【06】七耀

その日の日落じつらく時(午後六時頃)、事態は大きく動き始めた。

微右街びうがいを仕切る右幣うばんの頭于蝉うぜんが、蒙赫もうかくに会談を申し入れてきたのだ。


蒙赫は伽弥一行を匿っていることもあり、当初その申し入れを断ろうとしたが、会談の目的が昨晩の争闘の後始末ではなく、伽弥一行に関することという使者の口上を聞いて考えを改める。


伽弥一行が蒙赫の元に匿われていることを、何故于蝉が知っているのか、確かめずにはおれなかったからだった。

于蝉の介入によって、朱峩の算段に狂いが生じるようなことがあれば、彼に顔向けできないと蒙赫は考えたのだ。


そして指定の時間より前に、微左びさ微右びうの境界付近にある会合場所に蒙赫が到着した時、既に于蝉は少人数の手下だけを従えて彼を待ち受けていた。


「やけに早いじゃないか」

蒙赫が周囲に警戒しながら声を掛けると、

「これだけしか連れて来てねえから、そんなに怖がるなよ」

と、于蝉から嘲笑が返ってきた。


その言葉にむっとした蒙赫は、于蝉の前にどかりと腰掛け、おもむろに切り出した。

「で?わざわざここまで出向いて来た用事ってのは何なんだ?」


「そう尖がるな。

お前さんにとっても、悪い話じゃねえよ」

そう言って身を乗り出した于蝉は、薄ら笑いを浮かべながら話し始める。


「お前さんの所に、曄の姫さんが匿われているのは承知してる。

何で俺が知ってるかなんてことは、この際置いておこうや。


その姫さんをな、今夜船に乗せて曄まで送って差し上げようという算段だ。

どうでえ、悪い話じゃないだろう?」


「そんな胡散臭い話に乗れるかよ。

王室の許可なく、耀湖に船を出せる訳がねえだろう。


大体あんたにとって、何の得があって、そんなことをしようってんだ?

業突張りのあんたが、只で危ない橋を渡るなんてことは、金輪際あり得ねえわな」


蒙赫のその物言いに、于蝉の配下が色めき立ったが、于蝉はそれを手で制して続けた。


「まあ、そう言わずに話を聞けよ。

実は王室の許可は出てるらしいんだ。


詳しくは知らんが、王室と曄の間で話はついてるらしい。

ただし船に乗せるのは、姫さんとお付きの女たちだけだ」


それを聞いた蒙赫は、益々顔を険しくする。

「お断りだな。

姫と侍女だけ行かせるなんてことを、護衛の隊長が認める訳がないんでな。

話がそれだけなら、わしは帰るぜ」


そう言って立ち上がる蒙赫を、于蝉が険しい顔で見上げた。

「調子に乗るなよ。

いくら昨晩、大勢やられたからと言っても、まだまだこっちの方が人数多いんだぞ。

それにお前さん、王室相手に反目に回って、耀で生きていけると思ってんのか?」


しかし蒙赫は于蝉を見下ろしながら、嘲笑を浮かべる。

「そっちこそ誰を相手にしてるか、分かってないようだな。

昨日あんたんとこの鬼而きじを殺ったのは、朱峩という人なんだぜ」


その名を聞いて于蝉の顔色が変わった。

「朱峩?まさか<烈風の朱峩>だってのか?

何でそんな大それた奴が絡んでやがるんだ?

畜生、話が違うじゃねえかよ」


「その朱峩さんだよ。

わしはもう戻るが、下手な手出しは止めておけ。


今日<紅死行>が襲われたのを知ってるだろう。

あれも朱峩さんの仕業だよ。


あの人の逆鱗に触れたら、あんたんとこのばんなんざ、一晩で跡形もなく消し飛ぶぞ」


そう言い残して立ち去ろうとする蒙赫の背中に、于蝉が吐き捨てるように声を掛けた。

「今頃姫さんの旅亭に手が回ってるぞ」


「何だと?」

その言葉に、鬼の形相で振り返った蒙赫に、于蝉は嘲笑で応えた。

「誰の手の者か知らんが、お前さんを今夜ここに引っ張り出している隙に、姫さんを掻っ攫う算段になってるそうだ」


蒙赫はその言葉を聞いて体中に怒気を膨らませたが、すぐに己が為すべきことに気づき、身を翻す。

その後姿に、于蝉と手下が爆笑を浴びせかけた。


その頃于蝉の予告通り、伽弥一行が潜む旅亭に一つの影が忍び寄っていた。

影は闇の中に溶け込むように気配を消して、旅亭の中に滑り込もうとする。


影の名は<金>の仇碑きゅうひと言い、<七耀>という名の影の武闘集団の一員だった。

仇碑の目的は伽弥を拉致して、耀湖に停泊中の曄船まで運ぶことだった。


彼にとって伽弥の護衛士など物の数ではなく、蒙赫とその手下たちも眼中になかった。

しかし騒ぎを起こされて、万が一の躓顚しくじりがあってはと考えた仇碑は、万全を期すために、于蝉を使って蒙赫と手下たちを誘い出させたのだった。


そして旅亭の戸に手を掛け、中に忍び込もうとした正にその時、背後から突然立ち昇った闘気に当てられ、仇碑は思わずその場から飛びずさる。

その際、咄嗟に背後の闘気に向かって二本の飛刀を投げたのは、<七耀>の一たる彼ならではの手練の技と言えただろう。


しかしその必殺の飛刀も闘気の主を捉えること能わず、空しく闇に吸い込まれる。

そしてその時、仇碑に生涯最大の危機が訪れた。

闘気の主の姿が、いつの間にか間近に迫っていたのだ。


その速さは<七耀>一を誇る仇碑を凌駕し、彼の誇りを著しく傷つけるものだった。

そして仇碑が、その怒りをぶつけるようにして放った抜き打ちの一刀も、男が手にした鍛鉄の棒によって見事に弾かれてしまった。


狼狽した仇碑は、背後に飛びずさって相手を見た。

脅威と憎悪がない混ざった彼の目が捉えたのは、朱毛朱髯の好漢こうかん、武林観が誇る<武絶>―朱峩その人だった。


その時棒を片手に静かに佇む朱峩の口から、「」という呟きが漏れた。

その意味するところは分からなかったが、声音に侮蔑の色を感じた仇碑は、怒りと共に<七耀>としての誇りを思い出す。


そして朱峩との距離を一気に詰めると、目にも留まらぬ速さで、刀の連撃を打ち込んだ。

さらにその斬撃を棒で受け切られたその瞬間を狙って、右のかいなに仕込んだ闇剣の一撃を繰り出したのだ。


それは<七耀>の一、<金>の仇碑きゅうひの最大の秘技。

これまでかわせた者など皆無の必殺技だった。


しかしその必殺の一撃をもってしても、朱峩のからだを捉えることは叶わない。

軽やかに身を回転させて闇剣を躱した朱峩は、たたらを踏んでつんのめる仇碑の両膝に棒の一撃を加えたのだった。


朱峩は膝を砕かれ、その場に倒れ込んだ仇碑を見下ろすと、

「名を名乗る気はあるか?」

と問いかける。


その言葉に仇碑は束の間躊躇していたが、やがて太々しい笑みを浮かべて言った。


「俺の名は仇碑きゅうひ

<七耀>の一、<金>の仇碑だ。


この俺をわらべ扱いする、あんたこそ誰なんだ?

名前を教えてくれないか?」


「俺か。俺は朱峩という」

その名を聞いて、仇碑の顔に驚愕の表情が浮かんだ。


「あんたがあの、<烈風の朱峩>か。

成程俺如きでは、相手にならない筈だ」


そう言って笑った仇碑の口の端から、鮮血が流れ落ちる。

そして<七耀>の一角として、闇の世界にその名を馳せた<金>の仇碑は、その場に倒れ伏し、二度と起き上がることはなかったのだった。

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