が攫われました」
その言葉を聞いて、伽弥と虞兆たち護衛士は、余りに意外な出来事に色めき立つ。
しかし朱峩だけは、冷徹な眼差しを鹿瑛に向けていた。
「何故施麻殿が攫われたのだ?」
虞兆が身を乗り出して彼女を問い詰めるのを、朱峩が制する。
「兎に角、その時の状況を訊こうではないか」
そう言われた鹿瑛は、息を切らしながら語り始めた。
「私と施麻殿は姫様の衣類を
そして私がある店を出て施麻殿を探していると、儒子が現れて
そこには施麻殿を攫ったので、朱峩殿を迎えに寄こせと書かれておりました」
そう言いながら鹿瑛は、小さな紙片を取り出して皆に示した。
そこには確かに、彼女が語った通りのことが書かれている。
「見え透いた罠だな。
俺を誘い出して、その隙に姫を攫おうという魂胆だろう」
朱峩が吐き捨てる様に言うのを聞いて、皆が頷いた。
ただ一人伽弥だけは、深刻な表情を浮かべる。
「だからと言って、施麻を見捨てることは出来ません」
「しかしみすみす罠と分かっているのに、姫の身を危険に曝す訳には参りませんぞ。
それに朱峩殿が施麻殿を助けに行ったとしても、既に無事ではないかも知れません」
虞兆が異論を唱えると、伽弥は彼をきっと睨んだ。
「不吉なことを言ってはなりません」
そして二人のやり取りを無言で聞いていた朱峩に向かって、頭を下げる。
「朱峩殿。
貴方を危険に曝すことになりますが、どうか施麻を助けて頂けませんか?」
しかし朱峩から返ってきた答えは、素っ気ないものだった。
「初めに言ったが、俺が朱莉殿に保証したのは姫の命だけだ。
従者の命まで守ることは俺の役目ではない」
しかしそれでも、伽弥は引き下がらなかった。
「そのことは重々承知しております。
しかし何卒そこを曲げて、お願い致します。
施麻を含め、ここにおる者は皆、苦難を共にしてきた者たち。
それを見捨てて、自分一人助かろうなどとは到底考えられません」
「姫は昨晩俺が話した<大義>を、全く理解しておられぬようだな」
冷たくそう言い放つ朱峩の言葉にも、伽弥は切実な眼で応える。
「朱峩殿の言われたことは、十分に理解しております。
しかし施麻を無為のまま見捨てることは、私の<義>に背くのです。
自身に尽くしてくれた者を、自身の命を守るために軽々と見捨てる者が、果たして曄の民を救うことが出来るでしょうか。
朱峩殿はその様な私の思いを、仁弱と謂われるかも知れません。
しかし私は、施麻を残したままここを去ることは、決して致しません」
そう言って伽弥は、決意を込めた眼を朱峩に向けたのだった。
その言葉を聞いた彼女の従者たちが、揃って朱峩に頭を下げる。
そして彼らを代表して、虞兆が口を開いた。
「朱峩殿、我々からもお願いする。
何とか施麻殿を救って下され」
主従のその様子を呆れ顔で見ていた朱峩は、やがて大きく溜息を漏らす。
そして冷徹な眼を彼らに向けて言った。
「やれやれ、事の本質を弁えぬ主従だな。
いいか。俺が留守の間にここを襲われれば、姫は兎も角、お前たちが命を落とすことになるかも知れんのだぞ。
施麻を攫ったのは恐らく<七耀>だろう。
そしてここを襲って来るのも、別の<七耀>と考えるのが妥当だ。
耀で
それでは姫の身はどうなると思うのだ」
しかしその言葉にも、彼らの決意は揺るがなかった。
「例え我ら全員が倒れようとも、朱峩殿が戻られるまで姫を守って見せる。
不意を突かれるのならまだしも、襲って来るのが分かっていれば、守りを固めることも出来よう」
そして伽弥も彼らの決意を後押しする。
「私も虞兆たちに身を委ねます。
どうか朱峩殿、施麻を救って下さいませ」
彼らの言葉を聞いた朱峩は、思わず天を仰いだ。
やがて彼は伽弥主従に、冷厳な顔を向けて言い聞かせる。
「いいか。俺が戻るまでこの房に留まって、一歩も外に出るな。
予断に過ぎぬが、いくら<七耀>でも白昼堂々、大勢で襲撃してくることはないだろう。
この街の警邏の兵の眼もあることだしな」
「承知した。
しかし今更だが、朱峩殿は大事ないか?
もし<七耀>が束になって襲ってきたら」
「あの程度の奴が、何人で来ようが全く問題ない」
朱峩は虞兆の言葉を途中で制してそう言い放つと、一度伽弥に強い視線を向けた後、黒棒を手にして房を出て行った。
そして一同はその絶大な自信に呆れる思いで、彼を見送るのだった。
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