【08-2】渠陽の夜(2)
「
「そんな!他国への武力行使は<耀律(耀王国の法)>で禁じられています」
伽弥が思わず声を上げると、朱峩は苦笑する。
「王の権威が衰えた今、<耀律>など最早、あってないようなものだ。
誰かが一旦それを破れば、瞬く間に中原各国に広がるだろうな。
それにあの
あの阿呆が次代の王になれば、間違いなく戦乱の世が訪れるぞ。
そんな世が来れば、民はどうなる?」
そう言って厳しい目を向ける朱峩を、伽弥は真っ向から見返した。
「朱峩殿は、私にどうせよと仰るのですか?」
彼女の真っ直ぐな視線を眩し気に見て、朱峩は少し身を引いた。
そして虞兆は二人の対話に入ることが出来ず、無言で聞き入っている。
「胡羅氾が実権を握れば、民が塗炭の苦しみに落ちるのは明白だろう。
かと言って、現曄公ではそれを抑えきれず、姫の弟君はまだ幼若だ。
やはりあなたが国の実権を握って胡羅氾を倒し、国の支えになるしかないのではないか?
かつてあなたの祖母の
「私にそのような大それたことが、出来るとお考えなのですか?」
伽弥は朱峩の言葉に驚いて、目を見開いた。
「それは分からん。
しかし朱莉殿は、それを望んでいるのだろうよ。
そのために此度俺を、姫の迎えに使わしたのではないかな」
そう締めくくると、朱峩は真っ直ぐに伽弥を見つめた。
そして伽弥は、思い詰めた表情で俯き、考えを巡らせている。
虞兆はその様子を、心配気に見ていた。
「さてここからは、目先のことに話を戻そう」
暫しの沈黙の後、朱峩は二人にそう切り出した。
「明日は姫の乗用と荷運びのための
それからここを立って、耀湖沿いの街道を北へ向かうことにする。
先程も言ったが、
とは言え、匪賊が全くいないという訳でもないので、警戒が必要なことには変わりない。
それに例の七耀が襲撃してくると思った方がよいだろうな。
その時は俺が相手をするから、お前たちは姫の警護に専心してくれ」
朱峩に言われた虞兆は大きく頷いた後、彼に質した。
「朱峩殿は、これまでのように独りで動かれるのか?」
「いや、今後は姫の警護に貼り付こう」
「それは頼もしいが、隊列から離れて、行く手の偵探を行う者も必要ではないだろうか?」
「それについては心配無用だ。
既に知人に依頼してある。
信用出来る男だから、心配はいらんよ」
朱峩の答えを聞いて虞兆は、納得した様子で再び頷くと、「朱峩殿、ひとつ提案があるのだが」と言って話を続けた。
「このまま北上して治安の悪化している晁を通るより、遠回りになるが
それを聞いた朱峩は、難しい表情になった。
「それも考えないではなかったのだが、二つ懸念がある」
「懸念というのは?」
「一つは緒から曄に入る道が全て、
恐らく曄に入った途端に、軍の襲撃を受けるだろう」
「そうか。そうであったな」
それを聞いた虞兆は、無念そうな表情で頷いた。
「二つ目はその道を辿ると、晁を通るより十倍以上の時間がかかることだ。
期間が延びると、敵の襲撃の機会が増えることも勿論だが、問題は曄公なのだ」
「お父様が?」
「主公が?」
朱峩のその言葉に、伽弥と虞兆が同時に声を上げた。
「曄公は、姫が耀を出たことをご存じあるまい。
曄の公使が
「それではお父様は実情を知らずに、私の婚礼のために耀都までお越しになるというのですか?」
「そうだな。
そして王室が、耀に来た曄公を害する恐れが高い」
「何故でしょうか?
お父様に何の
伽弥が思わず声を荒げると、朱峩は深刻な表情で彼女を見返した。
「姫が婚礼を前にして、王室に無断で耀を脱したことは、曄の無礼を咎める格好の口実になるだろう。
案外胡羅氾の真の狙いは、曄公の殺害にあるのかも知れんな。
王室の手を借りれば自身の手を汚さずに済むし、曄公の咎をでっち上げて、公位
すると剋冽の阿呆を
その推察を聞いた伽弥は「何と悪辣な」と呟くと、そのまま絶句してしまった。
そして彼女に替わって、虞兆が堪らず身を乗り出した。
「私の部下を先に走らせて、曄公にお伝えするのはいかがだろう?」
「残念だが、<七耀>の餌食になるのが落ちだ。
俺以外の誰を走らせたとしても、結果は同じだろう。
そして俺が姫の警護から抜けることは、連中の思う壺だ。
伝令を走らせずとも、このまま一団で晁を抜けて、曄に入ってから伝騎を公宮まで走らせれば曄公の出立には十分間に合うだろう」
「
それが一番早くて安全だと思うのですが」
伽弥のその言葉に、朱峩は静かに首を横に振る。
「恐らく胡羅氾は、耀から姫を乗せようとした船を、耀湖に遊弋させているだろう。
湖上で襲われては、姫を守って逃がすのは難しいだろうな」
朱峩の答えを聞いた伽弥は、真っ直ぐな眼を彼に向けた。
「つまりお父様をお救いするためには、晁を通る道しか残されていないのですね?」
「それでも姫は、敢えて危険を冒してでも、その道を征かれるのか?」
朱峩の厳しいその問いに、伽弥は迷うことなく答える。
「無論です。
胡羅氾などに、お父様を害させる訳には参りません」
その決意に満ちた相貌を見た朱牙は、表情を和らげて彼女の言葉に肯いた。
「さて、晁を通るにしても、この先の道程は長い。
姫は
その言葉に伽弥は、一瞬もの問いたげな表情を浮かべたが、諦めたように朱峩に目礼すると、彼の房を後にした。
朱峩はその後姿を、普段と異なる優し気な眼差しで見送るのだった。
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