【09-1】白昼の襲撃(1)

翌日渠陽きょようの街で伽弥かやと侍女二人を乗せる客車と荷駄用の荷車、そしてその二台を牽かせる四頭をあがなったようの主従は、旅装を整えると旅亭の前に整列した。


一行は伽弥と侍女たち、そして虞兆ぐちょうら護衛士七名に朱峩を加えた、十一名の人数だった。

虞兆と護衛士二名が先頭を行き、残りの護衛士二名ずつが、伽弥たちを乗せた豨車と荷車の左右に立って豨の手綱を引きつつ護衛に当たっている。


そして黒の胡服を纏った朱峩は、隊列のやや後方で秋風に朱髯を揺らしながら、悠々と歩を進めていた。

彼はそこから、伽弥たちが進む方向全体の目配りをしているのだ。


やがて一行が街道に出る門に差し掛かかろうとした時、地味な旅装の男が彼らに近づいて来た。

その男の姿を認めた朱峩は、後方の護衛士に声を掛けて隊列を停止させた。

そして不審気な顔を向ける主従に、その男を引き合わせる。


「この男は羅先らせんと言って、先々の偵探を任せる手筈になっている。

顔を見知りおいてくれ」

朱峩から紹介された羅先は、一同に卒のない笑顔を向けて挨拶する。


「羅先と申します。

どうぞお見知りおきを。

ただ偵探という役割ですので、無暗に声を掛けるのはお止め下さい」


「羅先には我らに先んじて進んでもらい、行く手に異変があれば知らせてもらう手筈だ。

それでは行こうか」


そう言って朱峩が一行に出立を促すと、羅先はそそくさとその場を立ち去って、足早に門外へと消えていった。

その後を追うように伽弥たちも街門を潜り、隣国ちょうに向かう街道に足を踏み入れたのだった。


伽弥一行が進む道の両側には、広々とした農地がどこまでも続いていた。

しかし既に麦の収穫を終えた時期だったので、人々が農事に勤しむ姿は見られず、寂寥とした景色が広がっている。


平坦な街道を緩々ゆるゆると進む豨車きしゃに揺られながら、伽弥は昨晩朱峩から言われた言葉を、心の中で反芻していた。


『胡羅氾が実権を握れば、民が塗炭の苦しみに落ちるのは明白だろう。

かと言って、現曄公ではそれを抑えきれず、姫の弟君はまだ幼若だ』


『あなたが国の実権を握って胡羅氾を倒し、国を支えになるしかないのではないか?

かつてあなたの祖母の朱莉しゅり殿が、前曄公を支えたようにな』


――お婆様は本当に、私がその様な大それた役目を担うことを、望んでいらっしゃるのでしょうか?

――お婆様がそう望まれていたとしても、国を動かす様な大事を為すことが、果たして私に出来るのでしょうか?


昨晩朱峩が滔々と語った中原諸国の実情は、正にその通りなのだろう。

そして辺境伯胡羅氾こらはんが公位を奪い曄を支配すれば、国民が塗炭の苦しみに落ちるということは、伽弥にも容易に想像することが出来る。


朱峩はその様な惨状を阻止することこそ、為政者たる公族の為すべきことだと言っているのは、伽弥にも十分に理解することが出来た。

しかしそれを理解することと、自身が公族や官吏の先頭に立って胡羅氾の野望を阻止し、国を立て直すということとは全く別問題なのだ。


祖母の朱莉しゅりが誠にそれを望んでいるのであれば、彼女もそれに応えたいという気持ちはある。

しかし彼女にとって、それは余りにも重責と感じられるのだった。


一方で伽弥の心中には、この旅を完遂して、父である曄公を胡羅氾の魔手から救わねばならないという強い使命感があった。

そして苦難に満ちたこの旅を、主従が欠けることなく終えることが出来るのだろうかという、激しい焦燥を同時に感じていたのだ。


伽弥は剋冽こくれつ太子の配下に追われて、湖陽の夜を彷徨った時のことを忘れることが出来なかった。

あの夜虞兆ぐちょう配下の護衛士三人が、鬼而きじという男の手に掛かって果てたのだ。


異国の地で声なき骸となった三人を思う度に、彼女の胸は張り裂けそうになる。

二度とあのような犠牲を出したくないという、強い思いが伽弥の中にはあった。


あの夜あの場所に、もしも朱峩が現れなかったならば、一行はあの<死神>によってことごとほふられ、自分は拉致されて胡羅氾の手に渡っていたかも知れない。


それを思うと、これから先に彼女たちを待ち構えている危険に、果たして従者たちを巻き込んでよいのかという、強い疑問が沸き起こって来るのだ。


伽弥は豨車の揺れに身を任せながら、その様に千々に乱れる心を持て余していた。

そして無言で思い悩む主の様子を、侍女の施麻しまが心配気な表情で見守っていた。


その頃豨車の後ろを歩く朱峩の眼に、街道脇に佇む羅先の姿が映った。

彼は街道に背を向けていたが、朱峩の方に横目で合図を送っているようだ。


それを見た朱峩は足を速めると、一行の先頭を行く虞兆に並んだ。

「この先で何やら仕掛けてくるようだ」


「何ですと!それはどのような…」

思わず声を上げる虞兆を制して、朱峩は低い声で呟いた。

「それは分からんが、羅先から合図が来た」


「このまま進んで問題ないだろうか」

虞兆も朱峩に合わせて声を低くする。


「今のところ大した気配は伝わってこない。

このまま進んで様子を見よう」


そう言った朱峩は、すぐ後ろを歩いている顧寮こりょう憮備むびを振り返った。

「後ろの四人にも、備えるよう伝えてくれ」

その指示に無言で肯いた二人は、左右に分かれて伝令に走る。


そして顧寮たちが前列に駆け戻ってきた丁度その時、半里先の林間から十名ほどの人数が現れ、街道に立ち塞がるのが見えたのだった。


その輩どもは手に手に得物をぶら下げており、遠目にもまともな連中には見えない。

間違いなく、伽弥の一行を待ち構えているのだろうと思われた。

それを見た護衛士たちに緊張が走った。

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